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4節 『ハワイにて』

 ハワイ準州に辿り着いた五十人の船員たちは、まず、州都ホノルルにあるハワイ大学本部に集められた。出立前の、最終会議である。


 普段ならばオアフ島の学生たちがひしめき合う講堂で、今は三十を超える国から来た専門家たちが顔を突き合わせている。

 千代子とロットナーは左手前方の席に並んで座った。


 程なくして調査団長補佐のカーレッドが教壇に立ち、恭しく挨拶を述べる。


 それから、行うべき任務についての説明と事前情報の確認が始まった。


 しかし、千代子がちらりと後ろを伺えば、真摯に耳を傾けているのは精々が全体の半分ほどであった。

 残りは気ままに資料をめくったり、隣の人間に文の意味を尋ねていたり、果ては腕を組んで目を閉じて、起きているのかすら怪しかったりするような有様である。


「共通語がない船員も多そうだ。面倒だな」


 ロットナーを挟んだ向こうから、スタンレイが髭を弾いて呟いた。


 実際のところ、射撃や船舶操作など技能を買われて参加している船員には英語を話せない者も少なくない。

 資料には訳文が載せられているから、それさえ理解していればよいのだろう。


 カーレッドもそれを分かっているのか、彼らの態度を咎めることもなく、会議は研究者たちに向けて淡々と進められた。


 目的地(島はゴールデン・フリースと名づけられた)は、ハワイから北に一〇八〇シー・マイル、緯度は三十九度付近と想定されている。


 対する調査船『サンダル号』の速度は十ノット。理論上は四日で走破できるスペックだが、天候や海流などを考慮し、島までは一週間の航海を予定している。このため食料と燃料は往復分に予備を足し、合わせて三週間分が積み込まれる。


 近海にはアメリカ軍艦二隻を沈めた何らかの地理的要因があると考えられ、変則的な岩礁地帯、急激な潮流の変化などに警戒が必要である。

 ある程度島に寄せた段階で船は留め、班ごとにボートで岸を目指す手筈だ。


 ゴールデン・フリース上陸後は拠点を設置し、順次、班単位での調査活動を開始する。

 このとき基本的に、船員の単独行動、並びに独断による他班への同行は禁止される。


「調査中、非協調的な言動は船員同士の対立を扇動すると判断され、報酬減額や一時拘束など罰則(ペナルティ)の対象となり得ます」


 カーレッドの発言にはっきりと異論を唱える者はいなかったが、一部の人間────特に軍人出の船員からは緊張した空気が漂っていた。


 班の編成は能力を重んじ、国籍を問わない。

 つまりは、色や言葉、信じるものが違うどころか、ほんの一年前まで殺し合っていた相手が同じ班にいることさえあり得るという訳だ。


 教壇脇に置かれた机には調査団長アダムスが、その立派な前腕をゆったりと預けていた。


 それまで黙り込んで聞くに徹していたアダムスだが、海のように深い碧眼を伏せ、重々しく口を開く。


「身構える必要はない。辿り着けば────そうせざるを得なくなる」


***


 会議が終わった後、壇を降ったカーレッドは、軽やかな足取りで千代子のほうにやってきた。上品なベストとズボンは、彼女のしなやかなシルエットによく似合う。亜麻色の髪は肩の下で少し外に跳ねていた。


「杉山千代子さんですね、団長補佐のカーレッドです」


 求められるままに握手を交わすと、カーレッドは千代子に真っ直ぐな目を合わせて言った。


「佐伯博士とは何度かお話したことがありまして。学識の深い、素晴らしい方です。彼の推薦ともあれば、あなたの腕にも疑いはありませんね!」

「そ、そこまでは」


 佐伯の名前と共に褒められると、千代子はどうも気恥ずかしくなって、顔を隠さずにはいられない。

 顔を赤くして口籠る千代子に、カーレッドは鈴のように笑ってから、声をかけた理由を教えてくれた。


「フフ、プレッシャーをかけるつもりはないのですが! 船の部屋割りは見ましたか? 相部屋なんです、是非、先にご挨拶をと思いまして」


 本来サンダル号は高速輸送船であり、もとより人を運ぶことを職掌にしてこなかった。

 そのため改装後も個室が極めて少なく、女性船員へ優先的に充てがった上で二人部屋や三人部屋になることは以前から知らされていた。


 一体どんな人と過ごすのだろうと千代子は心配していたが、もう不安に思う必要はないようだ。

 そうして千代子は初めて家族以外の人間と抱擁した。


 それから、団長に呼ばれたカーレッドと入れ替わるように、一組の男女が千代子たちに向かってきた。


 まず目についたのは、背の高い赤髪の女だった。

 女の瞳は黄色く、気の強そうな顔立ちで、メリハリの効いた肉付きは身長にも負けていない。男物のカーゴパンツを履いて、勇ましい印象だ。


「お前らが医療班か?」

「ああ、そうだが」


 ロットナーが頷くと、女は僅かに目を細めてから右手を差し出した。


「船長のベリル・ヴァレリー・ウィリアムズだ。こいつはニノ・デ・ルカ」

「ニノが名前ね」


 小柄な暗金髪の青年が、ウィリアムズの後ろから拙い英語で付け足す。

 ウィリアムズは船員名簿を示して言った。


「資料にもあるが、設備と安全の関係で医療班は私の指揮下に入る……というか、我々が医療班に付く」


 言葉を選ばずに言えばおもり(・・・)役である。

 九つの調査班には、それぞれ航海や野営に慣れた人員が配置されている。


 医療班は拠点を離れない予定だが、船の内部や備品に詳しい人物がいなければ、慣れない内は仕事に支障が出る。

 島に上陸してからは、千代子、ロットナー、スタンレイ、ウィリアムズ、デ・ルカの五人で行動することになるはずだ。


 ウィリアムズはデ・ルカの首根っこを掴んで前に連れ出した。


「船のことで分からないことがあればこいつに聞け」

「なんでもいいよ! おれプロだから」


 デ・ルカは自信たっぷりに宣言した。


***


 最終会議の翌朝、アルゴノーツ計画の船員たちはいよいよサンダル号に乗り込んだ。


「ウェイ、ヘイ、(and)(up)(she)げろ(raises)!」


 シー・シャンティを高らかに歌い上げ、ウィリアムズと部下たちが出港の仕度を調える。


 ゴールデン・フリース調査船サンダル号。

 マスト三本、全長七十五メートル、全幅十一メートルのディーゼル式帆船である。本来二十五名程度だった乗員数は改装により二倍となり、木箱の代わりに人を積む。


 かつて金と名誉を求めて世界中を駆け回った快速帆船は、今やその勲章(はやさ)を捨て去り、新たなる伝説を打ち立てんとする。


 純白の帆を鷹揚と拡げ、金の舳先を朝日に掲げ、サンダル号は銀波に乗って恐ろしき太平洋に進み出る。


 ハワイの人々に見送られながら、ここに偉大な旅が始まったのである。

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