プロローグ
「ラ、ラララ~♪」
満月の夜。
廃ビルの屋上で月明かりに照らされながら、少女は待っていた。
着ている服は実用性を考えていない、魅せるために考え抜かれた衣装だが、少女は自分らしさが一番出ていると思っていた。
少女はこれから起こる事への期待で、喜びの歌を歌うほど楽しみでしょうがなかった。
ずっと、求めていたことが叶えられる日が、訪れたのだから無理もない。
王子様が迎えに来てくれること、夢見るような心境の少女にとって、これほど幸せに満ちた時間はないだろう。
「ここに至るまで、どれだけの屍山血河を踏み越えて来たか……」
現れたのは、外見に似つかわしくない低音な大人びた声、少女が待ちわびた王子様であった。
着ている服は、破れたり焦げていたりとボロボロで、額から出血したのか、乾き始めた血を流したまま。所々、擦り傷や怪我もしているが、足取りはしっかりとして、威圧感を感じさせるように近づいてくる。
その姿は王子様とはほど遠く、死にまき散らす青い馬に乗った使者のようだった。
少年は少女の隣に無遠慮に座り込むと、足を伸ばして、夜空を見上げる。
「月が綺麗ですね――」
「――私、死んでもいいわ」
少年と少女は、満月を見ながら長年連れ添った夫婦のように、当たり前のように当たり前の言葉を交わし、笑い合った。
「お姫様の元へ来るにも大変な物だ……毎回、魔王に攫われれるお姫様を助ける勇者の戦略、戦術には感心する」
「どちらかと言うと、君が魔王で、下で寝ている人達が勇者なんだけどね」
「寝るまで、随分と騒ぎ回っていたが、今は疲れ切って……半数は確実に永眠してる」
「それなら、横やりが入ることがないから安心ね」
これから少年と少女が行うことは、長い年月をかけて積み重ね、ようやく実現する大切なこと。
少年は、そのために邪魔となる障碍を始末し、少女の元へと辿り着いた。
「地上は賑やかだけど、ここは大丈夫かな?」
「心配はない。地上で馬鹿騒ぎしてる連中は、コソボ・クリミア方式で殲滅中だ。これ以上、人手を回したくても回せないだろうな」
「よかった……ねぇ。私の望みを叶えてくれるかしら?」
二人だけの空間を、沈黙が支配した。
これから起こることを理解しているからこそ、最後の語り合いに花を咲かせていた。
「望み通りにお姫様――殺す」
その言葉と共に、少年は少女の胸に軽く触れる。
円錐状の血のような深紅の杭が出現し、少女の胸元――心臓の位置に固定される。
「とても綺麗な紅……」
何度も見てきた杭だったが、混じりっけのない紅の宝石ような透き通るような美しさに、少女は感嘆の声を漏らした。
「はっ!」
少年は後ろに跳び距離を取ると、直ぐに跳躍して深紅の杭を押し、少女に突き刺すようにキックを当てる。
敵意も悪意もない。ただ、純粋に少女の願いに応えるためだけの、殺意を込めた必殺のキックだった。
「貴方が殺してくれて……ありがとう」
世界で一番愛おしい少年との今生の別れに、一番の笑顔を浮かべることが出来たか確信が持てなかったのが、少女にとっての心残りであった。
「……」
彼は答える代わりに、消えゆく少女を優しく抱きしめる。
少年の血のような紅い瞳が微かに揺れている。
それは悔悟の情なのだろうか?
少年は少女に、恨みや憎しみがあったわけではない。
ただ、少女は存在するだけで、世界を滅ぼす毒であった。そして、少年しか、少女を殺すことが出来なかった。
「もし……」
殺せた確信が持てたからこそ、少しだけ心に芽生えた『殺さないですんだ未来』を思い浮かべたから生まれた迷い。
だが、自らの死を……否、死をもたらしてくれる存在の葛藤は、少女には理解が出来なかった。
だがら、少女は歌うことにした。少年に向けて初めて歌ったラブソングを……。
歌い終わると同時に、少女に死が訪れた。
ろうそくの最後の輝きのように、強い輝きと共に弾け、光の粒子となって月を目指すように夜空に吸い込まれていく。
己の人生の全てをかけて、少女を殺すことだけを目的として生きてきた。
今、少女は生を終え、死んだ。
腕の中にいた、少女の残り香が消えたことで、目的が完遂したことを悟った少年は、声なき慟哭を上げる。
後に『扶桑島の七日間戦役』と呼ばれる一日目の夜。
ただ一人、少女を想い続け、少女のためだけに生きてきた少年の長い戦争が終わった。