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24節 『発火』

────遡ること数刻。


「俺は行かない」


 そう言って、ロットナーは差し伸べられた手を払った。まだ夜も初めの、月が煌々と照る中でのことだった。


 魔法が解けたように軽くなった足取りで、ロットナーはクラウゼヴィッツの横を通り過ぎる。


「生憎、今は物好きな爺さんに飼われてるとこでな。ひどい吝嗇だが飯は毎日くれるし、たまには良い酒もある」


 クラウゼヴィッツは彼の背中を目で追い、尋ねた。


「そんなものに釣られるかね」

「まあ、無謀な裏切り(・・・・・・)よりは余程心惹かれるね」


 ロットナーは鼻で笑うと、一転、静かな面持ちで振り返った。


「正直言って、ここから動くのはあまり賢い考えじゃないぞ。あんたらしくもない」


 何も答えないクラウゼヴィッツを横目に眺め、ロットナーは惜しむことなく去っていった。


「ご期待通り、聞かなかったことにしてやるから……今のうちに考え直せ」


 クラウゼヴィッツは砂上に一人立ったまま、未練をなくしたかのように伸びをした。


***


 クラウゼヴィッツがリドフたちのテントへ戻ってきたのは、ずっと後のことだった。


「遅かったね、ヴァルター。彼はどうだった?」


 リドフが髭を擦りながら尋ねると、クラウゼヴィッツは溜め息を吐いて答えた。


「一蹴された」

「わはははは! ほらな、言った通りだ! どんなに鷹を可愛がっても、一度逃がせば戻っては来ないさ」


 籠の中のキャリバンを横目に、クラウゼヴィッツは椅子に座ると、片眉を上げた。


 出る前から、一人減っている。

 ブエナベントゥラと楊逸は隅のほうで黙り込んでいるが、あの寡黙なアラブ人が見当たらない。

 代わりにあるのは、名前も知らない薄紫の花だけだ。


「イスハークはどこ行った」

「夜釣りらしい。呑気なものだ」


 デ・ルカに貰った釣り竿が随分気に入ったようだ。

 乾いた故郷に帰ればそう機会はない。楽しむなら今のうちにということだろう。


 どうせ、自分たちが何を話し、考えているか、イスハークには知る由もない。好きにさせておけばいい。


 クラウゼヴィッツがそんなことを思って黙っていると、リドフが急かすように訊く。


「ボートは手筈通りに?」

「ああ、満潮を待って洞窟に隠した」


 クラウゼヴィッツは事もなげに言った。

 これで、最悪の場合でも(・・・・・・・)島に取り残されて帰れなくなることはない。


「今のところ、首尾は上々だ」


 必要なものはすべて揃った。

 クラウゼヴィッツが仲間たちの顔を順に見る。


「『薬』は我々が手に入れる」


 それは明確に調査団の意思決定にそぐわない────叛意(はんい)だった。


 人は彼らを俗物と笑うだろう。

 如何にその心が純然たる使命と狂気に呑まれているかなど、何人にも到底理解できない。


 言ってしまえば、それは彼らに従うことを選んだ人間でさえ同じことだった。

 それまでずっと縮こまっていた楊逸は、ようやく声をひそめてブエナベントゥラに囁いた。


「なんか、こういうの、よくない気がするヨ……。やっぱり……」

「……そんなこと言ったって、今更、引けないですよ」


 そう言ってブエナベントゥラは自身をも奮い立たせる。その裏で、自分の手が震えているのもはっきり分かる。


 藤の花がやたらに強く匂う。ブエナベントゥラは気分が悪くなってきた。


「すみません、少し外の空気を吸ってきます」

「構わん。明け方には出るぞ」


 クラウゼヴィッツの返事にブエナベントゥラは小さく頷き、幕を上げて出ていった。

 しかし、一分と経たない後、再びテントに飛び込んでくる。


「どうした? 小便にしても早いが……」


 リドフが振り向くと、ブエナベントゥラは怯えた顔で入り口に立ち尽くしていた。

 その足元に、誰かが膝を突いている。


「……聞かれました」


 ブエナベントゥラの短い報告が、事態の急変を告げている。

 彼が掴んでいるのは、副団長カーレッドだった。リドフは思わず立ち上がる。


「カーレッド……!?」

通報(・・)がありました、一体何のつもりです、こんな真似をして……」


 籠を睨みながら、カーレッドは声を張る。

 しかしその非難の声は、すぐにブエナベントゥラの手のひらに塞がれてしまった。


 騒ぎになれば、全員に計画が知られてしまう。

 ブエナベントゥラは目を泳がせ、焦りからベルトのナイフに手を掛けた。


「どうしますか、口封じを……」

「ブエナベントゥラ!」


 瞬間、血相を変えてリドフが叫ぶ。


 ランタンの灯りに予期せぬ巨影が揺らめく。

 ブエナベントゥラの背後、彼を見下ろすように。

 その表情は、決意に満ちていた。


 砲弾めいた拳が降る。


 死ぬ、とブエナベントゥラの直感が呟く。

 咄嗟に、担いでいた小銃で防ぐと、鋼鉄の銃身が粘土のように圧し折れた。


「…………っ!」


 ぶわ、と汗が吹き上がる。

 衝撃に耐え切れず、地面に転がるブエナベントゥラを見て、クラウゼヴィッツが眼鏡を押さえる。


「まずいな……」


 調査団に選出された人間はいずれも何らかのプロフェッショナルである。

 名医、射撃の天才、熟練した船乗り、歴戦の軍人。

 そして、彼らを率いるに相応しい、唯一無二の最高戦力。


 アメリカ海軍大佐、アレクサンダー・J・アダムス。


「貴様ら……」


 アダムスの武器はその優しさでも、指揮能力でもない。

 純粋な肉体強度。

 近接戦闘において、彼はすべての船員を制圧可能であると考えられている。


「覚悟あってのことだろうな……!」


 ゴールデン・フリース滞在八日目。

 船員同士の戦闘が発生した。

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