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竜と生きる人々 冥府の女王  作者: 蓮見庸
第一章 光と闇
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あてのない旅路で

「いつか必ず戻ってくるから……。エレナ……どうか……安らかに…………」

「エレナ、俺達が悪かった。許してくれ……」

 小高い丘の上に立つ一本の大きな木の下。彼女にはひときわ見晴らしのいいこの場所が一番似合っていると思った。

 ここなら木の枝葉が雨や風から守ってくれるし、近くのせせらぎには鳥もたくさん遊びに来るから寂しくないだろう。

 この場所にはノアの畑仕事の合間に三人でよく遊びに来た。彼女はノアと一緒に走り回り、わたしとは花を摘んで遊んだものだった。

 わたしとノアは集められるだけの花を集め、彼女の眠る大木の根元を飾った。

 花輪も作ってあげた。彼女がそれを頭に乗せている姿を想像すると、また涙がとめどなく流れた。

「リタ、ほんとうにいいんだな?」

 ノアがたずねた。

「……ええ」

 わたしは覚悟を決めて答えた。

 村を眼下に、遠くどこまでも続く山並みがあった。太陽はその折り重なる山のいただきのひとつ、天を目指し鋭く尖ったシルエットを浮かび上がらせた。そして群青ぐんじょう色から山吹やまぶき色にグラデーションをなす空には、薄紫うすむらさき色に染まった雲が長くたなびいていた。

 わたしはこの風景を目に焼き付けた。

 この世で一番幸せを感じ、この世で一番苦しみを味わった、この風景を。


 兵士の一団はしばらくのあいだ村に居座り、その間に抵抗した村の何人かは殺され、拘束された多くの人が肉体的に、そして精神的にも苦痛を強いられた。村全体がこの騒動に翻弄ほんろうされたが、やがて兵士たちは村を取り仕切る数人を残して次の場所へと向かっていった。

 村長の権限は剥奪はくだつされたということになったらしい。けれど村長の権限も何も、そもそもわたしたち村の人達に慕われていた彼に、無理を言ってなってもらったものだから、彼はその地位にも権限などというものにもまったく興味はないだろう。どうしたら村の人々が幸せになれるか、いつもそればかりを口にしていた。そんなことをわかろうともせず、とにかく誰か違う人間を村長にえるという話が聞こえてきた。表面的に形だけ変わればそれでいいのだろう。それで兵士はみんな出ていくという。それならば、そちらに都合のいい人間を誰か寄越よこせばよいだろうと思うが、こんな小さな集落に人を置いておくほどリステンダールという国に余裕はないのだろう。

 これから村の命運がどうなっていくのか誰にもわからないが、悪夢のように過ぎた日々から、ひとまずのところ落ち着きを取り戻しつつあった。


 そしてかつての日常の生活がおぼろげながら見えるようになってきた頃、わたしとノアは村を出ることを決心したのだった。

 わたしたちがいなくなると村の人たちが兵士たちから詰問きつもんされるかもしれない。けれど、どこを見てもエレナとの思い出しかないこの土地で生きていくのは、わたしたちにとってはあまりにもつらすぎた。わたしにはこの青空でさえも心に重くのしかかってくるように感じられた。今はもうここにいるだけでも耐えきれず、頭がどうにかなってしまいそうだった。

 行くあてなどない。どこでもいい、どこか知らない遠くの土地へ行きたかった。

 エレナの亡骸なきがらを残していくことも、心が引きちぎられそうなほどつらかった。けれど、ノアとふたりで話し合って決めたこと。彼はわたしとずっと一緒にいてくれると言った。

 エレナには、いつかきっと戻ってくることを誓った。


 わたしたちは月のない深夜、闇にまぎれ、村から逃げ出した。

「エレナ、さようなら。いつか必ず戻ってくるから……」

 わたしは一度だけ振り返り、そこにいるはずのないエレナの姿を探している自分に気が付いた。そして未練を断ち切るように強く頭を振り、暗い森の中に溶け込んでいくノアの後を追った。

 遠くでけものの遠吠えが聞こえた。


 *


 大きな河を渡り、丘を越え、ある時は荷車に乗せてもらい、いくつも集落を過ぎ、どの山の向こうから歩いてきたのか、その方角すらもわからなくなった頃、連日歩き続けた疲れが出てしまったのか、それとも何かよくないものを口にしてしまったのか、わたしは高熱を出し三日も寝込んでしまった。

 わたしは旅の途中で泊めてもらっていた農家の納屋に、簡易的な寝床を作って寝ていたが、そこへノアがある男を連れてきた。長いひげをたくわえて、一見若そうに見えるが、実際の年齢はうかがい知れず、おまけに全身真っ黒な服を着て、あやしげな風貌ふうぼうの男だった。あとでノアに聞いたところによると、本当か嘘かわからないが、さまざまな病気を治すという不思議な力を持ち、いろいろな土地を巡っては、病気の人を治療して回っているという、なんとも奇特きとくな男だそうだ。ただ、その男は決して名乗ろうとはせず、誰も名前を知らないということだった。

 その男は仰向けに寝ていたわたしの頭や胸のあたりに手をかざすと、何やら口の中でつぶやいた。するとわたしは身体の中心からあたたかくなってくるのを感じて、さらには強い眠気に襲われた。

「この薬草をせんじて飲めば、じきによくなるだろう」

 男はノアに薬草を手渡して言った。

「ありがとうございます。それで病気を看ていただいたお礼ですが……」

「いや、それは遠慮させてもらっている」

「ですが……」

「これはわたしの趣味みたいなものだからね」

「趣味……ですか?」

「ああ、人助けと言ったほうが世間体はいいのかもしれないが、いかにも偽善者っぽく聞こえるだろ? まあ偽善者には違いないのかもしれないが、人助けなんて自分から言うやつほど信用できないし、趣味と言ったほうがどうもわたしにはしっくりくるものでね」

「そうですか。何にしても、ありがとうございます。恩に着ます」

 ノアは男に向き直って深く頭を下げていた。

「いやいや、元気になればそれに越したことはないよ。あ、そうだ、ひとつ聞いてもいいかな?」

「はい、何でしょう?」

「竜について、何か知っていることはないか?」

「竜? 竜……というと、おとぎ話などに出てくるあの竜ですか?」

「ああ、その竜だ。見たとか、聞いたとか、うわさでも何でもいいんだが、知らないか?」

「いえ、それこそ、おとぎ話でしか聞いたことはありません。でもなんで竜なんて……」

「なんというか、まあ、あれだ。昔話とか、伝説とか、そういうものにちょっと興味があってな。知らないならいいんだ。いや、変なことを聞いてしまった。忘れてくれ」

 わたしは途中から目をつぶり、ふたりの会話に耳を傾け、ときおり襲ってくる眠気に負けまいと、ノアと男の間で交わされる言葉を頭の中で繰り返していた。けれどそのうち、どちらが何を言ったのかだんだんと曖昧あいまいになってきた。

 やがて身を委ねたまどろみの中、耳に聞こえてきた竜の姿を頭に思い描こうとしたが、どんな姿形をしているのか想像したこともなく、動物の姿をたよりに一から作り上げようとしてもそれは生き物の形になる前に崩れてしまった。確か、翼を持って空を飛び炎を吐くのではなかったか。そんなことを思い出して、あらためてその姿を想像しようとしたが、次第に思考は溶けていき、そのうちに深い眠りについていた。

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