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第三話 男の意地

「確かに俺のせいだけどよ……あんな言い方ないだろうが」


 ぶつぶつとぼやきながら、家の鍵を開けて中に飛び込んだ修也は、まず風呂場に向かった。頭を汚した切なる加護を取り除かなくては、何事も始まらない。

 数秒で、物理的に裸一貫となった修也は、シャワーを浴びる。ボイラーもつけず、冷水を頭にぶちまけた。当然、身体は震えをもって異常事態を告げたが、修也の脳みそは急激な冷却を求めていたのだ。


 ――落ち着け。あの時、俺は確かに動いた。声も出した。あいつとの約束を破っちまったんだ。サイテーだ。言ってみりゃ、あいつが俺にシュル缶を投げつけてきたようなもんだろ。そんなことになったら、俺は絶ッ対あいつを許さねえ。俺……ひょっとすると、あいつに何されても文句言えねえんじゃないか。まずったな、早く謝りてえ。だが、せめて。

 修也は頭にこびりつく残骸に業を煮やしていたが、身体が限界を迎えて、くしゃみを誘発する。たまらず、浴室内にあるボイラーのスイッチを押し、お湯を出した。


 冷え固まった身体をほぐしながら、シャンプーをきっちり髪に染み込ませていく。

 本当は身体も洗いたかったが、誠子に謝るのと、自分の信条の妥協点はここだ。

 風呂場から出ると、脱衣の時に取り出してシャツの上に置いた携帯電話の、受信ランプが光っている。ざっと手を拭いて、画面を立ち上げると、誠子からのメールだった。


「おかピー、さっきはゴメンね。あまりにすごい結果で、びっくりしちゃって。ひどいこと言ったよね。許してね」


 先を越された。

 その上、掃除の時といい、このメールといい、あいつは占いバカに加えて、底抜けのお人よし。

 これで仕事においては効率最優先なのだから、女の価値基準はさっぱり理解できないと、修也は思う。

 即電話を掛けようと思ったが、メール内容が長い。要約すると、


 今回の占いは、過去にない、最低最悪のものであること。

 喪服の女が、足早に通り過ぎたこと。

 それ以前に、カラスが修也にマーキングしたこと。

 そして修也が約束を破ってしまったこと。

 それらが積み重なって、おそらく修也に、耐え難い苦痛が降りかかるであろうこと。

 今の自分にわかるのは、修也が「つかれている」ということ。

 それを拭い去る方法は、自分が探して見せるということ。

 もしかすると、少し連絡が取れなくなるかもしれないということが書かれていた。


「『つかれている』……?」


 ここだけ変換し損ねたのか、前後がきっちりとした文章だけに、余計に異彩を放っていた。

 肉体的に「疲れている」。もしくは占い的に「憑かれている」のどちらかだろうが。

 誠子に電話をしてみたが、どうやら電波が届かないところにいるようだ。

 謝罪のメールを打って、携帯を放り出した修也は、今度はジャージに染み付いた例の臭いを取り除くために、格闘を始めるのだった。


 耐え難い苦痛。それが例の臭いのことを言っているのだとしたら、確かに誠子の占いは的を射ている。あれほどの屈辱を学校相手に味わわされたのは初めてのことだ。

 おあつらえ向きに、休み前に委員を抜けた「お利口」な奴らのおかげで、修也にお鉢が回ってきているので、対決の回数は多い。

 面白えじゃねえか、と修也は心の中で闘志を燃やす。

 誠子には悪いが、出番はない。自分のケツくらい、自分で拭く。それが潔癖の基本というものだ。この対決、正面から受けてやる。


 占いの日から三日後にあたる、二回目の清掃シフトの日。誠子とは相変わらず連絡が取れないが、構わず修也は学校に向かった。


「委員長、ちぃーっす!」

「お、さすがに早いな、浜岡」


 職員室のドアを開けると、美化委員長の柳澤が掃除用具入れの前に立っていた。

 修也に比べると少しばかり顔と体の横幅が広くて貫禄がある。

 ややもするとデブイコール不潔という歪んだ方程式がまかり通る中、髪型から服装に至るまでをきっちり整えている姿は、むしろ爽やかささえ覚えた。

「見ての通り、デブなせいで体臭がひどいから勘弁してくれ」と笑いながら、臭い消しのスプレーを体にかけている時もあり、修也は彼の気配りを見習おうと感じたものだ。

 だが、美化委員長としてここにいる以上、彼も「変態」の一員に違いはない。二人は早速、清掃フル装備を整える。


「お前の清掃報告にあったな。『怖気が走るほどの異臭』がすると」


 マスクをつけた柳澤がくぐもった声を出した。


「それも、一緒にいた綾野はわからなかったんだな」

「あいつがふざけてなければですね」

「それか、鼻馬鹿になってなければな。今日やるところで、もし同じような異臭があったら俺を呼べ。直に確かめる」

「よろしくです!」


 今日の二人の担当は部室棟。普通なら各部活が自分たちで行うべき場所なのだが、夏場に活動しない部にとっては、完全に放置状態となる。

 すると、虫が湧き、カビが湧き、ほこりがこびりついて、学校が再開する頃には、もはや誰がこの空間の主かわからなくなりかねない。

 修也たちは、この空間が紛れもなく人間様の空間であることを示すため、委員会が遣わした、救世の使徒なのだ。

 その上、中でも過激派の先端とも言える二人。汚物は消毒どころか消滅させねば気が済まない。

 悠々自適に振舞っていた微生物たちも、今日が自分たちの命日になるなどと、想像できたものがどれほどいただろう。


 正に荒れ狂う竜巻のごとく、部室を次々に片づけていく修也と柳澤。そして、彼らは今、最大の難所に差し掛かった。


「いくぜ、おい……」


 武道場。体育館の横に併設されたこの建物は、一階が柔道場。二階が剣道場となっている。

 その二階の板敷の道場、神棚の真下の引き戸。そこに手をかけた柳澤が、隣に並ぶ修也に注意を促す。

 修也がマスクをつけ直しつつうなずくと、一気に引き戸が開け放たれた。

 夏場の湿気。数々の防具。忘れ物の胴着と袴。汗と革が織りなす、極上の「むささ」がそこにあった。

 同じ汗をかくスポーツでも、ここまでの「むささ」を持つスポーツなど、剣道以外にそうそうあるわけがない。

 闘争心と逃走心を同時に引き起こす、独特の境地はたちまち修也と柳澤の魂に火をつけることになった。

 消臭スプレーを乱射。鼻が現実逃避をしている間に防具たちをずらし、水拭きを丹念に行う。ところどころの黄ばんだシミにクレンザーをぶちまけて、確実に人間の領域を広げていく。

 二十分が経った頃には、二人はすでに額の汗を拭い、道場の神棚に退室の礼をしていたのだった。


「お疲れさま」と柳澤がマスクを取りながら、修也に呼びかける。かかった時間は、およそ二時間足らず。終了予定時刻よりも一時間ほど早い。

 修也は貴重なウエットティッシュを使い、顔を初めとする肌が露出している部分を、神経質に拭いていた。

 ほこりや、誰が吐いたともしれない、二酸化炭素たちとふれあいまくったのだ。必要経費とは言え、気持ち悪い。


「何事もなかったな。拍子抜けだが、まあ、いいか。どうだ、浜岡。一緒にラーメンでも食いに……浜岡?」


 柳澤の声が遠くから聞こえる。修也は先ほどまで顔を拭っていたウェットティッシュの動きをピタリと止めていた。その瞳は、先ほど掃除を完了したはずの、部室棟にらんでいる。


「――来ましたよ、委員長」

「例のか? だが、俺には何も……」


「行きます」と静かに告げて、修也はフル装備を抱えたまま走り出していた。


投下はこれでひとまず、休憩です。

お付き合いいただき、ありがとうございました。

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