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竜と生きる人々 冥府の女王  作者: 蓮見庸
第一章 光と闇
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この町で

 わたしとノアは旅を続け、ある大きな町へ辿たどり着いた。

 その町は活気に満ちあふれていた。町の中心部では、わたしたちの村の人たちを何十倍も集めたような数の人々がひしめき合っていた。これだけ人のいる町を見たのは、わたしたちにとっては初めてのことで、その喧騒けんそうに、ともすると気後きおくれしてしまいそうだった。

 ここは日替わりの市場だった。今日は野菜と果物がメインで、村ではなかなか手に入らなかったものが、ここでは山積みになっていた。

 通り過ぎる人々はみな小綺麗な格好をしていて、わたしたちはついついそんな彼らをじっと見つめてしまい、目が合うと怪訝けげんそうな顔をされた。そのたびにわたしは場違いなところへ来た気がして、恥ずかしい思いをしたのだった。

 わたしたちは裏通りにあった食堂に入った。まだ昼前だったが、店の中ではすでに多くの人が食事をとっていて、わたしたちは空いた席を見付けてテーブルについた。表に出してあったメニューの値段の安さを見て入るのを決めたのだったが、運ばれてきた食事は素朴な見た目の料理ながらとてもおいしかった。

 ちゃんとした料理を口にしたのは何日ぶり、いや、何十日ぶりだろうか。とにかく村から遠いところへと歩き続けてきたが、お腹が満たされると、なぜか急にエレナのことが思い出されて、ほんとうにこれでよかったのかと後悔の念が頭をもたげてきた。わたしが黙っている間、ノアは何も言わずにそっと見守ってくれた。あれだけしゃべるようになっていた彼は、また昔のように口数が少なくなっていた。

 店を出る時、壁に貼られた求人の紙がわたしの目に入ってきた。そこには大きく、住み込みで働く人を募集していると書かれていた。

「ねえ、ノア。ここで働かせてもらわない?」

 店を出たわたしはさっそく彼に言った。

「俺も同じことを思っていたところだ。そろそろお金も厳しくなってきたしな……」

「それじゃ、さっそく聞いてみましょうよ」

 わたしはひとり店の中に戻り主人に求人のことを聞くと、昼食時の混雑が落ち着いた頃にあらためて来てほしいとのことだった。

 それまでしばらくの間、わたしたちは町を歩いて見て回ることにした。

 家々の間をうように流れる水路、頑丈そうな立派な建物、見たこともないガラスのケースに並べられたきらびやかな装飾品、ところ狭しと掛けられた服、道具類の数々、ここでは目に映るものすべてが新鮮だった。貧しい村とは大違いだった。そしてもうひとつ気が付いたことがあった。それは、家の門や店の看板などに竜の形のレリーフがよく飾られていること。


「お、来たか。客もちょうどいなくなったところだ。まあ、そこにかけてくれ」

 白髪がかった小柄な店主は、わたしたちの姿を認めると、手招きをして椅子に座った。

「それで、あそこの貼り紙を見たということだったかな」

「はい、そうです。住み込みの仕事があると書いてあったので、お話させていただきたいと思いまして……」

「ふたりで、ということかな?」

「ええ、そうです」

「そうか。うーん……」

 店主はそう言うと、腕組みをしてわたしたちの顔を見比べて何かを考え始めたようだった。眉間にしわを寄せてみたり、天井を見上げてみたり、そして目をつぶったまましばらく沈黙が続いた。

「あの、やっぱりだめでしょうか……」

 わたしはおそるおそる聞いてみた。

「ん? だめというと?」

「難しい顔をして考え事をされているようでしたから、わたしたちじゃ働かせてもらうのは難しいのかと……」

「いやいや、何の仕事をやってもらおうかと考えていたところだ。先週までお前さんたちと同じような夫婦が働いていたんだが、急に町を離れることになってしまってな。止めるわけにもいかない事情があって彼らは数日前に出ていったんだが、わしらだけじゃやっぱりどうにも手が回らなくなって、今朝ちょうどあの求人の紙を貼り出したところだったんだ。働いてくれるならとても助かる」

「それじゃあ……」

「最初に声を掛けてもらった時から、もう働いてもらうつもりでいた。よけいな心配をさせてしまったみたいですまんかった。こちらからもお願いしたい」

「わたしたち、こんな仕事は初めてなんですけど、大丈夫でしょうか?」

「誰だって、いつになっても初めてはあるもんだ。わしたちも最初は素人だったんだ。いや、今でもかな。やる気さえあれば、仕事はゆっくり覚えてくれればそれでいい」

「俺は少し右手が不自由なんだけれど……」

 ノアは右手にはめていたグローブを外し、店主に向かって手を差し出しながら言った。

「どれどれ……けっこうな傷だな。物は持てるのか?」

「はい。重いものをもつのは問題ないけれど、細かい動きがちょっと……」

「それなら問題ない。わしは腰を悪くしてしまってな、代わりに荷物を持ってくれるならとてもありがたい」

「よかったわね、ノア。ありがとうございます。がんばって働きます!」

「そう言ってくれるとうれしい。こちらこそよろしく頼む。それで、失礼だがあんたたちはどこから来なさった?」

「少し離れた村からですが……やっぱり町の人じゃないと仕事に支障があるのでしょうか?」

 わたしは田舎の村にいたことに負い目を感じて聞いた。

「あ、わるいわるい。詮索せんさくするわけじゃないんだ。あまり聞かない話し方だったもんで、つい気になってな。いつものわしの悪いくせだ。忘れてくれ」

「……俺たちは」

 ノアがわたしの顔を見てから、ためらいがちに話をしようとした。

「いや、話さんでいい。人はそれぞれいろんな事情を抱えているもんだ。言いにくいこともたくさんあるだろ。ちゃんと働いてさえくれればそれでいい。それに、さっき自分の傷のことも先に言ってくれただろ。やましい心があれば隠すもんだ。それだけで信用できる人たちだとわしにはわかる。ところで、あんたたち料理は作れるか?」

「他人に出せるような料理は作ったことはないけれど、わたしはずっと食事を作ってきました」

「彼女の作る料理がうまいのは俺が保証します」

「そりゃありがたい。今どきは包丁さえ握れんやつらが多すぎての。今はあいつがひとりでやっとるから手伝ってくれると喜ぶだろう」

 そう言って主人は厨房にいた奥さんを呼んできた。

 彼女は白いエプロンを外しながら主人の横に座り、ずっとにこにこしてわたしたちの会話に加わった。

「そうそう、そういえばまだ名前を聞いてなかったな」

「あ、すみません。すっかり忘れていました。わたしはリタで、こっちは夫のノア……」

 この店では食事と宿を提供していた。食堂は町の人がよく利用する店のようで、なかなか忙しいそうだ。宿を利用する人は今はあまり多くはなく、使わないと悪くなってしまうということで、わたしたちはその一室を使っていいことになった。

 わたしたちの仕事は、客への食事の提供に加えて、ノアは食材の運び入れにはじまり部屋の掃除や手入れなどの力仕事が、わたしは料理の手伝いが主なものになった。部屋とまかない付きの条件で、しかも給料もちゃんともらえるという願ってもないものだった。

「さっそく明日から、と言いたいところだが、疲れとるだろうし明日は一日好きにやってくれ。あさってからしっかり頼むぞ」

「ありがとうございます!」

「いやいや、こちらこそよろしく頼む」

 わたしとノアが深く頭を下げると、主人たちも同じように頭を下げた。


「久しぶりにちゃんとしたベッドで寝られるな」

「ほんと、こんなにいい部屋も使わせてもらって。あさってから、がんばらなくっちゃね」

 ふたりとも夢を見ることなくぐっすりと眠り、朝早くに目を覚ました。

 ノアが窓を開けると、ちょうど日が昇るところだった。レンガ造りの建物が赤く照らされ、連なる屋根の中から高く突き出した塔の先端が輝いた時、まるでわたしたちの新しい生活を祝福してくれるかのように鐘が鳴った。

 階下からはとてもおいしそうな料理の匂いが立ち昇ってきた。


 *


 それは、わたしたちが働き出して半年ほど経った頃だろうか。すっかり仕事にも慣れ、仕事の合間に客と話をする余裕も生まれてきた頃。

 この町に来て初めて経験する、とても激しい雷雨の午後に、ひとりの男が店にやってきた。

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