第二話 ザ・ヘアーその②
「なあ!抜けるんだよ!毛が、抜けるんだよ!」
「なあ!なんでだよ!抜けるんだよ!毛だよ!」
「なあなあなあ!」
「うるっせ――――!いつまでも毛毛毛毛……お前はハゲんのを気にするどこぞの中年親父か!」
ケンゴのしつこい、というかくそうざい心配事にいい加減付き合いきれなくなったオレは大声で怒鳴った。朝から帰りのホームルームまでずっとそれだ。この無益な心配事も、すぐに気にならなくなるだろうと決め込んでいたが、時間が経つ毎にケンゴのそれは強まっているようだった。こいつにとって、「毛が抜ける」という現実は何よりも恐ろしいことらしい。
「お前は毛が抜けねーからそんなこと言えるんだ!常にだぞ?常に抜けるこの状況だぞ?」暑苦しい顔が、もっと暑苦しくなっている。
「ああ、分からないね!オレはお前みたいに毛は抜けませんから~!」嫌味たっぷりにそう言ってオレは自分の頭髪を引っ張った。無論一本も抜けない。
「うああ!シンヤ、どうにかしてくれ!」右斜めに位置するシンヤへ救いを求める。
シンヤは苦笑いを浮かべ、ケンゴへの対応に戸惑っていた。「どうにかしろ、つってもな……」
「……そうか。もう誰にも止められないんだな……。このハゲ進行を……」死んだ笑みを浮かべてケンゴが言う。
「かっこよくSFっぽく言ってんじゃねえよ」オレはアホらしくてため息を吐く。
「けど、ケンゴんとこの親父さんてハゲてねえよな?なら大丈夫じゃないか?」シンヤがふと気付いたように言い、打ちひしがれるケンゴをフォローする。
言われてみれば確かに。ケンゴのとこの親父さんはハゲてはいない。つっても、ほとんど坊主頭だからあんま分からないけど。それでも毛が無い部分てのは見当たらないから、ハゲてはいないのだろう。ハゲとか頭が薄くなるっていうのは遺伝的なものも関係してるらしいし、シンヤの言ったことはあながち間違ってないかもな。
「じゃあオレが始まりだよ……。オレからこのハゲの呪いは始まるんだ!オレが元祖だよ!始祖だよ!スマン、オレの息子、孫……!お前らには修羅の道が待っている!」
「……何を言っても無駄みたいだな、シンヤ」
シンヤは大げさに肩をすくめてみせ、オレはケンゴの頭頂部を見下ろした。
放課後。帰り道。いつものようにケンゴと下校する。シンヤは今日も卓球部だ。
「育毛剤ってどこのが良いのかな?いや、それよりシャンプーとかも変えて……」
まだ言ってる。本当にめんどくさい奴。
「どこまで気にしてんだ。髪の毛なんてな、いつか抜けるんだよ。ハゲるって意味じゃないぜ?オレだってシンヤだって、誰だって毎日抜けてるんだよ。お前、犬とか触ったことあるか?あいつら尋常じゃないくらいに毛抜けてんだぞ?夏が近づいてきたらもっと抜ける。それだよ、お前は今髪の毛が抜けやすい時期なんだよ」
何でこいつを元気付けてやらなきゃならんのだ。それに、ケンゴは髪の毛が長い訳じゃない。黒いベリーショートだ。普段はちゃんとセットしてきているが、今日はしてない。さすがにそれはできないか。もしくはしようとしてあまりに脱毛するから諦めたのかも。どちらにしたって、ちょっとの毛が抜けたところであまり変わらないし、誰も気付かない。……っていうか、友達思いのオレって女の子の好感度アップ?もしかして?
「ちょっとマジでさ。オレ美容院とか行って聞いてみる!」
そう言ってケンゴは走って先へ行ってしまった。
……どうやら、オレの話なんて聞いてなかったみたい。何だか肩から一気に力が抜けた気がした。同時にスクールバッグがずり下がる。小さくなっていくケンゴの背中と巨体を見送りながら、オレはだらだらと商店街を歩いていった。
夜。店の手伝いが終わり、少しの間部屋でごろごろした後オレは風呂に入った。今日はやけに湯船が気持ち良く感じ、疲れが全部体外に染み出していくようだった。鼻歌まじりに髪の毛を洗う。そのとき今日のケンゴの諸々の発言を思い出し、泡だらけの両手を見てみた。数本、白い泡の中に細い、線があった。それをまじまじとみつめてみる。……だよな。人間何本か抜けるよ。まあ、オレはデリケートに洗髪とかしてるし髪にダメージが残るようなこと一切してないから、心配ないけどな。
ふん、と鼻で笑い、オレはシャワーで丁寧に泡を洗い流した。
風呂上り、部屋でごろごろするのってのはなかなかに気持ち良い……とか思うオレは早くもおっさんか?でも事実なんだから仕方ないよな。
まだ濡れた髪の毛を、タオルで乱暴に乱しながら何をしようか考えた。中間テストまでにはまだまだ時間があるが……。勉強でもするか。
筆記用具、教科書、ノート、参考書をガラステーブルの上に並べる。時間は夜十時。
――十分後。オレは寝転がって読みかけのライトノベルを読んでいた。え?いいじゃん、十分やったんだからさ。さすがに五分じゃオレも止めるに止めれないけど……。あ、少し前の文章……『十分やったんだから』ってとこ、『じゅうぶん』やったっても読めるな。だから何だって話だが、こういうとこが面白いよな文字っつうか、日本語ってさ。
で、オレが今読んでるライトノベルなんだけど……。っと、何を読んでいるかって話の前にちょっと話させてくれ。
前にも言ったが、オレの趣味は読書だ。もしこれを読んでるあんたの趣味も読書だとして、その「読書」という趣味を「地味だよな」「ありきたり」「趣味は読書って言ったら、つまらない奴って思われそう」……なんて思ってるとしたら、それは大きな間違いだ。いや、「読書」が趣味だと言ってあんた以外の誰かがどう思うかは知らないが、どう思われようと、あんたの「読書」という趣味を、他人の意見どうこうで曲げる必要は一切無いんだ。
確かに、趣味は「スポーツ」だとか「音楽」とか言った方がかっこいい。でも、「読書」だってそれに負けないくらいかっこ良くて、素晴らしいものなんだぜ?そうだろう?一回でも小説だとかに夢中になった人間なら分かるはずだよ。本を「読む」ことでしか得られない「スリル」や「感動」があることをさ。本当に面白い本を見つけた時のあの高揚感、わくわくどきどきしてページをめくる手が止まらなくなったり、早く続きが読みたい!と思うと同時に、終盤が近づくにつれて、もう少しでこの楽しみともお別れか……っていう親友と別れてしまうかのような悲しさ。でも、また新しい本と出会えるっていう高まる期待感。どれも「読書」でしか手に入れられない感情だ。だから、堂々と「趣味は読書!」って言ってやればいいんだよ。それに、「読書」したら単純に頭も良くなるんだよ?ま、それにはちゃんと物語に入って、自分自身で考えられるようにならないと駄目だし、分からないことがあったら自分で調べてみるって「好奇心」が必要だけどな。
オレが何でこんなことを言うか。それは、今オレが読んでる本が「ライトノベル」だからだ。これを読んでる皆の中にも「小説は読むけど、ライトノベルは読まないな」って人はいるんじゃないか?悲しいことにライトノベルってのは世間一般には「イラスト多めで幼稚な読み物」とか、「オタクっぽいから」とかいった理由で読まれなかったり、敬遠されがちだと思うんだ。もちろんこれはオレの意見だから、皆が、そして、皆の周りがどう思っているかは分からないよ?ライトノベルファンには批判されそうだな。勘違いしてほしくないのは、オレはライトノベルが好きだってこと。今読んでいるのがライトノベルなんだから分かるよな?これも前にも言ったけど、オレの読書のジャンル範囲は広い。本格推理モノからライトノベルまで色々と読む。その方が面白いし、たくさん読めるもんな。
分かってほしいのは、ライトノベルだからと言って、そこで止まってほしくないんだ。だって、それって、すっげーもったいないよ?最近のライトノベルって馬鹿にならないくらい面白いんだから。まあ……最近ライトノベルが原作のアニメが増えていることは、あまり好ましくは思わないな。原作ファンの人がどう思ってるかは知らないけどね。
長くなったね。もっと言いたいことがあるんだけど、それはまたな。今度は「本は紙媒体で読むか?電子書籍で読むか?」って話でもしようか。
さて、と。本当に長くなった。文系少年サクトの誕生かな。
それで、オレが今何というライトノベルを読んでいるか、だったな。当ててみる?当てたらすごいよ。それで何があるわけでもないけど。
オレが今読んでいるのは『ココロコネクト~ヒトランダム~』ってラノベ。ファミ通文庫から出てるんだけど……。知ってる人いたかな。
オレは別のクラスの友達から薦められて知った本なんだけど。「何か面白いラノベない?」って訊いてさ(ここで既に十巻以上出てるラノベ薦められても、オレはあまり読む気になれない。さっき言ったことと矛盾してるかもしれないけど、何を読むか最後に選ぶのは自分なんだから別に良いよな)、数本出されたタイトルの一つだったんだ。その友人曰く「胸がきゅんきゅんした!」だってさ。かわいい表現だよな「きゅんきゅん」って。
『ココロコネクト』の簡単な内容は、「人格入れ替わりモノ」だ。五人の、同じ高校に通う、同じ部の男女の人格が何の前触れも無く入れ替わっちゃうってやつ。ありきたりだなって思ったよ。人格入れ替わりモノなんて、それこそって感じじゃん?
……甘かった。これを読み進める内にオレはもう、うるうるしっぱなしで、にやにやしっぱなしだった。もちろん胸は「きゅんきゅん」したよ。人格入れ替わりモノ定番の(特に男女間での)お約束、女の子のアレをアレするってシーンはもちろん。女の子に、男のアソコを蹴られたときの痛みを理解させる、一種のお笑い暴力シーンもあって面白い。それに色々考えさせられるんだ。人格が入れ替わって、それまでどおりに友達と接することができるのか、とか、今まで隠してきた秘密が一気に表に出たりしてこれまで築いてきた友情は保てるのか……ってさ。文章も丁寧で(作家さんはまだ二十代前半も前半!新人さんかな)読みやすい。で、イラストも良いんだ。「白身魚」さんっていうイラストレーターなんだけど……、「けいおん!」ってアニメ知ってる?それのキャラデザしてる人なんだ(友人曰く)。だから絵は本当に「けいおん!」にしか見えない。「けいおん!」好きな人はにやけちゃうかもな。
で、今これを読んでるオレはもう……にやにやと、それはもうにやにやと、しっぱなしだった。たまんないよ。気になる人は是非読んでみてくれ。
その時、その辺に放っておいたケータイが音を鳴らしてブルブルと震えた。電話の着信音だった。ディスプレイを見ると、ケンゴからだった。時刻はもうすぐで十一時。何の用事だろうか。オレはフラップを上げ、通話ボタンを押しケータイを耳に当てた。
「もしもし」
「サク。今から外出れるか?」
それを聞いて、一瞬オレの眉根が寄る。今から、外に?
「出れるけど……何だよ?何か用事か?」
「それは後で話すよ。じゃあ今から駅前の噴水公園な」
そこまで言って、ケンゴの方が電話を切った。
何だか気持ち悪いな。ケンゴの声は真剣なものだったし、そんなのはあいつにしてみればとても珍しい。
どのような格好で行こうか迷ったが、夜中ということもあって、オレはそのままTシャツに下はスウェット、ケータイと財布を持って外に出た。親にはコンビニに行ってくると嘘を吐く。
外に出て、アーケードをゆっくりと歩いていく。待ってるのはケンゴなんだし、時間かけてもいいだろ。季節を選ばず、夜中に散歩をするのはすごく気持ち良いよな。高校生だからあんま深い時間に出歩けないけど。
ようやく公園に到着する。この時間帯になると外灯が点き公園もところどころ明るい。噴水は止まってるけどな。噴水前のベンチに上下ともジャージのケンゴを確認する。周囲にはオレ達以外誰もいない。
「よう」オレを見つけてケンゴが声をかけてくる。
「うぃーす」軽く手を上げ、ケンゴの隣に座る。
オレは正面を向いたまま「で?」と、疲れた声で訊ねた。
「ああ」
ケンゴも正面を向いたまま声を出す。「実はな……」
「オレ、好きな子できたんだ!」
そういうこと告白されたら良かったのにな。
ケンゴの口から出た言葉は、そんなかわいいものではなかった。
「実はな……オレな」
毛が抜ける、とか言うかぶせボケに注意し、ツッコミの用意をしておく。
「超能力使えるようになったんだよ!」
ばっとオレに顔を近づけ、ケンゴがそう言った。「……は?」つっこむにも、想定していたボケと違い過ぎ、固まってしまう。
超能力が使える?なんか……そういうの、ちょっと前にもあったよな。ゴールデンウィーク前にさ。
……それがオレだったんだけど。