第十七話「富士見の娘」
とうとう悠子と幽々子の関係が明らかになります。前半は幽々子の過去について、後半はこの物語の始まりについて語られていきます。
余談ですが、私自身がこの物語の根幹として位置付けていたのがこの話です。ここに繋げるために今までがあったと考えてまして、この東方悠幽抄におけるすべての始まりとも言える話です。
それでは、東方悠幽抄、第十七話です。感想、批評、誤字脱字の指摘などなど、気軽にコメントをくださって結構です。宜しくお願いします。
――――これは今から約千年前の話――――
◇
――――お父様は今、どこにいるの?
それは、私の小さいころからの口癖であった。
お父様は俗名を『藤見義清』、出家後の法号は『西行』である。
私はその娘であり藤見の娘・幽々子と言う名である。
街中を散歩していると、どこからか私の家の、正確には私の父の噂が聞こえてきた。
「藤見殿は、藤原氏の分家である藤見家でも優秀な逸材であったのに……」
「彼が出家してしまうなんてもったいない」
「それに、彼には妻子を捨てて出家したそうだ」
「ああ、娘を蹴落としたという噂か――思い切ったことをしたものだなぁ」
父の噂は京の都でも囁かれているようであった。
その噂の中の父は、立派な意思を持った人間であるが、私と母を捨てた冷たい人物であるという。
しかし、私は知っている。
父は私たちに冷たい人間ではない。
父は今でもこっそりと私たちに会いに来てくれている。
今日はまさに父が私たちの家に帰ってくる日であった。
「ただいま~」
私が家へ戻ると、そこには縁側に腰をかけた父がいた。
父は私を見つけると微笑み、手を振った。
私は嬉しくなって、父の胸元に飛び込んだ。
「あっ、お父様!」
「いい子にしていたか、幽々子」
「うん、いい子にしていたよ! だからこの前みたいに、旅のお話を聞かせてよ!」
せがむ私に父は困った顔をした。
「いや、聞かせてやりたいのだが――私はまた行かないとならない。次に帰ってきたときに話してあげるからな」
「ええっ…… そんなぁ」
私はとても残念そうな顔をした。
父は困ったように頭を掻いた。
「そうだな…… それでは、一つだけ歌を教えてあげよう。 『山川に 風のかけたる しがらみは 流れもあへぬ 紅葉なりけり』」
父は流れるような声で歌を詠んだ。
私はまだ、その歌の意味することが理解できず、父に問い返した。
「どういう意味なの?」
「これは、春道列樹という歌人の詠んだ歌なんだよ。風が吹き、山中の川に流れきれない紅葉が集まっていて、それがまるで風がつくった柵のように見える――という美しい情景を詠ったものなんだ」
「ふ~ん…… 綺麗な歌なんだね」
私の感想を聞き、父は嬉しそうな顔をした。
「ああ、私もこんな美しい歌が詠みたい。そう思って旅をしているのもあるんだよ。 ――それでは、母と一緒にいい子にしているんだぞ」
そう言ってしょげる私の頭に手を置き、わさわさと頭を撫でた。
私はその父の大きな手が大好きであった。
父はスッと立ち上がった。
私はもっと話していたかったが――――我慢した。
「いってらっしゃい、お父様」
私は寂しさを押し殺しながら、父を見送った。
父は少し困った顔を向けながら、また旅立って行った――
◇
――――藤見の西行殿は帝から『富士見』と名乗ることを許されたらしいですぞ。
私の家の前で二人の男の人が父の噂話をしていた。
私は自然とその会話に耳を傾けていた。
「どうも西行殿は富士山まで足を運んだらしいですぞ」
「へぇ、それで藤見にから『富士見』ですか」
「富士とはあの『竹取の物語』にも出てくるように、永遠を生きるかの如く旅を続けているその様を表していると聞き及んでいる」
「さすがは帝。素晴らしいお言葉ですな!」
父はどんどん有名になっていく、私は寂しかった。
父が私に会いに来てくれることがめっきり減ってしまっていた。
最後に会ったのはいつだろうか?
正確には思い出せないほどであった。
その日、一人寂しくままごとをして遊んでいると、庭先にどこからともなく不思議なかぶり物をした女の子が現れた。
その女の子は私より少し年上のようで、私の姿を見て微笑んでいた。
私は突然現れたことに驚き、すぐ家の者を呼ぼうとした。
すると、その子はスッと私の口に指を当て、私を制した。
「あなたが富士見の娘ね」
私は『富士見の娘』という言葉を聞き、私はパッと顔をあげた。
「私を、父のことを知っているの?」
「ええ、知っているわよ。私、あなたのお父様の知り合いなのよ」
その女の子は扇子で口元を隠した。
私は父の知り合いと聞き、勢いよく問い返した。
「お父様は! 今、何をしているの?」
「お母様には内緒ですわよ。――今は東の方で旅をしておりますわ」
「元気にしているのかしら?」
「いろいろと思い悩んではいますが、変わりは無いようですわ。それに、あなたのことも心配しておりましたわよ」
「そう…… 元気にしているのならいいわ」
「そんな悲しそうな顔をしないでくださいな。 ――それと、これを預かっていますわ」
紫さんは非常に美しい装飾の施された小太刀を取り出した。
私はそれをまじまじと見つめた。
「あなたのお父様がこれをあなたにと」
「お父様が?」
私は渡された小太刀のその美しさに釘づけになった。
だが、それ以上に父からの贈り物という事実に私は嬉しくなってしまった。
小太刀を抱きながら嬉しそうにしていた私を見て、紫さんは満足そうな顔をした。
そして、くるりと背を向けた。
「私の要件はこれだけですわ。それでは――」
「待って! お名前だけでも伺ってよろしいかしら?」
「そうね、名乗らずに行くのは失礼よね。私の名前は紫よ」
私はその名前を聞き、少し思うところがあった。
「紫って……まるで、源氏の物語にでも出てきそうなお名前ね。えっと、紫の上だったかしら?」
私の言葉を聞き、紫さんは口元を隠しながら、小さく笑った。
「――懐かしいわね。紫なんて呼ばれたのはいつ以来かしら」
「???」
首をかしげる私を見て、紫さんは可笑しそうに笑った。
「ふふっ。それでは、またいつか会いましょう。幽々子さん」
紫さんは庭先から去って行った。
私は手元に残された小太刀を眺めながら呟いた。
「大切にします。お父様」
私は父からの初めての贈り物に心を躍らせた――
◇
――――富士見の西行殿が亡くなったらしいぞ。
父が最後に会いに来てから、幾年かが過ぎた。
突然に知らされた大好きだった父の死。
私はそれを受け入れることができず、ふらふらと街中を彷徨っていた。
すると、また父の噂が耳に入ってきた。
「あの歌、聞いたことがありますかね? 『願はくは花のもとにて春死なむ その如月の望月の頃』」
「まさにその通りの生き様でしたね。まったく、素晴らしい!」
私は素晴らしいと口にした男の腕を反射的に掴んでしまった。
その男は突然の私の行動に驚き、声を失っていた。
私はそんな男の様子など気にもせずにポツリと呟いた。
「――全然、素晴らしくなんてないわ」
私はハッとしてその男の手を放し、その場から逃げだした。
(私に何も言わずいなくなってしまうなんて――お父様なんて、大っ嫌い!)
私はうつむきながら、家の中に駆け込んだ。
――その後、私が腕を掴んだ男が亡くなったと聞いたが、私にはどうでもいい話であった――
◇
――――父が亡くなりしばらく経った頃、ある噂が流れ始めた。
富士見の西行こと私の父を慕っていた者たちが、まるで後を追うように満開の桜の木の下で死んでいっているらしい。
しかし、父を失った悲しみ暮れていた私には所詮、噂程度でしかなかった。
そんなことを思っていたある日、母が死んだ。
父が亡くなったといわれる『西行桜』の下で。
私の心は父だけでなく母も失ったことでどんどん荒んでいった。
――そんな心も体もボロボロになった私のところに紫さんが訪ねてきた。
紫さんとは数年ぶりに出会い、さぞかし美しくなっているものと思っていた。
しかし、紫さんは初めて会ったときとまったく変わらぬ容姿であり、私と同じ年のまま時が止まってしまったかのようであった。
紫さんは少し真剣な顔をしながら、私に話しかけてきた。
「とうとう始まってしまいましたわね」
「――私には近づかない方がいいわ。 死にますわよ」
「それも、承知の上ですわ」
そう言って、紫さんは微笑んだ。
「紫さんは知っているのね」
私は以前から霊観が強かった。
だが、その程度であった。
しかし、父が死んでからというもの、私が絶望し死を願った者が、まるで死に誘われたかのように病気や事故で亡くなっていった。
私は気付いていた。
これは私の力が引き起こしているということに。
――そしてなにより私が怖かったのは、母を死に誘ったのは自分ではないのかということであった。
紫さんは私の心を見透かしたように言った。
「あなたの母を死に誘ったのは、少なくともあなたではないわ」
「ありがとう、紫さん」
そう言ってもらえて、私の心は少しだけ軽くなった。
紫さんは私の様子を見て、まだ正常な判断ができると見たのか、ある提案をしてきた。
「それと、あなたに一つ提案がありまして」
「何かしら?」
「あなたの疎むその『死を誘う力』。 封じ込める方法を教えに来ましたわ」
私はその言葉を聞き、パッと顔をあげた。
「どうやって? この力を封じるためなら何でも――」
「以前、私があなたに届けた小太刀はどこにあるの?」
「小太刀――あぁ、お父様が私にくださった」
私は家の者に見つからないように押し入れに隠しておいた小太刀を取り出した。
紫さんはその美しい小太刀を見て頷いた。
「その小太刀は藤見家に伝わる宝刀よ。出家したあなたのお父様はそれをお守りとしていたのよ」
「お父様はそんな大切なものを私にくださっていたのね……」
私はキュッとその小太刀を胸に抱いた。
紫さんは続けた。
「その小太刀は藤見の者の『自らの気持ちを抑える心』を増幅して、すべてを抑え込める力、すなわち『全てを封印する力』を行使するために使われるものよ。 あなたのお父様はその力を使って自らの煩悩を絶ち、若くして出家し、自らを見つめ直そうとしたのよ――しかし、家族への愛情は消せなかったようだけどね」
そう言って、優しい目で私を見つめた。
私は優しかった父を思い出し、その小太刀を愛おしそうに撫でた。
「その藤見の力を使えば、あなた自身の力を封じることができるわ」
藤見家の血にはそんな力があったなんて知らなかった。
もしかしたら私を面倒見てくださった叔父様なら知っているのかもしれないが。
――そのとき、私の中に一つ考えが生まれた。
私は紫さんに問い返した。
「この力、幽霊や怨念も封印できるの?」
「そうねぇ…… その一部封印するのなら、わずかに魂に負荷がかかりますが可能ですわ。だけど、その存在すべてとなると――命と引き換えになるかもね」
紫は私の言わんとすることにはまだ気付いていない。
だけど、それでいいのだと思った。
ただでさえ、『死を誘う力』で疎まれてきた自分にはお似合いの最後だろう。
「私、封印するわ」
「あら、うれしいわ。お父様もあなたが立派に生きて行くことを望んで――」
「私の命と引き換えに西行桜、いえ『西行妖』を封印するわ」
「……えっ」
そのときの紫さんの驚いた顔、私は永遠に忘れることは無いであろう――
◇
――――私は満開に咲き誇る桜、西行桜の前に立っていた。
見たところは、ただ美しく咲き誇る桜に見える。
だが、私には感じ取れる。
この桜には凄まじい妖気と悲しみが渦巻いている。
父は何をもってこの桜の下で死を迎えたのかはわからない。
しかし、ここに来て私は父の気持ちを少し理解した。
「お父様、未練たらたらじゃない」
死んでも人間らしいお父様。
私は少し微笑ましくなってしまった。
「寂しかったのよね、お父様。 ――だけどね、私も寂しかったのよ」
私は小太刀を引き抜き、慣れない手つきでその刀身を妖怪・西行桜――『西行妖』に突きつけた。
藤見の一族に伝わる『全て封印する力』。そして、私の『人を死に誘う力』。
二つの力ですべてを終わりにする。
私は小太刀を薙ぎ、西行妖の中に眠る父の無念を死に誘った。
西行妖の、父の呻くような無念が周囲を支配した。
しかし、これでは足りない。
私は目を閉じ、息を大きく吸い込んだ。
すると、父との思い出が走馬灯のように蘇った――――
『私がここを尋ねに来ていることは内緒だぞ? 今回は伊勢に行ってきたんだ』
『鈴鹿山浮き世をよそに振り捨てて いかになりゆくわが身なるらむ』
『ははっ、弱音を吐いてしまったな……忘れてくれ』
『それでは、母さんと一緒にいい子にしているんだぞ、幽々子』
――――私は目を見開き現実を見据えた。
「さぁ、永遠に家族仲良く暮らしましょう。私が――お父様を封印するわ」
私は自分自身の胸に小太刀を突きたてた!
「っ!?」
私は苦しげな声をあげてしまった。
――痛い……
みるみるうちに私の血が地面を覆った。
初めて体に刺さった刃物の感覚に私は恐怖した。
しかし、負けてはならない。
私自身の弱い心も封じ込めなくては。
私は痛みを我慢しながら、西行妖を見据えた。
すると、周囲の妖気、そして父の無念が小太刀を介して私に流れ込んできた。
まるで私の傷に吸い込まれるかのように。
その妖気の奔流に私の魂は押しつぶされていった。
そしてついに、西行妖から剥離した父の無念と妖気を自らの体に封印した。
すべて封印しきった私はその場で崩れ落ちた。
私は仰向けになりながら、散りゆく西行桜に手をかざした。
「これで……すべ……て、終わ……りなの……ね」
私の魂はこのまま妖気に押しつぶされ消滅するのだろう。
そして、依り代となった私の体は永遠にこの父の無念を封じ込め続けるだろう。
子どもの頃から願っていた通り、やっと家族一緒になれたのだ。
私の気持ちは満たされ、微笑んだ。
――ぼやけた視界の中に何かが映った。
しかし、私の心はもう何も認識できないでいた。
だが、最後に呟くような流麗な声が響いた。
「可哀想な幽々子。せめて、あなたの魂だけでも――」
私はその言葉を最後まで聞き終わる前に――――絶命した。
◇
――――冥界にある突然現れた桜の木の下に少女が立ちつくしていた。
その少女は枯れ果てた桜の木を見上げていた。
しかし、その目には生気が感じられず、まるで魂の抜けた様であった。
私、八雲紫はその少女へと近づき、声をかけた。
「もし、どうしてこんなところでこんな枯れ果てた桜を見上げているの?」
少女は私の方へと振り向いた。
その少女はあの西行妖の木の下で絶命した幽々子であった。
私は幽々子に再会し、嬉しさで声をあげそうになった。
だが、幽々子は私の顔を見て首をかしげた。
「あら、あなたどこかでお会いしましたっけ?」
――えっ?
私はその言葉を聞き、動揺を隠せなかった。
幽々子は生前の記憶を失っていたのだ。
私は少し焦り、言葉を続けた。
「忘れたの? 私はお父様の知り合いの――」
しかし、再び幽々子は首をかしげるだけであった。
そこで私は思い至った。
きっと幽々子の心は妖気と無念に押しつぶされて、記憶そして思いの大部分を失ってしまったのだろう。
だが、それでいい。
あんな悲しい思いを背負ってこの冥界で永遠に存在し続けることは苦痛でしかないのだから――
「――いえ、突然声をかけて申し訳なかったわ」
私は謝罪を口にした。
彼女は生まれ変わったのだ。
私はそれを受け入れる必要がある。
「それでは、初めまして。私は八雲紫よ。あなた、名前は?」
「私は――? 確か幽々子、だったかしら…… でも、苗字は――なんだっけ?」
「そう、はっきりと覚えていないのね」
私はそんな初々しい反応を示す彼女のことが微笑ましくなってきた。
そして、彼女の背にあるもう決して花をつけることのない桜を見上げた。
「それでは、あなたの名前は、あなたのおとう――いえ、この桜の名前からとりましょう」
「この枯れた桜の木って名前があるの?」
「ええ、『西行妖』という名があるのよ。その桜の前にたたずんでいた、あなたにぴったりの名前。 ――『西行寺幽々子』なんてどうかしら?」
突然の私の提案を聞いた幽々子は非常に驚いた顔をした。
しかし、すぐ顔を綻ばせた。
「西行寺幽々子…… いい響きね。私、気に入っちゃったわ」
「それはよかったわ。 ――それでは、改めまして。冥界へようこそ、幽々子」
私は幽々子に手を差し伸べた。
幽々子は少し躊躇しながら私の手を握り、微笑んだ。
「よろしくね、紫」
その幽々子の笑顔は、この何もない幽明の庭でひと際輝いていた――
◆
――――そうして、私は幽々子に出会ったのよ。
紫さんは話を終えると大きく息を吐いた。
私と妖夢師匠は幽々子のあまりにも悲愴な過去に声を出すことができないでいた。
そんな中、話をおとなしく聞いていた魔理沙が沈黙を破った。
「そこからじゃ、この異変との関連は何もわからないぜ?」
「少し黙っていなさい、白黒――ここからがこの異変についての話よ」
紫さんはコホンと咳払いをして、私の方を向いた。
「まず、藤見悠子。私の話を聞いたからもう気付いているかもしれないけど。あなたは藤見家の血を引く者――すなわち、幽々子の子孫よ。そして、『全てを封印する力』も持ち合わせている」
「……」
私は何も言うことができなかった。
幽々子が私の祖先で、私が西行法師の子孫だって?
思考がぐるぐると回ったが、それを否定する事実は何も思いつかなかった。
紫さんは真剣な顔のまま会話を続けた。
「悠子、率直に聞くわ。あなたはどうしても家族に会いたくなった。だから、力を求めたのでしょう?」
「そう……です……」
「幽々子も同じだったのよ」
紫さんはスッと西行妖へと視線を向けた。
「悠子と幽々子が出会ったとき、幽々子があなたの弟君の願いを叶えようとしたのは、純粋な興味だったのかもしれない」
「……」
「しかし本当は、ただただ心の奥底のあった自分の願いに忠実であっただけなのよ――幽々子は父親に会いたかった。そして、願いを叶えたかったのよ」
紫は再び私の顔を見た。
その瞳を見ていると、まるで心を見透かされているような錯覚に陥ってしまった。
紫さんは続けた。
「あなたの弟君がどういう心境で桜の下に立っていたかは知らないわ。だけど、藤見の血を持った男が桜の下で願いを持つ――それだけでまさにあの時の再現だったのよ」
私はその言葉を聞き、幻想郷に来る前の夜、弟の口にした言葉を再び思い出した――
『――姉ちゃん、俺、いらない子なのかな』
――――きっと弟は桜の下で死を願ったのだろう。
それが、幽々子を引き寄せたと。
私は弟の顔を思い浮かべながら、『あのバカ』と悪態をついた。
そんな私の心の声など聞こえない紫さんは説明を続けた。
「そして、あなたは弟君の代わりに死に誘われた。が、何故か幽々子に憑依されてしまった――だけど、事実はそうではない」
「えっ、どういうこと?」
「あなたは弟君を庇うために幽々子をあなたの体に封印したのよ。だから、私の能力であなたと幽々子を引きはがすことができなかった」
紫さんの言葉でやっと腑におちた。
幽々子が憑依するという現象も、藤見の体が持つ『全てを封印する能力』によるものであると。
――これが、私の身に起こった幻想入りの真実だったのだ。
しかし、紫さんの話はまだ終わりではなかった。
「だけど、幽々子の魂にとっては嬉しい誤算だった。悠子、あなたに憑依することにより幽々子は曲がりなりにも人間になることができた。幽々子の心の奥底にあった願いは叶ったのよ」
「そうなんだ……幽々子の願い叶っていたんだ」
私はそう呟き、胸に手を当てた。
私の体を散々不便だと言いながらも、心の奥底ではこの憑依を喜んでいたのかもしてない。
もしそれを黙っていたとしたらとんだ『あまのじゃく』だ。
しかし、幽々子にとって嬉しいことだったはずなのに、紫さんは少し悲しそうな顔をした。
「だけどね。そのせいで、幽々子は徐々に過去の記憶を思い出し始めていた。今はまだ過去に聞いた歌を思い出している程度だけど」
確かに幽々子は思い出したかのように歌を読むことがあった気がする――――
『昔せし隠れ遊びになりなばや 片隅もとに寄り伏せりつつ』
『幽々子、何それ?』
『ある法師が子供のころを懐かしんで詠った和歌よ。なんだか少し懐かしく見えてね――私に前世の記憶なんてないけど、ね』
――――あの時から少しずつ過去を思い出していたのだろう。
紫さんは納得したような私の顔を見つめた。
「その片鱗が今回の異変の原因、『家族への愛情の想起』よ」
「 家族への愛情の想起 ???」
私は思わず聞き返してしまった。
紫さんは丁寧に答えた。
「それは、あなたが家族に会いたいという思い。それが、幽々子の思いと共鳴し、あなたの心を支配した。 そして、家族と一緒にいられない孤独から来る恐怖に煽られた弱い心を妖怪の力に付け込まれてしまったのよ」
「……」
「悠子と幽々子の家族を思う気持ちによって引き起こされた異変――それが『悠幽異変』の真実よ」
紫は今度こそ全てを語り終えたらしく、大きく息をついた。
私はやっと落ち着いてきたので、一つだけ確認した。
「どうして……今まで黙っていたの?」
「あなたの初めて会ったときには、私もこんなことになるなんて思いもしなかったのよ。気付いていたらもっと早くあなたたちを止めに入っていたわ」
そう答えた紫を霊夢が睨みつけた。
「半分くらい、嘘ね。あんたの式が私を足止めしてきた感じじゃ、本当は知った上で傍観していたんでしょ?」
「そうね、その時点では気付いていたわ。だけど、私は黙っていた。 ――だって、幽々子本当に楽しそうだったんですもの」
先ほどまでの真剣な雰囲気とは打って変わって、紫は顔を綻ばせた。
その姿を見た霊夢はため息をついた。
「まるでお母さんね」
「あらひどい、ただの友人ですわよ」
紫さんは怪しく微笑みながら、スッとスキマを開いた。
そして、スキマに姿を消そうとした瞬間、思い出したかのように振り向いた。
「ああ、それと。このことは絶対に幽々子には黙っていてちょうだい」
「何故です?」
「過去の真実を思いだし、これ以上幽々子には辛い思いはしてほしくない――友人としてね」
そう言って、今度こそ紫さんはスキマへと消えて行った。
取り残された私たちは顔を見合わせた。
――その沈黙を破ったのは霊夢さんであった。
「言うだけ言って、黙ってろって――都合がよすぎるわ!」
霊夢さんが紫さんの悪態をついた。
「全くだぜ。これだから胡散臭がられるんだよ、あいつは」
魔理沙はやれやれというジェスチャーをとった。
そして、全員の顔を見渡し、ニカッと笑った。
「黙ってろってことは忘れてもいいってことだよな。それじゃ、異変解決ってことで、神社でパッと宴会でもしようぜ!」
その言葉を聞き、私は吹き出してしまった。
「ははっ、魔理沙らしいわね!」
「だろ、悠子!」
私と魔理沙は笑いあった。
先ほどの暗い雰囲気を吹き飛ばすかのように。
霊夢さんと妖夢師匠は呆れてため息をついた。
「はぁ、また宴会なの?」
「はぁ、そうですね…… 迷惑をかけた皆さんへのお詫びもしなければなりませんしね」
妖夢師匠の言うとおり、今は迷惑をかけた皆への謝罪が最優先だ。
私は霊夢さんと魔理沙に向き合った。
「それじゃ、謝罪も込めて宴会に参加させてもらえないかしら?」
二人は顔を見合わせた。
そして、声をそろえて言った。
「もちろん、」
「大歓迎だぜ!」
息がぴったりの二人を見て、もう一度皆でに笑いあった――
――――霊夢さんと魔理沙は傷を魔法と霊力で癒し、立ち上がった。
「さあて、こんな辛気臭いところさっさと帰らせてもらうかな」
「そうね、息苦しいったらありゃしない」
霊夢さんと魔理沙はそう言って、すぐさま階段を下り、人里へと帰って行った。
「まったく、勝手に踏み込んで置いて酷い言い草ですね」
妖夢師匠は苦笑した。
そして、私を抱えあげた。
「それではもう少し休みましょう。妖怪の力は紫様が引き離してくれたようですし、安静にしていれば心の傷も癒えるでしょう。幽々子様もこの御札を剥がせばきっと目を覚ますでしょう」
妖夢師匠はそう言って、私を寝室へと運びこんでくれた。
――紫さんの話は、確かに霊夢さんと魔理沙にとっては関係のない話であった。
しかし、二人は気を使ってくれて、明るく振る舞ってくれた。
優しい二人に感謝した。
――私は忘れない。
幽々子の過去と私の能力の由縁。
私がこの幻想から現実に帰るまではこの胸の中にしまっておこう。
今は、すぐに目を覚ますであろう幽々子と一緒にこの幻想を楽しむことにしよう――
どうでしたでしょうか? とうとうこの物語の始まりについての全てが語られました。幽々子の死とその父との関係、そして悠子と幽々子の運命的出会い、この物語の一つの終着点です。
まるで完結しそうな雰囲気ですが、まだ続きます。これからも東方悠幽抄をよろしくお願いします!
追記(12/1):所用で小説を書く時間がとれませんでしたので、今週はお休みさせていただきます。




