神様のイタズラ その2
こんばんは、Twitterでの予告通り、今日中の投稿です。なんとか間に合いました。
『僕』
今思えば、僕という人物は常に一人という印象があった。何をしていても、どこへ行っても。
ふと隣を見てもそこには誰もいない。そんな感じだったと思う。
だけど、それは決して僕から離れていったわけではない。誰かと話していても、その子が他に仲のいい友達に呼ばれてそっちへ行ってしまったとかで、僕だけがそこに取り残される結果となっただけだ。
だから僕が中学二年生の頃、憂鬱に過ごしていた授業中に僕のお父さんとお母さんが事故に遭ったのを聞いても、その時は 「また、置いていかれるんだ」って思った。同時に何か、嫌な物がどす黒く胃の中に貯まるのを感じた。
病院に連れていかれて、病室ではなく冷たい安置室に案内された。鉄製の扉を開けると、線香の香りが充満していて、その前に二つのベットがあって、顔を布で覆った男性と女性が寝かせてあって。
それが両親であることを理解したのは、2人の顔を見てから数分後の事だった。
安らかに眠っている顔にはカサブタがいくつもできていて、運転していたであろうお父さんの方には、目の横から頬にかけて縫った後が確認できた。お母さんの方は…もう誰だか分からない。
その後、警察やら病院の先生から説明を受けた。事故の原因は渋滞に巻き込まれて、目的地に遅刻してしまうという不安から、赤信号を無視して直進してきたトラックだった。交差点での出会い頭の事故だったらしい。
訳もわからないまま遺体を引き取り、訳の分からないまま始まった葬式はいつの間に終わり、気がついたら骨をお墓に埋めて、また当たり前のように日常がやって来た。
朝、目が覚めてリビングのドアを開ける。
「おはよ…」
返事が帰ってこない。テレビがついていない。トーストの焼ける匂いがしない。人の暖かさが感じられない。
「あぁ…そうか。」
この瞬間、世界のどこよりも冷めきってしまった部屋を見て、僕は初めて何かを失ってしまったことに気がついた。
それから約4年が経過した。無気力に過していた日々は、僕の記憶に何一つ残ることなく過ぎて、気がついたら高校三年生の冬目前。
朝の六時半、フワフワとした暖かさを感じて僕は目を覚ます。
薄茶色の頭を撫でた。
「おはよ、桃次郎。」
僕の横で丸くなって寝いた桃次郎の耳がピクピクと動く。「クゥーン」と小さく鳴くと、顔をこちらに向けてペロペロと僕の頬を舐めた。
「こら、やめろって。顔はちゃんと洗うから」
それからペロペロと二回頬の上で舌を動くすと、ベットから器用に降りる。しかし次の行動と言えば、すぐさま窓の光が差し込む所で丸くなる。ここまでがいつもの流れだ。
だからその度に思う。きっとこれが人で言うところの『二度寝』に相当するものなのだろうと、そのやる気の無さに少しだけ微笑ましく感じた。
「随分と早い日向ぼっこだな」
「クゥーン…」
小さな寝息が聞こえてきた。
僕の記憶が正しければ、桃次郎がこの家にやってきたのは、僕が小学生5年生の春だったと思う。突如我が家にやって来た薄茶色の柴犬は、30センチ物差しよりも少し大きいぐらいで、お手も出来ない、シャワーが嫌いで、風呂場から脱走したすえ家をびちょびちょにするし、散歩に出れば他の犬と吠えあっていた。
どうしようもなく生意気なこの犬を、一度本気で鍋にして食べてやろうかなんてことも、あの小学生の頭で考えたこともある。
だけど、そんなチンチクリンな柴犬も年を重ねる事に少しずつ大きくなって、お手もできるようになって、シャワーも今では15分足らずで終わるし、散歩に出ても吠えなくなった。
いつの間に懐くようになった桃次郎は、冬の季節が来ると無断で僕のベットに入り込んでは翌朝、顔を洗う必要が無くなるぐらい僕の顔を舐め回すという、朝からなんともベタベタな特技をいつの間に身につけるまで成長していた。いや、その後ちゃんと顔は洗うけど。
でも、そんな桃次郎は、お父さんとお母さんが死んでから、僕の支えになろうとしてくれていたんだと思う。もしそれが僕の自意識過剰だったり、肥大妄想だとしても、感謝していることには変わりはない。お陰様で布団の中は温かい。
桃次郎に朝ごはんを用意するため、僕は階段を降りてリビングへ向かった。
ドアを開ける。
この冷めきった部屋の作りはリビングとキッチンが一緒になっていて、本来なら家族で過ごすことを考えられた空間。だけど今となってはその作りが災難して、ただただ広いだけの空間になってしまっているのが現状だ。
キッチンの棚から取り出したドックフードを専用の皿に盛り付ける。今日はいつも以上に顔を舐め回したから、少なめにしてやろう。と言った具合で。
同時にトースターでパンを焼き始めて、冷蔵庫からイチゴ味のジャムを取り出すと、焼けるまでのあいだテレビを付ける。社会の情報を得るためにつけたテレビ画面の向こう側のニュースでは、今日もどこかで起きた殺人事件の内容を報道していた。
テロップには大きく『20代男性、殺人の容疑で逮捕』と表示されている。
「最近物騒になったなぁ…」
と、言うよりも社会が慢性的なストレスでおかしくなっているんだと思う。毎日の積み重なるような仕事の中で溜まったストレスや疲労。そのくせ身を削った分に見合わない安い給料。それで消費税アップや高値。
そして、その行き場のない不安やストレスを発散するように、人を殺めてしまう。
だから、この殺人の理由もきっと「ついカッとなったから」、「口喧嘩でイライラしていて…殺す気はなかった」みたいな感じなんだろう。
不景気になればなるほど、内容の薄い犯罪が増えるのだ。もう、名探偵コナンとか、シャーロックホームズとか、そういう物語のような事件は、本当に物語の中だけの話になりつつある。
ちょうどその頃、画面の向こうのアナウンサーが、「容疑者は、会社の上司に怒られついカッとなって刺してしまった。と供述しています。」と言ったのを聞いて指を鳴らした。
もちろん不謹慎なことは知っているけど、ほら、自分の考えが当たると無性に嬉しくなるでしょ?
…僕は一体誰に説明しているんだろう。
その頃テレビの画面は、電信柱にベットリと付着した血が映し出されており、ちょうど焼きあがったトーストにイチゴジャムを塗ろうとしたところで手が止まった。「勘弁してくれよ…血は苦手なんだ」と。
でもよくよく考えれば、僕は一体いつから血が苦手なのだろう。別に幼い頃、血にトラウマを持つような経験をしたわけでもないし、そんな危ないことをしたことも無い。その事を踏まえて僕の前世はきっと血にトラウマを植え付ける形で死んだのだろう。例えば出血多量とか、刺されて死んだとか。
はぁ…とため息をつくと冷蔵庫を開ける。もう、イチゴジャムが血にしか見えなくなってしまったので、殺人事件とは絶対に関与しそうのないバターで妥協すると、僕は二階に向かって「桃次郎、飯ぃー!」と叫ぶ。
30秒後、階段を器用に降りてきた桃次郎はさっそく皿のドックフードに飛びついた。
「よく噛んで食べなよ。喉に詰まるから。」
と、言っても食べるペースが落ちていないあたり、きっと言葉なんて通じていないのだろう。いつもよりドックフードが少ないことにいつ気づくかな、と鼻を鳴らし、バター香るトーストに齧り付いた。
数分後、僕は無事トーストを食べ終わり、桃次郎も結局いつもより少ないドックフードに気づくことなく、家族揃っての朝食が終わった。
僕は基本的に皿を使わない主義者なので、トーストを載せていたアルミホイルをクシャクシャにまるめてゴミ箱へ放り込む。
綺麗な放物線を描いたアルミホイルの塊は、ゴミ箱の縁に当たり弾かれてしまった。どうやら今日のゴミ箱占いはあまりいい結果ではないらしい。
大人しく本でも読んでいるのが吉でしょう。と教えてくれたアルミホイルを次こそゴミ箱へ。
学校の支度をするために僕は二階へと戻った。
鞄に詰めるものを詰めて、歯磨きをして、制服に着替える。キッチンの火元を確認すると玄関で靴に履き替えてドアを開ける。
「それじゃ桃次郎、行ってきます。」
…
ん?と思い振り返る。いつもならワンとかスンとか言ってくれるはずなのに…
「桃次郎?」
心配になって靴を脱いだ。リビングのドアノブに手をかける。たかが犬からの返事が帰ってこないだけなのに、何故か物凄く嫌な感じがした。
覗き込んだ隙間から桃次郎の尻尾が見えた。僕はふぅ、と胸を撫で下ろす。あまりにも静か過ぎてどこかに言ってしまったのかと思った。
半分だけ開いたドアを、開け放つ。
「今日はやけに冷たいな。」
…
「おいおい、唯一の家族に対して無視ですか?」
…
「なぁ、桃次郎。さっきからずっと外見てるけど、何かを見えるの?」
「…クゥーン」
やっと返事を返してくれた桃次郎であったが、やっぱりずっと外を見たままだ。 一体桃次郎には何が見えているのだろうか。
まぁ、桃次郎も既に老犬であり、多少のボケや単純に一点をボーッと見ているだけなのかもしれない。
なんとなく桃次郎の後ろ姿が、縁側に座ってボーッしている老人に見えてきた。
「って、やばい遅刻する! それじゃ桃次郎、行ってきます!」
僕は桃次郎の返事を待たずして家を飛びだした。
少しずつ寒くなっていく通学路を歩き、救いのないぐらいつまらない授業を受けて、添加物をふんだんに使ったコンビニ弁当を食べ、残りの授業を全て睡眠にあてる。
六時間目が終わると同時に目を覚ました僕は、すぐさま帰る支度を始めた。まだ周りは雑談をしている。
僕が筆箱を鞄にしまうと、
「今日は帰るんだ…珍しいね」
と、僕に話しかける人物がいた。
教科書とノートを片手に、隣にやって来たのは古川千歳だった。
肩よりも少しだけ長い、特にこだわりの無いナチュラルな黒髪、全体的に無駄のないパーツで構成された顔だが、メガネの奥に微量の眼力を感じる大きな目が顔の印象を全体的にシャープにしている。
そんな大人びた顔をした彼女だが、身長は実に残念でおおよそ150前後だろう。見栄を張ったのがバレバレなブレザーは、よく高校生が犯しがちな『身長が伸びるかもしれないから、大きめのやつを作っておく。』という入学当初の希望を打ち砕かれた感が否めないのがいい味を出していた。
「古川だって珍しいな、普段は教室で僕に話しかけないのに」
と、僕は言い返す。
「それだと雪ノ下がまるで独りぼっちの可哀想な人なんだけど」
「残念、僕にはいつも図書室の奥の部屋で待ってくれている人がいるから独りぼっちではありませーん。」
「…うざ」
はぁ、と古川は呆れたようにため息をつく。
「お疲れのようですね古川さん」
「どっかの誰かさんと話すといつもの10倍ぐらいカロリー使うよ…」
「でもそれって考え方によっては、僕と話が出来てなおかつダイエットにもなる、ほらウィンウィンだ。」
一回目のウィンで右手をピース、二回目ウィンで左手をピース。僕は普段使わない愛想笑いをトッピングした。
「餓死する」
「あらら…」
どうやら僕渾身のウィンウィンポーズはお気に召さなかったらしい。仕方ないので他のポーズを考えるとしよう。
「って、そうじゃなくて…あーもう…」
何かに気がついた古川は額に手を当てながらため息をついた。その捨て台詞に「いつも雪ノ下のペースに乗せられる…」と言われたもんだから僕は内心ニヤニヤが止まらなかった。
「それで、今日は図書室には来ないんだ」
「もしかして来て欲しいの?」
すると素直に首を縦に降ったので、少しだけ驚いた。
「今日は新しい本が入荷されるからその仕分けを手伝ってもらいたい。」
「うんうん…いやそっちかい!」思わずノリツッコミが出てしまった。いつもの僕らしからぬ行動に、目の前の古川と周りの数人と、第三者目線の僕は、『僕』に驚きの目を向ける。
僕ってそんなこと出来たんだ…
「…大丈夫? なんか変なもの食べた? ベニテングタケとか」
「ベニテングタケを食べるとか、古川の中で僕の印象はどうなってんの?」
すると人差し指、中指、薬指の順番で、
「ボッチ、めんどくさい人、ヤバイ人」
と真顔で指を立てた。
「ありがとう、僕の印象が聞けて嬉しいよ」
「もっとあるけど聞く?」
「終わらなそうだから、また今度で」
と、手を振り鞄を肩に掛けると、後ろのドアから廊下に出た。
すぐに下駄箱へと向かい靴に履き替えて家を目指す。
その間、なんとも言えない胸騒ぎが僕を一層焦らせた。
晴天だったはずの空は灰色に変わっていた。
「ただいまー」
玄関を開ける。桃次郎の声はしなかった。
いつもなら飛びつくように出迎え…いや、迎撃してくるはずなのに今日に限ってそれがない。
すると、今日の朝の桃次郎が脳裏に浮かんできた。
瞬間、変な胸騒ぎがした。
「桃次郎?」
朝と同じようにリビングのドアを開ける。
窓のすぐ隣でぐっすりと寝てしまっている桃次郎を見て、僕は胸を撫で下ろした。なんだ、寝てるだけか…
「そんな所で寝てると風邪ひくぞ」
あれ、でも犬って風邪ひくんだっけか?
…
まぁ、どっちでもいいや。
とりあえず、まずは制服をハンガーにかけて、洗濯するものを洗濯機に入れて…
一人暮らしの高校生は忙しい、きっと親のいる高校生なら洗濯機にワイシャツやTシャツを入れておけばいつの間にか洗濯が終わっているのだろうが、僕は自分で洗濯機を動かさない限りは絶対に洗濯は終わらない。
お風呂は4時頃から自動的に沸かすシステムになっているので、僕はそのままお風呂に入ることにした。
今日一日の疲れが温かいお湯に溶けていくのを感じた。
まだ、体から湯気が出てる中、向かったリビングで早めの夕食を取る。まぁ、夕食と言っても、作るか作らないかはその日の気分で、今日はカップラーメンと缶詰のトウモロコシだ。
「あ、そうだ桃次郎のご飯っと。」
皿にドックフードを盛り付けた。朝のちょっと少なくした分も足して。
「ほら桃次郎、ご飯だぞ。起きろ」
…
「はぁ…本当に年老いたのか? この寝坊助野郎」
…
眠っていた、何度呼びかけてもしっぽすら動かさずに。
変だ。
また、胸騒ぎがした。
「桃次郎? …桃次郎!」
思わずそのフサフサの体に触れた。そして僕はその事を凄く後悔した。
反射的に手を引っ込める。この冷たさを手で感じるのは僕の人生の中で二度目の事だった。
「…死んでる」
不思議となんの疑いもなくそう思った。いくつか原因はあるが、何よりもその冷たい体が、両親とよく似ていたから。
物理的に氷よりも冷たいはずがないのに、何故かこの世で一番冷たいもののように感じられた。
しばらく、僕は桃次郎の死に顔を見たまま、動かなかった。ずっとそこに座っていた。
両親が事故で亡くなった時のことを思い出した。その時の感情、「またか…」と当分的はずれな、人間離れした感情。
寒い。
悲しい。
独り。
…
またか…
窓の外は、いつの間にか季節に似合わない大雨が降っていた。
その日のうちに桃次郎を自宅の庭に埋めた。雨は降っていたけれど、埋めたあとの死臭や寄生虫の事を考えると、深さ約1mも掘るのは骨が折れる。カッパを着ていたものの結局汗でびしょびしょだ。
段ボールの仮棺桶ごと桃次郎を埋めると、水を大量に吸った泥を上からかける。その間にも不思議と涙は出なかった。
玄関に上がる。泥だらけの靴からは水分が抜け出して、そこに水たまりを作っている。
「風呂…入ろう」
時刻は5時過ぎ、シャンプーで頭を洗って、ボディソープで体を洗う。二度目の入浴。
全然温かくない。
風呂を出ると、夕飯を食べることにした。と、言うよりもさっき食べ忘れたものを食べる。お湯を吸いすぎたカップラーメンは見事に不味かった。缶に詰められたコーンほど甘くないものはないし、コーヒー程苦くないものもなかった。
科学で進歩したはずの、色鮮やかなテレビは灰色でなんともつまらない。
断熱、保温性抜群を謳う布団のベット。だけど、その夜はいつにも増して冷え込んでいた。
「ふーん、犬がねぇ…」
「興味無いだろ。」
「うん、全く」
そう言うと、グーッと背伸びをして、あくびをこぼす。
「なんかさ、拍子抜けしたよ」
と、最後のクッキーを齧ると、その理由を淡々と述べた。
「心霊とか、そう言う話だったからその、桃次郎? が蘇ったとかそういうのかなーって思ったけど、その様子じゃ蘇ることなく、現在進行形で微生物に分解されてるね」
「おい…分解とかそう言うの精神的に来るからやめろ」
しかし、少しだけ、もうフワフワではない桃次郎を想像してしまった。なんかドロドロになってそう…ドロ次郎。
という、想像をしているうちに古川は帰る準備を始めた。
僕は慌てて止める。
「まぁ、落ち着けって、もうちょっとゆっくりして行こう。な?」
すると、ムスッと不機嫌そうな目を向けた古川は、
「少なくともここは図書委員の部屋なんだけど」
と、まるで僕の部屋っぽく言われたのが心外という感じを醸し出していた。こういう時、古川の眼力の強い目が怖く感じる。
その面を考えると、意外と古川千歳という人物はプライドが高いのかもしれない。
とりあえず、席を立ち、帰ろうとする古川をもう一度椅子に座らせるため、周りに何かないか見回す。
そして僕は、あるものを見つけた。
「ごめんごめん、ほら、美味しそうなクッキーあるから許してって」
程よい場所に置いてあったクッキーの袋を手に取ると、冗談半分でそれを開封した。バターの香ばしい匂いが鼻を突く。
しかし…
「それ、私が昨日買ったばかりの高かったやつ」
古川の視線は一層強く…いや、むしろ鬼っ気が増していた。どうやら僕は確実に地雷を踏み抜いてしまったらしい。しかも特大のやつを。
その証拠に今、すごくレアなものを目の当たりにしている。それは古川のランドマークとも言えるメガネの向こうでピクピクと痙攣している右瞼だ。
あははは。とちょっと笑ってみるものの、怒り爆発寸前の古川は、何故かその身長よりも更に大きく感ぜられた。威圧が凄い…
「あの、古川…さん?」
「…」
無言でドアの方へと歩き出した古川は、ドアノブ付近で何か小さなつまみみたいなものを時計回しに捻る。ガチャッて音が妙にエコーがかかって聞こえるのは何故だろう。
「あのー、なんで鍵を…あ、もしかして僕とイケナイことを」
「雪ノ下蒼葵」
いつもより、数段キーの低い声で僕のフルネームを呼ぶと、古川は振り返った。顔は…すごくいい笑顔をしている。
古川の右手が本棚に伸びる。
「…僕思うんだ、古川はやっぱり笑ってる方が可愛いと思う。だからその笑顔に似つかない『ハリーポッター』の原本を一旦そこの棚にしまおうな?」
「んー? あぁ、安心して、私は本が好きだから決してこの分厚い本で殴ったりはしないから」
あははは。棒を伸ばしたみたいな笑い方をした古川に釣られて僕も口角を上げる。あの、一体何ページあるのか分からない本で頭を殴られた時の衝撃を想像したら…背中を嫌な汗が伝う。
「うん、だからと言って本を紐に持ち替えるのもよくないと思う」
古川の手にはおおよそ長さ60センチ程度の紐が握られていた。
すると子首をかしげて、可愛らしい笑顔を見せた。ニコッ。
「首吊りって、苦しいのは最初だけで最後の方は気持ちいらしいね、よく総合格闘技をやっている人が言うんだけど、落ちる瞬間は寝てるみたいなんだって」
ふっふふっふふーん。と鼻歌をしながらジリジリと詰め寄る威圧感と古川。今日はいつにもなく、ましてやキャラが少しだけ崩壊するぐらい調子がいいらしい。
そして、
「雪ノ下蒼葵、最後に言い残す事とかない?」
彼女は首をポキポキと鳴らした。
「…クッキー食べ過ぎると…太るぞ」
その後、僕は本当に殺されそうになった。
このくそ狭い部屋でも死闘は熾烈を極めた。まずは既に僕の逃げ場がない上、ほぼゼロ距離だ。もちろん首を絞めたい古川は、ほぼ僕の体に密着する形となった。これがちょっといい雰囲気なら男としては少し胸が小さくても、大、大、大歓迎なのだが、今それを許すと本当に明日がなさそうだ。
数分後…
古川自身の運動神経が幸いして、この死闘は僕の勝利で終えた。
「絶対に許さない…」きつい視線で僕を睨む。息切れのせいか肩が大きく上下に揺れる。
「本当にごめんって、ちゃんとクッキー代弁償するから。ちなみにこれっていくら?」
「2000円のプレミアム」
ごめん…財布は守れなかったよ…どうやら僕は勝負に勝って試合に負けたらしい。
そのことを踏まえてもし、僕が偶然そのクッキーを手に取り、開けてしまうことまで考えていたとするならば、古川は相当な策士だ。と立ち直ることにした。
「古川には勝てないよ」
「私は勝負なんてしたつもりはない」
と冷静に返された。
はぁ、と大きくため息をつくと椅子へ腰をかける。さっきまで握りしめていた紐は死闘の途中で僕が回収させてもらった。あとあのハリーポッターも。
椅子に腰掛けた古川は、もう仕方ないと2000円プレミアムのクッキーを齧る。少しだけ表情が和らいだような気もしなくもない。
「それで話の続きなんだが…」
「もう、時間も遅い」
「…分かった、夕飯は僕が持つ」
「当たり前、それとここの掃除も追加で」
表情を変えないのを見ると間違いなく本気なのだろう。埃だらけの部屋を見回すと、僕はため息をついて、珍しく妥協をすることにした。
「ほんとに古川には勝てないな…」
その後ちょっと得意げな表情を見せた古川は、カバンから魔法瓶の水筒を出して、一口啜る。湯気が出ているあたりきっと中身は紅茶なのだろう。
とにかく、この話に付き合ってくれる気はあるらしい。
僕は改めて話を始めた。
「さっき古川が言った、心霊現象的な奴はここからが本番だ」
それは桃次郎が死んでから二日後の事だった。
こんばんは、『神さまのイタズラその2』でした。如何だったでしょうか?まだ、これからも続きますので次回をお楽しみに、ちなみに次の話で今作のメインヒロインが登場します!…あれ、もしかして『古川』さんがメインヒロインだと思っていましたか?
それでは…次回をお楽しみに!
(最近、デレステにはまりました…)