日常茶飯事。
私達は、共に生きていた。
そう、共に、だ。
だが、いつからか彼らは私達を苦しめる存在となっていた。
なので、私は。
───ここに、彼らを封じ込めたのだ。
アーロン・クレイル著『失われた旋律』
より抜粋
走った。
夜道をただひたすらに走った。
日が昇っている間はただの森の小道に過ぎないが、空にあるものが月に代わると、ここは全く別の面を人々に見せつける。
風で木の葉がかすれる音、梟の音さえ、この時の自分にとっては恐ろしいものでしかなかった。
怖い。
後ろに誰かいるんじゃないか。振り向き確かめようとする心を押し殺し、前すらよく見えない小道を無我夢中に駆け抜けた。
どれくらい走ったのだろうか。
気が付けば、膝に手を付き額からポタポタと滴る汗を、荒い息で見守っていた。
深呼吸をした後、今まで自分が走ってきた道を振り返る。
何だ、どうってことないじゃないか。
と、安堵できたのは一瞬だった。
……何か聞こえる?
耳をすませば確かにパチパチ、と音がする。
これは……木が燃える音だ。
自分の周りからではない。
もっと遠く、規模が大きい。
「まさか……」悪寒に近い衝動が自分の背を伝い、汗が飛び散るスピードで森の向こうを見た。
見上げた空が、赤かった。
町が燃えていると気付くのに、さほど時間はかからなかった。
それを防ぐために自分は走ってきたのに。
結局は無駄な行動だった。
嘘だ。
必死に頭に浮かぶ光景を否定する。
炎の中を逃げ惑う人々。窓から吹き上がる火の手。
子供を庇って火に包まれる母親。
嘘だ嘘だ。
だが、何も変わらない。
森の向こうから、避難を促す鐘の音が聞こえる。時刻は深夜。さて、どれぐらいの人が気付くだろうか。
嘘だ嘘だ嘘だ。
自警団の消火活動も虚しく、火は止まることを知らず、大きくなるばかりだ。
嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ。
何か熱いものが頬を流れていく。汗か何かだろうか。今はそれを拭う体力もない。
嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ。
冷静にかつ残酷に、現実は否定した。これらは嘘でも何でもない、と。
──ホントに、町が燃えてる?
膝から力が抜け、ドサリとその場に崩れ落ちる。
寒くない。それなのに。
震えが、止まらない。
「うわぁぁぁぁぁぁああぁぁあ……」
☆ ☆ ☆
「──い、おい、ジーク!!起きろ!!」
「嘘だ……」
「嘘じゃないって!!取り敢えず起きろ!!」
「……?」
少年がうっすら目を開くと、見慣れた自室の天井が目に入った。どうやら、最近滅多にないことだが、夢を見ていたらしい。
……滅多にないわりに、ありがたくないものだったが。
自らの汗でぐっしょり濡れたベッドの横には、不機嫌そうに片眉を下げた青年が、自分を見下ろしている。
先刻、自分を起こした人物だ。
「シモン、はよ。」
片手を挙げ、清々しい朝の御挨拶。だが、それを返すシモンの顔は険しかった。
「律儀に朝の挨拶してる場合か!!朝会始まってるって!!」
「朝会?」
だー、まだスリープモードが抜けてない!!シモンは刈り込んだ黒い髪を掻き毟った。
「朝会だよ、朝会!!傭兵団恒例の朝眠いアレ!!」
「……あぁ、『朝会』ね」
面倒なことを思い出し、一気に朝の爽やかな空気が吹き飛ぶ。あの夢といい、一体何なんだよ。
「何と勘違いしてんだか……。3日連続だ、って団長カンカンだぞ。」
あぁ……と上の空の返事を返すジークに、シモンは、
「どうした?朝からテンション低いぞ?」
「……久々に夢見てさ。」
「へぇ。夢がどうしたんだよ。」
「それがあんまり思い出したくない内容だっただけだって。」
「ほー。ジークみたいな能天気にも苦い過去ってもんがあるんだな。」
「『お前みたいな』は余計だろ!?」
悪い悪い、とおどけて笑うシモン。一応、心配はしてくれたらしい。で、とジークは続けた。
「お前こそ、何の用?」
特に焦った風もなく、シモンは述べた。
「団長ブチギレ寸前だった。」
「大変だな~。一体誰なんだろ、団長をそこまで怒らせたの。何するか分かったもんじゃないってのにさ。」
「前は卍固め……だっけ?」
「その前はヘッドロックだぞ?間違いなく死ぬっての。んで、誰が新たな犠牲者になるんだ?」
「お前。」シモンは人差し指でジークを指した。
周りを見渡した後、ジークは親指を自らに向けた。 「……もしかして、俺?」
「以外に誰がいるって?」溜め息混じりの彼の一言は、ジークを冷酷な現実に引き戻すためには十分だった。
「朝会に遅れること3回、いくらなんでも連続はないだろ。せっかく団長の指名で起こしに来たのに、揺らしても蹴っても、叩いても起きないわ。これ以上雷を受けるのに相応しい人物はいないだろ。」
ジークの悪行をベラベラと話すシモン。生唾を飲み込み、恐る恐る(自分で確かめればいいものの)彼に尋ねる。
「シモン……今、何時?」
回答者は部屋の時計に視線を移動させた。彼にならい、ジークもそれを見る。「えーと……8時53分」
「……朝会が、始まるのは?」
「8時30分。」
ジークの頭に、団長が長剣を自分に掲げニコニコ笑うイメージ図が浮かんだ。彼は「時間厳守」をモットーに生きる人間であり、前述の通り、本気でキレたら何をするか分からない。
なので、同僚の間では『朝会に遅れる=団長に殺される』の方程式が囁かれている。連続など、言語道断だ。
場合によっては、簡単には死なせない……そう、生き埋めなどの可能性もありえる。
「……ジーク、頑張れよ」
ポンポンと肩を叩くシモン。焦った様子もないって、他人事だったって訳かよ!!確かに、こんなことしている場合じゃない。
ジークはベッドから弾丸の勢いで飛び出ると、そそくさと支度を始めた。
見ての通り、この作品はフィクションです。
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