融け行く焦燥
自称天使なチビのせいで昼休みをほぼ無駄にした俺は、苛立ちからか午後の授業の内容は何も頭に入らなかった。
何が天使だ。あなた死ぬわよみたいなこと言いやがって……細木○子かよ。
深月とかいう正体不明な電波のことを悶々と考え、苛立っては首を振り、忘れようとしては腕を組み、思い出して空を睨み、気づけばとっくに放課後になっていた。
『ヤバイ! と思ったら、必ず何かを掴んでください。絶対に掴めるモノがあるはずです。お願い……』
ムカつくチビの言葉が頭で反芻する。
必死さと、最後の神妙な顔が、余計に引っかかる。
単にふざけていた訳でもなさそうな雰囲気のソイツは、そういえばどこかで見たことがありそうな顔をしていた。
見たことの無い制服を着ていたが、もしかしたら遠い親戚にでもあんな奴いただろうか。
考えても思い出せるわけもなく機嫌が頗る良くない俺は、電波との邂逅記念日という名を付けてこの事を妹にでも話してやることに決め、淡々と階段を下り昇降口へ向かった。
その昇降口で嫌な感情は綺麗に吹き飛んだ。
雪が居たからだ。
雪というのはあの冷たい結晶ではなく、クラスメイトのことだ。
グレーのテニスシューズに履き替えている雪は、俺を見るなり向日葵のように笑った。
クラスでも皆に慕われるアイドル的存在だ。超絶美人でもある。
「あ、夏樹君、今帰り?」
「ああ、雪は部活か」
「うん。もうすぐ大会だからみんな気合入ってるんだよー。私もがんばらないとねー」
身体を反って踵部分に二本指を掛ける雪。
長い茶髪は驚く程真っ直ぐで艶がある。
短いスカートのようなテニスウェアから綺麗な白い脚が露出している。
ちゃんと中にスパッツ穿いているんだろうな……けしからん。
「なーんかあったのー? 難しい顔ー」
無自覚に険しめになっていたらしい俺の顔を覗き込んでくる雪。
「いやいや、なんもないよなんもないよ」
「二回言うところが怪しー。誰かに嫌な事でも言われたー?」
おっとりとした口調で的確な事をついてくる雪。侮れない。けどすげー可愛い。
「まあ、そんな感じ。でも大して気にしてないから大丈夫。じゃ、頑張ってね権田さん」
「もー、苗字で呼ばないでってばー! じゃあねー」
ラケットを片手に、雪は校庭に消えていった。
二年生のクラス替えの際、たまたま隣の席になった俺たちは時折話す間柄になった。
教科書を忘れては席をくっつけ、消しゴムを忘れては借り、シャーペンの芯が無くなっては貰い……って情けないな俺。
苗字で呼ばれるのは嫌なので名前で呼んで、との事で否応なく下の名前で呼ぶことになった。まあ確かに強そうな苗字だ。
面倒見の良い雪には心底助けられており、そう時間はかからずに俺は好意を抱いた。
が、クラスでも人気が高く、下手に近づこうものなら体育の授業で男子からの集中攻撃を受けかねないので、執拗にならぬよう弁えて接している。
そんな雪とも先月の席替えで話す機会が失われ、会話するのもなかなかに久しぶりだった。
会話をするだけでここまで気分が高揚するとはなんて単純なのだろうと自らを嘲笑しつつ、靴を履きかえ校門を出た。