色々と…異常事態なのです
「ハーシュくん朝なのです、どうしたのですか?」
その朝セルシアがコンコンとハーシュの部屋の扉をノックしても一向に反応がなかった。
ようやく扉の奥から物音がして、かちゃりとゆっくり鍵が外される音がした。
「セルシア…先生」
ハーシュは扉を開けると急にセルシアに持たれるように力なく被さった。
「わっぷ…ど、どうしたのです??…ハーシュくん朝から大胆なのです…!」
「すいません…でも、僕どうしたらいいかわからなくて」
「ど、どうしたらって…!なのです…!?」
(ハーシュくんがそんなにも性欲を持て余しているなんて…!!ハーシュくんが道を踏み外す前に…不肖セルシアは教育者としてどうにかしなければならないのです!)
「い、いいですかハーシュくん…人が満ち足りるということは分母の欲望を減らすか分子の物質的充足や肉体的充足感を増やすかしか道はないのです…し、しかし私は大人として後者を進める訳には行かないのです…学生として例えば祈りを捧げることや瞑想を通してですね…」
「…先生は一体なんの話をしてるんですか?」
ハーシュは涙を目に溜めた沈痛な面持ちでセルシアを見た。
「魔法が…使えなくなりました…魔力の反応すら…ないんです…」
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「ハーシュの様子がおかしいの」
剣士科の座学の授業が終わり生徒がまばらになり始めた頃、リデアに話しかけられたカインはリデアの言葉の内容など気にも留めていないように参考書をまとめた。
リデアはカインの悠長に見える態度にイライラした。
「お姉ちゃんが今朝様子を見に行ったら…部屋からも出てこないって」
カインは切れ長の瞳に赤髪のリデアを映した。
「それで?」
「それでじゃないでしょ!!カインはあいつの友達でしょ!!言葉の一つや二つかけてあげてもいいでしょ!!」
「…あいつにとったら余計なお世話だろう」
その口調が多少でもひねていればまだ何かを言えたのだろうが、カインのその口調は淡々と事実を述べたようだった。
そしておそらくそれは当たっていた。カインの口数は少ないがその言葉はよく的を射る。
しかし今回ばかりはその無関心にすら見える態度が尚更リデアを苛立たせた。
「あんたは…!ハーシュは今大変な状態なのよ!!」
「知ってる。あいつの身体はおん」
「しー!!??」
リデアは周りに聞かれていないかキョロキョロと確認する。
(何考えてんのよ!!クラスに知られたらハーシュの立場がないでしょ!!)
(…そうなのか?)
だめだ…こいつはかなり致命的に世間ズレしてるのだった。リデアは嘆息した。
「それに…それだけじゃないのよ…ハーシュが…」
「…何だ??」
リデアは一瞬躊躇した後言った。
「ハーシュが…魔法を使えなくなった…かも…知れなくて…」
リデアは自ら言った言葉に押し潰されでもするかの様な沈痛な表情をした。
「…どうゆうことだ?リデア」
「知らない!!自分で確かめれば!!」
思いがけず感情の堰が切れてしまいそうになり、リデアは足早に教室を出ていった。
カインは半ば呆然と立ち尽くした。
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リデアは肩を怒らせ大股で寮に向かっていた。ハーシュの新しい部屋は知らされていないがこの学内にいることは確かだ。
(いっつもいっつも…あの二人は仲がいいんだか悪いんだかわかりゃしない!!仲介するこっちの気持ちにもなってよね!!)
昔はもっと喧嘩もしたけど裏も表もなく幼馴染三人で仲良くしていたのに…
(男って…本当に面倒臭い!!)
角を曲がろうとした時不意に話し声が聞こえた。
「魔法が使えなくなった?」
その言葉の衝撃に思わず歩みが止まってしまった。
「はい…今朝自分でそう言っていたのです…それからは部屋にこもりっきりなのです」
と、見知った顔と目が合った。
「リデア」
「お姉…ちゃん…」
「リデア、学校では学園長と呼べと…」
「ハーシュ、魔法が使えなくなったの?」
リデアは切羽詰まった様子でリザイアに詰め寄った。
「リデア、落ち着け」
「どうして!!??ハーシュは人一倍頑張って来たのに!!どうして!!??こんなことってないよ!!三人で冒険するって約束はどうなるの!??ねえ!!」
「リデア…」
「セルシア先生!大陸で有数の魔術医師のセルシア先生ならハーシュを治すことができるんでしょう!?」
リデアは今度は縋るようにセルシアを見た。
パン
リザイアはそんな取り乱すリデアの頰を張り肩を強く握りしめた。
「リデア、お前が落ち着かないでどうする」
「う…うわああああああ」
リデアは子供のようにボロボロと涙を零した。
「随分な騒ぎようだな」
声がした。振り返ると大きな影がこちらに近づいて来ていた。その影のあまりの巨大さに訝しんだがそれはどこから持ってきたのか、巨大な斧を手にしたカインだった。細身長身の体で軽々と持ち運んでいるのは恐ろしい膂力が伺える。
「…カ…イン?あんた何する気?」
「部屋から出てこないなら話もできない」
泣くことも忘れ呆然としているリデアの前で、カインは手にした斧を振り上げるとハーシュの部屋の扉めがけて振り下ろした。
ごがん!
「か、カイン!?何して…!」
「な、何をしている!!??やめないか!!」
ゴッ!!バギン!!!
扉は二振りもすれば無残に木っ端微塵になった。
「な、何をしているのです!!ハーシュ君は今混乱して…」
扉が壁ごと破壊された後には驚きを通り越して怯えの表情を浮かべたハーシュがベッドの上で震えていた。
「ハーシュ」
カインは目的が達されると背中に斧を放り投げた。床が派手に壊れる音とリザイアの悲鳴が同時に聞こえた。
「カイン…?」
カインはベッドの傍に膝をつきハーシュと顔を付き合わせた。
「魔法が使えなくなったんだと聞いた、あと身体を女にされたとも」
「そ、うだよ…」
ハーシュは自らを恥じるようにケットをぎゅっと握り締めた。
「ハーシュ、お前は賢いが馬鹿だ。だから俺は一言だけ言いに来たんだ」
「な”っ…?」
カインはハーシュの片手を掴むと無理やり自らの拳の中に握り込んだ。
「無くしたなら一からやり直せばいい、俺はお前を待つから」
ハーシュは呆気にとられたように口をパクパクと動かした。そんなハーシュに構わずカインは続けた。
「お前は、力も何も持たない俺と共に冒険者になると約束してくれた。この10数年間俺はずっとお前の言葉が支えだったんだ」
ハーシュはその言葉の真偽を何度も疑った。
カインと出会ったのは、数えで五つの頃だ。
小柄で非力だったカインはよく年長者にからかわれていたが、自分よりも小さかったのは出会って少しの時くらいだった。
カインの背はぐんぐんと伸び、腕っ節もいつの間にか村では一番になっていた。
アレフガルド学園に入学してからは初等科、中等科を座学、剣技ともほぼ首席で卒業し、剣技では先輩と互角以上に渡り合い学内のみならず大陸主催の大会でも賞をあらかた総ナメにしたカイン。
あまりに遠くなりすぎたその背中を押していたのが…幼い頃の自分の言葉だった…?
「…そ…んな…」
「わかったか」
カインの大きな手がハーシュの頭の上に置かれた。
それからは、涙が溢れてきて何も言えなかった。
「カイン…僕は…おまっ…置き去り…こっ…怖くて…」
「わかってる」
リデアがどこかほっとした気持ちで横を見ると何やら二人は色めき立っていた。
「友情とはかくも美しいものなのです…」
「天然攻めのカインか…誘い受けのハーシュくんというシチュもアリかもしれん…」
「TSは万能なのです…」
「…お姉ちゃんたちは一体どこの世界の話をしてるの…?」
先ほどまでの自分の狼狽はなんだったのか…リデアは虚しくなりはあ、と嘆息した。
「何だ、さっきとは一転して不服そうだなリデア」
「だって…カインがいっつもいいとこ持ってくんだもん」
リデアはふいとそっぽを向く。
「ハーシュにあんな顔させられるのはいつもカインだけ」
ハーシュが泣きじゃくるその顔には親友への心からの親愛と信頼が表れていた。
「…そうですね。違いないのです」
「カイン!お前は床と壁の修理にいくらかかると思ってるんだ!?」
「修理代はこの前の遠征の給金で支払います」(※剣士科の休暇の訓練兼アルバイト、結構いい金額が出る)
「(カイン、あんたはやっぱ馬鹿だ…)」




