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第一章 第一話

 街道からはかなり外れた山の奥深く。

 夜の闇は次第に薄まりつつあるものの、高くそびえる木々の隙間からはまだ星の瞬きが窺える頃。


 一本の大木の幹に体を預けて眠る青年がいた。

 微かに口を開けて寝息を立てるその様子は、無防備に熟睡しているようにも見える。


 だが、突然その寝息が止んだ。


 目を開けると同時か、もしくはそれよりも早く。

 その手は既に腰の刀に添えられている。

 そして一瞬険しい顔で辺りの気配を探ったかと思うと、すぐに刀から外した。

 こちらに近づいてくる者に危険は無いと判断したためだ。


 -二人……子供か? いや、でもこんな夜更けにこんな場所で何してるんだ? 迷い子……それとも孤児か?-


 悩んだ挙句に、悩むこと自体を辞めた。

 考えても分からないことは直接確かめるまで。

 そう思って意識を集中させた耳が、姿より先に彼らの声を拾う。


「ま、待って、春。少し、だけ……休ませて」

「捕まってもいいの? もうすぐ夜が明けるよ」

「分かってる……けど、足が、もう」


 青年は、まいったなという表情で大きく息をついた。

 そして彼らの気配からここまでの距離を測る。

 十……九……八……。


 彼が数え切ると同時に、背後の藪の中から二つの影が飛び出してきた。

 幼さの残る少年と、それより年嵩に見える少女。

 先程想像していた以上にこの場に似つかわしくない組み合わせだ。


 そのまま走り抜けようとした少年が横目で青年を捉え、数歩先で立ち止まった。

 後に続こうとした少女はぶつかりそうになり、慌てて踏みとどまる。


「わっ、ハル? いきなりどうしたの?」

「…………」


 ハルと呼ばれた少年はそれには返事をせずに青年を見据えた。

 その視線に含まれるのが驚きではなく敵意であることに、青年は微かに目を瞠る。

 先程の言葉からすれば彼らは追手から逃げているようだ。

 だが、仮に追手に遭遇したとしても普通はまず驚きや恐れが現れるはず。

 間髪入れず敵意を見せるなど、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そんな風に考えて、まさかと自ら否定する。

 そんな訳がない。どう見ても見覚えの無い、初めて会う顔なのだから。 

 

 動揺を気取られぬ様に笑顔を見せ、青年は先手を打った。


「こんな時分にどうした? 俺で良ければ多少は力になるぞ」


 その言葉に反応したのは少女の方だった。

 不安そうだった顔に、明らかに安堵の色が浮かぶ。

 こちらはハルと違って普通の人間らしい感情を持っているようだ。


「……あの、私たち」


 だが、言いかけた少女の前にハルが片手を伸ばして遮った。


「マコトは簡単に人を信じすぎる。そんなんじゃ生き残れないよ」


 それを聞いた青年の笑いが苦笑に変わる。


「なかなか的確だな。残念ながらお前の言う通り、信じて騙されるのが世の常かもしれん。だが、そうじゃない可能性も決して零ではない。ま、要は信じられる相手かどうかの見極めが肝要ってことだ」

「で、結局あんたはどちらの人間? 僕達を信じさせるだけの何を持ってるんだ?」


 一向に怯むことなく、ハルはいっそ清々しいくらいに明け透けに青年に問い質す。

 さすがに失礼だと怒ってもいい気がするが、結局彼はまたも笑ってしまった。

 

 生憎、彼の性分はこんな子供達を無為に放り出せるものではない。

 また面倒事を背負いこんでと呆れる顔がいくつか目の前にちらつく。

 だが、青年は頭を振ってそれを追いやった。

 言い訳はあとで考えればいいことだ。


「……やっぱり騙すつもりか」

「騙すつもりなら、もうとっくにやってるよ。威勢だけは良いが隙だらけだからな」

「…………」

「とりあえず先に名乗っておく。俺の名は夏野(なつの)だ。残念ながら今この場で示せるようなものは何も持っていない。こればっかりは信じてくれと言うしか無いが、助太刀くらいにはなれると思うぞ。……まあ、さすがに理由も聞かずにって訳には行かないし、理由如何ではお前たちを強制的に追手に引き渡すつもりだがな」


 春の厳しい視線は変わらない。

 だが傍ら、マコトと呼ばれたの少女が彼の袖を引いた。

 そしてハルの制止を振り切り、夏野に向かって一歩足を踏み出した。


「私は真琴、彼は春と言います。……あなたを信じます。逃げてきた理由もお話しします。私達には助けが必要なの。どうか力をお貸しください!」

「真琴! ここでこいつと話してる時間なんて無い。夜が明ければ、奴らは真琴が逃げたことに気づいて追ってくるんだよ」


 苛立った様子で春が言う。

 だが真琴は、春から夏野へと視線を移し首を横に振った。


「春。この人は大丈夫だよ。きっと私達を助けてくれる。私、そんな気がする」

「なぜ? どうしてそんなに初対面のこいつを信じられるの? 真琴に何が分かるの? ()()()()()()()()?」

「……!!」


 夏野は軽く目を瞠った。


 春の言葉はとても大きな意味を持っていたようだ。

 その言葉は真琴の表情を一瞬で変え、それを見た春自身の表情も変えた。


「……ごめん。今のは僕が悪かった」

「ううん、大丈夫。本当のことだもん」

「真琴……」


 無理やり作ったであろう笑顔を見せると、真琴は夏野に視線を向けた。


「あの、夏野さんはお侍様ですか?」

「ああ……いや、それは違う。色々と事情があって、今は放浪中の身なんだ」

「侍でも無いのに僕たちが本当に守れるのか?」

「春!」


 失言をしたようなので少しは気落ちしているかと思ったが、夏野への敵意は揺るがないらしい。

 その態度を真琴に咎められそっぼを向く春に、夏野は苦笑する。


「夏野さん。私達は……いえ、私はこの山の奥にある村のお社から逃げてきました。春は私をかわいそうに思って逃がしてくれただけで。だから、この子は悪いことはしてません。もしも連れ戻すのなら、私だけにしてもらえませんか」


 春が驚いたように真琴を見上げた。


「……この更に奥に村があったとは知らなかった。それなら随分と世間から隔絶された村だろう。そこから今宵の闇の中を走り続けてきた訳か?」


 真琴が頷く横で、春が僅かに顔を顰めた。

 敢えてそれには触れずに、夏野は言葉を繋ぐ。


「その恰好からすると、真琴はそのお社の巫女さんで春が神官なのか?」

「春は神官見習いですが、私は巫女ではありません」


 はっきりと、真琴は否定した。 


「巫女だったのは私じゃない、真白です。ちょうど一月前、真白は突然お社から姿を消しました。真白と私はとてもよく似ているから、お社の人は私を真白だと思っているんです。……違うと言っても誰も信じてくれません。私には何の力も無いのに、早く霊力を取り戻し神託を伝えろ、と。そのうちに、私がこんなことを言うのは病気だからだとされて、お社から一歩も出られないように……逃げないように、閉じ込められました」

「普通、誰かしら気づくだろう? 二人のうち一人がいなくなったのなら」

「お社の人は私の存在を知りません。真白が、ずっと私を隠してくれていたから……」

「…………」


 夏野は内心驚いていたが、表情には出さぬようにして真琴を見つめた。

 誰も知らない少女が、ある日突然よく似た別の少女に入れ替わっている。

 相当に奇想天外な話ではある。

 真っ直ぐにこちらを見つめる真琴の目に嘘は感じられなかったけれども、しかし。


「ちょっと待て。春はちゃんと“真琴”と呼んでるよな。その態度だって、全く見知らぬ人間へのものには見えない。皆が信じない中で何故、春だけは真琴を信じ、その手助けをしている?」


 問われた春は無言で彼を見据えた。

 その一瞬、夏野は言葉にし難い感覚に襲われた。

 安易に近づいては危険だという警告が己の中で響く。

 それは目に見える明確な何かによるものではなく、本能的な直観であった。


 -こいつ、ただの神官じゃないのか?-


 夏野から視線を外さぬまま、春は静かに言葉を発した。


「真琴は嘘なんてついていない。僕の知ってる真白は真琴とは全然違う。でも、社の奴らは器ばかり求めて真実を見ようとしなかった。……あんな奴らが守ろうとする社なんていらない。だから僕はあの場所を捨て、真琴を助けることを選んだ」

「春、皆のことそんな風に言っちゃ駄目だよ」

「真琴は甘いよ。あんなにひどい扱いを受けてたくせに」


 これ以上春と話しても状況は変わらない。

 そう考えたのか、真琴は小さくため息をつくと夏野に向き直った。


「お社は村の人達の思いを受け止める大切な場所です。だから、私はお社を守るために真白を探し出したいんです。真白だってお社が嫌いでいなくなった訳じゃ無い。あの時……最後にとても困った顔をしていたから、何か大きな理由があるはずなんです。もしも真白が戻りたいのに戻れないでいるのなら、助けにいかなきゃ。それであの子が帰ってくれば、お社も村もきっと元通りになれると思うんです」

「……なるほど」


 ふと気づいて顔を上げれば、先程よりも一層空が白んできている。

 夏野は腕組みをして考えた。


 思っていたより遥かに複雑な事情を抱えた二人のようだ。

 彼らに手を貸すことが最善であるのかどうか、現時点での確証はない。

 だが、やはり放っておくことは出来ない気がした。

 

「……分かった、手を貸そう。少し時間を喰ったが、このまますぐ行けるか?」


 真琴が嬉しそうな顔で、一方の春は複雑そうな顔で、それぞれが頷いた。


「はい、よろしくお願いします!」

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