お兄さんといっしょ その三
今年こそがんばります
「全くあの馬鹿長男は…!」
コルゴンは肩を怒らせながら図書館の一角に陣取った。その剣幕に隣の席の学生が驚いていた。
手にはグラストンから没収してきた魔導電子版が握られている。
気持ちを落ち着けようと来館者用の無料のコーヒーを淹れて席に戻ると魔導電子版には見慣れた人影が写っていた。
『おはようなのです、ハーシュくん』
『あ…おはようございます、セルシア先生』
「なんだ、セルシアさんか」
コルゴンにとってセルシアはグラストンと同級の先輩に当たる。在学当初から医療魔術の分野で抜きん出た存在であったセルシアにコルゴンは当時から尊敬の念を抱いていた。
「セルシアさんはハーシュに一体なんの用事が…」
『隙あり!なのです!』
『ひゃうあっ!?』
セルシアは唐突にハーシュの両のおっぱいを掴んだ。同時にコルゴンの口からコーヒーが噴き出す。
『セルシア先生…せめて前みたいに理由付けて触るなりしてくれませんか…なんていうか…とても雑な感じがします…』
『雑なんてとんでもない!私は日夜どうすればハーシュくんの柔らかな双丘を合法的に弄べるか日々熱心に頭脳を働かせ』
『そんな事に頭を働かせないでくださいっ!!』
『…待って下さい…??その言い方だときちんと理由付けしてくれれば触られても良いと…!?…ふふ、いい傾向なのです…少しずつ雌堕ちしていくハーシュくん…とてもそそるのです!』
『そんなわけないでしょう!!??メス落ちってなんですかその不穏な単語は!?いいからとっととあっち行ってください!!』
「セ…セルシアさん…??い、一体何が…?」
コルゴンは目の前の惨状に頭を抱えた。
(いや…待てコルゴン…きっとセルシアさんなりの理知的な理由があるはずだ…)
そうだ。自分の兄という例外はあれど『暁の世代』の中でも指折りの実力者がなんの考えもなしにあんな真似をするわけが無い。第一先生が生徒に対してあんなハラスメントを行うなぞ許される訳がないのだ。
待てよ…そうか…
(きっとセルシアさんはハーシュにジェンダーの垣根を感じさせないようにあくまでフランクに接しようとしているだけに違いない…)
そう考えると納得でき、徐々に心も落ち着いてきた。
と、丁度そのタイミングで魔導電子版にまた見慣れた影が映った。
「…ん?…今度はリザイアさんか……あ゛…?」
『L・O・V・E LOVELYハーシュ♬君の枕の匂いはフローラルブーケ♬君の魅力はハリケーン♬』
そこに映されていたのはスキップしながら奇怪な歌を歌うリザイアの姿だった。
コルゴンは我が目を何度も疑った。が、そこに写っているのは紛れも無いリザイアの姿だった。ぐらつくコルゴンのメンタルとは裏腹にリザイアはあくまで意気揚々とドアをノックする。
『やぁ、おはようハーシュくん』
『…おはようございますリザイア先生…それでは着替えなければならないのでさようなら…』
『なぜ扉の隙間から伺うように?警戒されているようで心外なんだが♫』
リザイアはにこやかな顔のまま悪魔の様な膂力でハーシュが全力で閉めようとする扉を食い止める。
『散々ご乱心召されているのを見せつけた上で心外と思われる方が心外なんですが?!』
『なっ!?まさか見ていたのか!?この扉の隙間からか!!こ、このような恥辱…極めて度し難い!!度し難いぞハーシュくん!!』
『…度し難いのは先生の脳内です…!!!』
「一体なんなんだ…」
コルゴンは目の前で巻き起こる想像を絶した光景を消化出来ずにいた。
「どうだ?コルゴン、面白いものが見れているか?」
そこに現れたのはグラストンだった。いつもの如く伊達っぽい笑みを浮かべているのが今は殊更気に障った。
「…グラストン…リザイアさんもセルシアさんも…元からあんな風だったか??」
「はっはっはっ!一体何を言っているんだコルゴンは!!」
グラストンはここが図書館である事を気にも留めない様子で腹を抱えて笑う。
質問に対する答えを得られず肩透かしを食らった状態、今の自分は随分と間抜けな顔をしているだろうとコルゴンは力無く思った。
「おい、グラストン…この学園は…大丈夫なのか…??」
「まぁまぁ、最後まで見てから結論付ければいいでは無いか。ではな」
そう言うと用は済んだと言わんばかりにグラストンはさっさと立ち去ってしまった。
「…」
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その後授業については特にさしたる出来事もなく終わった。
ハーシュの授業態度から垣間見える勤勉ぶりにコルゴンはようやく落ち着かなかった気持ちの拠り所を見つける事が出来た。
その頃には朝方の出来事も割と冷静に考えることができた。気のせいであった気さえしてくるが流石にそれは現実逃避である。
『お邪魔しまーす』
『ごめん、ちょっとだけ散らかってるけど気にしないでね』
『いいえ、むしろハーシュお姉様の生活感が感じられてグッドですの』
『クラ、あんたは自重しなさい』
放課後にリデアともう一人の女子生徒、クラシステリアがハーシュの部屋に遊びに来ていた。しばらく談笑をすると三人は魔法陣の描かれたテーブルを囲んで座った。
「マナパンの生成か…」
そのまま三人は小一時間は微動だにせず続けていた。
「(それにしても長い…授業後によくやるものだ)」
『ふー、ちょっと汗かいちゃったから着替えてもいい??』
ハーシュが自分の制服の袖から手を引き抜いた。
「馬鹿…!」
『ちょ!?馬鹿!何してんの!!』
『え?ひっ!?』
ハーシュが怯えた目で制服を脱ぎかけた挙動を止める。その目の先にあったのは…クラシステリアの血走った眼だった。
『な、なんで途中でやめるんですの!?生殺しですの!!』
『い、今の眼なに?!爬虫類ばりにギョロってしたよ!!??』
ガタ
「??何の物音かしら??」
周りの学生達は不思議そうにコルゴンの方を見ていた。
(くそ…!グラストンめ!!)
コルゴンはさして関係ない兄を心の中で罵った。
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二人が帰った後、ハーシュは今日の授業の復習か眼鏡をかけたまま熱心に本を読んでいた。コルゴンはハーシュのその様を微笑ましく見ていた。
一日魔導電子版を見続け流石にそろそろ疲れが出てきた。
伸びをして辺りを見渡すとそろそろ図書館は閉館時間が近付き、人もまばらになっていた。
(そろそろ宿泊室に戻るか…それにしてもグラストンは何処へ行ったのか…)
席を立ち上がる拍子に魔導電子版の端を見やるとハーシュのいる寮の窓の外には人影があった。
「(カイン君…?)」
素振りだった。
「(こんな深夜に修練とは、感心するな)」
『カイン、精が出るね』
コルゴンがそう思うと同時に魔導電子版の向こうからハーシュの声が聞こえた。
『そろそろ終わる?』
『そうだな…お前は?』
『こっちもそろそろかな。まってて、今そっち降りてくから』
部屋着の上に上着を羽織るとハーシュはパタパタと寮の外へ出て行く。
裏庭に向かうハーシュの手にはタオルとドリンクが握られてきた。
『はい、これ』
『ああ、いつも悪いな』
『いいよこのくらい』
ハーシュの心安い笑顔がパッと咲いた。
「(……随分…仲が良いな)」
コルゴンはむっと強張った口元に気付き慌てるように表情を元に戻した。
「(私は何を考えている…元々が幼馴染なんだから仲が良くて当然だろう…)」
『そういえば、新しい魔道具のカタログ手に入ったけど見てく?』
『ああ、じゃあ邪魔するか。シャワー使ってもいいか?』
『いいよ』
二人は寮の方へ歩いて行った、
(男女がこんな遅くに同室だと…?)
しかも、シャワーを浴びる?
(いや、馬鹿か俺は…あの二人のことだ。そんな深い意味があるわけないだろう…)
しかし、その時コルゴンの脳裏にグラストンのあの言葉が響いた。
『最近の若者はつとに貞操観念が…』
「(ま、まさかな…?だ、だって幼馴染だぞ…?しかも男同士だぞ…中身は…)」
閉館時間を告げるチャイムが響く。
コルゴンは忙しく荷物を片付けると魔導電子版を食い入る様に見つめたまま図書館を後にした。その向かう先はハーシュのいる寮だ。
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『さ、入って入って。お茶いれようか?』
『水でいい、それに長居はしないしな』
(俺は一体何をしている…)
コルゴンは寮のロビーで相変わらず魔導電子版を見つめたまま待機していた。
グラストンを覗き趣味だと諫めた事がブーメランの様に我が身を突き刺すのを感じた。
『…そうなの??前みたいに夜中までいてくれてもいいけど…』
ハーシュの少し沈んだ声が響いた後、カインの呆れ半分の声が聞こえた。
『お前は…前から言おうと思ってたが…』
『え、なに』
『少しは女としての自覚を持て…』
『おんなとしてのじかく??』
(そうだ!!)
言い得て妙とはこの事と言わんばかりに、コルゴンは理解者を見つけた思いでカインへの好感度は大幅にアップしたのだった。
『…お前だって女なんだから遅くまで男を自室に居させるのはいいことではないだろう?わざわざ言わせるな…』
『またまた、そんな冗談を』
『冗談などでは…』
ハーシュの目に真っ直ぐ怒りに似た感情が灯るのが見えた。それを見て何故かコルゴンはハッと目がさめる思いがした。
『どうだっていいよ、だって。カインとは普通に親友じゃないか』
『…それとこれとは…』
『だから…前と同じ様に接してくれたっていいじゃんか…』
部屋にしんと静寂が訪れた。
しばらくした後カインのはぁという諦めた様なため息の音が聞こえた。
『…分かった、俺の負けだ』
『じゃあ』
ハーシュの顔がパッと晴れた。
『ただし、長居はしないぞ。後でリデアや先生に何を言われるか分かったものじゃない』
『うん!まあ、わかったことにしといてあげるよ』
ハーシュの顔に笑顔が戻った。
『じゃあ、コーヒーいれるね』
『あまり濃くいれるなよ、眠れなくなるぞ』
コルゴンは自分の心配が杞憂だったことを知った。
ハーシュの自分に対する怯えた態度。それは自分がハーシュに対して律してきたものゆえだったが、それは同時にハーシュの枷にもなってきた事を痛感していた。
だが、ハーシュはこうしてきちんと向き合える友がいる。切磋琢磨し合える仲間達がいる。内気だったハーシュは成長している。
すると微笑ましく思うと同時に寂しく思う気持ちがじわじわと湧いてきた。
(…子が巣立つというのはこうゆう気持ちなのかも知らんな)
同時に自分が随分と見入っていたことを恥じる気持ちが湧いてきてディスプレイから目を離し電源を落とした。
…もういいだろう。ハーシュにはちゃんとした仲間がいる。周りにはきちんとした理解者もいる。これから先困難はあるだろうが今はまだ兄達が介入する余地はない。グラストンには杞憂だったと伝えよう。
コルゴンは寂しげな微笑みを浮かべ、ハーシュの部屋に向かった。簡単な術式の解呪であれば気付かれずに行うことなど造作もないだろう。
「おい、ハーシュ、開けるぞ」
「えっ?!兄さん!?今はちょっ待っ…」
扉を開き現れた風景はカインにベッドに押し倒されているハーシュの姿だった。
コルゴンは手から魔導電子版を取り落とした。
「ハー…シュ??」
(続く)