ほんわか令嬢、優しくはない
伯爵令嬢のフローラは、いつもほんわかしていた。
小さな背丈にふわふわのドレス。亜麻色の髪は柔らかに、ピンククオーツの瞳はとろりと下がっていた。花がほころぶように笑い、鈴の音のようにコロコロとした声だった。
常に穏やかな微笑を浮かべて、おっとりとしていた。
「お聞きになりまして? 外国語の先生ったら、生徒のお母様と不貞をされて、懲戒免職になったのですって!」
なんて噂話を聞いても、
「まぁ……!」
の一言だけだった。そのくらいほんわかしていた。
さてはて、そんな彼女にも婚約者がいた。同じく伯爵家のウィリアム殿である。顔よし頭よし家柄よしで、お互いにとって申し分のない相手だった。大抵の人は円満な美男美女カップルだと思うだろう。
……しかし、あまりいい噂は聞かない。
「フローラ、君との婚約を破棄する!」
卒業も間近となってきた日の、ランチタイムのこと。学園のカフェテリアにウィリアム殿の声が響いた。周囲には人が集まってきて、フローラはケーキの乗ったトレーを持ったまま固まる。
「君は、イザベラ様のいじめに加担し、リリー嬢を虐げていた! そんな人に伯爵夫人を任せることなどできない!」
というのも、つい先日の舞踏会で、侯爵令嬢イザベラ様によるいじめが発覚した。身の程知らずな男爵令嬢に少々お灸をすえただけの話だったのだが、王太子殿下と懇意にしていたらしく事が大きくなってしまい、現在社交界の話題はそれで持ちきりだ。
「これが証拠だ!」
ウィリアム殿は、証拠の書かれた羊皮紙を広げた。
「まぁ」
……が、それはそれはとても杜撰なものであった。羊皮紙の無駄遣いと思えるほどに。
やれ、いじめに加担していた令嬢と話しただの、いじめに参加するために王家主催の夜会に参加しただの。妄想のオンパレード。もはやこじつけと言ってもいいレベルである。
「伯爵家にもすでに婚約破棄の書類を送らせていただいた」
恋に盲目ではないギャラリーは、可憐で優しいフローラがそんなことするわけがないとわかっていた。……黙って、冷めた目でウィリアム殿をみていた。
その静けさの中で、フローラだけがにこりと笑う。
「ウィリアム様は恋に茹っておられますのね」
恋は人を馬鹿にするとはよく言ったものだ。先人たちは正しい。
人々は目を見開き、ウィリアム殿は閉口した。
「ご年配の方の魅力に夢中になっていらっしゃるのでしたら、老人院を訪れてみるのはいかがでしょうか?」
フローラは知っていた。
彼は年上の未亡人……教師に恋し、一人で勝手に盛り上がっていた。彼の好みはどこか色気のある年上だった。……まさか、婚約破棄をしてくるほど馬鹿になっているとは思わなかったけれど。
フローラはほんわかしているが、気弱ではなく、また馬鹿でもなかった。ほんわかに包んではいるが、とても口が悪かった。
「誠意ある埋め合わせをお待ちしておりますわ」
まるで女神のような柔らかく可憐な声だが、意訳すると、慰謝料くらい寄越すんだろうな、である。
フローラは優雅にターンして席に着き、ケーキを食べ始めた。人にバレない速度でタバスコをたっぷりかけて。イメージ作りのためにいつも甘いものを頼んでいるが、実際は辛党だった。
……性癖を大暴露されたウィリアム殿は灰になった。
そんなこんなでフローラの腹の虫は治ったが、親もそうとは限らない。その日の晩の執務室にて、婚約破棄の書類を握りしめて激怒していた。
「この能無しが!」
貧乏性で金と権力が何より好きな伯爵は、額に青筋を立て、フローラを罵倒する。大勢の前で不当な理由で婚約破棄された娘を気遣う言葉などない。
「申し訳ありませんお父様。私がお父様に似てしまったがばかりに……」
私が能無しならお前も能無しだ、ドアホ、という意味合いだ。フローラもそんな気遣う言葉など欲しがっていない。頬に手を当て、周りに花が飛んでいる幻覚が見えるほど柔らかに言い返した。
「なっ、貴様っ!」
思わずフローラを殴ろうとした伯爵だったが、あまりのほんわか度に振り上げた拳は行き場をなくした。いくら腹を立ててもか弱いウサギを殴ることはしないだろう。同じことである。
「っお前なんて産まなきゃよかった!」
その様子を見ていた伯爵夫人は、髪を振り乱し、ヒステリックに叫んだ。フローラは眉を下げ、曖昧に微笑む。
「お母様、そう熱くならないでください。お母様が夢見た結果が私ですよ?」
……フローラの母は元高級娼婦で、玉の輿を狙って伯爵の妾になった。フローラを武器に第三夫人から徐々に正妻と這い上がっていったのである。おかげでフローラは散々いい子振らされた。
伯爵夫人の顔は真っ赤になった。
「くっ……また屋根裏部屋に閉じ込められたいようだな!」
どう足掻いても勝てない伯爵は控えていた側近にフローラを連れて行くよう命じる。側近は慣れたように屋根裏部屋の鍵を受け取った。
「フンッ!」
負け犬の鼻息と共に晩餐室のドアが閉められると、しおらしい演技から一転、フローラは今日一番の満面の笑みで階段を登っていった。
「……では、フローラ様。いってらっしゃいませ」
「ええ! いつも毛布をありがとう」
屋根裏部屋は暗く、寒く、不気味な雰囲気だった。貧乏性は血筋なのか、何やらたくさんのものが置かれている。それこそ、昔使われていたであろう折檻の道具や曰くつきであろうヴィンテージの椅子など。
なのに、フローラは嬉々として奥へ向かっていった。
「お前は冷血伯のところに嫁がせることにした」
屋根裏部屋で三日を過ごしたフローラに、伯爵はそう告げた。
冷血伯……それはアーサー・フロスト辺境伯の異名だった。辺境伯領は異民族の襲撃の絶えない雪国で、血塗れた悪魔の地とされていた。侯爵に並ぶ地位を持つ辺境伯とはいえ、そんなところに娘を嫁にやる家などなかった。
「もう決まったことだからな、例え泣きついてきても無駄だぞ。親に口答えなどするから……」
「まぁっ! 本当ですか、お父様!」
ろくに子供を愛さず、趣味嗜好さえ知らない伯爵の敗北だ。
────フローラは悪趣味だった。
人が忌避感を覚える事に興味を持つタイプだった。呪いの手紙とかを人に回さずに、大事に取っておく気質だった。昔の拷問器具などをうっとりと見つめるのが好きだった。
……そのために、こっそり屋根裏部屋を改造するくらいには。
「お父様、ありがとうございます。すぐに準備いたしますわ」
伯爵は呆然と立っていることしかできなかった。
こうしてほんわか令嬢は冷血伯のところに嫁いでいった。
「お初にお目にかかります。不束者ではございますが、末長くよろしくお願いいたします」
深々とカーテシーをしたフローラが顔を上げる。
野生の獣のように鋭く、氷のように冷たい瞳の大男が、そこに立っていた。フロスト領の雪と同じ色をした銀髪は書き上げられ、頬の傷がよく見える。彼は、フローラが見上げなければならないほど大きく体格がよかった。何より、手に持つ剣には返り血がべっとりとついていた。
「……すまない、先ほど襲撃があったものでな」
大抵の令嬢ならここで失神するほどの恐ろしさだった。
「まぁ!」
が、フローラに常識は通用しない。まるで虹を見た時の子供のように目を輝かせたものだから、辺境伯は逆に目が点になった。
「は?」
屋敷には仕留めた獲物の剥製や敷物が山ほどあり、敵将の装飾品や猟奇的な絵画もたくさん飾られていた。恐ろしき当主と一見ホラーハウスにも思える屋敷に、フローラは歓喜した。
「君は一体なんなんだ。普通の令嬢なら、もう逃げ出しているところだぞ」
「旦那様は、逃げられたいのですか?」
「い、いや、そう言うわけではないが……」
フローラに微笑まれ、女性慣れしていない辺境伯はしどろもどろになる。ほんわかした顔の裏に、少々いけない方向の笑顔があることに気づかずに。
「私は逃げませんわ。だって、旦那様もここもとっても素敵ですもの」
調度品の一つ、特にえげつなくグロテスクな絵画の縁を、フローラはうっとりと、ため息を吐きながら摩る。
「ヒッ……」
辺境伯は絵を見て驚き、目をギュッと閉じた。そして何事もなかったかのように咳払いをする。視線をずらしながら。
「もしかして、こういったものが苦手なのですか?」
しかし、フローラは目ざとかった。
実のところ、辺境伯はそういったグロテスクだったりオカルト的なものは大の苦手だった。この家に生まれ、幾度もの戦を乗り越えてきた名将としてなんてことない振りをしているだけだった。休みの日には自分が屠った者を思って教会で祈り、午後はぬいぐるみやレースなど可愛いものだらけの自室で、ハーブティー片手に詩集を読むのが趣味だった。
「そ、その……」
「私は、大好きなんです」
「っう!」
フローラは可愛い人をいじめるのも好きだった。つまり、辺境伯はフローラのドタイプだった。
辺境伯は可愛いフローラに弱かった。昔一度だけ出た王家の舞踏会で一目ぼれしていた。だから、こんな自分の嫁になんてならず、幸せになってほしいと願っていたし、そのための準備もしていた。
この正反対な夫婦、案外上手くいった。フローラが蛮族の長に一目惚れされ誘拐された時は、辺境伯がすぐに助け、どうしても出席しなければならなかった王家主催のパーティーでは、相変わらず口の悪いフローラが汚名返上をした。
「ただいま……ん? 人形なんて珍しいな」
「おかえりなさいませ、旦那様。この間、行商の方からいただいた呪いの……」
「くぁwせdrftgyふじこlp」
今日も辺境伯邸には悲鳴が響き渡る。
顔を真っ青にした辺境伯を見て、恍惚とするフローラ。
ほんわか令嬢、優しくはない。
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