第二章 第一話
-で、何故こうなってしまったんだったかな-
前を行く三人の姿を見て、夏野の頭には、もう何度目かも数え忘れた疑問がまた浮かんできた。
辺りは既に夜の闇に包まれており、僅かに欠けた白銀の月が頼りである。
そんな中、先頭に立つ那央が真琴と春に声をかけた。
「もう少しで小屋につく。二人とも大丈夫か?」
「大丈夫です」
「僕のことは気にしなくていい」
彼らは今、合戦場所となる平野を囲む山中を進んでいた。
一触即発となっている両軍の陣地を左右に見る配置であり、通常であれば戦に巻き込まれることは無いはずだ。
それにしても、と夏野は強く思う。
戦場で子供のお守りなんて御免だと言っていたのは那央ではないか。
それが今は先頭に立ち、二人を導いているのだからたまったものではない。
この頭の痛くなるような状況の発端は、顔合わせが済んだ後の朝飯の場であった。
「私達も連れて行ってもらえませんか」
戦場での情報収集のため那央と村を離れるが、すぐに戻るから、真琴と春はここで待っているように。
そう告げた夏野に、真琴が切り返してきたのだ。
「いや、それは流石に無理だよ。これは仕事なんだ。物見遊山に行くんじゃ無い、戦だ。人が命懸けで戦う場所に足を踏み入れるんだぞ」
「分かってます。でも、知らなくちゃいけない。私はずっと真白に守られて、ずっと狭い世界で生きてきたから何も知らないんです。知っていなきゃいけなかったことも、きっと知らないままで。私が真白に全部任せてしまったから……だから真白はいなくなってしまったのかも」
「真琴、そんなことで真白はいなくなったりしないよ」
諭すように春が言った。
「春、ごめんね。でもやっぱり私は、もう知らないままでいたくない。辛いことも全部、この目で確かめたい。……ううん、確かめなきゃいけないんです。そうしないと、真白に辿り着けない気がするの。だから、夏野さん。絶対に足手まといにはならないようにします。もしもの時には、私たちを見捨ててもらって構いませんので、どうか連れて行ってもらえませんか」
「……悪いが断る」
「連れて行ってもいいんじゃない?」
「ほら、那央だってこう言って…………何?」
「連れて行けば、と言ったんだよ。要は二人を守りながら情報収集ができればいいってことだろ? 夏野と俺なら十分可能だろう」
「…………」
この変わり様は何としたことか。
ここまで露骨だと逆に清々しさすら感じるが、さすがに同意しかねる。
恐らく生まれて初めてであろう那央の恋路は応援してやりたいが、それとこれとは話が別だ。
だが、改めて夏野が口を開こうとするより、春の方が早かった。
「僕も、それでいいと思う」
春は、一斉に集まった皆の視線を受け流すように目を伏せた。
「……現状、真白の手掛かりは何もない。この村に隠れたままでは何も進まないことはあんたも分かってるだろう。それなら、僕は真琴を信じて、共に行くだけだ」
それは確かに夏野もよく分かっているのだ。
分かってはいるが、でも。
「残念ですが、どう見ても夏野さんの分が悪いようですよ」
「ちょっと待ってくださいよ、照賢様まで」
「追手のことを考えても、そろそろここを離れるのもよいのではないですか? 夏野さんと那央さんの二人が一緒なら、確かに村に残るよりも安心かもしれません」
「…………」
そう笑顔で言われてしまってはどうしようもない。
夏野も渋々同意する形で、彼らはその日のうちに村を後にすることとなったのである。
慌ただしく支度をして、村人達に別れを告げた。
子供達に見送られ、幾度も振り返って頭を下げる真琴。
そして彼らが見えなくなる迄遠ざかると、漸く呟いた。
「また、来ます。いつかきっと」
それは約束ではなく、希望だ。
だから、再会を願う子供達の前では軽々しく口に出来なかったのだろう。
そうだな、と夏野は頷いた。
「その時は、皆で一緒に来よう。そして寺に勝手に上がり込んで、照賢様に叱られようか」
「……はい!」
泣き顔だった真琴が、嬉しそうに笑った。
***
それから一日以上歩いて辿り着いた小さな空小屋。
数日前に下見に来た那央が見つけたというその小屋は、室内の道具の数々から狩人達の休憩所として設けられたようだ。
しかし近ごろ使われたような形跡も無く、今の自分達にとっては願ってもない潜伏場所でなった。
「とりあえず二人はここで休むといいよ。寝具は無いけど、それは我慢してくれ。……にしても、偶然見つけたここが役に立つとは、正直思わなかったよ」
「そうだな」
ー当初の予定通り夏野と那央の二人だけならば不用だったはずだがなー
そうは思ったものの、やけに嬉しそうな那央を見ると文句も言いにくい。
そもそも、ここまで来たら引き返すことも出来ないのだから、これ以上考えても仕方が無いことだ。
夏野はそういった割り切りには長けていた。
「あの、お二人は休まないんですか?」
「ん? ああ、俺達のことは気にするな。合戦は明朝だろうが、今宵のうちに小競り合いが始まるかもしれないからな。もう少し奥に進むと平原が見渡せるから、そことここの見張りにそれぞれがつく。だからとりあえず今のうちに寝ておけ」
「……はい、ありがとうございます。あの、お二人とも気をつけて」
少し心配そうな真琴は、春に促されるようにして小屋の中に入っていった。
その背を見送る那央の横顔に、夏野は苦笑する。
月明りで、しかもまた口元を隠しているので分かりにくいが、やはり頬が赤いようだ。
「お前もなかなか可愛い奴だな」
「は? な、何の話だよ」
「何でもない。ここはお前に任せる。しっかり守れよ」
「……了解」
***
見下ろした平野は不自然な静けさに包まれていた。
もちろん、誰もいないのではない。
両陣営には多くの兵が駆り出され、篝火を灯し、互いを牽制しながら夜を明かしていた。
-夜討ちは無さそうだな-
奇襲をかけるとなればこの山中を抜けていきそうなものだが、その気配は先程から全く感じない。
となればやはり夜明けと同時に開戦だろう。
そう思うと夏野は、少し肩の荷が下りた気がした。
闇の中ではどうしても他人を守るのも難しくなる。
けれど朝日の下ならば、余程のことが無い限り何とかなるだろう。
那央や照賢は夏野ならば大丈夫だと言うが、夏野自身はそこまで自信を持っていなかった。
いくら強かろうと、斬られれば人は死ぬ。
どれ程守りたいものがあろうとも、どれ程生きたいと願っても、死ぬのは一瞬だ。
そして同様に、残された人間がどれ程泣き叫ぼうとも、どれ程望もうとも。
失われた命が戻ることは、決して無い。
「…………」
少し前に那央の顔を明るく照らしていたはずの月明かりは今、夏野の顔に暗い影を作っていた。
そしてその瞳は、普段の彼とは異なってひどく冷たい光を宿していた。
その時不意に、夏野の脳裏に春の言葉が蘇った。
いつか真琴が自分の思うままに生きる時、お前はどんな答えをだすのかと。
あの時、春は確かにそう言っていた。
-あれは、どういう意味なんだ?-
なぜ真琴の生き様に自分が関係してくるのか分からない。
しかし真琴も言っていたではないか。
自分に前に会ったことがある気がすると。
-もしかして、自分が二人を助けたのは偶然ではないのだろうか-
そう思って、まさかと首を振った。