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01 脳を破壊された男

 ヨーデルとママリアが舌を絡めるキスをした途端、俺は脊髄を引きずり出されたようなショックを受けた。

 当然のごとく立っていられなくなり、膝から崩れ落ちる。


 俺は、脳が砕け散る音を聞いていた。

 割れた鏡のように粉々になった記憶には、いままであったことも忘れていたような思い出が映っていた。


 初恋は、小等部の頃。

 登校中、日替わりで兄たちにいじめられていた俺を、助けてくれたのが幼なじみのママリアだった。


「ヨーデルちゃん、やめて。あなたたちは兄弟なのでしょう?

 ヨーデルちゃんはお兄ちゃんなのだから、弟を守ってあげないと」


 俺たち兄弟は『イネプト一族』という、王族とも深い繋がりのある勇者の家に生まれた。

 そのため兄たちに逆らえる者はおらず、教師ですらイジメを見てみぬフリ。


 しかし、ママリアだけは違った。


 彼女は当時中等部で、小等部の高学年の兄たちよりも少し歳上だった。

 さらに生徒会長も務めるほどの優等生の聖女。


 兄たちも彼女の言うことだけは聞かざるを得なかった。


「チッ。ママリア、また貴様か。いつも我ら兄弟のスキンシップの邪魔しおって。覚えているがいい」


「もう、ヨーデルちゃんったら……」


 兄たちのイジメはバリエーションに富んでいた。

 ボコボコにされた日は、いつもママリアが白いハンカチで血を拭ってくれていたんだ。


「大丈夫、ミカエルちゃん? ああ、血が出てる、かわいそうに……。

 なんでお兄ちゃんたちは、こんなにかわいいミカエルちゃんをいじめるのかしら……?」


 俺は生まれたばかりの頃に、『光速レベルアップ』というスキルを授かった。

 そのいかにも凄そうなスキル名に、幼いうちは一族の期待の星ともてはやされた。


 しかし『光速レベルアップ』のスキルは力を発揮することはなく、それどころか俺は普通の『レベルアップ』すらもできなかったんだ。

 それからだ。一族の落ちこぼれとして、兄たちのストレスのはけ口になったのは。


 当時の俺にとって、ママリアだけが救いの存在だった。

 俺にやさしくしてくれる唯一の存在を、俺は当然のように好きになった。


 しかし俺はある日、真実を知る。

 俺は血で汚れてしまったハンカチを洗い、ママリアに返そうと、中等部の校舎に行った時のこと。


 校舎の裏で、舌を絡め合わせるふたりを見てしまったんだ。


 ママリアは聖女の白いローブ姿で、まるで赤子を抱くようにヨーデルを抱きしめていた。

 清らかな桜色の唇から、淫靡などす赤い唇を出し入れし、ヨーデルの口を貪っていたんだ。


「もっと舌を絡め合わせるのだ、ママリア」


「ぷあっ、ふぁい、ヨーデルちゃん……」


「今日もいい止めっぷりだったぞ、明日はミカエルを……」


「いやっ、ヨーデルちゃん、あんなゴミの話なんかしないで。いまはママだけを見てぇ」


「ヨロレイヒ~。まったく、しょうがないやつだな」


 その瞬間、俺は崩れ落ちた。

 脳の一部が破壊される音を、たしかに聞いていた。


 俺がそばにいることに気付いたヨーデルは、膝立ちで震える俺に近づいてくる。

 そして片手で俺のこめかみを握りながら、こう言ったんだ。


「もっとママリアのことを好きにさせてからタネ明かしをするつもりだったんだが、見てしまったものはしょうがない。

 どうだミカエル、一部とはいえ脳を破壊された気分は。

 しかしこれから貴様には、これ以上の苦痛を味わってもらうぞ。

 地獄の炎に焼かれるように、延々とな……!」


 ……ビシュウンッ!


 気付くと俺は、保健室のベッドに寝ていた。

 傍らには、難病の我が子を見る母親のような表情のママリアが。


 俺が意識を取り戻したことを知ると、彼女は心の底から滲み出たような涙の粒を浮かべた。


「よかったぁ、気が付いたのね、ミカエルちゃん。

 ミカエルちゃんが中等部の校舎に倒れていたのを見つけたときは、ママ、心臓が止まるかと思っちゃった」


 女神のような微笑みで俺の頭を撫でてくれるママリア。

 それからも彼女だけはずっと、俺の味方だった。


 俺たちはそれから大人になり、俺は18歳になった。

 兄たちは一族を担う者として各方面で活躍していたが、いまだにレベル1のままだった俺は役立たずのまま。


 しかしそれでも一族のためになろうと、兄たちのサポート役としてがんばった。

 そして俺は今日、『竜の堕とし子』という洞窟に冒険に来ていた。


 ヨーデルと、ママリアとともに。

 『竜の堕とし子』の最深部へと繋がる深淵の前で、ヤツらは演劇のクライマックスのように見せつけたんだ。


 恋人たちの、熱いキッスを……!


 その瞬間、俺はすべてを思いだす。兄たちに消された過去を。

 恋をしては打ち砕かれ、誰かを好きになっては取られるという、『寝取られ男』の忌まわしき記憶を。


 俺は脊髄を引きずり出された生き物のように、崖っぷちで動けなくなっていた。

 ヨーデルは俺を覗き込むと、高らかに笑った。


「ヨーロレイッヒ~! 初恋に敗れたキッスの再現で、すべてを思いだしたようだな!

 我ら一族に伝わる秘伝、『洗脳(ブレイン・ウォッシュ)』スキルで奪われた記憶を!」


 ヨーデルを抱きしめて離さないママリアは、妖艶に笑っていた。


「ミカエルちゃんったら、ショックですっかり脳を破壊されちゃったみたい。

 この冒険が最後だからって、いつも以上にやさしくしてあげたのが効いたみたいねぇ。

 ミカエルちゃんはきっと、この冒険が終わったらママに告白するつもりだのよ。

 だってママが好きだと思っているお花が、リュックの中に入っていたんですもの」


 ママリアの足元では、俺が昨日の夜に作った花束が踏みにじられていた。


「ママはお花よりも、お口いっぱいの○○○(ピーッ)のほうが好きなの」


 舌なめずりをしながら白魚のような手で、ヨーデルの股間を撫であげる。

 ヨーデルは歓喜の雄叫びをあげた。


「ヨ~ロレイッ、ヒ~~~ッ!!

 さぁて、あとはこの『竜の堕とし子』に、この出来損ないを突き落とせば終わりだ!

 我ら一族が支配する邪竜、『ブレイン・イーター』に脳破壊されたコイツを与えれば、我ら兄弟の『洗脳』スキルはより強固なものとなる!

 ミカエル、貴様は落ちこぼれだから知らんだろうが、我ら一族はこうやって『洗脳』スキルを磨き、この世界を裏から操っているのだ!」


 俺はもう、完全なる抜け殻となっていた。


 死んだセミのように身体を縮こませ、泣くこともできない。

 ただ暗くなっていく視界のなかで、俺を陥れた張本人たちの嘲笑を聞くのみ。


「……おやおや、もはや毛先すらも自らの意思で動かす気力は残っていないようだな。

 瞳からも、すっかり光が消え失せている」


「もぉ、ヨーデルちゃんったら、そのゴミは本当のゴミになっちゃたんだから、もういいじゃない。

 それよりも早く終わらせて、ママといいことしましょ、ねっ?」


「んむっ。ママリア、貴様は本当にキッスが好きだな」


 ふたりはもう、俺を見てすらもいない。

 抱き合ったまま、ダンスのステップでも踏むかのように片脚を動かし、俺を深淵へと蹴りやる。


 俺は舞い散る花びらとともに、暗闇の中へと堕ちていった。



 ◆  ◇  ◆  ◇  ◆



 深淵に転がされた俺は、距離も時間も、前も後ろもわからない暗闇のなかを堕ちていく。

 目も耳も閉ざされ、なにも感じなくなる。


 意識も身体も少しずつ、漆黒のなかに溶けていくような感覚。

 もうなんでもいいや、と思ったときに、遥か遠くのほうから声が聞こえてきた。


「……あっ、人が……人が降ってきました……?

 この結界の上だったからよかったものの、外だったら、今頃は……」


「もし、もし? しっかりしてください。

 ひどい、完全に脳を破壊されて、廃人になってしまっている……。

 だれが、こんなひどいことを……」


 不意に、感覚が戻ってくる。

 耳のあたりに、なにかあたたかいものが生まれた。


 そのあたたかさは耳から身体の中に入ってくるようで、全身を巡る。

 俺はひどく冷たくなっていることに気付いた。


 うっすらと目をあける。

 霞む視界の向こうでは、見知らぬ少女が覗き込んでいた。


「じっとしていてください。もう少しで終わりますから」


 言われなくてもじっとしていたいほどに、そこは心地が良かった。

 全身の感覚が戻ってきて、俺は少女に膝枕されているのだと気付く。


 しばらくして身体が動くようになった。

 名残惜しかったが身体を起こすと、底は洞窟の中にある花畑だった。


 あたり一面に色とりどりの花が咲き乱れ、ホタルような光の玉が漂っている。

 ここは深淵の底のはずなのに、昼間のように明るい。


 振り向くと、灰色のドレスを着た少女が正座していた。

 小柄で、ツヤのある黒髪を蔓のように花畑に広げている。


 顔立ちはまだあどけないが息を呑むほどに美しく、しかし目をそらした瞬間に消えてしまいそうなほどに儚かった。

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― 新着の感想 ―
[一言] なろうで1000回はみた展開
[一言] 恋をしては打ち砕かれ、誰かを好きになっては取られる……。 愛したものに裏切られ、ゴミのように捨てられた。 そうしてミカエルは脳がぶっ壊れるくらいに絶望しちまった。 けど、絶望だけではないと…
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