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竜と生きる人々 冥府の女王  作者: 蓮見庸
第一章 光と闇
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迷いの先に

 その男によると、その竜はとても不思議な力を持ち、人間なら永遠の生を約束することもできるし、尽きた生命いのちさえよみがえらせることができるという。

 たとえ肉体としての身体からだは滅んでいても、その生命いのちが存在した痕跡こんせき、その場に残った気配があれば、生き還らせることができるという。竜と人々が共存していた時には、そんなことがあったそうだ。

 男はそれらのことを興奮気味にしゃべった。そしてこの力を研究したいと言ったのだったか。わたしの想像の及ばない話だったので、頭の中で理解するのに時間がかかった。

 ノアは身を乗り出すようにして聞いていたが、わたしにとってはこんな話はそもそも半信半疑だった。男はこういう話が好きなのだろうか。

 ほんとにそんなことができるのだろうか。

 それこそおとぎ話だった。

 もしそれが本当だったら、この世は死んだ生命いのちであふれかえることすらあるのだろうか。

 それより、そんな世の中のことわり、自然の摂理せつりに反した禁忌きんきを犯してもいいものなのだろうか。

 そんな力を悪意のあるものが手に入れてしまったら、いったいこの世はどうなってしまうのか……。

 わたしは考えれば考えるほど恐ろしくなってきた。

 でも……。

 でも、もし仮にそうだとして……。

 ひょっとしてその力があれば、エレナを……?

 いえいえ、仮にでもそんなことを考えちゃいけない……。

 でも、悪いことをしようっていうわけじゃないし、エレナだけなら……?

 そうよ、エレナだけなら……あんな小さな子ひとりを生き還らせるだけなら……?

 それくらいなら大丈夫なのではないか……神さまも大目に見てくれるのではないだろうか……?

「……リタ? おい、リタ?」

「え?」

「ぼーっとして、大丈夫か?」

「え? えぇ……。あら? あの男の人は?」

「さっき帰ったじゃないか。ひとところに長居はできないって……」

「あ、そう、そうだったわね」

「ちょっと、疲れてるんじゃないか? 今日は客ももう来そうにないし、休ませてもらったらどうだ?」

 ノアがわたしの顔を覗き込むように言った。

「そうね、最近忙しくてお休みもなかったし……。おじさんに聞いてくるわ」

「ああ。あとは任せとけ」


 わたしは二階の部屋へ行き、ベッドに横になった。

 目をつぶると、屋根に叩きつける強い雨音が波のように寄せては引いていく。

 ……

 …………

 ………………

『ママ、こっち、こっちー!』

 明るい林の中をエレナが笑いながら元気に走っていった。

『エレナ、遠くに行っちゃだめよ! 危ないわよー!』

 わたしはエレナの後ろ姿に声を掛けた。

『ママとパパがいるから、だいじょうぶー!』

 わたしたちは林を抜け広い草原に出た。エレナはなおも走り続けていた。

『エレナ! そろそろお昼にするからこっちおいで!』

 ノアも声を掛けた。

 その時、突然、エレナの前に赤いマントの男が現れた。

 かぶとの下から覗いた顔は、汚いものでも見るような目をしていた。

『エレナ! そっちはダメ!!』

 エレナは立ち止まり、その男を不思議そうに見上げていた。

『早く戻ってきなさい!』

 わたしとノアは駆け出そうとしたが、身体は鉛のように重く、気が焦るばかりで、まるで沼にはまったかのように足はまったく進まない。

『きゃー!!』

 エレナの叫び声に顔を上げると、赤いマントの男の握っていた剣が突き刺さり、背中から飛び出したその突先とっさきを伝って真っ赤な血がしたたり落ちていた。

『エレナ!!』


 激しい動機とともに目が覚めた。

 ……………………

 気持ちを落ち着かせようと、ゆっくりと深呼吸をしてみる。

 ………………

 まわりはとても静かだった。

 久しぶりのエレナの夢。

 とても生々しかった。

 ベッドに入ってから何時間経ったのだろうか。寝るつもりのないまま横になっていたが、いつの間にか寝てしまったようだった。

 夢の中のエレナの姿を思い出そうとした時、扉の開く音がしてノアが部屋に入ってきた。何かをテーブルに置く音のあと、彼はわたしのベッドに腰掛け、小さく声を掛けてきた。

「リタ、起きてるか?」

「ええ……」

 雨音はやみ、窓からは月の冷たい光が差し込んでいた。表情の見えないノアの影がひときわ大きく見えた。

「具合はどうだ?」

「大丈夫よ。なんともないわ」

「そうか。夕飯はどうする? スープとパンを持ってきたけど」

「今日はいらない。お腹すいてないの」

「わかった。じゃあ、水だけでも飲んだらどうだ」

「そうね。あとでいただくわ」

「うん、そうするのがいい……。なあ、リタ……」

「なに?」

「昼間の話、どう思う?」

「昼間の話って、男の人の竜の話?」

「ああ」

「竜の国があるなんて信じられないけれど……」

「それもそうなんだけど、特別な竜がいるっていう……」

 わたしは大きくつばを飲み込んだ。そしてノアのこの言葉を聞いて、ひょっとして自分と同じことを考えているのではないかと思った。けれどそれを口にしたら、なんだかいけないような、二度と後戻りできなくなるような気がして、返事をするのをためらってしまった。

「あれが本当なら、あんな力があるんなら、ひょっとして……」

 その先を彼に言わせてはいけない。わたしはさえぎるように口を開いた。

「ノア……。わたしと同じことを考えているの?」

「同じことって…………エレナのこと……か?」

「やっぱり……」

「そうだよな……俺たちふたりの子供だもんな……」

 村を出てから、わたしたちはあえてエレナのことを口にすることはなかったが、わたしは彼が今でもエレナのことを思っていてくれることがとてもうれしかった。

「竜の力があれば、エレナを……」

 ノアは祈るように両手を合わせ額をこすり付けた。

 そして顔を上げた時、その暗くて表情がわからない影の中を、月の光を反射させながら落ちていくしずくが見えた。


 明け方、わたしはまた夢を見た。

『ママ、はやく助けに来て……』

 真っ暗闇の中、エレナの寂しそうな声だけが聞こえてきた。

『エレナ、どこにいるの?』

 わたしは闇の中を手探りで探した。

『わたしはここにいるよ』

 声のする方を探して手を伸ばしてみても、この手につかむのは闇だけ。

『どこ? ねえ、どこ? どこにいるの?』

 わたしは必死に探した。

 すると闇の中からエレナの顔だけがぼぉっと浮かんできた。

 その顔はとても悲しそうな表情をしていた。

 わたしは両腕で抱きしめようとしたが、そこにエレナの姿はなく、自分の腕があるだけだった。何度抱きしめようとしてもできなかった。

『ママ、早くここから出して……』

『エレナ、ごめんね。こんなところにひとりじゃ、寂しいに決まってるわよね。ほんとに、ごめんね。必ず戻って助けてあげるから待っててね……』


 *


 それから三年間、わたしたちは働きながら竜の情報を可能な限り集めた。時間を見つけては町のあちこちを歩き回ったり、いろいろな人から話を聞いた。知り合いのいないこの町で、食堂兼宿屋で働いているのはとても都合がよかった。なにせ、食堂に来る顔なじみからたくさんの知り合いを紹介してもらえたし、旅人からもゆっくり話が聞けたのだから。ただひとつ予想が外れたのは、あれ以来、黒い服を着た人がひとりとして来なかったことだった。

 男の言った通り、この町には竜にまつわる話がたくさん残っていた。それこそ子供が読む絵本に出てくるものから、生活に染み込んだことわざや伝説として伝わっている話まで。そして、それらの断片ピースを繋ぎ合わせていくたびに、男が語った話の信憑性しんぴょうせいが増していくのだった。


 そしてわたしたちは、竜の国を求めて町を出ることを決めた。

 エレナのために、できることはすべてやろう。それがわたしたちの生きる意味になっていた。そのためになら途中で命を落としても構わない。

 旅立ちの日の朝、わたしたちはあの黒衣の男と同じ格好をして、店の前に立っていた。黒い服は難を逃れるという言い伝えがあり、それにあやかった。

 空は一面灰色の雲に覆われ、夕方のように薄暗かった。

 「気を付けてな」

 「はい。長い間たいへんお世話になりました」

 「わがままを言ってすみません」

 「いや、元気でやってくれればそれでいい。いつでも帰ってきて構わんからな」

 わたしとノアは荷物を背負い、後ろを振り返ることなく歩き出した。


「おい。これからまたさみしくなるな。あいつが生きてればこんな感じだったんだろうか」

「あんたもそう思ってた? ほんとの息子夫婦みたいだったわよね」

「そうだな……」

「ほら、元気だして。明日からまたがんばりましょ」

「……今日は特別に飲むとするか! 付き合ってくれるか?」

「ええ、いいわよ」

 いつまでも見送り続ける店主たちの会話は、ふたりの耳に届くことはなかった。


 *


 この町は後にリステンダール国の支配下に置かれ、抵抗する多くの住民が理不尽にも虐殺されたということだ。

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