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11節 『見知らぬ戦友』

 拠点は半日でほとんどを作り終えた。

 食事、睡眠、治療区画のほか、簡易的ではあるが研究設備も持ち込んだ。

 準備は万端、本格的に調査へ取りかかることができる。


 一仕事を終えた船員たちは思い思いのグループに分かれて焚き火を囲んだり、コーヒーを分け合ったりして称え合った。


 また夜が来て、配給されたビスケットとカレーを抱えて、千代子は焚き火の前に座った。


 隣でカレーを吹き冷ましているロットナーの横顔を窺うと、橙色の灯りに照らされて、疲れの滲んだ目元が見えた。


「ロットナー、いつになく隈が酷いわ。眠れてないの?」

「……ああ」


 小さく肯んじたロットナーはそれ以上何も言わなかったが、デ・ルカが首を伸ばして口を挟んだ。


「ロットナーは(かに)がダメなんだ」

「言うなよ!」


 ロットナーは軽く爪先をぶつけて抗議する。

 しかし、千代子は構わず尋ね返した。


「そんなに?」

「テントに入ってくると大騒ぎ。ちょっとした物音でも『おい、蟹か?』って」


 身振り手振りで真似をしながら、デ・ルカはくすくすと笑う。その隣で紅茶を呷り、ウィリアムズが呆れたように眉毛を寄せた。


「気にせず寝てろよ」

「寝れないんだよ!」


 そう声を張り上げると、ロットナーは如何に蟹という未知の生き物が許容し難いかについて力説し始める。

 千代子はふっと笑ってビスケットを噛んだ。


「明日、よく眠れるお茶を作ってあげる。明るいうちに少し休むのもいいかも。今夜は眠くなるまでお喋りでもして過ごしましょう」


 ロットナーは少し口を動かしてから、ぽつりと礼を述べた。


「……ありがとう」

「いいのよ。医者も薬もそのためにあるの」


 千代子は嬉しくなって爪先を持ち上げた。


 そこへ、コーヒーの入ったマグカップを片手に、一人の軍人がふらりとやってきた。橙の色眼鏡をかけた、三十路を半ば過ぎたくらいのドイツ人。千代子にも覚えはあるが、あまり親しくない顔だ。


「フ、我が同胞ながら情けないな。若いお嬢さんに泣きついて慰めてもらおうとは」

「何だお前。盗み聞きか? 行儀悪いな」


 癇に障ったらしく、ロットナーが声を低くして咎める。

 男はにやりと笑い、マグに口を付けながら彼を見下ろした。


「ヴァルター・クラウゼヴィッツ。今は(・・)少佐だ。言葉遣いには気をつけたまえ、ロットナー二等軍曹」

「……もう除隊した、階級は関係ない」


 ロットナーは僅かに怪訝そうな顔をしたが、すぐに視線を戻して食事を再開した。どこかで自分の経歴を聞きつけたのだろうが、こんなところにまで来て大戦時代の話をする気はない。


 だが、あからさまに拒絶されたにも関わらず、クラウゼヴィッツは立ち去ろうとしなかった。


「君の噂はかねがね聞いているよ。英国人とつるんだり、大蛸に巻かれて馬鹿面を晒したり、随分なことだな!」


 それを聞いて、千代子はむっとした。

 何の目的があるのか、この男はロットナーを馬鹿にしに来ているのだ。


 シャルルのときのような、かつての敵への感情から来るものではない、ただの個人に対する嘲笑だ。


 しかし、ロットナーは気が立ってはいるが、それ以上はまだ我慢しているので、千代子にはどうすることもできない。


 クラウゼヴィッツはロットナーの頭を小突くと、つまらなさそうにまたコーヒーを飲んだ。


「君のような人間がいると、祖国の名に傷がつく。まずは身嗜みから改善したまえ」


 クラウゼヴィッツはロットナーの使い古した革靴を軽く蹴る。

 ドイツ語のやり取りはウィリアムズたちにはよく聞き取れないようで、不思議そうな顔をして二人を見ていた。


 千代子は堪らず、ロットナーを庇うように立ち上がった。


「ごめんなさい、クラウゼヴィッツ……少佐? ロットナーは私のチームメイトで……色々と助けてもらっています。あまり悪く言わないで」


 まさか自分たち以外に会話の内容を分かっている人間がいるとは思わなかったのか、クラウゼヴィッツは橙色の硝子の向こうで目を丸くしたあと、恭しく謝罪を述べる。


「これは失礼」


 振る舞いを調え、クラウゼヴィッツは一転して丁寧な口調で話し始めた。


「スギヤマ嬢でしたね。日本人は素敵だ。私も何人か会ったことがあるが、みな勤勉で話が合う」

「口説いてるつもりか? そんなに若い女と話したけりゃ国に帰って踊り子でも探せ」


 ロットナーは苛立ちを抑え切れず、噛みつくように遮る。

 その姿を見ると、クラウゼヴィッツは口を曲げ、色眼鏡を押し上げた。


「まるで野良犬だな。躾も何もあったものではない」


 それでもクラウゼヴィッツは余裕綽々の態度を崩さず、それがさらにロットナーの神経を逆撫でる。


 それまで黙って事の成り行きを見守っていたウィリアムズが、とうとう身を乗り出して制止に入った。


「さっきから何喋ってるか分かんねえんだよ、揉め事なら苦情入れるぞ」

「何、ただの同郷の(よしみ)だ。今日はこの辺りで」


 そう言うと、クラウゼヴィッツはどこか不満そうな足取りで、別の焚き火のほうへ去っていった。

 ウィリアムズは鼻を鳴らしてから尋ねた。


「あいつ、知り合いか?」

「覚えがない……」


 首を傾げたロットナーは、疑問を飲み込むように、ビスケットを胃に詰め込んだ。

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