1 ソフィア・ローディン
伊豆諸島に建造された人工島、扶桑島。
第三次世界大戦以降、離島などの国土防衛を見直す上で、メガフロートによる人工島を建造し、都市として発展した状態で、有事には七日間耐えられることを目的とした防衛構想の研究が始められた。
与野党の長年にわたる政治闘争により、目的が二転三転し迷走した結果、様々な思惑が入り乱れる国の縮図とも言える状態になり、皮肉な結果として、様々な研究開発機関や教育機関が、技術やシステムを研究する場として利用することになった。
人々は揶揄する意味で、学園島と呼んでいる。
そんな、複雑な経緯を持つ島の繁華街で、少年は目の前で起こった事に呆れていた。
「雅人。超能力は、使わない方がいいぞ」
鋭い目つきの少年、瀬野 戒は、木に引っかかっている友人を見上げながら、無愛想に忠告をした。
「いやね。使えるようになって日の浅いから、うっかり発動してしまうのは、槙枝さんとしては不幸なことだと思うので、戒さん。助けてくれませんか!」
木に不自然な体勢で引っかかっている少年、槙枝 雅人は、ツンツンとした短めの髪型で、身だしなみに気を使い出したばかりな印象があり、顔つきも黙っていればと言ったところだろう。
「まったく……世話が焼ける」
戒は迷いなく木をよじ登って、太い枝に短いロープを結んで雅人に握らせ、体勢を自力で直せるようにして助け出した。
「助かったけど……なぁ、戒。使いこなさせれば、便利なんだと思わないか?」
「目視できる範囲でだが、テレポートが出来るのは、確かに便利だろう……」
「遅刻しそうなとき、ショートカットが出来るのは、スゲェー役に立つぞ?」
「だが、移動の度に体力を消耗する上、制御ミスすると、どこへ跳ぶやら」
雅人が使える超能力はテレポートである。一瞬で、ある程度の距離を移動できるので、移動手段として使える。
だが、雅人を始め、ある時期を境に超能力に目覚めた超能力者は、必ず8種類の内の1つだけしか使えない。
また、使うために必要な発動条件や制約が、個々に存在してる。
雅人の場合は『目視できる範囲で、移動できるが体力を急激に消耗する』である。
「リスクを考えるのなら、バイクの免許でも取った方がメリターンがある。特に女の子をリアシートに乗せると……後は、わかるな?」
「あああ、戒。わかるとも……それを実体験として語ってることもな! なんて、羨ましい!」
「羨ましいだろう。慎ましくても密着するとな……大きいと更に……だ」
「くぅぅぅ。なんて羨ましいんだ。そう。丁度、こんな感じでポヨンと、だんりょ……ぽよん?」
「お願いです。助けてください!」
背中に当たる柔らかくて大きな感触で、雅人は何が当たってるかを察した。
振り向くと、雅人と戒が通う私立風野宮学園の制服を着た美少女が、必死に助けを求めていた。
「言っただろ。超能力を使うと、碌な事がないと……どうしたものか」
「口では悩んでるけど、思いっきり迷わずにぶん殴ってるよな!」
雅人が、助けを求めてきた女性を、追いかけてきた暴漢達を確認しようと顔を上げると、既に戒が、暴漢の顔面に迷いなく拳を叩き込んでいた。
「俺は合理的に判断して、行動してるだけだ。まず、抵抗する気力を奪うまで攻撃を続けてから、紳士的に話し合いが国際常識だろう」
「そんな国際常識があるかよ……っと、だたの痴漢野郎どもじゃないみたいだな」
普段、割と巡り合わせが悪く、荒事になれている雅人と戒は暴漢に、それぞれのやり方で適切に対応していたが、雅人は一つの疑問を抱いた。
白昼の繁華街での乱闘騒ぎになれば、警察がそのうち到着するのは予想が出来るのに、暴漢達は構わずに女性を執拗なまでに狙ってくる。
「戒! こいつらまずい!」
「わかっている……先に行け!」
二人は暴漢達が、リスクを覚悟してまで、女性を捕まえようとしてることに気づき、逃げることを迷わず決めた。
「わるい。しっかり掴まっててくれ!」
戒が、雅人に逃げるように促した意図をくみ取り、女性の手を取り走り出し、建物の視覚でテレポートを発動させ一瞬で逃げ出した。
「さて、動けそうなのは、一人か……」
雅人と女性を追いたくとも、テレポートを使ったことで、暴漢達はどこに逃げたかわからない。
ならば、戒も撤退を視野に入れつつ間合いを取る。
「なるほど、貴方方も超能力者でしたか」
暴漢達の中で比較的、知的な印象がする男が戒に声をかけてきた。
「貴様がリーダーのようだな。女は逃亡……あきらめて、帰ってクソして寝ろ」
「残念ですが、あきらめることはできませんので……輝け! 俺のガイアマップ!」
リーダらしき男は、手にした携帯端末を天に掲げると同時に、力強い声で叫んだ。
「なるほど、東南の方角へ逃げましたね」
「ダウジング……いや、千里眼か」
「その通りです。私の千里眼から追跡からは、逃げることは出来ないのです。さぁ、もっと……もっと……もっと……もっとぉぉぉぉぉぉぉぉぉ、輝けぇぇぇぇぇぇ!」
調子が出来てきたのか、叫び声を上げる姿を見て、戒は千里眼の精度を上げるための行動だと推測した。
「なるほど。それが、貴様の超能力発動条件か……素晴らしい。だが、隙だらけだ……ぺっ」
戒は躊躇もなく、調子に乗って叫びを上げてた男の股に蹴り上げて、最後につばを吐きつける。
男が声にならない叫びとともに、倒れ込み、激しい痛みに悶絶した。
「それと、残念だが……俺は超能力者じゃない」
完全に暴漢達を足止めできたことを確信して、戒も逃げ出した。
「本当、超能力を使うと、碌な事がないな……」
超能力に覚醒する者達が、増え始めたことに危機感を抱いていた戒は、予測してたやっかい事に巻き込まれたことを悟った。
雅人はテレポートで、暴漢達から逃げ切れ、近くの公園で一息ついていた。
連続でのテレポートの上、女性も一緒だったため、発動条件が厳しくなり、結果として体力を大幅に失い動きが取れなくなってしまった。
「ぜぇ……ぜぇ……アンタ、大丈夫か?」
「はい……大丈夫です」
「なら、よかった……流石に、疲れが酷いな……ぜぇ、ぜぇ……」
雅人は乱れた呼吸を整えて、改めて、助けた女性を見る。
印象は何となく北欧系だと感じさせる顔つきで、10人が10人間違いなく美しいと声を上げるだろう。
「あの……わたくしが聞くのは失礼かと思いますが、もう一方の男性は大丈夫でしょうか?」
「戒のことか……アイツなら俺達がいない方が、かえって、動きやすいから大丈夫だって!」
雅人と戒は、喧嘩などの荒事に慣れているが、決定的な違いがある。
雅人は空手を習っていることもあり、その拳が凶器になることを教え込まれたので、最低限の自衛までなら躊躇わないが、それ以上はしない。
だが、戒は何かを習得してるかは知らないが、他人が見たら卑怯な手段ですら、使うことにためらいがない。
相手が逃げても必要なら追いかけて、トドメを刺した上、念入りに死体蹴りまでする。
相手の対処が対照的なので、先に逃がしたのは、女性の安全を最優先にしたのもあるが、他人の目を気にしないで、手段を選ばずに戦う意図もあったことを雅人は察していた。
「正直、あの暴漢達の方が心配だ……生きてればいいけど……」
「えっ?」
「動けるようになったら、安全な場所まで移動するから、念のためすぐ逃げ出せるようにしておいてくれ」
雅人は安全な場所を思い浮かべ、少し躊躇ったが、友人達に助けを求めるメールを送信し、一息つく。
「そう言えば、自己紹介がしてなかった。俺は槙枝 雅人」
「これは失礼しました。申し遅れましたが、わたくしはソフィア・ローディンと申します」
「よろしく。ソフィア」
差し出された雅人の手を握った瞬間、ソフィアの脳裏に一つのイメージが浮かぶ。
暖かい日差しの中、雅人を中心に同年代の少年少女たちが、笑顔で語らいあっている。
とても平穏で穏やかな空間の中にいると、ソフィア自身も心が清められるような気がした。
イメージが消えるのを惜しんだが、そう遠くないうちにソフィアは見たイメージが、現実になることを確信していた。
「はい。これからもよろしくお願いします」
雅人と、まだ出会っていない雅人の友人たちへの想いを込めて、握手を交わす。
「そろそろ、戒の奴も来ていいと思うんだが……」
「まぁ、既にいるんだけどな……」
二人の背後から突然声がして、驚いて振り返ると、そこには戒がいつの間にかいた。
「オマエは、忍者か!」
「気配を殺して、背後にいるのは、日常だから気にするな……ほれ」
戒は手に持っていたスポーツドリンクを雅人とソフィアに渡した。
「あ、ありがとうございます。えっと……」
「瀬野 戒だ。ソフィア・プロフェード。ヨーロッパにある暫定君主制度国家、グルンデ王国からの留学生で間違いないな」
「戒、ソフィアと知り合いだったのか?」
「いや、会ったのも、話したのもはじめてだな」
「では、貴方も超能力を?」
ソフィアは、戒が名乗ってもいないのに、名前を知ってることに警戒心が芽生えた。何か超能力で、読み取られたのではないかと。
「少しは、自身の知名度を理解したほうがいいな。単に風野宮学園でも有名人だから、知っていただけだ。校内美少女ランキングで、5位から落ちたことがない」
警戒心が表情に出ていたのを察した戒は、ソフィアのことを知っていた事情を隠すことなく話したことで、超能力で読み取られたのでなく、思春期の少年らしい理由だったことにソフィアは一安心した。
「事情は後で聞くとして……雅人、そろそろ動けるか?」
「もう少し休みたいけど……ヤバいのか?」
「暴漢達のリーダーらしき男の超能力が、おそらく千里眼で探査に長けている」
雅人の携帯端末から、軽快な着信音が鳴り響きメールが届いたっことを知らせる。
「みんなが部室で待ってる。ここにいるよりは安全だと思う」
「超能力がらみの事情があるのだろ? さっきから、超能力を警戒しすぎてる」
「それなら、ほっておく訳にはいかなくなった」
ソフィアは、雅人と戒は好意からの言葉だということは十分理解できたが、自分が超能力を使えること。
それが原因で、暴漢達に追われていることを見抜いてる観察眼に驚嘆した。
「後ろに乗れ、追手が来ないとも限らんから、急いだほうがいい」
ヘルメットを投げ渡され、ソフィアは戒のバイクのリアシートに乗る。
「あ、戒。まさか!」
「これがバイク乗りの利点……オマエは頑張って走るがいい」
戒は捨て台詞をはいて、バイクで去っていった。
「羨ましくなんかねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
雅人は思春期の心境を叫び、全力で走り出した。
「あの雅人様を置き去りにして、よろしかったのですか?」
「体力自慢から、大丈夫だろう。それに優先すべきは、狙われてる人物の安全の確保だ」
ソフィアは戒の合理的な判断が、適切すぎて人間味のなさに少し怖くなった。
「少し、速度を上げるから、しっかり掴まっててくれ」
「あ、はい」
戒の腰に腕を回して固定した瞬間、また、イメージが見えた。
薄暗い部屋の中で、顔がはっきりと見えない少女達と一緒にモニター越しに、戒を見つめる。
どこか重々しく、同時に切ない空気を感じさせられ、先ほど見た雅人達とのイメージの落差に驚きを隠せなかった。
――これが、未来だというのなら、わたくしは二つの未来を見ているの?
ソフィアは、自分が見たイメージの意味をこの先の行動で決まると考え、今は分岐点に立っているのだと結論付けた。
彼女が見た未来は、定まっていなかった。