優しそうな老父人
朝会は傭兵団宿舎の大広間で行われる。
200を超える団員を抱える傭兵団だ。中もそれなり
に広い造りとなっている。二棟に別れた舎の間に一般
人も使用する公園があったり、ちゃんと厨房も備えら
れている。用途不明だが、客室もあるらしい。(入る
どころか何処にあるかもジークは知らない)
直で言おう。
絶賛遅刻中のジークにとってここの広さは命を削り
兼ねないものだった。
金色の髪をなびかせ、彼は今大広間へ続く廊下を全
力ランニングである。
「何でこの宿舎は無駄に広いんだよッ!!」
「お前が寝坊さえしなければこんなことにはならな
かったって。少しは反省したらどうだ!?」
後ろを走るシモンがあ、そうだと続けた。
「朝会終わったら、団長室に来いだってさ。」
「用件は?」
さぁ、とシモンは走りながらお手上げのポーズ。相
変わらず器用なものだ。
一体何なのだろう。時間に厳しい団長とは言え、よ
っぽどのことがない限り、後々呼び出してくどくど説
教する人間ではないことは既に知っている。もしかす
ると何かしら別の用事があるのかもしれないが、自身
に思い当たる節は全くない。
「……ホントに何も言ってなかったのかよ?」
「ない。あれ?やらかしたことがあったんじゃない
の?」
何かしたこと前提だし。気にせずうーん、と考え込
むジーク。そう言われれば、以前団長の大切にしてい
た双剣を許可なく振り回した覚えはある。でもあれは
見つかった後ぐうの音が出ない程絞られて、1ヶ月間
のトイレ掃除で解決したはず。もしかして、もっと
前向きな内容なんじゃないか?賞でも貰えるとか。
……遅刻魔のどこを誉めればいいんだよ。そうなっ
たらやっぱり堪忍袋の緒が切れて呼び出し……ってこ
と、だよな。うん、それしか考えられない。
「だぁーッ!!行きたくねー!!」
「ガキかおま──って、ジーク前見ろ、前!!」
物思いにふけっていたせいか、ジークはシモンの静
止の声に気が付かなかった。
「え?」前を見たときにはもう遅い。目と鼻の先に
は床に目をやりシンキングポーズをとってこちらへ歩
いてくる人物がいたのだ。必死に止まろうとしたが、
「うわっ!?」
「!!」
努力空しく、次の瞬間2人は事故を起こした。相手
は数歩後ろによろめき、ジークは尻餅をつく。
後ろからシモンが駆け寄り、情けないとでも言いた
げに溜め息をついた。
「 だから前見ろって言ったろ?」
もっと先に言ってくれ。喉まで出掛かったが、自分
が色々と考え込み、彼の言葉を流していたことを思い
だしやめた。その代わりに不満顔を向ける。
「大丈夫ですか?」
手をジークに差し伸べ、ぶつかった相手はにっこり
笑った。
後ろへ流れる白髪に数本混じる黒い色。
黄色のリボンで束ねられた同色の長い顎髭。
優しそうな翡翠の目線。
ジークがぶつかったのは、60代半ほどの老父だっ
た。
「わざわざありがとうございます。」
年配者に手を借りるのは心痛いが、人の厚意は無駄
にするものではない。
ジークは彼の助けを借り、立ち上がった。
「ぶつかったのに助けてまでもらって……すいませ
んでした。」
無理矢理シモンがジークの頭を掴み、共に下げる。
その様子を見て老父は「いえいえ、私の注意も足り
ませんでした。ここはお互い様です。」と2人に頭を
あげるように促した。なんていい人なんだ。
2人は言葉にならうことにした。
しかし、と老父は興味ありげに2人を見比べる。
「その服を着ているということは……お二人は傭兵
団の方ですかな?」
傭兵団の平均年齢は30代。2人はまだ25にも達して
いない。群を抜いて若いのだ。
「はい。俺なんかまだみんなの足元にも及んでませ
ん。……特に剣術なんか初心者と一緒で」
シモンは照れ臭そうに頭を掻いた。ジークは彼等に
聞こえないように舌打ちをする。よく言うよ。
シモンの家は、傭兵団──いや、階級が1つ上の王
宮直属の戦闘部隊『近衛騎士団』でも名の知れた剣の
名家である。
もちろんその実力は実践経験の多い傭兵団の中でも
トップクラスだ。しかもとんだお人好しときているの
で、仲間の信頼度・上司の評価も高い。
……余談だが、顔付きもいいので女性からの人気も
すごいことになっている。一緒に町を歩くと、女の人
の目線が、隣人へ向いているのがよく分かるのでモテ
ない自分としては正直苦痛だ。
「傭兵団のエースがよく言うよ。」
「だけど、俺の剣にもまだダメなとこあるし。」
そんなことをさらっと言えるものだから羨ましい。
「そんなこと言うあなたも、剣は扱うことが出来る
でしょう?」
老父はジークに問いかけた。
「俺はホントに剣弱くて。1回も演習で勝ったこと
無いです。」
これは、正真正銘の事実だ。なのに自分で言ってて
恥ずかしいのは何でだろう。
しかし、老父は笑って返答した。
「見たところ、あなたはまだ未成年ですよね?」
ジークは17歳である。酒を飲んだことも、煙管を
くわえたこともない。
「若い者の可能性は計り知れない。今のうちから自
分を制限していては伸びるものも伸びません。自信を
持ちなさい。」
見れば、シモンも首を縦に振っている。
「ありがとうございます。」
涙が出るかと思った。本当に出そうだったので、頭
を深く下げてそれを誤魔化す。
何か引っ掛かるようなものがあったような気もする
が、気のせいだろうか。
「しかし、生い先長い若者が急ぐなど、一体何があ
ったのです?」
「「……あ。」」
気のせいじゃなかった。しまった。すっかり遅刻し
ていることを忘れていた。
「どうやら、急用のようですね。」
顔色の変化が分かったのか、老父は
「私も用があるので、ここで失礼させて頂きます。
お二人の健闘を祈りますよ。」
と去って行った。
残されたはその2人と言えば。
「(団長に)殺される────ッッッ!!!!」と全力ダッ
シュの再開だ。同じ全力なのに、前よりかスピードア
ップしてる気がする。
「でもさっきの人、いい人だったよな。」
ポツリとジークが漏らすと、
「ホントだよ。今回はジークのちっささに感謝だな
。
じゃないと、吹っ飛ばしてたかもしんないし。」
「……。」
人のコンプレックス言うなよ。そして、俺よりちっ
さい男を敵に回してるぞ。悪意が含まれてないってこ
とがまたタチが悪い。
ちなみに、ジークはギリギリ169㎝、シモンは170
後半である。シモンが高すぎるのだ。
ジークは走るのに集中することにした。
「だけど、あの人どっかで……」
もちろん、シモンの何気ない声が自分に届くことは
なかった。