なかよしな婚約破棄
「ジュリアンナ様、少しよろしいですか?」
「……ええ、喜んで。王太子妃殿下」
城での会話。あるいは、何も特筆すべきでないたった一言ずつの言葉ではあるが、それをそのままの印象に留める者はもはやこの国の貴族には一人もいない。
婚約破棄。
たった一夜の出来事で、その立場を大きく違えた二人なのだから。
「ソフィアさん、まだジュリアンナ様に御用なのかしら?」
「ダメよ、ソフィア様とお呼びしなくては。あれだけの事をされたんですもの、きっと深く怨んでおられるわ」
偶然二人を目撃した人々が、口々に憶測を話している。
不躾、不愉快。その野次馬根性のどこに貴族の心があるのかと、ジュリアンナは問いただしたくて仕方がなかった。
しかし、彼女はただ口を閉じていた。かつて有望とされていた魔術師の姿は、そこにはない。もはや、ジュリアンナは辺境に飛ばされる落ち目貴族なのだから。
遡る事二ヶ月前。その騒動は突如として起こった。
その後四日のうちに国中に知れ渡る、王太子の婚約破棄騒動である。王太子が四つの頃に結ばれた婚約を、とある夜会で破棄してしまったのだ。
その理由は、王太子の話によれば酷いいじめ行為。力の劣る令嬢に高圧的な態度で接し、命に関わる暴力に出た事もあったそうだ。国でも有数の魔術師でもある婚約者は、その才能を弱き者を虐げる事に使ったのだという。
およそ国母となる人間の所業ではないと、王太子は強く批判。そして、いじめを受けていた令嬢を新たな婚約者に名指したのだ。
無論、異例の事態である。しかし不思議な事に、その後は滞りなく進行した。
婚約破棄も、新たな婚約も、何に阻まれる事もなく国王の許しが降りたのである。
そして、婚約を破棄された令嬢は、辺境の土地へ送られた。草木も育たない痩せた土地を押し付けられ、おそらくは一生を終えるのだろうと思われた。
その二人が、ソフィアとジュリアンナである。かつては頭を下げる立場であったソフィアが、今では落ちぶれ貴族であるジュリアンナを呼びつける。訳あって登城していたジュリアンナを狙い撃ちにする、決して断る事のできない立場をもって。
城にいた多くの使用人、貴族、そして兵士や騎士の眼に晒され、ジュリアンナは居心地の悪そうに身震いをした。
二人が訪れたのは、王城の端の端。日当たりも悪くてほとんど誰も訪れない部屋だ。かつてはジュリアンナがソフィアを呼びつける事に利用していた場所だが、今はまるで真逆となってしまった。
誰も聞き耳を立てていない事を確認し、誰を盗み見ていない事を確認し、二人はようやく向き合った。
道中で二人を目撃した誰もが、その後の事を察した。ソフィアが何をするのか。ジュリアンナが何をされるのか。想像に難くない。
しかし、誰一人としてそれを咎めるつもりはない。仮にソフィアが王太子妃でなかったとしても、ジュリアンナの所業は貴族にあるまじき暴挙として軽蔑の対象なのだ。
そして——
「お久しゅうございます! ジュリアンナ様!」
「もう、ソフィアったら、それ辞めてったら。私が貴女に“様”なんて呼ばせてるみたいじゃない」
「し、失礼しました!」
晴れやかに、健やかに、何よりにこやかに、二人は言葉を交わす。
城にいる誰もが思ってもみない口調で、まるで十年来の友人であるかのように。
「貴女、殿下とは上手くやれているの?」
「は、はいお陰様で。えへへ……」
「またそうやってだらしない顔を。いい事? 殿下は少しお馬鹿だから、貴女が支えなくてはならないのよ?」
「が、頑張ります!」
とてもではないが、落ちぶれた少女とその原因になった少女の会話ではない。疑う余地なく仲が良く、紛れるはずなく友人である。
王太子が、そしてほとんどの貴族が、この場にいれば驚きのあまり腰を抜かすだろう。
しかし、これは当然の光景である。ソフィアとジュリアンナの仲が悪かった事など、今までほんの一瞬たりともないのだから。
「ちょっと頑張るだけでは足りないわよ? なにせ、あの人は私達の狂言をまんまと信じて、私への不自然な処遇に全く疑問を持たないんですもの」
「それは……はい。でも! 私は殿下を支えると決めたのです! あなたに背中を押してもらったあの時に!」
「そうね、貴女は立派よ。愛する者のために、そこまで熱心になれるのだから。それは、私にはなかった美徳ね」
「そう言われると救われます。でも、私がどんなに頑張っても、国王陛下とジュリアンナ様……じゅ、ジュリアンナ、に、手伝ってもらわなくてはこうも上手くいかなかったでしょう。感謝してもしきれません」
ソフィアは、深く頭を下げる。
「こらこら、王太子妃がこんな落ちぶれ貴族に頭を下げるものではないわ」
「でも、私のせいでジュリアンナ、が、悪者にされてしまいました」
「……そんなに様を付けないのは言いにくいかしら?」
「だってあなたは私の恩人ですから」
「ああ、そう……」
ため息を一つ。
ジュリアンナは続ける。
「辺境へ送られた事は気にしなくていいわ。あれは、私から陛下にお願い申し上げたの」
「え!?」
「魔法の研究にちょうどいい環境なのよ、あそこは。でも、公爵家をあんな痩せた土地に送っては面目が立たん、って断られていたの。だから、今回の醜聞で私の名前を痩せた土地に相応しいくらいに落とさせてもらったのよ」
「そ、そんな事が……」
「あったのよ。だから、貴女は本当に全くこれっぽっちも気にする必要なんてないの」
満面の笑みを浮かべるジュリアンナの顔に、偽りはない。親友であるソフィアが、その表情を真実であると感じたのだ。これ以上の保証など、何一つとして必要がない。
「だから、安心して。私はあと数年のうちに、この研究をものにするわ。あの痩せた土地一面を緑の絨毯にしてみせる。でも、私はもうこの国で力のある貴族ではないから、その時には貴女に力を貸して欲しいの。この魔法の普及には、きっと王太子妃の……国母の力が必要よ」
「は、はい! ジュリアンナ様の夢を叶えるために、私は立派な王妃になってみせます!」
「ありがとう。それと、分からない事や殿下に聞きにくい事があれば、私に連絡なさい。もはや私に力なんてないけれど、知恵を貸す事くらいはできるわ」
「その時は遠慮なく知恵をお借りします。私達二人で、この国をより豊かにしましょう!」
「まあ、頼もしいわ! 貴女よりも頼もしいものなんて他にないくらい」
王国史に残る、婚約破棄騒動。その当事者である王太子が戴冠した際には、国内の混乱はとよく懸念されていた。
しかしそれを機に、王国の力は周辺国の中でも抜けたものとなっていく。
その立役者は新たな国王……ではなく、王にたびたび助言をした妃であると言われている。
ただ、その妃は自らの功績を誇示する事は全くなかった。まるで、本当に他人の成果であるかのように。




