第一章 第二話
いざ出立したものの、消えた真白の行方の当ては何も無いのだと言う。
それに真白を見つけるより先に追手に見つかることも、もちろん避けたい。
そんな二人の状況を聞いた夏野は、ひとまず当初の予定通り、自分の目的地へ向かうことにした。
街道まで出ると、夏野は行く手を二人に指さして見せる。
「このまま進み、山を抜けて左程遠くない村だ。多分、夕方頃には着けるだろう。何をするにしても、一旦はそこで態勢を整えた方がいい。あの村なら安全だからな」
「はい」
夏野の合羽を羽織った真琴が頷く。
巫女装束のままで街道を歩くなど、見つけてくださいと言っているようなものだ。
厚手だが軽やかな一枚布の合羽は、真琴の体をすっぽりと覆い隠した。
浅葱色の春の袴もそれなりに人目を引くのだがやむを得ない。
「春は仕方ない。出来るだけ目立たぬように地味にしてろ、な」
「……僕に命令するな」
聞こえぬように呟いた春だが、夏野は大仰に首を傾げてその顔を覗き込んだ。
「ん? 何か言ったか?」
「……何も言ってない。あんたと話すことなんて何も無い。だから近づくな。分かったら早く行く!」
「はいはい」
怒ったように背を向けて、先頭を行く春。
夏野と真琴は自然と並んでその後に従ったが、程なくして真琴が申し訳なさそうに言った。
「すみません、夏野さん」
「どうした?」
「春、本当はすごく優しい子なんです。お社でもいつも私の傍にいてくれたし。……多分、私が頼りないから。私を守るためにあんな態度を取ってしまうんだと思うんです。せっかく助けてもらってるのに、ごめんなさい」
春との距離が少し開いたため、その声は恐らく春には届いていない。
夏野はそんな二人を見比べて笑った。
「気にしなくていい。これは俺が好きでやってることで、春に懐かれたくてやってる訳じゃ無いから。……それに、それ程強く心配してくれるのなら、何があっても春はきっと信じられる。この先必ず真琴を救ってくれるだろう。いい仲間じゃないか、大事にしてやれ」
「はい!」
真琴は嬉しそうに笑った。
屈託の無いその笑顔が眩しく感じられ、夏野は目を細めた。
***
無事に山を抜け、左右に水田の広がる開けた街道を進んだ。
既に日は頭上を過ぎ、傾き始めていた。
その道中、夏野は真琴に彼らの年齢やこれまでの暮らしについて尋ねた。
否。尋ねたものの今に至るまで、なかなか話は進展していない。
「……記憶が無い? 本当か?」
それは歩き始めて間もなく。
これまでの二人の暮らしぶりについて尋ねた夏野に対する返答から始まった。
驚いて聞き返すと、俯いたままの真琴が頷いた。
「全く無い訳じゃないんですけど……でも、何だかとても曖昧で。どこかよく分からない、暗くって、寂しい部屋で、私はいつも隠れて真白が来るのを待ってました。真白が来てくれるのは決まって夜中で、他に誰もいない時。だから真白がいない間はずっと一人きりだったんです」
「何故そんなに隠れる必要がある?」
「分かりません。でも絶対に見つかっちゃ駄目だって、真白はいつも言ってました」
寂しい思いをさせてごめんね、と。
でも真琴とずっと一緒にいたいから我慢してね、と。
「……それは大変だったな」
夏野の言葉に、真琴は今度は首を横に振った。
「真白がいなくなって初めて、隠れずに皆の前に立つことができました。でも、皆が求めているのは真白だった。……初めは、真白の振りをしようと思ったんです。それで皆が喜んでくれるのであれば」
けれどすぐに怖くなった。
こちらが息苦しくなる程に真白の力を渇望するお社の神官達。
朝から晩まで一日中、真白は真白ではなく巫女としてあることを求められた。
自分の言葉が村の人々を救うのだと、神官達は何度も繰り返し訴えた。
これまで隠れるばかりで何一つ出来なかった自分が皆を救う。
それは確かに心を動かされることではあったけれど。
でも、そこに自由は無かった。
これが今まで真白が生きていた世界。
自分が会う真白はいつも笑顔で。
だからきっと彼女の世界はとても楽しいのだと思っていた。
辛く寂しかったのは自分ではなく真白だったのだと、彼女が消えて初めて気づいた。
結局、力の無い自分には何もできないと観念して事実を告白した。
そして今、お社から逃げ出してここにいる。
「……真琴」
夏野は前方に視線をやった。
すぐ前を歩いている春にも、この会話は聞こえているだろう。
だが口を挟むことなく黙々と歩みを進めている。
真琴と真白。
二人のこれまでの境遇を思った時、胸が痛むのは決して自分だけではないだろう。
何とかして彼女達を助けてやれないものかと思う。
だが、果たしてそれは真琴が言うように真白の帰還で解決するものだろうか。
きっとそれは違うはずだし、もしも万一そうだとしても。
その時、真琴の居場所は一体どこにあるのだろうか。
いずれにせよ、今はどんな解決策の糸口さえも見つかっていないのだ。
もっと手掛かりになる情報を得なければ。
そう思って更に真琴に尋ねようとしたのだが-。
「あっ、あの花は何というのですか? すごく綺麗ですね!」
「あれは……何だろうなぁ。すまないが俺は花に疎くてな。真琴の好きに呼んだらいい」
「そうですか。……あ、あれは何ですか? くるくる回って面白いですね」
「あれは水車だよ。あれなら見たこと……無いのか、ずっと隠れていたんじゃ」
「すみません……。あ、じゃあ、あの人は何をしてるんですか?」
「…………」
辺りが明るくなり景色が鮮やかに色づくと、真琴は目に映る全てに興味を持った。
幼い子供の様にあれこれと夏野に質問するものだから、肝心な話も一向に進まない。
それでも結局、夏野は彼女に付き合うことにした。
昨夜から夜通し逃げてきたという二人の体力を心配していたが、こういう具合に気を取られてくれて助かった節はある。
だがそれ以上に、自分の適当な説明に都度頷いて喜ぶ真琴を見ると、こちらも何だか嬉しくなるのも事実であった。
合間合間に何とか挟んだ質問によって、真琴が十六、春が十三であることは分かった。
二十五の自分からすれば、やはり二人とも子供のようなものだ。
とりあえずそれが分かっただけでも良しとするべきだろうか。
-それはそれとして、だ-
夏野はそっと後ろを振り返る。
ここに至るまで、追手らしき者の姿は全く見えない。
彼らの話からすれば、どこかで必ず追いつかれるはずだと思っていたのだが。
一体これはどういうことなのだろうか。
二人が余程上手く追手を撒いたのか、そもそも追手自体が存在しないのか。
―それでもやっぱり嘘をついているようには見えないんだよな。少なくとも真琴は-
「夏野さん」
「ん? ああ、すまない。今度はどうした」
「あそこにあるのは何ですか?」
何度目かのやり取りが始まった時、先を行く春が足を止めて振り返った。
「いいかげんにしなよ、真琴。遊びじゃないんだから」
これまで黙々と歩いていた春が堪り兼ねたように振り返る。
「あ、ごめんなさい……」
「そんなに怒るな、春。真琴の気持ちも分かるよ。というか、春だって珍しいんじゃないのか? お前だってずっとお社にいたんだろう?」
「……僕は真琴とは違う」
「春は村の人間じゃないのか?」
「あんな奴らと一緒にするな」
「春!」
「神官を目指していると言う割に相当嫌っているんだな」
「あんたが勘違いしてるんだよ。社は……神は人のために存在してる訳じゃないし、その逆に人も神のために存在してる訳じゃ無い。本来両者は交わらないもののはずで、僕は神と人とを隔てるためにあそこに留めおかれただけだ」
春の真意はよく分からなかった。
ひどく難しいようであり、実はとても単純なことを言われているような気もする。
それ程までに、彼の言葉には淀みが無かった。
真琴ならば分かるのかと思い横を見れば、自分と同じく困った顔をしていた。
諦めて、夏野は頭をかいた。
「……すまないが、俺は頭が良くないから理解ができない」
「そんなことは百も承知だよ。要するに、あんたがこれ以上僕について知る必要はないってことだ。無駄話は以上」
「まあ、そうだな。分かったよ、急ごう」