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第一章 第三話

 その村が見えたのは夏野の予告通り、辺りが淡く茜色に染まる頃。

 二、三十程の家と広い田畑で作られた集落である。

 夏野が先に立ち村の中を進んでいくと、向かいから歩いてきた男が驚きの声を上げた。


「夏野様じゃありませんか! 随分とまあ、お久しぶりですなぁ。……もしや、まだ士官先がお決まりにならないので?」

「…………」


 春の冷たい視線を背中に感じながら、夏野は顔を顰めて見せた。


「あのなぁ、そこは思ってても言うなよ。見ろ、連れの不安そうな顔を。少しは気を使ってくれ」

「ああ、これは失礼。お連れ様……って、まさか夏野様のお子様ですか?!」

「んな訳あるか。この二人は大事な預かりものだ」

「はあ、左様で」


 男と視線が合った真琴が慌てて頭を下げると、彼はにこりと笑った。


「ああ、失礼。確かにお嬢さんはお子様という歳じゃないですね。むしろ奥方様と言った方が良かったかな」

「……!!」


 これには真琴だけでなく夏野も、そして春も目を剥いた。

 ふざけるな、と言いかけた春の口を、夏野が慌てて片手で塞ぐ。

 春も両手でその手を外そうとするが、流石に子供の力では敵わないようだ。


「末吉! お前は冗談が過ぎる。勘弁してくれ」

「ははあ、これまた失礼。可愛らしいお嬢さんだったので、つい」


 末吉と呼ばれた男は、悪びれる様子もなく明るい笑い声を立てた。


「で、しばらくはまたお寺に?」

「それほど長居はしない。……長くとも数日。ただ今回も色々と訳ありでな」

「分かってますって。村の者には伝えておきますから、どうぞご安心を。照賢様も喜ばれるでしょう。早く行って顔を見せておあげなさい」

「すまないな、助かるよ」


 笑顔のままで見送ってくれる末吉に礼を言い、夏野は春を引きずるように歩き出した。

 真琴も幾分顔を赤らめたまま末吉に頭を下げると、その後に続く。 


 しばらく進んでようやく夏野が手を離すと、春が一気にまくし立てた。


「ふざけるな! 二度と汚い手で僕の顔に触るな! 大体何なんだよ、あんた。士官もできてないくせにどうやって真琴を守るんだよ! それに、奥方とか言われて鼻の下伸ばして喜ぶなよ、気持ち悪いからっ!」

「……大層な嫌われ具合だな。さすがにちょっと傷つくぞ」

「春! だから言い過ぎだってば」

「真琴は黙ってて。ていうか、もとはと言えば、真琴がこんな奴に頼ろうとするからだよ」

「言い過ぎ……ねぇ」


 ー言い過ぎだということは、とりあえず間違ってはいないということじゃないのか、真琴ー


 どうにも割り切れない思いを胸に、夏野は溜息をついた。

 顔を上げれば、目指す寺はすぐ目の前だ。

 気を取り直して二人に告げる。 


「とりあえず当座の宿はあそこだ。寺の住職は信頼できる人だし、この村にいる間は安全だから安心していい」

「さっき末吉さんに言ってたことですか? ご安心をって」

「そうだ。この村にはちょっとした縁があってな。ここの人間は、俺に関することを余所者に喋らない。だから追手が来てもお前達のことが嗅ぎつけられることも無い」

「どうして?」


 夏野は笑って問い返した。


「見て分からないか? ……人徳だよ、人徳」

「馬鹿馬鹿しい」


 お道化てみせる夏野に対し、冷たく投げられた声はもちろん春のものだ。


「あんたの人徳なんて知らないし、僕たちが欲しいのは不確かな約束じゃない。絶対に真琴を守り切る強さだ。あんたに本当にその力があるの?」


 夏野は立ち止まって春を見た。

 怒るどころかその視線はどこか楽し気で、春は居心地の悪さを感じた。


「春、お前は聡い子だと思うよ。そんなお前から見て、俺はどう見える? やはり信用ができないというなら、俺を置いて逃げるといい。それなら俺は、お前たちを引き留めたりはしないと約束しよう」

「…………」


 へらへらと笑っているように見えて、実際この男には隙が無い。

 春は悔しそうに奥歯を噛みしめると、俯いて小さく言葉を紡いだ。


「あんたの腕を疑ってる訳じゃ無い。……僕があんたを嫌いなだけだ」 


 その答えに、夏野は思わず声を出して笑ってしまった。

 これには春も、そして横ではらはらしながら成り行きを見守っていた真琴も驚いた。


「聡い上に正直か。気持ちは分からないでもないが、本当に真琴を守りたいのなら、使えるものは何でも使え」

「…………」

「それにな、俺はお前のことは嫌いじゃないよ」

「よかったね、春!」

「なっ!! ……ふ、ふざけるなっ」

「俺はいつでも大真面目だよ。ちなみにさっきの答えだが、人徳があるのは俺ではなく寺の住職なんだ。お前たちも会えばきっと分かる。さ、行くぞ」


 怒り出す春を他所に、夏野は何事も無かったように歩き出した。

 くすくすと笑いながら、真琴が春の手を取る。


「会えたのが夏野さんで良かったよね。行こう、春」

「…………」


 返事はせずに、春も足を踏み出した。


 -分かってる。だから、僕はこいつに会いたくなかったんだよ-


 ***


「失礼します。照賢様。照賢様はおられますか?」


 奥から返事が聞こえ、じきに住職である照賢が姿を現した。

 夏野と左程変わらぬように見える、随分と若い住職であった。

 そんな照賢が、夏野を見て目を細めて笑う。


「これはこれは。思いがけぬ来訪者もあったものだ。壮健そうで何よりです、夏野さん」

「照賢様もお変わりなく」

「そちらの二人は?」


 穏やかな視線を向けられ、真琴は嬉しそうに頭を下げた。

 春も憮然とした表情のままであるものの、真琴に合わせて軽く頭を下げた。 


「まあ、諸事情がありまして。つきましては今晩三人でご厄介になりたいな、と」

「おや、しばらく会わない間に随分殊勝になりましたね。以前は勝手に黙って上がり込んでいたと記憶していますが」

「記憶違いでしょう、俺は昔から変わらず殊勝ですよ」

「お二方の手前、とりあえずそう言うことにしておきましょうか」


 そして照賢は笑顔のままで真琴と春に告げる。


「道中、疲れたでしょう。大したもてなしは出来ませぬが、どうぞお上がりください」




 本堂と照賢の部屋、他に部屋が二間と台所という簡素な造りの寺。

 ここに照賢は一人で住んでいるのだが、彼を慕う村人達は、毎日誰かしらが掃除や炊事の世話に来ているのだという。

 今日は既に村の者も帰った後であり、照賢自身が手ずから精進料理を用意してくれた。

 疲弊していた真琴と春の胃に、それらは瞬く間におさまった。

 そして照賢は、そんな二人の食べっぷりを見て嬉しそうに笑う。


「喜んでいただけたようでよかったです。本当は、あなた達のような若い方にはもっと精の付く物の方が良いのでしょうが」


 真琴はいいえと強く首を振った。


「とっても美味しいです! 私、こんな美味しいお料理、初めて食べました。ありがとうございます」

「そんな大したものではありませんよ。ですが真琴さんの嬉しそうなお顔を見ていると、自分がとても腕のいい料理人になったような気がしますね。こちらこそ感謝いたします」


 逆に礼を返され、真琴は慌てて頭を下げた。

 その横で静かに、だが綺麗に完食した春も照賢に頭を下げる。


「本当に美味しくいただきました。ご馳走様です」

「いえいえ、お粗末様でした」


 幾分和らいだ表情の春を見て、夏野は口を挟んだ。


「お前は育ちざかりだから足りないんじゃないのか? 俺のも食っていいぞ」

「いらない」


 途端ににべもなく切り返す春に、夏野は顔を顰めた。


「あからさまに態度を変えるなよ」

「さっき自分で言ってただろう? 人徳の差だって」

「……可愛くないな」

「それで結構」


 照賢はそんな二人をにこにこして眺めていた。

 しかし心配そうな真琴に気付くと、体をそちらに向けて、二人に聞こえるように言った。


「真琴さん、心配いりませんよ。仲が良い程喧嘩するものです。照れ隠しにね」

「そうなんですか? じゃあ安心ですね」


 慌てる春と、心得た顔をする夏野。


「ちょっと……それは誤解で」

「やっぱり照賢様はなんでもお見通しだなぁ。本当、懐かれて大変なんですよ」

「あんたは黙ってろよ!」


 普段は静かな夜の寺に、珍しく笑い声が響いていた。

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