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32節 『冥界行』

 湿っぽい匂いが鼻を突く。不快な感じはしなかった。ただ、静かだった。

 第七班は、墓陵内部に辿り着いていた。


 中は大きな縦穴になっていた。その周囲に階段を繋ぐ通路が細く張り巡らされ、侵入者を惑わせる。

 明かりは地上から差し込む日光だけだ。それも、進む度に小さく、遠くなっていく。


 リドフは楽しげに辺りを見回して軽口を叩いた。


「迷宮みたいだ。糸玉でも持ってきたほうがよかったんじゃないか」

「心配ご無用。通った道はすべて覚えてる」


 そういって自分の額を突いてみせるクラウゼヴィッツに、リドフは肩を竦めて舌を巻く。平穏無事に帰るには、彼をあまり邪魔しないほうがよさそうだ。


 そうして四人は黙々と、『最初の一人』が眠っているはずの最奥を目指して歩いていた。


「寒いな……」


 ブエナベントゥラは肩を震わせて呟いた。土中の所為か、先ほどから寒気がして止まない。

 あの気味の悪い草原は、明るく暖かいだけマシだったのかもしれないと思った。


 墓陵──楊逸の言うことには、『龍幻郭(りゅうげんかく)』と書いてあったらしい──の通路は炭鉱のように狭苦しく、息が詰まりそうだった。


 何度も階段を下りている気がする。複雑な構造だが、体感するに、大まかには螺旋状に下へ向かっているようだ。空気が淀んでいるのか、頭がくらくらしてきた。


 しきりに自分の腕を撫で擦るブエナベントゥラの様子を見て、楊逸が言った。


「寒い? おれの上着、使っていいヨ」

「……ありがとうございます」


 背丈が随分と違う所為で、肩が少しきつかった。それでも幾らか気分がよくなった気がして、ブエナベントゥラは息を吐いた。


「いつも、優しいんですね。船に乗ってたときも、今も」


 この調査に参加するまで、ブエナベントゥラは船に乗ったことがなかった。それどころか、故郷から出たことさえほとんどない。平凡な少年だった。


 冒険というものに憧れ、ウィリアムズへ頭を下げて、見習いとして雇ってもらった。何もかもが初めてで何度でも怒鳴られる中で、ずっと親切に面倒を見てくれたのは楊逸だった。


 一緒にみんなを裏切ってくれないか。

 ブエナベントゥラがそう頼み込んだときも、彼は少し迷って、結局頷いた。


「友だちだからネ」


 あのときも、楊逸は今と同じに、困ったように笑って答えた。


「こんなことに巻き込んでも、ですか」


 ブエナベントゥラは誰にも聞こえないような小さな声で呟いた。

 キャリバンの籠を抱える楊逸の手がずっと震えているのは知っていた。


 彼は誰より優しくて、きっとこんな大それたことをするのは怖くて堪らないだろう。

 けれど、それでも、自分たちについてきた。味方をしてくれた。


(僕たちがあまりに愚かで、その所為でみんなに嫌われるのが不憫だからだ)


 ウィリアムズ船長は、彼のことも怒っているだろうか。


 ふとそんなことを思ったとき、ブエナベントゥラは急に気分が悪くなって座り込んでしまった。


***


「ク、クラウゼヴィッツ!」

「どうした」


 眼鏡を押し上げながら楊逸の拙い呼びかけに振り返ると、ブエナベントゥラが口元を押さえてうずくまっていた。

 彼が(むせ)る度、指の隙間からぼたぼたと赤黒い粘液が溢れ出す。


 クラウゼヴィッツは踵を返し、向かいにしゃがみ込んだ。

 片手でブエナベントゥラの顎を持ち上げ、ランタンで照らす。


 顔色の悪い鼻と口からゆっくりと血液が垂れ続けていた。


「……アダムスに殴られたところか?」

「いえ、それはもう、止まったはず、なんですが……」


 途切れ途切れに答えると、ブエナベントゥラはクラウゼヴィッツの手を振りほどいて再び咳き込む。今度は鮮やかな赤色が床に飛び散った。


 医学の見識はないが、よくない状態であることは明らかだった。

 とはいえ、ここには薬も水もなく、このまま休んでいる訳にはいかない。


「一人で立てるか?」

「すみません、目眩が、酷くて……」


 そういう彼の顔は真っ青で、とても尋常ではない。出血の所為にしても様子が変だ。

 クラウゼヴィッツは考え込もうとして唇に手を当て、その指先にぬるりと生暖かく湿った感触を覚えた。


「…………」


 手の甲で拭い直すと、ペンキのようにべったりと鼻血が付いた。

 段々と息苦しさが増していくのは、果たして緊張の所為なのだろうか。


 嫌な汗が背中を伝った。


***


「『龍幻郭』……」


 千代子は繰り返し呟いた。


 それは小高い丘だった。頂上にはとても下りようとは思えない深さの大穴があった。井戸のような穴の壁には所々に階段と横穴が見えて、底に行く方法はありそうな気配がある。


 中腹にはまたぽっかりと、入口らしき別の洞穴が開いていて、その傍らに傾く石碑に書かれた三文字は、ここが人為的に作られたものであると示していた。


 ユキによれば、第七班の匂いはこの中に続いているそうだ。

 しかし、ユキも中にまで入ったことはなく、これ以上の確実な道案内は難しいようだった。


 ともかく少し進んでみるが、道が分かれていたり、行き止まりがあったりと一筋縄ではいかないような予感がする。

 下手すれば、ここからまた一旦外に出るのも苦労するかもしれない。ロットナーはうんざりした様子で呟いた。


「中が迷路になってるのか? 追いつくのは骨が折れそうだ」

「いや、一度戻るぞ」


 ウィリアムズはそう言うと、何故か迷うことなく来た道を奇麗に辿って外へ出た。

 石碑の前まで戻ると、ウィリアムズはロットナーを指差して言った。


「少し歩いて気づいたんだが、お前の服が地図になってる」


 ロットナーは自分の身体を見下ろした。

 金糸で織られた幾何学模様は、無数の縦横線で構成されていて、言われてみれば図面のようにも見える。

 千代子は模様をよく眺め、驚いたように声を上げた。


「太い線と細い線があって、繋げ方には規則性がない……!」

「ああ。行き止まりの線があるところを見るに、太い線が通路図で間違いないだろう」


 初めから柄に違和感があったが、歩いてみるまで確信が持てなかった。

 村の人形を作った人間は、今後再び誰かが訪れるのを見越して、それがどんな国の人間でも理解できる手がかりを残そうとしたのだろう。


「そんで、多分、裏口があるぞ」


 ウィリアムズはロットナーの肩を掴んでくるくると回転させた。目が回る!と悲鳴が上がるが、気にしない。


「よく見ると前と後ろで柄が違うんだ。前の柄はここの縁取りと同じやつ」


 龍幻郭、と刻まれた石碑の縁には、確かに同じ模様が描かれている。


 ようやく解放されたロットナーは必死に自分の背中を見ようと首をひねるが、しばらくして自分からは尻くらいしか見えないことが分かり、諦めたようだった。

 大人しく待つロットナーの背中を千代子がまじまじと見つめる。


「後ろは背縫いの部分以外に線の違いがない……これが通路の写しなら、裏口は一本道……」


 千代子はそう言うと小走りになって丘の周りをぐるぐると回った。


「あ!」


 突然足を止め、千代子は草が付くのも構わず膝を突いた。

 ヤマモモの茂みに囲まれて、小さな入り口がある。縁を支える岩には、背面と同じ模様が刻みつけられていた。


「光明が見えたな」


 ロットナーの嬉しそうな声に頷くと、千代子は躊躇なく穴に潜り込んだ。

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