第一話 ハングリー・ベイビーボーイその⑤
始まりはケンゴのから揚げか…。それまでは何も無かった。今は懐かしき普通の日々があった。少なくとも、オレが知覚でき始めたのがあのから揚げだった、と考えてOK?(OK!)
そこから怒涛の「食べ物気になる病」の始まりだ。
んー…。改めて考えてみると、本気で悩むようなことか?分からなくなる。………いや…いやいやいや!悩むべき!実際今日だって大変だったではないか。…だが、深刻なものとも思えない。だって食べ物見てなければ何もないし、見たとしても妙に気になるだけだ。呼吸ができなくなるでも、アレルギー症状が出るわけでもない。
こうなると、家が定食屋ってのがネックになる。食べ物を出すことを商売としてるからな、見ないわけにはいかない。普通の家だったら朝飯、晩飯くらいを我慢すりゃ良いだけで済みそうだもんな。ずっと手伝い休んでたら、さすがに怪しまれるだろうし…。
うーん。ストレスから来る…アレか?病気か?神経科にお世話になるような。
…いいや!病気なんかじゃない!これは!嫌な感じで追い詰められてるんじゃないし。
そうなると、これは自分だけで解決するしかない。
いや、でも、どうやって解決すりゃいいんだ?
オレはベンチにほとんど寝転がるような姿勢となる。腕を組み、ずずず、と背中を滑らせる。何故こうなったのかってのも分からないしな…。
オレは一時間くらいそのままで考えた。そして、一つの方法を思いついた。
それは「食べ物に目を背けず、ちゃんと向き合おう」という、強引なものだった。これまでオレは食べ物を見れば妙に気になり、すぐに目を逸らした。ほら、好きな子とかと目が合うと目逸らしちゃうだろ?あれと同じだよ。今日だってオレ、自分の弁当目瞑って食べたんだから。「そ、そんな見つめんなよ…。照れんだろが」ってね。…空しい。
っと、空しい妄想話はそこら辺に捨てて、と。オレはベンチから立ち上がり、背筋をいっぱいに伸ばした。周囲をキョロキョロと見回す。
え?なにを探してるか?そりゃ、食べ物だよ。けど、公園では何も売ってないし、食べてる人間もいない。しょうがないので少し歩いた所にあるスーパーマーケットに行くことにした。商店街には色々と知り合いがいるんでね。変な噂が立ったら大変だろ。
スーパーに到着。自動ドアを抜け、中に入る。時刻は夜七時を回ったところだが、意外に人は多くいた。これから家路につくようなOL風の女の人や、明らかに一人暮らしと分かるおじさん、大学生くらいのカップル…。駅前以上に色んな人間がいるもんだ。商店街にも来てよね。オレは心の中でそう願う。
さてと。野菜、魚介、お肉、どこから攻めるかな。なんとなく辺りを見回してみる。「お」緑黄色発見。入り口から一番近いのは新鮮野菜コーナーだった。カゴも持たずそちらに向かう。途中、まだエプロン姿なのに気付き慌てて脱ぐ。ぐるぐると丸め、脇に抱える。
まず目に付いたのはいっぱいに詰まれたキャベツ。一個まるごとのやつもあれば半分に切られたのもある。千切りではいつもお世話になってます。
感謝の気持ちはあるものの、やはり、妙な気分。少し前までは目を逸らしていたが、決意していたオレはそのままじっと見つめた。ああ…なんかむずむずする。
目を逸らしたい衝動を必死に抑え、薄緑の丸く太ったキャベツを見る。見るのは一個だけだ。一人の人間を見るように、一個だけを見つめる。
すると、だんだん変な感覚は消えていった。やはりこの治療方法は間違ってなかったみたいだ。安堵しかけたとき、あることが頭の中に弾けた。
このキャベツはまだ食べられる。
「え?」
オレはキャベツを手に持つ。ふんわりとしたような、ずっしりしたような、確かな質量を感じさせる重さ。
分かる…。このキャベツはまだ食べられる。売られてるんだから当たり前だろと思われるかもしれないが、オレはそれが直感で分かったんだ。そこでまたピンと来る。学校でのケンゴのチキン南蛮…。あのときもオレは、あのチキン南蛮がまだ食べられると分かった。いや、食べても大丈夫だと…。
ん?あれ、ちょ、ちょっと待って…。なん、か…なんか正解に近づいてきたよう感じがする。持っているキャベツを元の場所に戻し、別のキャベツを手に取る。
このキャベツも食べられる。
食べられる…。られる…。だとしたら…!
確信めいた思いの中、オレは次々とキャベツを手に取っていく。
そして…見つけた。このキャベツ、いや、このフロアにある野菜は全て今朝仕入れたものだろうか。朝は新鮮そのものだったろう。もしかしたら夕方また、新しく仕入れた物と交換したかもしれない。だが、どちらにしたって関係ない。野菜も人間も同じだ。よく出来た人間と、どこかに欠陥を持つ人間。人それぞれに個性があるように、全部が同じ人間なんているはずない。千差万別、十人十色。
今手に持ってるキャベツ…。このキャベツは
食べられない。
どこかが痛んでるような所も無いが、これも直感で分かる。明確に分かる。次は袋に入れられたジャガイモを見る。同様に、食べられるジャガイモと食べられないジャガイモ、その二つを感じた。
小さく興奮していた。もう、野菜を見ても平気だった。だが、まだ終わるわけにはいかない。次にオレは鮮魚コーナーに向かった。
やはりというか、なんというか。海から揚がったままの状態であろうと、切り身であろうと、それらは二つに分けられた。
食べられるものと、食べられないもの。もちろん外面に違いはない。感覚だった。
バカらしいと思うかい?確かにな。オレもそう思うよ。でも、自分が思ったこと、確信したことってなかなか否定できないもんだよ。
そんな調子で魚を見回し、最後に肉を見回した。牛肉、鶏肉、豚肉…。結果は同じ。食べられる、られない。
テンションが上がりきっていた。今まで病気だと思っていたこれは、もしかするととっても素敵なものなのかもしれない!
ルンルン気分でスーパーを出ようとするオレ。と、そこでお菓子コーナーが気になった。急転換し、お菓子のスナックコーナーへ。
大量のポテトチップスの袋の前に立つ。お菓子だって食べ物だ。だが、オレは何も思わなかった…というか、分からなかった。このポテチは食べられるのか、食べられないのか。
けど、ま、これは問題ねーか。オレは一つを手に取り、裏側を向ける。
賞味期限・2010・12・2
そう書いてる。
袋を戻す。
…やっべえな。分かるかなあ?オレの今のこの感じ。
早足で出口に向かう。自動ドアが開く。夜の街に出ると、そのまま商店街に駆けていく。
最高に、ハイってやつさ!