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15節 『見えないもの』

「いいかね、炎というのは最も身近で、人類と付き合いの長い科学なのだよ」


 拠点の隅に机と椅子を並べ、リドフは生徒たちに向かって、暗幕の前に置いた、青く火を灯したバーナーと薄い銅板を示して見せた。


「私は今からこのリボンを火に当てる。すると、何が起きると思う?」


 生徒────アンドレアス、シャルル、千代子はそれぞれ顔を見合わせたあと、口々に答えた。


「爆発!」

「金属だぜ、燃えるもんか。融けるんだろ」

「リボンの色が変わるとか!」


 三人の予想を聞いたリドフは静かに口角を上げ、そのまま、摘んだ銅板を炎に挿し込んだ。


 その瞬間、リドフはピンセットの杖を持った髭の魔法使いになった。

 リボンが熱せられた途端、銅板より上、炎の半分がゆらりと揺らめき、鮮やかな緑色に変わる。


 千代子は前のめりになって歓声を上げた。


「緑の火だ!」

「チョコが惜しかったなー!」


 悔しそうに伸びをするアンドレアスの肩を叩き、リドフは健闘を称える。

 それから、バーナーの栓を閉めて言った。


「燃やすものを変えれば色も様々に変わる。花火が美しいのも同じ理由だ。兵器なんかより、ずっと素敵な火薬の使い方さ」


 そこへ、二人の若いキャリバンがやってきた。

 片方は、以前に罠にかかっていた個体だ。

 キャリバンは千代子の膝によじ登り、興味深げに机の上を見た。


『ナニシテルノ』

「リドフ博士がね、実験を見せてくれてるの」


 千代子がそう答えると、キャリバンたちは大きな尾をぴんと立て、自分たちも見たいと言い出した。


『ミタイ! アンマリ ミエナイ ケド』

『タブン タノシイ』


 そうは言っても、キャリバンたちは少し離れたものや色の違いは見づらいようだった。先ほどのような実験では楽しみにくいはずだ。


「ふむ。では、反応が分かりやすいものにしよう」


 リドフはそう言うと、一度その場を離れ、透明な瓶に何かを入れて戻ってきた。

 キャリバンたちにも分かるよう、瓶を振って音を出す。


「この瓶を見なさい。中には二酸化マンガンを入れた」


 瓶の底には少量の黒い砂のようなものが溜まっている。リドフは千代子のほうを向き、工面してほしいものがあると言った。


「チョコくん、オキシドールを分けてもらっても?」

「ええ、少しなら」


 千代子は鞄から消毒液の瓶を取り出し、そのままリドフへ渡した。

 シャルルが不思議そうな顔で指差す。


「何の薬?」

「薄めて傷の消毒に使うの」


 念には念をと余分に持ってきていてよかった、と千代子は内心で独り言ちた。


 千代子の瓶から透明な液体を黒い砂の上に慎重に注ぐと、リドフは瓶の蓋を閉め、中で無数の泡が出ているところを千代子たちに見せた。


 それからリドフは、少し離れたところで休んでいたクラウゼヴィッツに声をかけた。同じ班の人間だったからだ。


「クラウゼヴィッツ! 君、煙草は吸うかね」

「あ? まあ、多少は」


 突然の質問に不審そうな顔をしながらも、クラウゼヴィッツは首を縦に振る。

 リドフは喜んで彼を呼び寄せた。


「では、こっちに来て一本吸ってくれたまえ」

「何でよ」

「いいから」


 渋々ながらクラウゼヴィッツは貴重な煙草を取り出し、ライターを弾いた。

 少し吸い、確かに火が点いたことをクラウゼヴィッツが認めると、リドフはすかさず先ほどの瓶を突き出した。


「それ」

「おあーーーーッ!!」


 瓶を近づけられた煙草は、一瞬のうちに大きく火を拡げる。

 たまげたクラウゼヴィッツは咄嗟に煙草を放り捨て、長い脚で踏み消した。


Dumm(バカ)! 危ねえな!!」

「二酸化マンガンはオキシドールを分解し、酸素を発生させる。酸素は目に見えないが、物を燃やすのを促す働きがあるから確かめるのは簡単だ。見た通り、煙草の火がとても大きくなったね」


 解説を終えたリドフは生徒たちの拍手を受け、深々とお辞儀をする。その袖を引き、クラウゼヴィッツは色眼鏡を押し上げながら苦言を呈した。


「許可なく人を実験台にするんじゃないよ」

「いいじゃないか。君の反応(・・)がよかったから、みんな楽しめたぞ」

『キャッキャッ』


 千代子たちとキャリバンは実験の結果に大満足のようで、子どものように喜んでいる。

 クラウゼヴィッツは乱暴に色眼鏡を拭いて、それ以上何も言わなかった。


「何やってんだあいつら……」


 顛末を遠巻きに見ていたロットナーは、クラウゼヴィッツが立ち去ったのを見計らい、キャリバンと戯れる千代子に話しかけた。


「随分そいつらと仲良くなったんだな」


 ぱっと顔を上げた千代子は声の主がロットナーだと分かると、はにかんで答えた。


「ええ! ビスケットがおいしかったみたい。お礼にって、マツにお花をもらったのよ」

「マツ?」


 首を傾げたロットナーの足元を、キャリバンの一人が飛び跳ねて回る。


『ナマエ、モラッタ!』

「こっちがマツで、こっちがユキ」


 マツが罠にかかっていたほうで、ユキはその友だちのようだ。二人は余程千代子に懐いているのか、膝に乗って楽しそうにしている。


『キャリバン、ナマエ、ニオイダケ、オトガナイ』

『チョコノトクベツ、ヒトリジメ、ウレシイ!』


 ロットナーはふと、千代子が自分のことも名前で呼んでくれはしないかと期待してしまった。


「なあ、俺も名前……」

「匂いが名前って不思議よね! 遠くから誰かを呼ぶときはどうしてるのかしら」


 緊張した細い声は、偶然にも重なった千代子の感嘆にかき消され、彼女にはまったく届かなかった。

 ロットナーは口をぱくぱくさせてから、小さく小さく同意した。


「あ、ああ、そうだな……」


 それからすぐに、仕事があるからと千代子はどこかへ消えてしまい、理科教室の跡地にはロットナーとキャリバンたちだけが残された。


 マツとユキは、その場に立ち尽くす気の毒な人間の匂いを嗅いだあと、フスフスと鼻を突き合わせながら、ロットナーの顔をちらちらと見るばかりだった。


『……』

「おい、絶対いま俺の悪口言ってるだろ」


 ロットナーがマツの頰の毛を摘んでも、彼女は何も答えなかった。

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