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竜と生きる人々 冥府の女王  作者: 蓮見庸
第一章 光と闇
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不思議な力を持つ男

 真夜中に降り出した雨は次第に強くなり、明け方には一度弱まったものの、昼を過ぎた頃には嵐の様相を呈してきた。

 そんな時にその男はやってきた。黒い上下の服を着て、どこか陰鬱いんうつな雰囲気をまとっていた。

 男が店の中に入ると同時に強い風が吹き込み、扉が音を立てて閉まった。

「いらっしゃいませ。ひどい嵐ですね。雨具は中で乾かせますが……」

 店の入口にいたノアがさっそく声を掛けた。

「いいや、大丈夫だ。雨具は使わない主義でね」

「この雨で雨具を……? では、タオルはお使いになりますか?」

「それも結構。席へ案内してくれ」

 唖然あぜんとして立ち尽くすノアを横目に、わたしはメニューを持って、その男を店の奥で赤々と燃えている暖炉の前にあるテーブルへと案内した。店で一番いい席だ。

 この天候なので今日は客は少なく、しかも遅い昼食で残っていた客も男と入れ替わるように次々に家路にいた。

 男は雨具は使っていないと言っていたが、奇妙なことに服は上下とも水に濡れた形跡はまったくなく、靴の裏だけが濡れているようで、床に残される足跡が妙に生々しかった。

「誰もいなくなったようだが、注文はまだ大丈夫なのか?」

 男は椅子に座り、メニューを見ながら言った。

「はい。いつお客様がいらっしゃるか分かりませんので、いつも通りお店は開けておりますから」

「じゃあ、何を注文してもいいんだな?」

「はい」

 わたしがそう言うと、こわばっていた男の表情が急に緩んだ。

「そうか! あー、助かったー!」

 男の声は、その風貌ふうぼうに似合わず、高く陽気な感じがした。

「この雨だろ? 店はどこも閉まってて飢え死にするところだった。じゃあさっそく飲み物からだな。このあたりで一番うまい酒を頼む!」

「はい。ではこのあたりで作られている地ビールをお持ちします」

「お、地ビールか。いいねー!」

 男はビールを飲み干すと、「生き返ったー」とか何とか言いながら肉料理をいくつか注文し、それらを平らげると満足した様子で言った。

「はぁ、うまかった。これがおふくろの味っていうのか、何というのか、家庭料理って書いてあったか? まあ、なんにしても懐かしい味だった。それに酒もまたいいねぇ。他におすすめの酒はあるのか?」

「名産の赤ワインもありますが、いかがでしょうか」

 わたしは少し考えてからそう勧めた。

「食後の赤ワインか。うん、それも悪くないかもな。もらおう」

「ありがとうございます」

「それから旦那だんな、時間があったらちょっと話し相手になってくれないか?」

 男が振り返って言うと、テーブルを磨いていたノアは不思議そうな顔をして返事をした。

「話し相手に、ですか? そうですね……店主に断ってきますから、お待ちください」

 ノアは店内に他に客がいないのを念のため確認し、エプロンを外しながら、店の裏で片付けをしているはずの店主の所へ向かった。

「てっきり彼が店主だと思ってた。悪かったかな」

「いいえ、どうぞお気になさらず。他にお客さんもいませんし。今、赤ワインをお持ちします」

 わたしはカウンターへ行き、奥の棚に並べてあった赤ワインのびんを一本選び出した。

「それにしても今日はよく降るなぁ……」

 ワインの壜とグラスをお盆に乗せてテーブルに戻ると、手持ち無沙汰の男がひとりごとのようにつぶやいた。

「そうですね。いつもはお店も混んでいるのですが、この天気ですので、さすがにお客さんもみんな帰ってしまいました」

 その時、どこかで扉が閉まった音がしたかと思うと、続いてガラスのこすれる音がして、ノアが濃い緑色をした半透明の壜とコップを2つ手にしてテーブルに戻ってきた。

「ちょっと休憩をもらってきました。リタ……あ、妻の名前です。彼女も一緒によろしいですか?」

「ああ、ぜひとも。ご夫婦だったんだな」

「そうです。ではお邪魔します」

 ノアはそう言うと、椅子を引いてわたしにも座るよう促した。

「あんたたちもワイン飲むか?」

「いえ、まだ仕事の途中ですので遠慮しておきます。わたしたちはこのぶどうジュースで失礼します」

 そう言うとノアは壜を手にして中身をコップに注いだ。ほんのわずかだけ黄色を帯びた、わたしの好きなぶどうジュース。

「それじゃ、乾杯するか。出逢いを祝して!」

 男が言ってコップを軽く鳴らすと、わたしはぶどうジュースをひとくち含んだ。軽やかな甘みと酸味が口いっぱいに広がった。


 男はペドロと名乗った。

 彼は何年もひとりで旅をしていると言った。針のような山を越え、人食い沼と呼ばれる湿原を渡り、どこまでも続く乾いた砂漠を歩き、水平線しか見えない海の真ん中に浮かぶ島にも行ったことがあると語った。

 そのどれもが、わたしたちの知らない場所の話だった。うまく想像できているか自信はないけれど、わたしは海を一度見てみたいと思った。

 彼の話がひと区切り付いた時に、ノアが、同じように真っ黒の服を着て旅をしているという男にわたしの病気を治してもらった話をしたら、彼はどうやらその男を知っているようだった。

 ただ、彼はその話をあまりしたくなさそうだったので、ノアは話題を変えた。

「ひとつ聞いてもいいですか?」

「ああ、何でも聞いてくれ」

 彼はグラスにワインを注ぎながら言った。

「この嵐の中、傘も差さずに店まで来て、それなのにほとんど雨には濡れていないようでしたが、それはいったいどういうカラクリなのですか?」

 わたしもすごく気になっていたことだ。

「ああ、それは、えっと……なんて言ったらいいかな……」

 男は眉間みけんにしわを寄せ、あごに手を当ててしばらく考えていた。

「そうだな……。われわれ一族に伝わる不思議な力とでも言えば納得してくれるか?」

「不思議な力?」

「そう。俺の場合は体全体を包む透明なまくができる、というのをイメージしてもらえるとわかりやすいかもしれないな」

「透明な膜が? それで雨が降っても濡れないというんですか?」

「ああ、そうだ」

 そんな話、生まれて初めて聞いた。ノアも信じられないという顔をして彼を見ていた。わたしは男をあらためて見てみたが、特に普通の人と変わったところはなかった。強いて言うなら、耳が少し尖っているところくらい。

「でも、なんていうか……疲れたりしないんですか?」

 わたしは間抜けな質問だとは思いつつも、そう聞いてみた。

「少しは体力も使うが、雨程度ならなんてことはない」

「雨じゃないものも防げたりするんですか?」

 ノアが聞いた。

「できる。例えば岩が落ちてきそうだったり、やぶの中を歩く時だったり、危険なところはそうやって切り抜けてきた。ただ、あんまり力を使っていると動けなくなるほど疲れ切ってしまうけどな」

「そんなことができるなんて……」

「俺はこういう力だけど、人によっては病気や怪我を治したり、物を燃やしたり。ひとつのことしかできなかったり、いろんな種類のことができるやつもいる」

「それじゃあ、ひょっとしてわたしの病気を治療してもらえたのも、その不思議な力のおかげですか?」

「たぶんそうだと思う。そんなことをするやつはひとりしか思い浮かばないんだが……。まあ、あんたの病気が治ってよかった」

 わたしは男のその言い回しに少し引っかかるところがあったが、そのまま聞き流した。

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