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28節 『切り札』

「一応聞きますけど、自分が不老不死になりたいから、なんてことは言わないですよね」


 数日前のことだ。

 クラウゼヴィッツから説明を受けたとき、ブエナベントゥラは、それは実に馬鹿げた計画だと思った。


 わざわざ安全な帰路を捨て、あるかも分からない宝を追うと言うのか。

 ブエナベントゥラの呆れ混じりの疑問に対し、クラウゼヴィッツは首を傾げて眉を下げた。


「くだらなさすぎるぞ、君の質問。第一、不死の薬なんかある訳ないだろう」

「ええ……? じゃあ、どうしてそんなもの欲しがるんですか」

「このまま帰れば、もう我々にはチャンスがない。こちらが先にキャリバンと薬の正体(・・)を持ち帰る」


 クラウゼヴィッツにはある予想があった。


 サンダル号が帰還すれば、そのフィードバックを受けて新しい調査団が再編される。


 そのとき、今後米英の敵となりうる出身の人間は排除されるだろう。

 例えば敗戦国たるドイツ、そして力を付けつつあるロシアだ。


 今回は運良く、どの国も疲れていたタイミングだったために偶然に入り込めただけで、次はない。


 故に、ここで自分たちが先にサンプルを手に入れることで、それは強い切り札になる。


「余程の自信があるんですね、その薬とやらに」


 ブエナベントゥラは不信感を露わに答えた。


 そもそも抜け駆けをしようというなら、仲間を増やすのは最悪だ。分け前で揉めるし、殺し合いになるかもしれない。

 どうして、自分やリドフを引き込もうというのだろうか。


 すると、クラウゼヴィッツの代わりにリドフが答えた。


「私は信じるさ。謂わば、ゴールデン・フリースは『取り残された新世界』なんだ」


 かつてコロンブスがアメリカ大陸を『発見』し、人類史は大きな転換点を迎えた。


 新世界から持ち出された品々は──煙草、チョコレート、コカ、ゴム──どれもが優れた商品となった。

 その中には、先住民が薬として利用していたものも少なくない。


「そして、東洋の旧い思想に神仙というものがある」


 リドフは切り取ったノートに簡単な図を書き始めた。


「その本質は不老不死の追求だ。彼らは薬や修行によって人が神になりうると考えていた」


 神の領域たる死を乗り越えたとき、人は仙人となる。

 古代の人々は数多の鉱物、植物を組み合わせ、不老長寿を得られる仙薬を作り出そうとしてきた。


「その中でも有名な言い伝えのひとつに、遠い東の海の中、神仙の棲む理想郷の話がある。まるでこの島のようだとは思わないか」


 リドフの操るペン先が、空想の楽園の姿を描き出す。


 山海経に曰く、その市は海中にあるという。


 人ならざる姿をしたキャリバンを神仙に見立て、摩天の山嶺を蓬莱(ほうらい)の深山へ喩える。


「だとすれば、彼らは何を見て『不死の霊薬』と思ったのだろうね」


 彼の目を見て、ブエナベントゥラはようやく理解した。


 図鑑を開く少年のような瞳だ。

 そこにあったのは星の瞬きのような永遠の輝きだった。


 未知への探究心。

 どんな恐怖も跳ね除ける、最も偉大な力。


 リドフが欲しいのは真実なのだ。

 見返りも何も必要ではなく、ただ、自分の考えを確かめたいだけだ。


 だからクラウゼヴィッツと手を組んだ。

 そして今、彼は問いかけている。

 君も同じだろう、と。


 憧れは街灯のように次々と道を照らす。

 その歴史と価値を知る者は、自分も次の灯火を追いかけずにはいられない。


 ブエナベントゥラは唾を飲む。

 それを見て、クラウゼヴィッツはゆっくりと口を開いた。


「『薬』の正体は、一番初めに持ち帰ったものへ莫大な力を与えるだろう」


 薬草、宝石、香辛料、単なる奇麗な花でも構わない。

 重要なのは、それが人を虜にするかどうかだ。


 そこから生まれる欲と富が、祖国にもう一度立ち上がる力をくれる。


「私は意外と夢を見るほうでね。希望に賭けるとか、そういうの好きなんだ」


 そう言うクラウゼヴィッツの横顔はとても穏やかで、何かを慈しんでいるようにも思えた。


***


 すっかり履き慣れたブーツが落花の絨毯を踏み締める。

 千代子は面を上げ、久しぶりに顔をほころばせた。


「着いた!」


 陽光の下で見る藤棚は、昨晩とはまた印象が変わって、千代子たちを華やかに出迎えた。


「とりあえず先回りはできたか……」


 ロットナーは岩に腰掛け息を吐くと千代子を見上げた。


「このまま、薬を取りに行くのか?」

「そうね。とにかく交渉の手札が欲しいもの」


 ロットナーは頷いて水を飲む。


 ウィリアムズはユキを抱き上げると、ビスケットを渡して尋ねた。


「穴の先はどうなってるのか知ってるか」

『ホソイ、ミチ!』

「それ私は入れるのか……?」


 ウィリアムズの心配をよそに、ユキは喜んでビスケットを平らげた。


 それから少しだけ休憩をして、せっかくの時間を無駄にしないよう、改めて急ぐことにする。


 川沿いを遡っていけば、墓陵の入り口はもうすぐだ。

 ユキは再び案内をするべく、沢の崖のほうに近づいていった。


 その足元に、小さな何かが落ちてきた。

 つやつやとした椎の実だ。


 ────誰かが触った匂いがする。


 ユキは耳をそばだて、尾を膨らませる。


『ウエ!』


 懐かしさすら覚える感覚だ。

 ロットナーは咄嗟に千代子に覆いかぶさる。


 左の腕に強い衝撃と、焦げるような痛みが走った。


「ロットナー!」


 胸の下で千代子が悲鳴を上げる。

 ロットナーは地面に手を付き、崩れ落ちそうになるのを必死に堪えた。


 ウィリアムズが崖上に向けて拳銃を構える。

 その先には小銃を構えるブエナベントゥラと、その傍らに立つクラウゼヴィッツの姿があった。


「そうか、そうか」


 そう呟くと、クラウゼヴィッツはロットナーを静かに見下ろす。


「どうやら私は……君にがっかりしているらしい」


 その声は低く、そして亡霊のように力なく、どこからともなく溢れだしたようだった。


 ロットナーは息を詰めて彼を睨めつけた。

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