ありがとう、悪魔島先輩! 新幹線3の2
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「ママに教わらなかったのか、人にパンツの色を聞くときはまず自分からだろ」
決まったー。覚えていたとおりの返答ができた。完璧だ。俺は鼻を膨らませて、人生最高のドヤ顔で称賛を待った。
「……ただろうが!」
ところが、今野が予想外の反応を示す。
「えっ、なんて?」
「だから、さっき聞く前に言っただろうが、『マジ超ブルー』ってよ。か弱い乙女に2度も恥かかすんじゃねーよ。陰キャの上に人の話すら聞いてねーのかよ」
えっ!? 確かに言っていた気がするけど、あれパンツの色のことだったのか、誰がわかるんだよ!
しかも「マジ超ブルー」ってどんだけ青いんだよ。今日のこの青空より青いのか? いったいどんな色なんだろう? 絶対見てみたいぞ。意外な反応への戸惑いはよそに、知的好奇心が夏の入道雲のようにむくむくと湧き上がってきた。
無意識のうちに右手が今野のスカートに伸びる。
その刹那。
「谷藤、犯罪だぞ!」
天使の格好をした小さな塾長が現れ俺を止める。
「でもちょっとどんな色かは気になるな」
やっぱ知的好奇心は大事っすよね。
「僕も気になりますね。この場合は正当防衛が認められますね」
メガネの神崎天使まで現れて俺を促す。そうか正当防衛なのか、なら俺は悪くない。
「ゲヘヘェー、谷藤、めくっちまえよ!」
とどめとばかりにちっちゃいけど態度はでかい中島悪魔が俺を促す。
ダメだっ、ダメだっ!
この先輩の真似だけは絶対にしてはいけない。
どんな色かは気になるが、俺はすんでのところで正気を取り戻し、右手を引っ込めた。脳内で天使と悪魔が共同戦線を組んで俺を地獄に引き摺り込もうとしていたが、かろうじて俺は勝利した。逆にありがとう、悪魔島先輩!
その勝利の余韻に浸る暇もなく、目の前の今野に注意を戻すとなぜか彼女は顔に手を当てて泣き出した。
「あと、ひどいよ谷藤、私にママいないこと知っててそんなこと言うなんて」
しまった、そうだった。今野の家は数年前に母親が病気で亡くなっていて父子家庭だったんだ。小学生の弟と3人家族で、今野が母親がわりをしていると風の噂で聞いた覚えがあった。
家族をいじると致命的に笑えない場合がある。神崎先輩のアドバイス通りだった。どんだけすごいんすか先輩は。なんで俺は修正しなかったんだ……。
でも、これはどうみても嘘泣きだ。顔を覆った手の奥の表情はどう見ても泣いていないし、鳴き声も嘘くさい。普段の口調からは想像もできないような、可愛らしくてか細い声だし。こいつ、あざとすぎるだろ!
しかし、少し離れた周りを騙すには十分だったようだ。こちらを見てみんな騒ぎ出す。
「谷藤何泣かしてんだよ!」
俺が泣きたいよ!
「ひどい谷藤! 謝りなさいよね」
でたな、クラスに一人はいる謝りなさいよね女子、事情も知らないくせに、お前みたいなのが話をややこしくするんだよ!
「えっ、なんで今野泣いてんの?」
「なんか谷藤が今野のパンツの色聞いたらしいよ」
「えっ、サイテーだな」
誤解だー! 俺は聞かれた方だ。いやでも、今野のパンツの色を俺は知ってしまってはいる……。でもこれはあいつから言ってきたんだって。
人気者どころかすっかり俺は悪者になってしまった。
どう対処していいか頭の中は混乱していた。俺が謝る? 母親のことについては確かに申し訳ないが、俺が謝って欲しいぐらいだよ。もう俺も可愛く泣いてみるか。でも陰キャ男子の涙と、人気のある陽キャ女子の涙は絶対に等価ではない。俺が泣いたらさらに悪者にされかねない。男女不平等を噛み締めながら俺は呆然と立ち尽くしていた。
「あと、ママの名誉のために言っておくと、パパから教わったんだからね。人に聞くときは自分から言えって」
嘘くさい泣き声混じりに今野が言ってきた。お前の父親どうかしてるぞ!
クラスのほとんどを味方につけた少女を前に、気がつくと俺は謝ってしまっていた。
「ご、ごめん」
自分は何にも悪くないのに謝罪する。こんなにも屈辱的なことがあるだろうか。
俺は絶望の中、助けを求めるように隣の席の、かつては親友だった中村の方を見る。やっぱりお前だけは俺の味方だよな。
「まあ谷藤は昔から女子を泣かすの得意だったからな、気にするなよ」
やっぱりお前は友達ですらない!
さらに、なぜか突然中村は立ち上がり、
「おなごきく
なんじのパンツ
何色ぞ
知りたくも無し
知りたくも無し」
急に短歌を詠み出した。何言ってんだこいつ。
ところが、
「キャーーーー、中村君かっこいい!」
「えっ、何それ面白い。確かに谷藤のパンツなんて誰も知りたくないよな」
「ちゃんと五七五七七になってんじゃん」
「やっぱ中村は谷藤と違って面白いな」
「いとをかしー、風流ですなぁー」
なぜかみんな口々に絶賛している。
ドヤ顔の中村が俺の方を見る。
「『谷藤が今野にパンツの色を聞いた』っていう誤解は解いてやったぞ。感謝しろよ」
完全に上から目線で恩着せがましく言う。誰が感謝するか!
俺が得るはずだった賞賛を得た中村への嫉妬と冤罪で悪者になってしまった屈辱の中、足に力が入らなくなった。俺はヘナヘナとシートに座り込んだ。
通路に立っていた今野が俺を見下ろしている。顔には涙の跡もない。やっぱり嘘泣きだったんじゃん! 薄れゆく意識の中で、「しっかりしてよ、谷藤。次で最後なんだからね」勘違いかも知れないが、今野がそんなことを言っているような気がした。コンッ。
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