AI
00・eye
銀色の腕に少女を抱え、傷だらけのロボットのメインカメラは、真っ赤な夕日を映していた。
アクチュエータは火花を散らし、シリンダーからはオイルがにじみ、バランサーは残り二つしかまともに機能していない。アームの動力が切れる前に、最後のエネルギーを慎重に配分して、ロボットは少女を優しく地面に降ろした。
小さな赤い靴が地面とすれ、軽い音をたてる。少女ーー美結は、ロボットの首に絡ませた腕をやんわりとほどいただけで、彼の頬に手のひらをすべらせた。
ロボットの顔は、相手の返り血……オイルで濡れている。それが射し込む夕陽によって赤味を帯び、ヌラヌラと光っていた。美結は髪に飾っていた大きなリボンを取り、そっと……双眼鏡のような目元をぬぐった。優しく、丁寧に。涙を、リボンに染み込ませるように。
「……痛い?」
彼はその幼い指先に自分の手をそえ、やがて少女から身をはなした。瞬間、美結がロボットのアームを掴もうとしーー空をきった。顔が、泣きそうにゆがむ。
「トト……!!」
夕空の一部が歪み、漆黒の空間がポッカリと口を開けていた。暗闇を見据え、ロボットが咆哮を上げる。千切れた首もとの配線から、火花が爆ぜた。何かを振り切るような力強い絶叫。
ーー覚悟は、決まった。
彼はメインカメラを、地上へ向けた。夕日を受けたひまわり畑が一筋だけ、風に揺れている。
ズームアップ。
その中に、髪を振り乱した少女がいた。オイルで汚れた水色のリボンを、力の限りふっている。それでも足りないと思ったのか、爪先で立ち、両手で大きく振り動かした。記録ではなく、『自分』が覚えていられるように。じっと……美結を見つめる。彼女の後ろには、夕日。
「夕日が、綺麗だ……」
01・会
グァン……ドカァン……!
金属を貫く音とーー銃弾が通り過ぎた音。
飛び散ったまま、空中でゆっくり動く灰色のひまわり達の中で、美結は何がおこったのかわからなかった。
生命の危機を感じた体が、一部の感覚機能を停止。音と色がなくなり、時間がゆっくりと流れていく。
もっとも小学4年生の少女には、世界がカラフルでも状況が良くわからなかっただろう。
夏休み、お気に入りの水色のリボンとチェックのワンピースを着た美結は、ひまわりに水をやっていた。靴は赤。『オズの魔法使い』が大好きな彼女は、主人公の格好をそのままマネていた。
今は服も靴も、ただの白と黒だ。
スローモーションに揺れるひまわり畑の中、無数の白い光が浮かぶ漆黒の空間。その中央は、灰色の人の形に切り抜かれている。
「ロボ……ト……?」
しゃべろうとするが、上手く唇が動かない。言葉も、聴覚がシャットダウンされた自身の耳には届かなかった。
ロボットの右側頭部はひしゃげ、首元の装甲は剥ぎ取られている。剥き出しの配線からは小さな火花。胴体の装甲にも吹き飛ばされた跡があり、アクチュエータが見えている。
左腕だったものはダラリと垂れ、ひじから下は配線でかろうじて繋がっていた。右足も太股の途中から千切れかかり、曲がったままの足は地面に引きずられた形で固まっている。
立っていられるのは、無事だったバランサーと背中に付いた推進装置のおかげだった。
ーー標的……ガヵ゛ッ、発見。
メインカメラに映し出されるキョトンとした少女の瞳に、四角い照準が定められる。
ガタつく右腕を胸元まで上げ、手のひらからはーー銃口。
美結は、驚いた。銃口を向けられたらからではない。ロボットが、震えて手を伸ばしたように見えたからだ。
「……た……けて、ほし……の?」
言いながら、少女は彼の手を握ろうと動いていた。銃口に幼い指先がふれようとしたその時。
ロボットは糸の切れた操り人形のように、その場へ崩れ落ちた。瞬間、美結の世界がカラフルになる。黄色いひまわりは風とともに飛び去り、暗闇のなくなった空間には青空が広がっていた。
02・相
深い蒼い空。もくもくとした真っ白い雲が浮かび、目に痛いくらい輝いていた。遠くの青山も若い緑が日々濃くなっており、たまに風に吹かれると白い裏葉が優美に揺れる。
緑の山々が囲むのは、一面の黄色い世界。大人の背丈ほどもある、ひまわり畑だ。この村の農家は緑肥のため、ひまわりを育てている所も多い。
ひまわりの品種によって、薄いクリーム色や玉子色、鮮やかな鬱金色に山吹色、黄金色……と、風が吹くたび様々な黄色のグラデーションが波打つ。
各農家の庭先には、さらに趣味であろう珍しい色のひまわり達が並んでいる。とくに美結の家ではオレンジ色、赤、赤紫、黒に近い褐色などなど、数は少ないものの世界中のひまわりが育てられていた。
画家の名前が付けられた品種もあり、モネのひまわりは明るいレモンイエローで、一般的なものより菊に近い花姿。
ゴーギャンはオレンジ色に近い花びらがギュッと中心に寄り、外側の黄色く細長い花片は炎のようにうねっている。
ゴッホは絵画そのものの小さなひまわり。しかし絵の色よりは冴えた向日葵色で、ゴーギャンより幅は広いが炎のような波の形は似ていた。
他にはテディベアというボンボン飾りに似たひまわりもあり、毎年新しい種を植える彼女の家は自然の花図鑑と化している。
乾いた土に、サァ…と雨粒が落ちる音がした。ひまわり畑の畝間から、飛沫となった水のアーチが空へ飛び出す。
ひまわり達とは逆の方向に出現したアーチは、太陽の光を受けて輝いていた。その煌めきの中に、赤、橙、黄……と小さな虹がかかる。
「トト、上手……! そう。静かに、握るのよ……」
かしましい油蝉やミンミン蝉の鳴き声を割って、少女の声が響いた。姿は、ひまわりの群れに埋もれてしまっている。
畑に植えられたひまわりは、濃い青空に映える山吹色の花びら。茎はまっすぐに伸び、蕾のひまわりも懸命に太陽の方を向いていた。まだ種のついていない中心は茶色く、ドーナツ状に盛り上がっている。
主張するその筒状花を、蜜蜂達が楽しげに飛び回っていた。ときおり熊蜂も、のんびりと蜜を集めにくる。羽音は大きい低音だが、とても温厚な蜂だ。
蝶も蜜を吸いに来ており、たまに吹く強い風に飛ばされつつも、放り上げられた空からひまわり畑へ舞い降りて行く。
庭の水道から伸びる青いホースに、黄色い蝶がとまった。ホースを握っているトトーーロボットは、微動だにしない。
彼の装甲は首以外、元の状態に修復されていた。ひしゃげた頭部や千切れかかった腕、足もきちんと稼働している。
内部は未だ修復中で、カチカチ……ジジジ……と小さな音を立てていた。
彼は今、美結に『命令』されたひまわりへの水やりを遂行中だ。
初めはホースを振り回して少女を水びたしにして、何度も失敗した。ホースの口を握り潰したときは、行き場のない水の勢いで蛇口からホースが外れ吹っ飛んだ。
7度目の挑戦にして、やっとの成功。蝶も止まるほどの静かな水やりに、少女は頬を緩ませた。
水の方向を変える動きも、なめらか。トトが歩き出すと、蝶は後ろで見守る美結の麦わら帽子へ移動した。
同じ麦わら帽子をかぶったロボットのあとを、ゆったりついて行く。
彼の帽子には、 少女の力作ーーリースのように編まれたひまわりが飾られていた。水滴でキラキラ輝いている。
首元には、農協の白いタオル。そこには、 たどたどしい青い縫い目で『トト』と刺繍されていた。
トトとは、ロボットに付けられた名前だ。オズの魔法使いのヒロインが飼っている、小犬の名前。祖母に飼いたいと何度もねだったが、駄目だった。
祖母は現在、肺炎で入院中である。『家庭科クラブへ入ったから、1人でも大丈夫』と言ったものの、訪ねてくる人もいない家は静かすぎた。
銀色の広い背中を見上げると、蝶は離れ、ひまわりの中へ消えた。
03・i
陽が落ち始め、ひまわり達がオレンジ色に透き通る。
美結の横顔にも夕色が射し、頬が健康的な朱色に染まった。幼い瞳が、トトを面白そうに覗き込む。
「私の好きなもの、教えてあげる」
トトの体は夕日を受けて、金色に輝いていた。目だけが出っ張った無言の横顔、剥き出しの配線、力強そうなアームを少女の視線が移動する。空いた手のひらに、フワリ……と美結の手が重ねられる。
大きい手だなぁ、と言うと、トトの小指をきゅっ……と握った。すっと顔を上げ、夕日を指す。
「夕日が一番、好きなんだぁ……」
夕日、わかる? と、ロボットの手の甲に『ゆ』『う』『ひ』と指で書いた。彼はひまわりを見つめたまま、反応しない。
『み』『ゆ』
彼は、ピクリともしない。
『ト』『ト』
無反応。ふと、少女の表情が陰りーーためらいがちに書かれた、言葉。
『な』『か』『よ』『し』『?』
伺うように、トトを見上げる。そして思案し、言葉を選んでもう一度。
「…………むぅ〜」
あまりにも反応しないので、少女は小さなため息をつき……にっ、と笑って手の甲をくすぐり始めた。
「こしょこしょ〜、こしょこしょ〜っ」
次はアーム、肩、と順にくすぐり、最後は脇腹をさわり出す。
「こしょこしょ〜っ、こしょこしょ〜!」
美結ははしゃぎ出し、キャアキャアと声を上げた。その影響かどうか……トトがギギギと音を立てながら、夕日の方を向く。
すると彼の首筋から、鈍色の銃弾が静かに落ちた。カチリ、と何かのスイッチが入る。
ーーメインカメラ、修復完了。もく……クククひょヒョ……? ガヵ、ガガ……ユーーーーーー。
『静かに、握るのよ……』
頭部から発せられる信号に交じって、少女の声が優しく響いた。
『私の名前は、美結!』
ーーメインカメラ、作動。ヒョウテテデ……ギィ……!
メインカメラが、美結ーーではなく、夕日へ向けてズームアップをした。そして、手をゆっくりと閉じていく。小指にからまる幼い手を感知すると、注意深く、握った。
04・愛
その夜。
そこここで立ち上る炎が、夜空を赤黒く浸食して行く。赤々とした光が、言葉を失う美結の横顔を照らしていた。美結の脳裏に、 トトと初めて出会った時の記憶が蘇る。
夜空には、いくつもの銀の光。数えきれないロボットの銀色のボディに、火炎の色が揺らめく。
ーー殺害目標、発見。人間……殲滅対象、一体。命令ヲ、遂行シマス。
禍々しいシグナル・レッドの瞳が、一斉に美結へ向いた。少女の息が、止まる。広がった瞳孔に、流れ星が殺到した。美結を喰らうかのように、口がカッと裂ける。少女が恐怖を感じたのは一瞬。世界は再びモノクロになり、感覚が途絶えた。少女の瞳からボロッと大粒の涙が零れた。
刹那、見覚えのある長い足が通り過ぎ、美結に迫るロボットたちが横っ面を蹴り飛ばされて行く。
「トト………………!!」
ぼやける視界に映ったのは、銀色の、大きく広い背中。
ひまわり付の麦わら帽子に、白い農協タオルを首にひっかけた美結の友達であった。
トトは美結を背にかばい、自分と同じ形のロボット達を目線で牽制していた。
蹴り倒されたロボットらが、油切れを起こした音をたてて立ち上がる。
軋んだ音を立て、ロボット達が美結へ跳躍、なだれ込む。麦わら帽子が、かがんだ少女の代わりに粉砕された。と同時にトトのカウンター、拳がロボットに叩き込まれる。
ーー頭部、損傷……自動修復シマス。戦闘続行、可能。再開。
ーー胸部損傷、修復。殺害目標位置……変更アリマセン。
そしてまた別の無骨なアームが美結へ伸ばされると、すかさず、トトの肘がそれを打ち砕いた。噛みつこうとした者は頬をえぐられ、発砲しようとした者達は銃口に弾丸を打ち込まれ、そこかしこで暴発した。
戦況を一体のコマンダーユニットが解析、判断。ロボットたちの攻撃目標が、美結からトトに変更された。
一瞬の静寂。少女に向けられていた照準が、グワッとトトへ向く。それを確認したトトは上空へ飛び上がり、下から鉄の雨を浴びせられた。一発一発の損傷は軽微だが、避けきれない。上からは叩き墜とそうとするアームが唸り、トトは接合部を狙ってへし折り破壊していった。相手のロボットは味方の銃弾に巻き込まれながらも、大量の鉄拳をトトへ放ってゆく。麦わら帽子が吹っ飛び、タオルが千切れ、まだ修復されていない首元から装甲がたわんだ。
装甲の割れ目に銃弾が楔のように突き刺さり、直ったばかりの胴体が再び殴られ剥がされていく。開いた場所から責められ、シリンダーにはヒビが入り、バランサーもいくつか破損した。無理な交戦の連続にアクチュエータは火花を散らし、金属疲労で動きも悪くなっている。それらを補うため更に多くのエネルギーを費やし、ブレるメインカメラでトトは必死に何かを探していた。
見つけたーーしかし、身体ごと振り向くには遅すぎる!
トトは自分の腹へ銃口を向け、全身全霊を込めて弾をぶち込む。背中の装甲を打ち破り、狙い打った。その先には、頭部を爆発させ、浮力を無くすロボットが一体。それが地上へ落下すると、ピタリとロボット達の攻撃が止んだ。
トトの代わりにロボット達へ命令を出していた通信が微弱になり、途絶える。ひまわり畑を踏み荒らしていたロボットらは音もなく上空へ飛び立ち、待機の姿勢を取り始めた。
山吹色の花びらが火に包まれ、身をよじらせ燃えてゆく。ひまわり畑であった所は、山へ迫る焔の塊と化していた。火が爆ぜる音がそこらじゅうで響き、すでに木々を焼きはじめている。遠くでは村の緊急避難放送が流され、警戒音が鳴り続けていた。
少女とトトの周りには、炎の壁。産毛を焦がしそうなほどに、熱い。壁は確実に狭まっていた。早く、逃げなければならない。しかし美結は長い時間、傷だらけの銀色の背中に声をかけられないでいた。トトの背には、銃弾が通った跡。その周りで、反射した炎が静かに揺れている。
トトは思った。このコマンダーユニットが行っていた作業は、本来なら自分が行っていたはずなのだ、と。
肩が落ち、うなだれているトトが見下ろしているのは、頭部のないロボットの身体。そして、自分の手。
自動修復が終わった時点で、気づくべきであった。『自分』が発する、仲間への非常通信の存在を。
そう。ロボット部隊を呼び寄せたのは、トト自身だったのだ。
トトは捉えようのない、何かに耐えた。最後に、自分の手の甲へ願ってくれた、小さな友達の願い。それに応えたーー結果。
『トトが、早く……』
『良くなりますように!』
トト自身と相手から浴びたオイルによって体が濡れ、頬にも一筋、雫が流れた。
美結は髪に飾っていた大きなリボンを取り、そっと……双眼鏡のような目元をぬぐった。優しく、丁寧に。涙を、リボンに染み込ませるように。
「……痛い?」
彼はその幼い指先に自分の手をそえ、やがて少女から身をはなした。瞬間、美結がロボットのアームを掴もうとしーー空をきった。顔が、泣きそうにゆがむ。
「トト……!!」
上空に到達すると、周りに待機しているロボット達から情報が流れ込んできた。頭部を無くしたロボットから、トトのコマンダーユニットへの変更が完了する。
2体の部下に、地上で伏しているロボットの回収を命じた。 美結の世界では、まだ自分達のような存在はいない。少女との短い時間の中で、それを確認していた。
その間にも、途切れず部下達が指示を求めてくる。元の世界への帰還か、戦闘続行か。
メインカメラに表示されたエネルギーの残量は、わずかだ。トトは仲間からの通信を、オフにした。メインカメラの表示も、切る。
赤く染まる世界で美結と握った手、触れられた手の甲が、うずいた。軽く握られた手の中に、幼い指先は……ない。これから先も、ずっと……。
心を御し、メインカメラを地上へ向ける。
トトの視野の中に、髪を振り乱した少女がいた。オイルで汚れた水色のリボンを、力の限りふっている。それでも足りないと思ったのか、爪先で立ち、両手で大きく振り動かした。記録ではなく、『自分』が覚えていられるように。じっと……美結を見つめる。彼女の後ろには、夕日。
「夕日が、綺麗だ……」
おわり