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第五話 死ぬこととは、潔癖と見つけたり

 二日後の早朝。修也は柳澤委員長に体調不良のために、清掃を欠席することを連絡した。柳澤自身も修也が疲労していると思っていたこともあって、すんなりと受理される。

 当然、計画的なサボりだ。今のところ、例の臭いは校舎内でしか確認していない。昨日は一日中、家の中にいたが同じような臭いがしてくることはなかった。これは実験だ。


 あの臭いを見過ごすことは、無理だと修也は感じている。あの本能を刺激する香りは、潔癖精神の琴線にべたべたと無遠慮に触れてくるのだ。存在を感知したら、恐らく我慢できない。

 それこそ、セイレーンの歌声に耐えんとする、オデュッセウスくらいの周到な準備と覚悟がなくては。

 昨日、彼を見習って、自分を柱に一日中くくり付けてほしいと親に申し出たら、「あんた、バカァ?」の一言で捨て置かれた。

 頼れるのは、己のみ。


 親は仕事でいなくなり、一人ぼっちとなった家の中で、ジャージ、三角巾、マスクに手袋を装着した修也は掃除を始める。

 昨日も見える範囲で行ったので汚くはないのだが、じっとしているのは落ち着かない。今度は普段動かさないものも、動かして本格的に掃除するつもりだ。


 自分の部屋は毎日行っていることもあって瞬殺し、家族が集まる居間に移ると、掃除機をかけ始める。

 長年使っているソファをずらすと、出てくる出てくる。髪の毛、わたボコりに、小動物の死骸。

 そして、いつか落としたきり、無くしていたと思っていたカードやステッカーたち。

 自分以外は掃除を不精する家族だ。今日、サボらなければ、こいつらが再び日の目を見るのは、いつのことだったろうか。

 そのようなことを考えながら、修也は各々の物品を適切に「処理」していく。


 およそ一時間半をかけ、玄関にかかった絵の傾きもバッチリ直した修也は、掃除フル装備のまま、居間のテレビのスイッチを入れた。

 掃除機という音がなくなった今、沈黙が怖くなりつつあったせいもある。


「殿、越前様、ご謀反でございます!」


 時代劇をやっていた。鎧直垂を身に着けた武者の姿。戦国時代が舞台なのだろう。

 あごひげを蓄えた大将らしき人物が、さっとおもてを上げて、報告した武者に問いただす。


「無念! 相模。人数は、味方の人数は!」

「戦いうるもの、十名にござりまする!」

「十名……」


 テレビの中では、鉄と鉄がぶつかる音が近くから聞こえる。囲まれているという演出だろう。

 修也にも、絶体絶命の事態だとすぐに分かった。


「おのれ、越前! 必ずや、末代まで祟ってくれる! 相模、わしが家族に別れを告げて自害するまで、決して敵を近づけるな!」

「心得てございまする!」


 武者が背後の障子から外に飛び出していく。

 大将と思しき人物は懐から紙を取り出しつつ、武者が出て行ったのとは逆方向の襖の奥に消える。


「母上! 越前に背かれました!」


 襖の内部に切り替わったカメラアングルの中で、先ほどの大将がわめく。

 その空間にいたのは、おそらく大将の母親と、妻、そして世継ぎの年端もいかぬ男児。

 彼らの行く末を思うと、修也も心臓の鼓動が早まる。

 大将は畳の上の硯から筆を取り、先ほど取り出した紙にさらさらと文字を書きつける。


「これが辞世じゃ、刻み込め。御台も、若も、この無念を忘れるな!」


 畳に叩きつけられた懐紙を見て、一同が泣き伏す中、大将はどかりと座り込み、小刀を抜くと「さらばじゃ!」と一気に腹に突き立てた。

 実際は刺す瞬間に、大将の顔がアップになったのだが、迫力は満点。


「殿! ご介錯致しまする!」と先ほどの相模と呼ばれた武者が、奥の間に飛び込んできた。


 それを追うように、彼の頭上を二本の矢が通り抜ける。迫りくる刺客。

 間一髪というところで、相模は主君の首を打ち落とすべく、刀を振り上げ……。


 修也はテレビを消す。もう十分だった。

 なぜ、死を目前にした武士とはこうも潔いのだろう。現代の人々ならば、汚く生きあがこうとするはずなのに、身も心も他人に汚されぬうちに散ることに命を懸けている。

 この前見た時代劇も、切腹を言い渡された武士が、身辺を整理し始めた時は、「ああ、これから死ぬのだな」と実感した。

 自分だって重さは違えど、きれいであるために努力をしている。ちょうど、今日の掃除だって……。


 そこまで考えて、修也ははっとした。居間をもう一度見まわす。

 ソファ、カーペット、本棚に写真立て。それらは自分の手によって、完璧なまでの角度で整っている。

 昨日の美術部の部室のように。切腹前の武士の部屋のように。


 そう認識した瞬間、「ヤツ」はやってきた。やってきてしまった。

 学校から遠く離れているはずの家の中に、修也の脳髄を犯す「ヤツ」の芳香が入り込み、ゆっくりと辺りを包みだす。


「しまった!」と思う間もない。自分の中で、「ヤツ」を滅却しなくては、という溶岩のように熱い思いが滾り出す。


 三度目ということで、これに耐性が生まれるかもなどと、心のどこかで期待していた自分は間抜けだった。

 むしろ、これは麻薬。

 一度味わえば、極楽のような道行きで奈落へと導いてくれる。

 回数を重ねるたびに、修也の心と身体を少しずつ、確実に蝕んでいくのだ。


「だめだ、行くな!」と必死に身体に指令を出すが、無駄だった。


 すでに自分はフル装備に着替えたまま、雑巾入りのバケツを抱えて、外に飛び出していた。

 鼻をつまんでも、やはり臭いは消えてはくれない。自分の足は、前二回を上回る強制力で、一人でに前に進んでいく。


 気温はおよそ三十五度。炎天下の中をフル装備で駆けていく修也を、すれ違う人々は不思議そうな顔で一度振り返ったが、すぐに興味を失い、前を向く。


 そして、あの時の十字路に差し掛かる。誠子と共に「辻占」をした交差点。自分にとっての因縁の始まり。

 ここをまっすぐ行けば学校だ。だが、学校まで行くだろうと思っていた、修也の足は予想外の方向に向く。

 十字路の脇に設置された町内掲示板だった。

 ゲートボールグループへの加入ポスター。

 近所のプラザの利用案内。

 避難訓練実施に関する呼びかけなどがガラス越しにボードに貼り付けられている。

 確かに「ヤツ」の出所はこれに違いない。しかし、学校外でどうして……。


 修也の疑問とは裏腹に、身体は勝手にこいつのお世話を始めた。

 バケツの水に漬かったままの雑巾を絞り、掲示板を丹念に拭く。

 よく見ると、こいつの身体にはところどころ錆が浮き、正面からではわからないがボードの裏側には、握りこぶしが入るほどの無残な穴が開いている。

 修也も知らなかった。ただ「ああ、あるなあ」と思って、ろくに中身の掲示も見ようとしないで、通り過ぎる代物だったのだから。

 身内のものだったら、絶対に捨て置かない。そう言い切れるほどの、ボロさだった。

 しかし、そのような修也の感慨も、次の瞬間には鳴りを潜めざるを得なくなる。


 コツコツコツ……。


次回、最終話となります!

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