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13節 『兎狩り』

「腹減ったなー」


 積み上がった木箱の上で、アンドレアスが膝を抱えて呟く。

 それを聞いて、砂地に絵を描いて暇を潰していたシャルルとブエナベントゥラが口々に頷いた。


「分かる。でも晩飯までまだ結構あるよな」

「僕、夜中もお腹空いちゃうんだよな……」


 調査団では一日三食の支給が約束されていたが、船の限られた物資では食べ盛りの若者たちを満足させることはできなかった。

 しかし、林檎の花もようやく咲く頃、島の草木が果実をつけるにはまだ長い。彼らが口寂しさを紛らわすことのできる手段はそう多くなかった。


「デ・ルカがたまに釣った魚をくれるぞ」

「金魚みたいに小さいやつだろ」


 ガムの代わりにもならない、とブエナベントゥラが項垂れる。シャルルもそれを否定せず、三人は溜め息をついて黙り込んだ。


 そこへ丁度通りかかったイスハークが、三人の様子をじっと見たあと、何かを促すように肩を突く。


「なんだよ、イスハーク……」


 シャルルが振り返ると、イスハークは入り江の端を指差す。どうやら洞窟があるらしい。

 訳も分からず三人は顔を見合わせた。


***


 千代子は胸の高鳴りを抑えながら、人目につかぬよう、密やかに歩いた。

 テントの前に座り込んで汚れた靴を磨いているロットナーを見つけると、そそくさと近付き、耳打つ。


「ね、ロットナー、みんなで洞窟に行くんですって! 私たちも行きましょうよ」

「洞窟って、何しに行くんだ」


 怪訝そうに顔をしかめたロットナーの背中に、後ろからシャルルが伸し掛かる。


「ロットナー、お前もこの調査団は飯の量が少ないと思わないか?」


 その質問に、ロットナーはきょとんとして答えた。


「え? いや、足りてる……」

「黙れ、俺たちはそう思ってる。だから、飯がないなら自分たちで獲ってこようって訳だ」


 シャルルのさらに上にアンドレアスが飛び乗った。蛙のような悲鳴を上げるロットナーへ、構わず少年はうきうきと話しかける。


「イスハークがよ、兎か何かを見たって言うんだ! それで洞窟に罠を置いてきたらしいから、これから見に行くところだぜ」


 後ろではイスハークが頭に手を当て、動物の真似をしている。

 ロットナーは力を込めてシャルルたちを振り落とすと、呆れたように言った。


「俺たちを巻き込むなよ」

「責任は分散したほうがいい。聞いたからには共犯だぞ」


 そう言うと、ブエナベントゥラが腕を組んで精一杯に脅す。

 それでも踏ん切りのつかないロットナーに、千代子が頰を赤らめて手を取った。


「なんだか楽しそうじゃない? 私は行く!」


 そんな風に言われるとロットナーは、自分もついていかざるを得ないのだった。


***


 屋根を張っただけの調査本部でアダムスがふと顔を上げると、妙な違和感に襲われた。


「なんか人が少なくないか」

「変ですね、予定ではもう少し残っているはずですが」


 日誌を付けていたスコットも、辺りを見回して同意する。午前中の探索を終え、戻ってきた学者たちが論争している間、他の班員は暇をしているはずだ。

 アダムスは首を傾げて呟いた。


「船か?」

「いや、そんな話は聞いてねえぞ」


 船まで戻るときには小舟を使うから、自分かデ・ルカに一言告げるよう周知してある。

 ウィリアムズが首を振ると、カーレッドが思い出したように付け加えた。


「そう言えばさっき、何人か東のほうに歩いていくのを見ましたよ」

「何人か? 班じゃないのか」

「ええ、シャルルとロットナーと……イスハークもいたので、珍しいなと」


 調査中は班単位で行動する決まりだが、拠点の中ではその限りではない。彼らも同じ班の顔触れではないから、入り江の中で何か遊ぶ予定なのだろうか。


 すると、丁度本部に入ってきたクラウゼヴィッツが話題を察し、納得したように声を漏らした。


「あのアラブ人か? 少し前にランタンを貸したな。どうせ喋れんから細かいことは聞かなかったが、調査じゃなかったのか」

「…………」


 沈黙の末、顛末を察したアダムスたちは一斉に立ち上がる。


「あのガキども……!」


***


 波打つ岩場を飛び歩き、ロットナーがシャルルに尋ねた。


「何か掛かってたら料理番に渡すのか?」

「今日の厨房はスコットだ。あいつはお固いから言わないほうがいい。俺たちだけで食おう」


 調査団の機材が使えないとなれば、何か捕まえることができたとしても、自分たちで処理から調理まで済ませなければならない。

 アンドレアスが千代子を見る。


「チョコは料理できる?」

「包丁も持ったことがないのよね。でも、やってみるわ!」

「丸焼きするしかないな」


 千代子が答えると、ブエナベントゥラが口を結んだ。


 しばらく歩くと、入り江の端の岩場に、ぽっかりと口を開けた洞窟が現れた。多少は外の日差しが入り込んではいるが、それでも最奥は窺えない。潮と地下水で全体がじっとりと濡れている。

 シャルルが覗き込み、イスハークのほうを振り返る。


「ここか? 本当にギリギリ入り江の中だな」

「団長にバレたら怒られそうだなあ……」


 バレないうちに戻ればいいさ、と呟き、シャルルが初めに飛び込んだ。イスハークもランタンを点けてそれに続く。


「思ったより奥がある、足元に気を付けろ」


 洞窟の中は存外に広く、千代子たち六人で歩いてもそう窮屈さは感じない。壁はかなり丸く、長年、波風に削られてきたことが分かる。


「イスハーク、どうだ?」


 先頭でランタンを掲げるイスハークに、ブエナベントゥラが声をかける。

 すると、イスハークはぴたりと足を止め、静かにするよう手振りで制したあと、そっと奥を指差した。

 千代子は興奮して口を押さえた。


「何か動いてる!」

「兎……にしてはデカいな、穴熊か?」


 イスハークが仕掛けたのは簡素な足罠のようだったが、その辺りに白っぽい塊が跳ねているのが分かる。


 意を決して駆け寄ると、それは兎でも穴熊でもなく────見たことのない生き物だった。


 白い毛はよく見れば羽毛に似ていて、手足の短い丸い身体をびっしり覆っている。

 顔は海獣のようだが、どこかのっぺりとしていた。


 その生物は千代子たちの姿を見ると、一層激しく跳ね出し、人間にそっくりな声で喚き始めた。


『タスケテ! タスケテー!』


 英語だ。

 疑問を抱く暇もなく、六人は顔を真っ青にして踵を返した。


「わああああ! 喋ったあ!!」

「何か追いかけてきてる! 退却だ、退却ー!!」


 洞窟の奥からぺたぺたと無数の足音が響き始める。

 シャルルの指示に従い、千代子たちは倒けつ転びつ出口を目指す。


 暗闇の中、その出口ばかりが白く輝いている。

 しかし、大きな影が外の光を遮った。


「こら! お前たち! こんなところで何をこそこそ……」

「げ! アダムス!」

「『げ!』じゃない! む……!?」


 仁王立ちで違反行為を咎めるアダムスだったが、それでも足を止めない若者たちの肝を潰した顔を見て、ようやく異変に気がついた。


 だが、それは遅すぎた。

 千代子たちはアダムスの脇や股の間をすり抜け、外に転がり出る。

 次の瞬間、洞窟から飛び出してきた大量の白い獣の濁流に、アダムスが押し倒された。


「もが」

「団長が食われたーーー!!」


 恐ろしい光景だ。

 アダムスの巨体は未知の生物にすっかり覆い隠され、綿の山か、カビでも生えたかのようになっている。アダムスはぴくりとも動かず、唯一、隙間から覗く爪先だけが痙攣していた。


 後を追ってきたらしいカーレッドが、そんな姿を見て悲鳴を上げる。


「アダムス!」

「だい、大丈夫だ、何ともない」


 毛玉の向こうからモゴモゴと返事が届き、腰を抜かしていた一同も僅かに溜め息を吐く。


 しばらくして、獣たちがアダムスの上から退いた。しっとりと湿ったアダムスを見るに、獣たちは、どうやら彼を舐めたり嗅いだりしていただけのようだ。


「なんだ、こいつらは……?」


 ロットナーが言葉を零す。


 未知の島、ゴールデン・フリース。

 千代子たちはここで初めて、異常に出会った。

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