表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

星砂〈ほしずな〉の祈り

作者: 杉桔梗

 私の心からあふれでるあなたへの思い

 あなたが受けとめるのは、いつですか。

 春日由紀子は、珊瑚礁と太陽の光によりエメラルドに染められた南の島、西表島〈いりおもてじま〉の海を先ほどからジッと見つめている。

 純白の帽子に青い帯を巻きつけて、白のワンピ‐スとあわせセンスのよさがうかがえる。透きとおるような瞳と細めの色白の顔に、身長が約1.6メートルあるスラリとした姿態は清楚な感じを周囲にふりまいていた。それは遠くから見ても実に絵になる光景である。ここは

「星砂の浜〈ほしずなのはま〉」といわれ砂の一粒一粒をよく見ると星型になっているのが分かる。

 いつごろから、誰か言いだしたのか分からないが、若い男女が二人で訪れ一緒に星砂を拾って朝日を拝むと幸せになれると言い伝えられ、多くのカップルが毎年押しよせて来る。 坂道の途中で地元の人のよさそうな笑顔の老婦人が荷車の上に1メートル幅の板を置いてその上に小瓶をたくさん並べ売っていた。小瓶の中には

「きれいな貝殻」が入れてあり、若い女性でなくてもつい足を止め見入ってしまう輝きがあった。一瓶を二百円〜三百円で販売していた。

 砂浜へ降りる手前の高台には白いペンキで塗られた、こぎれいな感じの土産物屋を兼ねたレストランもあり、テラスからの眺めエメラルドグリーンの海はすばらしく、チョトした観光地になっていた。

 春日由紀子〈かすがゆきこ〉はなぜ一人でここ

「星砂の浜」を訪れたのか、やはりここは恋人とくるところだと、同じ言葉を先ほどから何度も繰り返していた。女性が一人でこの南の島に来て何日も遠くを見つめていると、失恋の心を癒すためとだいたい相場は決まっている。しかし彼女の場合は、3日間毎日この

「星砂の浜」で何かに祈っているようにも見える。

 由紀子は、先月までは、新宿駅西口に本社がある国内では、ほとんどの人が聞けば分かる婦人雑誌の記者で、平成九年に大学卒業と同時に入社して六年経つキャリアウ―マンとして仕事に乗り始めたところである。年齢は今年で二十八歳になる。入社以来休日を除けば、大げさに言えば、寝ている時以外は仕事に没頭していた。きわめて単純というか分かりやすい生活を続けていた。 しかしそれは一年前に、日本三景で有名な広島県の宮島町を出て以来、十年ぶりに会った初恋の人上杉慶太〈うえすぎけいた〉に再会するまでであり、これ以降彼女の生活は一変した。幸福と不幸を同時に手に入れたことが分かるまでは、わずかな期間でも少なくとも大変幸せであった。 上杉慶太との再会は、彼女が某有名な作家の原稿を会社へ持ち帰る途中電車の中で居眠りしているとき、原宿駅でバックごと持ち去られ

「泥棒」と叫んで犯人を追い掛けていたところ階段のところでたまたま通りかかった、上杉慶太が犯人を取り押さえてくれたのである。

上杉慶太は、由紀子と同級生で島の中にある宮島小学校、中学校通じて同じクラスであったが、その頃はほとんどと言っていいぐらいお互いあまり話した記憶はない。 そうして二人は高校生となった。島の中には、中学校までしかなくたまたま二人が入学した若竹学園は、連絡船で渡った、本土側の西にある県内でも大学へ進学と就職組がほぼ半半の中程度の高校であった。同級生で同じ高校へ通学するのは、二人だけだった。

連絡船は、朝、夕方通勤、通学時間と観光客が多い昼間は、ほぼ二十分間隔で運航しているが、夜遅くなると一時間近く待たされることもある。

由紀子は、高校でも中学校の時と同じテニス部に入っていた。

高校生になって初めての梅雨もようやく明けたある日、不足分を少しでも取り戻したいとの思いから、いつもより遅く、暗くなるまで練習をしていた。朱塗りの何か竜宮城の入口を思わせるような形の

、宮島口〈港〉の桟橋に着いたとき、ちょうど二十時十分発の連絡船が出港した直後であった。

JRの宮島口駅から途中に国道二号線を挟んでおり距離にして約五百メールトルはある。 普通に歩いて約六分程度はかかるところを、由紀子は走りに走ったがちょうど改札口に入ったところで出港していった。由紀子は、思わず

「待って」と心の中で叫んでいた。顔見しりの係員は申し訳なさそうに、苦笑いしながら事務室に消えて行った。 次は二十一時ちょうどで丸々五十分も待たなければならなかった。 彼女は、

「ああ」とため息をつきながら仕方なく待ち合室へ入ってみたが、出港直後でもあり夜も遅く誰もいない室内はシ―ンとしていた。 ベンチの端に腰をかけてしばらくぼんやりしていると、遠くからバタバタと駆けてくる音が聞こえ、その音はだんだん大きくなり

「ハァハァ」と息も絶え絶えの、その姿は街灯の下で由紀子からも徐じょにではあるが見えてきた。上杉慶太の船の出港時間からして場違いな慌てかたがなぜか不思議であり、改札口のところまで来て、時計を見たときの彼の驚き方、最初は信じられないという感じで

「あじゃ」と悲鳴に似た、大声を上げながら

「鞄を肩からすべるように落とすと両手を左右から上げ頭に乗せて飛び上がった」その姿が大げさすぎて、由紀子は、思わず

「きゃ」と声を出して笑ってしまった。慶太は薄暗い待合室の中で一声叫んだ後、声を出さないよう体を腰から九十度近く曲げ、顔を鞄に押し付けて体を振るわせている女子高生が、由紀子であることに気付くまで少し時間がかかった。 彼女と気付いたとき慶太は、先ほどまでの経緯をどうしても説明する必要があると思った。しかし今まで挨拶する程度で話した事もなく、最初の切り出す言葉が分からなく待合室の入口で、立ちすくんだまま慶太は考えようとしていた。 一方顔を伏せたまま由紀子は、慶太が何か話しかけてくるのではと、少し身構えながら待っていた。 室内はシ―ンとしていたがもし慶太が声をかけたとき聞きのがすことの無いよう、由紀子は、同じ姿勢を保ちながらジッとして、耳だけは入口にいる慶太の方へ集中させていた。 少なくとも顔見しりであり、小学校から今日までいくらお互いあまり話をした事がないとはいえ、先ほどまでの異常な状態からして、慶太から何らかの説明があってもよいのではとの期待と、もし話しかけられたら、どのようにしたらいいのかとの不安が 入り混じって、複雑な感じで一種の微妙な緊張感が待合室を支配していた。 もしこれが昼間で、級友たちが回りにいれば慶太も、もっとざっくばらんに

「 さっきまで駅前のゲ―センで夢中になって遊んでいたが、自分の腕時計が止まっているのに気付かず、時計を見て、慌てて飛び出してきた」と大笑いしながら言い訳していたはずである。 あの時は、慶太にとって知り合いがそこにいるどころか、自分以外に人がいることも予想外であった。 しかし今、目の前にベンチに座って、先ほどからの異様な行動の一部始終を見守っていたのは、由紀子であり、今思い返しても先ほどの滑稽な動きは、自分の自然な姿であることに変わりないが、あの状況で思わずでた行動であり、まったくの喜劇役者そのものであり、本当にあれは他人には見られたくなかった。特に由紀子には見せたくなかったと思った。 慶太は、最初の言葉について迷っていた

「すいません」にするか、それとも苗字の

「春日さん」、これは少し幼馴染みには他人行儀過ぎて似合わない。「すいません」もなぜか謝っているようでピントはずれの様でもあった。 一方由紀子は何分か経過しても慶太から何も話しかけてこない。 彼女は、少しじれながら鞄の上にある顔の位置をずらして、慶太の顔が自分の視界に入るところまで動かして彼の様子を盗むように見た。 その時、慶太の何か迷った困った様子で自分をジッと見つめている大きな黒い瞳と出会った。 由紀子は、意識して少し白い歯が見える程度に顔に笑みを浮かべて慶太を見つめ返していた。この由紀子の笑顔に慶太は救われた。思わず声を出していた。それは

「あのぅ、今見たことは忘れてください」であった。 その時由紀子は、すでに上半身は、正しい位置まで起き上がり待ち構えていたように即答していた

「それは無理です」だった。

だが、その時慶太の

「はぁそうですか。」と本当に困った声の様子に、由紀子は女性ならではの度胸の付きかたで慶太ともう少し話しがしたくなり、つい意地悪っぽい質問というか要求をしていた。 「どうしてあのようなことをしたのか、理由を教えてくださるのであれば、忘れることは出来ませんが、決して他人には、話さないと約束します」となかば強引に慶太からことの経緯を聞いていた。 この些細な事件と言うか出来事がキッカケとなって、以前から意識しあっていた二人は、時間が合わせられる登校事は、同じ連絡船と電車も同じ時間に乗るようになり、何かにつけて話しをしたりしていた。 しかし慶太は由紀子に対し、必要以上に意識するのか、ほとんど話しかけるのは由紀子からで、今では信じられないとおもわれるが、どちらかと言うと聞役に回ることが多かった。 若竹学園は、JRの駅で数えると宮島口から五番目にある。 若竹駅前の大きなロータリを左に曲がりながら、一方通行の商店街を通り抜け、住宅街の一角にある細い道を歩いて約十分、大河原山〈おおごうらやま〉の裾野に延びる、小高い丘の上にあり、学校の周辺は桜の木が多く植えられ春になると、昼食時間には、校庭のあちこちで弁当を広げる生徒のにぎやかな輪が数多くできていた。 さらに、土曜日は午後の授業がないため、足に自信のある生徒は、標高三百メートルはあると思われる、目の前にそびえ立つ大河原山に登っていた。 頂上は、自然にできたと思われる小さな池があり、その周辺にも桜の木がありとても美しく、池と周りの木が適度に自然であろうがバランスがとれていた。又頂上から見える瀬戸内の広島湾に散らばる宮島、阿多田島、能美島等の島々はいつまで見ていても飽くことはなかった。由紀子はテニスの練習を兼ねて足腰を鍛える目的で部員たちとよく

「大河原山」へ登っていた。ここは彼女の好きな場所のベスト十に入っている大変気にいった場所である。 慶太はクラブ活動に所属しない

「帰宅部」と言われて早くも二年生になり進路についてそろそろ考える時期になっていた。慶太は自分がこつこつ頑張る努力型であり人より早めに、特に頭のよい由紀子よりは早く始めてちょうどよいと考えていた。 志望大学は、少し決め方が不純ではあるが大学の野球で有名な

「東京六大学」のどこかに入りたいと思っている。理由は極めて単純で神宮球場で野球の応援をしたいのと、他人に大学を話すとき名前を言えばすぐ分かってもらえるのと、就職の際に有利と、極め現実的な考え方である。 宮島は、

「千年以上もの長い歴史の中で神の島と崇められ、そのための参拝者を迎える島の人々の人情、考え方は、島の中の街づくりから、長期的にしっかりと長い伝統の中で培われて来た様子がよく分かる。街全体が、船から降りたときから、桟橋を歩きながら感じる、なにか参拝者を優しく迎え包みこんでくれる神の国に入り込んだ雰囲気に誘いこむ、一種の厳かさを感じずにはおれない島である」「安芸〈あき〉の宮島」ともいわれ、瀬戸内海に浮かぶ周囲三十一キロメートルほどの島であり、海に朱塗りの社殿を浮かべた世界遺産・厳島神社がそのシンボルになっている。今の形に整えられたのは、千百六十八年で平清盛によって行われた。

回廊は、総延長百九十六メートルで結ばれた建物の大半は、国宝・重要文化財である。寝殿造りの荘厳な社殿は、砂浜の上に建てられており、本社には毛利元就〈もうりもとなり〉寄進の能舞台、長橋をはじめとする古い橋がある。満潮時に海水に浸り、まるで神社全体が海に浮かんでいるように見える光景は有名である。

参拝者は東回廊から入り、西回廊からでる一方通行になっている。

又大鳥居は厳島神社のシンボルで、本社正面の海中に立っている。楠の自然木を用いた、四脚鳥居で高さは十六メートル。土には埋めずに全体の重みだけで立っている。干潮時には、鳥居の下まで歩いて行くことも出来る。その他秀吉の死によって未完成のままとなっている千畳閣、和様と禅宗様を調和させた姿が美しい五重塔、有名な平家納経〈へいけのうきょう〉を始め武具、楽器、陶器、書画等を見ることが出来る宝物館、高さ十五メートルの朱塗りの塔で重文の多宝塔、有名な杓子〈しゃくし〉を始めとする宮島工芸の数々が見れる宮島町伝統産業会館、勝海舟と木戸孝充〈桂小五郎〉が長州征伐の和平会談を行った部屋も残っている。維新史の舞台となった大願寺〈だいがんじ〉、その他宮島の歴史、民族を豪商の旧屋敷を町立の資料館にしたもの、宮島水族館、大元神社、又シ‐ズンには必ず立ち寄りたいのが、紅葉の名所、秋は川沿いのカエデが燃えるように色付き一帯は華やかなム‐ドに包まれる紅葉谷公園。公園の奥には弥山〈みせん〉へ通じる宮島ロープウエーの乗り場がある。夏休みのある晴れた日、由紀子は早くも大学への受験体制に入りつつある慶太を誘って、久しぶりに標高五百三十メートルの弥山へ登った。途中の紅葉谷公園から獅子岩までは、ロープウエーで約十五分の所要時間である。二人は、野猿公苑で、野生の猿や鹿に餌をやりながらしばらく遊んだ後、弥山へ向かった。弥山は、八百六年弘法大師が開き、球聞持の秘法を修した霊跡。その跡に、平清盛、大内義隆、福島正則らの信仰が厚かった虚空蔵菩薩をまつる弥山本堂が建っている。満潮時には塩水があふれるという干満岩などの奇岩怪岩が見られる。又本堂周辺には大師修行当時から燃え続けている聖火が灯る不消霊火堂、伊藤博文が信仰した鬼神をまつる三鬼堂、学業成就の文殊堂などが点在する。由紀子は、弥山の眺望抜群のこの展望台から、瀬戸内海を眼下に中国、四国、九州の山並みも望めるこの場所がお気に入りでベンチでボンヤリしている時間が好きであった。しかし今日は慶太と一緒であり、先ほどから進路について、慶太に質問を次々に投げ掛け慌てさせていた。

「東京の大学を受けると言っていたけれど大体きまったの」

「どっちかと言うと文系のほうだよね」

「第一志望はどこにするの」と矢継ぎ早の問いかけに少々もてあましていたが、第一志望は他かならぬ由紀子には話すべきと考え、今のところ東京六大学に入っている。

「M大学の法学部」をちょっと厳しいが目標にして頑張ってみると答えた。由紀子も以前から慶太と同じに

「M大学の法学部」を意識していた。しかし、この受験がこの後の二人の仲を、遠ざけて行くことになるとは、この頃の二人は思いもしていなかった。今の慶太にとっては、由紀子の頭の先から足の先まで、その体すべてが眩しい存在になりつつあった。弥山からの下山途中で慶太は、急になぜか無性に由紀子の白魚のような細い、透き通るような、きれな指に触れてみたい衝動に駆られていた。しかしこの思いは、今急に湧き上がってきたものではなく、以前から徐じょにではあるが膨らんできた、きわめて普通の希望であり欲球である。しかし慶太は、由紀子の手に触れたいとの思いが強くあるわりには、もう一つ勇気が不足していた。由紀子のその手は、慶太の手の右横のほんの数センチのところに、やわらかくのびた白い手のひらがあるのに、慶太は、自分の心臓の高鳴りと、指先の震えが止まらず、口の中はカラカラで声を出すこともできずに、ぎこちない様子を由紀子に覚られないようユックリと坂道を下っている。山道の下りもそろそろ終わり、人家がぽつぽつ見え始めた辺りで、慶太は、意を決して、いきなり立ち止まり、由紀子の正面に回り、かすれたような震える声で

「握手しよう」と言って、由紀子の返事も聞かず、いきなりその白い指先をつかんでいた。そのふるえる手は、握ると言うより指先と指先が絡んでいると言ったほうが、正しいような握手である。心臓は益々高く大きく鳴り、汗がジトと手の平に広がると言うか、にじみ出て来るのが分かった。慶太の指先には、由紀子の白い指のやわらかい感触がのっていて、なんとなく心地良かった。一方いきなり予告もなく手を捕まれ、由紀子は

「えっ」とびっくりしていた。しかし慶太の顔を見たとき一面に吹き出している真剣な眼差しに見つめられそのままの姿勢で、何か恥ずかしさをこらえるように顔を下に向けたままジッと坂道の小石を見つめていた。 高校二年の秋も深まって、紅葉谷のカエデも紅く染まった。

ある十一月の終わり頃の慶太は受験勉強に集中しなければと、ある程度のあせりを感じながらも悩んでいた。由紀子のことである。中学生の頃の由紀子は

「可愛い」と言う言葉で十分言い表せていたが、高校生になって、この夏休みの海水浴場でも行くたびに見せていた

「由紀子のあの透き通るような白い肌とえんじ色の水着姿」が、そして最近時々

「可愛いのと、何かプラスして大人の女性の美しさ」を見せはじめていた。忘れもしないあの連絡船の待合室での出来事以来なんとなく適度な間隔で二人は会っていたが、これはごく自然な形でどちらからと言うと声をかけているのは、いつも由紀子である。最近慶太は、時々

「ふっと」何とも言えない不安を感じていた。由紀子との交際は、どちらが、

「好きです」とか

「付き合ってください」と言って始まった訳ではない。やはりこれは、自分からはっきり言っておくべきと考えていた。それを

「いつ」、

「どこで」言うべきか悩んでいた。この狭いしかも住んでいる宮島の中ではあまりにも芸がなく、話しの内容からして、もう少し雰囲気のあるロマンチックな場所がないかと考えていた。初冬のある日曜日、今日は風もほとんど感じない小春日和に、めずらしく慶太から声をかけ二人は宮島口駅から、今は国内では少なくなった路面電車の

「広島電鉄に乗り広島市内へ出かけた」あれから慶太は、ある程度雰囲気があって落ち着いて、ゆっくり話が出来る場所を考えていた。市内であれば「比治山公園、縮景園か広島城のぉ堀の周辺」又西の方であれば「岩国の錦帯橋の橋を歩きながら、ロープエーでお城まで登って天守閣辺り」と思っていた。とりあえず慶太は、少し早いが昼食にしようと思い由紀子も大好きなお好み焼きを食べるため、あの有名な

「お好み焼き村」へ向かった。広島風お好み焼きでスタンダードは

「肉、卵、そばと野菜」で、七百円であるがこれでも十分、一食分になるほどの量がある。このお好み焼きは、極端に言って毎日食べても飽きることはないほどで、一度食べると忘れられ味だと慶太は、いつも思っている。由紀子も満足した様子である。二人は、いつのまにか平和記念公園へ向かって歩いていた。慶太は、今日の目的である

「交際宣言」をどういう形で始めるか、切り出す言葉を選んでいた。しばらく歩いて元安川の畔のベンチに、どちらかともなく座り何分間か水の流れを見つめていた。しばらく無言が続いて、由紀子が独り言のように

「私も慶ちゃんと同じ東京のM大学を受験しようと思うの」とぽつりと言った。慶太もこの前からの話しの中で

「できれば同じ大学を」と由紀子が言っていたのを思い出して

「そうか」と返事のような浮かない感じで声を出していた。それから又、しばらく沈黙が流れた。ようやく決心したのか、慶太は、時間をかけたにしては、ごく普通の自然に由紀子に語りかけるように、できるだけ顔は白い歯を少し見える程度に、ゆっくりと口を開けて声を出し始めた。「由紀ちゃん」と慶太は、呼びかけた。由紀子は、その白い美しい顔を慶太に向けた。

「なに」と返事する由紀子の綺麗な、その瞳に見つめられ、思わず慶太は、うつむいていたが準備していた声は、すぐに出た。

「由紀ちゃんは、俺のことどう思っているの」

「どう思うって」

由紀子は、その美しい顔を少しななめにしながら、慶太の顔をのぞきこむようにして近づけてきた。慶太は、自分の視界の端に由紀子の横顔を意識して、内心どきどきしながら用意していたせりふをかすれながら声に出していた。

「いや今までもそうだったがこうやって二人でよく会っているじゃない。これってなんでかと思わない」由紀子はそんなことは、当たり前でしょという感じで、

「それは、お互いが相手に対し好意を持っているからでしょ」とその美しい瞳に確信を持った調子で言った。慶太は、一瞬

「うっ」と息をのむ思いで声がつまっていた。由紀子の言っていることはまことに

「普通の考えというか、見方である」と思ったがやはりここは、けじめが必要だと考えた。慶太は、由紀子のいつ見ても美しいその瞳に吸い込まれそうになるのを、懸命に我慢しながら、由紀子の両肩に左右の手を添え、生まれて初めて使うこの言葉

「僕は、由紀ちゃんのことが大好きです。だから・・・・・」ここまで声を出すのが、精一杯で後は、はっきりとした声にならなかった。由紀子は、目の前で自分に向けて、一所懸命話しかける慶太の思いを聞き、最初はビックリしたが、慶太の誠意ある純粋な気持が、自分の心の中に、ドンドン入りこんでくるような思いで、これを自分自身でどのよう受け止め整理してゆけば良いのかとまどいながら、慶太から顔をそらすように元安川に泳ぐ鯉の群れをジッと見つめていた。高校も三年生になり、いよいよ誰もが、受験に向け最初のコーナでムチが入り始める頃である。慶太の家は宮島の特産品として名高い杓子の専門店で、しっかりした職人の作品からユニークなグッズまで幅広く豊富にそろっている。又切手を貼ればそのまま送れる通信杓子も最近ジワジワと売れ行きも増えてきている。店の手伝いは滅多にしないが、紅葉のシーズンの土、日曜と正月の三が日は高校生になってからたまに裏方の手伝いをすることもある。

五月のある日曜の午後、この日は新緑の香りがゆるやかに流れ、頬に伝うように風があるのかないのか、誠に微妙な空気の動きである。二人は久しぶりに島の水族館がある西の端の浜辺に来て、受験勉強の疲れを癒していた。今日は朝から天気もよく、小さい子供をつれた家族ずれが浜辺で遊ぶ姿を多くみかけたが、今は、日も西に大きく傾き人影もまばらなというか、慶太の視界にはもう誰も入っていなかった。由紀子は、

「由紀ちゃん」と呼ばれて振り向いた。その目の前に慶太の顔が十五センチ位のところにあった。慶太の目は、何か思いつめたような、何か言うと泣きだしそうな様子である。由紀子は、息をのむ思いで慶太を見つめていた。そしてユックリとした感じで一言

「なに」といつもより少し優しく返事をしてみた。しかし慶太は黙ったままである。由紀子は、自分と慶太以外に人影も見当たらない浜辺に座って、あと数分もすれば中国山地の中に隠れて行くであろう、夕日を静かに見つめていた。由紀子は、もしかすると慶太が何か自分にこれから求めてくる勢いと言うか、そんな熱い思いを感じていた。その時慶太は、何とかできれば由紀子の唇に触れてみたいと思っていたが、その勇気はまだない。せめてその頬にでも自分の唇を触れてみたいと思った。慶太は、何か言わなければと思ったが口の中は、カラカラで声は出そうになかった。

口元も微妙に、震えているのが、自分でも分かっていた。由紀子は、慶太が何も言わないのは、自分が目を開けて、見つめているからではと思い、映画やテレビでよく見るように少し斜めにかまえたような姿勢で、目を閉じてあげれば慶太も動きやすいのではと考えた。黙って目を閉じて慶太の方を向いてみた。慶太は、由紀子が目を閉じたことでますます緊張し震えが大きくなって、手の中は汗でベトベトであり、胸はドキドキする音が激しく、由紀子に聞こえるのではと思うぐらい高くなっていく、それでも何とかとりあえず由紀子の、この美しい頬に小さく震え唇をユックリ近づけていった。あと一センチで左の頬に唇がふれると思った瞬間由紀子が、いきなり顔を左に、慶太の顔の正面に向けてきた、慶太の唇と由紀子の唇がほとんどまともに、重なりあっていた。しかしそれはほんの瞬間で、二人は、お互いの目を、これ以上は開かないぐらい大きく見開き右と左にビックリしたように跳ぶように離れていた。由紀子は、慶太の唇が自分の唇に直接重なるとは予想もしていなかった。おそら最初でもあり額か頬に軽く唇を触れてくるのではと予想していただけに、慶太の唇と重なり合ったあの一瞬は何が起きたのか、わけが分からなくただビックリしていた。慶太は、口づけは、勿論初めてであった。心臓の高鳴りと震えはまだ続いていた。なぜあの時由紀子が、顔を動かしたのか分からないが、想像以上に由紀子の唇がやわらかく温かいと思った。同じ初恋でも由紀子は、冷静な初恋であり、比べて慶太は、一途な初恋である。それだけに熱の上げ方が高いが、これも一定期間をすぎると色あせたものになるのが、若者の恋心というものである。慶太の初恋は、現在その頂点に近づきつつあるようだ。最近慶太は、集中力が落ちてきていることに多少あせりを感じ始めている。やはり由紀子のことを考えていることが多い。しばらくは、由紀子に会わないほうがよいのではと考え、なんとしても受験に集中したいと由紀子にもこのことを話して納得させた。しかし本当に納得し心の整理が必要なのは、慶太本人の問題であると気づくのに時間はかからなかった。だがこの心の思いの解決の方法は、慶太の若さと経験では、よい方法も見つからないまま時間だけが過ぎていき、やがて高校生最後の夏休みも過ぎていった。しかし由紀子への思いは、以前と変わらないどころか、より一層強くなる一方である。慶太は、一人で悩みぬいた挙げ句やはりこれは、由紀子へ自分の思いを話していないのが、もっと大きな原因と考えた。由紀子へ自分の思いのたけをすべて話すことに決めた。慶太は、自分の今、この止めようのない由紀子への思い、燃えるような熱い思いを泣き声になりながら、心の内を何もかも話すと言うか、語りかけていた。由紀子は、この慶太の燃えるような熱い思いを聞きながら、厳島神社の近くの浜辺で、ユックリと押し寄せては、引いてゆく瀬戸内海の凪と思える静かな波を見つめながら聞いていた。

そして季節は、早くも初冬に入り十一月の代ゼミの結果は、慶太にとって最悪となっていた。十月の結果より下がり予想していたとは言え、さんざんな結果となっていた。M大学の合格の可能性は、三十パーセント以下であった。この時期、この結果では合格の可能性は、ゼロに等しいと言える。

慶太は、第一志望をかろうじて合格の可能性が五十パーセントある、同じ六大学であるH大学の法学部へ変更した。しかしこの第一志望の変更は、由紀子に言いそびれ、これが発端となってか、二人の気持ちが少しづつではあるが、離れてゆくのである。季節は廻り、桜の花が咲くころ、由紀子は、見事第一志望である東京の六大学であるM大学の法学部に入学が決まって、上京の準備に追われていた。一方慶太は、変更したH大学も不合格となり、スベリ止めで受験した大阪のK大学の商学部へ入学することが決まっていた。二人は、東京と大阪へ別れていった。慶太が今回の受験について、特に志望校について、由紀子へ正直に話していないことが、二人の気持ちを離れさせて行く大きな原因であった。由紀子は、

「二人を離れさせているのは、住んでいる場所の距離ではなく、心の距離が遠くなっていると思った」昨年の九月、あの熱い思いを打ち明けた時、慶太は、その時の気持ちに少しの濁りもなく、真っ白な、素直な思いのたけを話したのではないのかと、由紀子は、悲しくなっていた。「今この心の距離が、だんだん遠くなってゆくのが、切なくもあり苦しくもあった」大学に入ってからも由紀子は、慶太へ何度も手紙を出したが、慶太からの返事は、一度もなかった。それがこの様なかたちで十年ぶりに慶太と再会できるとは、由紀子は、神様に感謝したい気持ちであった。慶太は、学生時代登山部におり、一年の内半分は、北又は、南アルプスの山の中にいた。したがって出席日数もさることながら単位を確保するため、上高地など買い物で町へ降りる時は、必ず担任の教授には、こまめにハガキで近況報告をしたりして苦労した話をしていた。身長は、一・七メートル近くあり、がっちりした体格は、以前とあまり変わらないが、横幅が少し広くなり高校のときより頼もしく感じられる。大阪のK大学卒後登山部の先輩の紹介で入社した、大手商社の山吹商事に勤めるサラリーマンである。由紀子は、慶太と付き合っていて幼馴染みの彼を見直していた。素晴らしいのは、特に性格が非常に素直であり、信頼できる人と感じるのは、昔とぜんぜん変わっていない。ただ難点は高校までは見向きもしなかった山登りである。生活の全てが今も変わらず山登りで給料は全てつぎ込んでおり、彼には当然のことながら貯蓄という言葉はない。しかし由紀子は、この程度のことならさして問題と考えていない。しかしこの先本当に涙を流すのを忘れるほどの悲しみに、向き合うことになるとは夢にも考えていなかった。慶太とのデートは、二週間に一回程度で休日の午後に待ち合わせして、夕食を一緒にすることが基本コースになっていた。慶太の話題は、全てといっていいほど山の話で、実に楽しそうに話す様子を見ていると由紀子自身も聞いていて、楽しさが伝わってくる思いで毎日会うのが待ちどうしかった。由紀子が会うたびに慶太への思いが段々重く大きくなって行くの対し、いつものように淡々としている慶太は、なんとなく自分との間に一線を敷いているのではと感じることがある。このあたりが恋する女性の感の鋭さであるが、この事態を事実を由紀子が知るのは、数ヶ月の時間が必要であった。たしかに慶太は、夕食後二人で隅田川沿いを歩いているときも手を握り合うこともなく、肩を抱き寄せることもなく、ただ淡々と山の話をしているだけである。由紀子は、最近自分の慶太に対する心の変化にもてあましていた。何かふっとした瞬間に彼のことを思い出している。それは、二人でよく歩く隅田川のほとりであったり、日比谷公園の噴水のそばであったり、皇居のお掘りのそばで、彼は、山の話を夢中でしゃべっている、その横顔がいとおしいと思った。夏のある日のデートで夕食を早めにすませ、皇居のお掘りのそばのベンチでいつものとおり慶太は、山の話をしていた時、なぜか由紀子は、自分の行動を止めるすべもなく、いきなり慶太のあの厚い胸に顔を押し付けるようにして、泣き始めた。泣き声にならない由紀子の心の思いが、十年前の自分と重なり、この辛く、苦しい胸の中のものをどこにもって行けばよいのか、慶太は、由紀子が女性特有の勘で何かこのことに気づき始めていると思った。そろそろ由紀子へ、事実を話さなければならない時期に来ていると思った。由紀子と十年ぶりに再会した時から、この半年の間、このことが常に頭の片隅にありそして胸の痛みでもあった。 慶太は、今、吉山美幸〈よしやまみゆき〉と付き合っている事を話さなければと思った。

美幸は、慶太や由紀子と同じ若竹学園の同級生で、広島の短大を出たあとしばらくは、地元の信用金庫に勤めていたが、東京の親戚を頼って上京し、現在渋谷の岡崎商事に勤務しているOLである。

慶太とは、三年前、美幸が上京したとき、慶太の実家であらかじめ聞いていた電話番号で、挨拶代わりに電話してきたのが始まりであった。美幸は、中肉中背でどちらかというと玉子顔の可愛いタイプで涼しそうな瞳が特徴である。半年前二人は、口約束ではあるが結婚を約束していた。慶太は、美幸と付き合っていることを由紀子に話せば、返ってくる言葉は大体想像がつくと思った。

「美幸と別れてほしい」である。もし婚約までしていると知ったら、なんと言い出すか、慶太は、婚約の話はすぐにはできないと思っていた。慶太は、この十年来、由紀子のことを思い出さない日はなかった。しかし大学受験での失敗が慶太を苦しめていた。特に由紀子について、自分は彼女の相手にふさわしくないと勝手に決めて、何度となくきた由紀子からの手紙も開けることなく、いつの間にか行方も分からなくなっていた。しかしこの由紀子との再会で、慶太は、無理やり心の奥へ時間をかけて、力づく押し込めていた由紀子への思いに、いつ火がついて燃え上がるのか、自分で自分に自信がなく、由紀子に会うたびにドキドキする日々である。この不安と言うか、強い思いが由紀子に会うときは、何かにとりつかれように、話続けていなければ落ち着かなかった。たしかに十年ぶりに見た由紀子は、慶太の想像を超えた綺麗さと言うか、少女の美しさをそのまま、大げさに言えば理想通りの大人の女性の美しさに成長していると思った。初秋のよく晴れたある日、慶太は、由紀子と新橋駅から

「ゆりかもめ」でお台場に出かけた。海浜公園の石段に並んで座っていた。しかし由紀子のあの美しい瞳で見つめられると肝心なことを言い出せず困っていた。

お台場の海面が夕日で紅く染められ始めた頃、慶太は、ようやく重い口から重大な事実を話はじめた。慶太の話を聞きながら、由紀子の白い顔が一瞬で青白く、変わって行くのを慶太は、心配しながら複雑な気持ちで見ていた。由紀子は、心の動揺を見透かされないよう、出来るだけ平常心を保つよう黙って考えていた。一番に気になったのが、由紀子と再会して六ヶ月間、慶太は、美幸と由紀子の二人と平行して、付き合っていたことである。由紀子としては、再会した時、まずこの話をすべきではと思っている。「なぜ美幸さんのことを今まで黙っていたの」

「ごめんつい言いそびれてしまって」

「美幸さんは、私とのことを知ってるの」

「いや、高校生のとき付き合っていた事しか知らない」

「それじゃ、二人に黙って付き合ってたことになるの」ここで由紀子は、少し涙声になって慶太を見つめていた。「ごめん」慶太は、由紀子の視線から逃れるように、顔を伏せていた。 「それでいつ美幸さんと別れてくれるの」由紀子は、ここで当然のように一番重要な話を持ち出してきた。

慶太は、言葉に詰まっていた。

今頃由紀子に、再会するとは思わず、忘れられないが、忘れなければと力ずくでこの心の奥へ何年もかけて押し込めているものを、

「どうすれば誰も傷つかずに、ユックリと持ち出せるのか」と、この六ヶ月近く思案し悩みに悩んでいた。

「慶太さんから、言えないのであれば、私が美幸さんと話ます」と由紀子は、少しイライラしながら、慶太へ最終通告のように言い放った。

慶太は、焦っていた今、美幸に会えば婚約していることが、由紀子にバレテしまう。これだけは、何としても避けなければならない。由紀子の機嫌をなだめて、もう少し時間をかせぐ必要があると思っていた。

慶太は、今日この話をするについて由紀子には、美幸とは円満に付き合いを解消するので、もう少し時間がほしいと言うつもりいたが、由紀子のあまりにも性急な動きに圧倒されて自分の考えをまだ説明していないのにようやく気が付いた。 「僕にとって、由紀ちゃんが一番大切な人なのは、分かってほしい」

「美幸さんとは、きちっと話をするからもう少し待ってほしい」由紀子は、シブシブ納得したのか、それ以上は美幸の話をしなかった。

その後慶太は、美幸にどう話をするか悩んでいた。ただの別れ話でないところが難しいと思った。美幸のことも正直なところ好きことは間違いない。ただ由紀子と比べてどちらかと、聞かれると慶太は、困っていた。言えることは、美幸に対しは、自分の判断で結婚の意思を伝え、今回のように、それを覆すことは結果として、美幸の気持ちを持て遊ぶことになった責任は、すべて慶太にある。 二人だけの口約束とはいえ、結婚の約束をしたのは事実である。 一週間後、由紀子からやはり自分も美幸に会って、きちっと話がしたいので、日にちを決めてほしいと、これはどうしても譲れない、断固とした感じで連絡してきた。 慶太は、もはや腹を据えるしかないと思った。このままほっておくわけにも行かず、由紀子と二人で美幸に会うことにした。美幸には、電話で説明した。ただしそれは由紀子と三人で食事をすることだけしか言えなかった。 当日最初は、高校時代の話ではずんでいたが、しばらくして由紀子が美幸に対しいきなり言い放った。

「慶ちゃんとは、十年来の付き合いです。貴女は、あきらめて別れてください」

すると美幸は

「それは出来ません私は慶太さんが大好きです。それに慶太さんとは、婚約しているのですから」

「えっ婚約してるって」

由紀子は、愕然とした感じで、自分の頭から、顔から、血の気が引いて行く思いで、慶太を見つめていた。 「そうです慶太さんから、結婚してほしいと言われました」

慶太は、二人のやりとりを聞きながら、今は、静かに聞いている方がよいと思った。 由紀子は、あまりにも衝撃的な話に、頭の中が真っ白で、何も考えられなかった。ただ何かを言わなければと思っていた。

「それでは、慶ちゃん私とこれまで何年もかけて、築いてきたものは何だったのですか」慶太は、正直困っていた。

由紀子は、これだけの美貌を持ちながらなぜか、慶太以外の男性と親しく付き合った経験がない。それだけに一途になってしまうのは、仕方ないことである。「もし、あの日、あの時、あの原宿の街で慶太さんに会わなければ、私の心は、こんなに切なく、苦しみも悲しみも知らないで、過ごせたのではと思う」 由紀子は、自分のこれまでの人生の中で、これほどの悲しみはないと思った。人間本当に悲しい時は、涙は出てこないものだと言う事を知ったと思った。 慶太は、やはり正直に今の自分の気持ちを、由紀子と美幸に伝えるべきだと思う。それが二人の女性を悲しい思いにさせたとしても、やはり結婚については、自分にも正直であるべきだと思った。 慶太は、美幸に対し婚約を解消し白紙に戻したいと頼んだ。美幸との話し合いは、三ヶ月かかってようやく解決した。 美幸は、慶太の申し出に対し、初めは驚き、憤慨して取り付く島がない様子であったが、日が経つともに、慶太の誠意ある粘りに、徐じょにでは、あるが耳を傾け始めた。

美幸は、婚約の解消の条件として、今後三年間は、由紀子と結婚しないでほしいとの要求であった。 由紀子は、慶太から美幸の決心を聞きながら、自分自信が慶太のことでつらい思いをした分、美幸の気持ちに感謝しながら、すごい人だと思うと同時に、彼女の心の優しさ深さに感激していた。これは慶太と単に別れてくれたからと言うだけでなく、一人の女性として、今一番愛する人と別れなければならないとしたとき美幸のように、愛する慶太からの一方的な願いと言うか、要求をどのよう受けとめ、理解し、心の整理をどのようにできるか。心の中の悲しみは、言葉では、決して言い表すことができない思いに、自分だったらどうなっていたかと思う。例え三年間は結婚しないでほしいとの条件をつけたとは言え、これ自体も慶太と由紀子に対する、最大の贈り物かも知れないと、そう考えたいと思った。

年も明け早くも桜の季節が、近付いたある日、慶太のロンドンへの転勤が決まり、当然ながら単身で行くことがきまった。勤務期間は、慣例で行くと一応は三年間であった。 その頃由紀子は、自身の、この止めようもない思いを、あの高校生の時、慶太の燃えるような、熱い思いを、泣き声になりながら、心の内を、なにもかも聞きながら、自分自身慶太へ、満足できる答えを見つけることもできないままでいた、その頃の慶太の、やりきれない、つらい気持ちに思いを馳ていた。 慶太は、ロンドンに飛びたつ日、成田空港に向かう車中で、由紀子へ三年間もし二人の気持ちが変わっていなければ結婚しようと話していた。

由紀子は、これまでの十年間と比べて、これからの、三年間がどれほどの長さになるのかと思っている。それはとてつもなく長く、自分の心がその長さに耐えられるのかと、自分はそれほど強い人間ではないのではと、だからと言ってそれでは、慶太のことを忘れることが出来るのかと、問われれば、それはとても出来ないことである。 由紀子は思う

「なぜこれほどまでに人を愛すると言うことは、つらく、切ないものなのかと、なぜ慶太をこれほど好きになってしまったのか。それになぜ慶太と三年間も離れ離れにならなければならないのか」 由紀子は、慶太がロンドンに立って、しばらくして、両親の希望もあって、勤務していた雑誌社を退職した。故郷宮島へ帰り、家業の穴子丼が評判のレストランの手伝いをすることになった。しばらくは、レストランの手伝いをしていたが、やはり慶太への思いを整理できていないだけに、仕事に集中できないで困った。一人でユックリと、これまでのこと、そしてこれからのことを、気持ちを整理したいと思った。 それには、以前からできれば慶太と一緒に行きたいと考えていた。南の島

「石垣島、竹富島、西表島」に約八日間の予定で旅にでることにした。

九月も終わりとなる火曜日の午前八時五十分広島〈発〉ANA461便で那覇空港経由乗り継ぎで、石垣島へ向けて飛びたち石垣島空港には、十四時三十分に着いた。

「石垣島」は、沖縄本島の南西で、およそ四百二十キロメートルの、コバルトブルーの海に浮かぶ八重山諸島の中心にある。由紀子は、とりあえず予約していたレンタカーを借りて、今夜から三日間宿泊予定の

「ホテル八重山」へ向かった。チエックインの後は、十階の清潔さを振りまいているような、雰囲気の落ち着きのある部屋でしばらくくつろいだ後は、最上階にあるレストランで早めの夕食をとることにした。最上階はさすがに眺めもすばらしく、料理の味も雰囲気もとてもよく、これならしばらく滞在しても、十分満足させてくれるではと思った。翌朝、由紀子は遅めの朝食を済ませた後、レンタカーで川平湾・米原のヤエヤマヤシ郡落を訪ねた。川平湾は

「石垣島」の北西部に位置する。島内有数の観光名所で琉球石灰岩のゴッゴッした岩に囲まれた川平公園内には、ディゴやヤシ、ガジュマルなどの木〃が茂り、その中に遊歩道が整備され展望台からは、透明度の高さでも有名な川平湾が一望出来る。又天然の水族館と呼ぶにふさわしい、グラスボートに乗って色とりどりのテーブルサンゴやエダサンゴに熱帯魚が群れる、水中を覗いて見るのも一見の価値はあると思った。「石垣島」と言えばやはり砂浜の美しさであるが、代表的なビーチと言えば底地ビーチと米原ビーチである。底地ビーチは 「白い砂浜が弧を描くようにどこまでも続く遠浅のビーチで、穏やかな青い海とモクマオウの緑が印象的な美しさだった」

米原ビーチは「サンゴ礁の美しいビーチで海水浴や本格的なキャンプにおすすめとのことで、近くには木製のアスレチック遊具もある」由紀子は、二ヶ所とも訪ねたが、海の美しさがとても印象的で何か心を洗われる思いであった。 二日目、

「石垣島」一周ドライブに出かけた。美しい海を車窓に写しながらいくつかのビューポイントを訪ねた。車は、石垣市街から国道三百九十号を東へ向かってスタートした。この道は、沖縄本島の那覇市から宮古島を経由して石垣島にいたる、日本最南端の国道である。さらに一本道を北に向かい最北端の平久保崎へ向かった。由紀子は、ここで一人旅のきままさで約二時間白い灯台の下に広がる青い海、海底まで透けて見えるほどの美しい海をぼんやり見ていた。そのあとは、東シナ海と太平洋を分ける大海原を満喫しながら、今度は、西へ向かった。昨日訪れた沖縄屈指の景勝地の川平湾へ、マングローブやヤエヤマヤシの緑の大自然と、真っ青な海を見ながらの快適なドライブを過ごした。 三日目、朝、石垣島港から

「八重山観光船」で竹富島へ渡った、所要時間約十分であった。竹富島は、

「八十七年に国の重要伝統的建造物群保存地区に指定された」サンゴを積み上げた石垣、白い砂の道が続く光景は、民家の赤瓦屋根とのコントラストが美しい、沖縄の古きよき時代が今も感じられる島である。「これらは、島に暮らす人々の努力の積み重ねと言える。早朝、集落内を散歩していると、多くの人が竹ボウキで白い砂の道を清め、丁寧にほうきの跡を残している」 この話に由紀子は、

「故郷宮島の人々の島を大切に思う心と、何か通じるものがあるのではと」聞きながら、故郷の人々の心に思いを馳ていた。

名物の水牛車に乗り、島の見所をユッタリと回り、ガイドのおじさんの味わい深い語り口は、島に関して詳しくなれる。又琉球民話

「安里屋ユンタ」に耳を傾けながら、ハイビスカスが咲き乱れる島内巡りを楽しんだ。

その後由紀子は、歩いて

「コンドイビーチ」へ行ってみた。人影はまばらで百メートル四方には誰もいない、ときおり若い二十代後半と思える、リュックを担いだ、いかにも都会から来た、観光客風の娘が何人か、浜辺の林の中に消えて行くのが、何となく気になりながら見つめていた。 この浜も真っ白な砂浜が、どこまでも続く青い海のグラデーションが感動的に目に飛込んできて、実に見ごたえのある、いつまで見ていても飽くことがないのではと 思いながら、少しずつではあるが、心の中の重石が、取れてきて、気持ちが軽くなってきたような感じがして来た。夕方六時〈発〉の石垣島行きの帰りの

「八重山観光船」が出る時間迄、浜の砂を両手ですくい上げていた。目の細かい砂は、両手の隙間から、コボレ落ちてなくなる、すると又掬い上げる、同じ動作をさっきから繰り返していた。 由紀子は、この砂のように、自分の心の中にある目に見えない、悩みともつかない、何とも言えない、気持ちを重くしているものが、ドンドン出て行って、目の前に現れてくれれば、いろいろと話合えて、もっと分かり合えるのではと思った。 翌日、由紀子は、

「ホテル八重山」を予定通りチエックアウトした。このホテルはサービス等、本土のホテルと遜色なく雰囲気も地元色を適度に出して観光客を迎える姿勢は、自然でいやみもなく、なんと言っても料理の味は最高であった。又来るときは、是非宿泊したいホテルであり、次は、きっと慶太と一緒に来るだろうと思った。 石垣島港から昨日と同じ

「八重山観光船」に乗り、今回の旅の最終目的地である

「西表島」へ向かった。西表島は、東洋のガラパゴスと呼ばれる秘境と言われ、観光雑誌では

「亜熱帯の植物におおわれている西表島は、八重山の自然の美しさを凝縮したネイチャーアイランドである。国の特別天然記念物の

イリオモテヤマネコやカンムリワシをはじめ、稀少な動物たちが多数棲息する。又、透明度の高い海と、静かなビーチにも魅力がいっぱい、カラフルな熱帯魚たちに迎えられ、太陽の光が差し込む海底には、サンゴのお花畑が広がっている。」 由紀子は、西表島の大原港に下りた。レンタカーで今日から四日間予約している

「ホテル西表島」に入り、チエックインの後、水牛車渡しで全国的になった。

「由布島〈ゆふじま〉」に向かった。西表島との間、約一キロメートル、干潮時には、歩いて渡れるような、遠浅の海を約十五分かけて、ノンビリと三線〈さんしん〉のリズムと相まって、風情あるひと時が過ごせる。由布島全体が、ヤシやマングローブなどが生い茂る、亜熱帯植物園になっていてレストランや土産物店などもそろっている。由紀子は、ここで二時間程度過ごして、目的地の

「星砂の浜」へと急いだ。星砂の浜は、西表島の北端に位置するビーチで、ロマンチックなネーミングの通り、砂浜のほとんどが星の形をした砂で、星砂を探すカップルの姿が今日も何組か見える。 由紀子は、まず星砂を集めて小山を作ってみた。

そして慶太のいるロンドンの方向をみて、今現在の、自分の慶太への気持ちを、ゆっくりと噛み締めるように、そして祈るように、はっきりと口に出し言葉にしてみることにした。

 「私にとって慶太さんは、この世の中で、かけがえのない、とても心から尊敬し、信頼できる人です。私の命と同じぐらい大切な存在です。 私は、慶太さんを何としも三年間待ちます。絶対に元気で帰ってきて下さい」

由紀子は、自分でもこれほどはっきりと、言葉で声にだして、心の中の思いを話すのは、かってなかったと思った。

 私の生まれ故郷は、この小説の舞台、宮島の対岸にある町である。

 まだ幼い時、初めて海に浮かぶ朱塗りの美しい、大きな社殿を見た時の感動は、今でも私の心に残っている。

 現在は、遠く離れてしまい心の故郷となってしまった、この美しい宮島のことをもっと多くの人に知ってほしいと思い、宮島のことを小説に書いてみました。

 本書で少しでも多くの方々に宮島のことを知っていただき、興味持って頂ければと思っています。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ