神谷の失恋と得恋
失恋は誰でも経験するものだ。
初恋が実った幸運の持ち主はそんなにいないだろう。
ふられた後はひどく精神状態が荒れる。
人生が終わったような気分になるんだ。
そして、そんな弱った状態で異性に優しくされたらその子に惚れてしまうもの。
だから、俺は偶然にも訪れたその幸運を逃さなかった。
校舎裏の大樹の前で二人の男女が向かい合って立っているのを少し離れたベンチに座りながら眺めていた。
一人は同じクラスメイトの尾崎栄太。
テニス部に入っている細身のイケメンだ。
そして、もう一人は同じくクラスメイトの望月風子。
前髪を下ろして目元を隠している地味な女子。
いつも休み時間は本を読んで過ごしており、大人しい性格の子。
だけど、時折見せる笑顔がとても素敵で俺が恋している女の子。
「尾崎君、好きです!よかったら付き合ってください」
「あー……気持ちは嬉しいんだが、暗いやつはタイプじゃないんだよ。体はいいんだがな」
「か、体……?」
「胸もでかいし、スタイルがいい。でもなぁ~……あっ、そうだ、体の相性を確かめてからってのはどうだ?もしかしたら、お前のこと好きになるかもしれねえし」
「え……それは……」
「嫌なのか?望月の俺に対する思いってその程度のものなんだ。あーあ、がっかりだよ」
「ち、ちがっ、いつも私に優しくしてくれて、学校休んだときもノート見せてくれたり……だからっ!」
「じゃあ、一回ぐらいやらせろよ。それが筋ってもんだろ」
そういい尾崎は望月の腕を掴んで引き寄せているのが見えた。
「痛いっ!やめてっ……」
風に乗って聞こえてくる小さな悲鳴。
ベンチに座っていた俺は半分食べた焼きそばパンを横に置き、立ち上がった。
テニス部の尾崎は握力が強く、帰宅部の望月ではどう頑張っても逃げられないだろう。
腕を掴み無理やりキスをしようとする尾崎に対して顔を背けて抵抗している。
これじゃ、無理やり襲っているようにしか見えないな。
それが癇に障ったのか、今度は無理やり望月の大きな胸をにやけ顔で揉みはじめた。
「おい。そこらへんにしとけ」
「あ?なんだ、神谷か。こいつは俺のことが好きみたいだから、いいんだよ」
俺は望月に視線を向けると、目に大粒の涙を溜めているのが見えた。
告白した相手からこんな仕打ちを受けるなんてショックだろうな。
「とてもそうは見えないが?」
語尾を強めてにらみつけると、尾崎は彼女の腕を放した。
「っち。なんか白けたわ。ま、一発やらせてくれる気になったら声かけてくれ、そしたら考え直してやっからよ」
捨て台詞を残して、その場を去っていった。
望月の泣き声だけが聞こえる静かな空間で、俺は大樹に背を預けて腕を組んだ。
失恋の傷は簡単には癒えるものではない。
どんな慰めの言葉をかけたところで、余計みじめは気持ちになるだけだ。
俺にも経験があった。
好きな子に振られたときに友人から「女なんて星の数ほどいる」なんてありふれた言葉をかけられことがある。
だが、そんなものは何の慰めにもならない。
宇宙を照らす数々の星の中でも俺の心の中で常に光り輝いている北極星に惚れたのだ。誰も彼女の代わりにはならないと思っていた。
今振り返ってみると、友人の言う通り数ある星の中の一つにしか過ぎなかったのだが、当時の俺からしてみると生きる意味を見失うほどの絶望を感じた。
俺が立ち直れたのはそんな鬱状態の中、常にそばに寄り添ってくれた幼馴染の存在だった。
向こうは俺のことを恋愛対象に見ていなかったらしく、中学の卒業式に告白したが見事に玉砕をしたのは記憶に新しい。
「変なとこ見られちゃったね。でも、助けてくれてありがとう」
ようやく落ち着いたのか、顔を上げた。
まだ目は赤く、泣き跡は残っているが涙は止まったようだ。
「よけいな真似しちゃったかな?もし、俺が助けに入らなかったら付き合えてたかもしれない」
勝手な判断で嫌がっていると思って助けに入ったが、人の感情は本人にしか分からない。
実は嫌がっていなかったという可能性がないわけではないからな。
特に好きな人が相手ならなおさらだ。
「ううん、いいの。尾崎君は私の体にしか興味が無かったみたい。なんか、悔しいな。今まで私に優しくしてくれていたのはただの下心からだったんだって」
「望月……」
俺は慰めようと頭を撫でようとした手をひっこめた。
彼女は悔しいと言ったからだ。
自分がただ見下されていただけだと知って。
「それで、神谷君はどうしてここにいたの?向こうのベンチで座ってたよね」
「あはは……気づいてた?」
「そりゃ、気づくよ。なんか、ずっと視線感じていたし」
ジト目で見つめられ思わず顔を反らして頬を指で掻いた。
俺はいつもこっそりと望月を観察していたので尾崎を校舎裏に呼び出してたことも知っていた。
ストーカーだと笑いたければ笑え。
大なり小なり恋をするとはそういうものだ。
「ごめん。実は望月が尾崎を呼び出したのを偶然知って、いてもたってもいられなかったというか……」
誤魔化さずに正直に答えた。
平静を装っているが彼女の心は荒れ狂っているはずだ。
振られたことを言いふらされるのではないかとか、自分のことを馬鹿にしているのではないかとか。
ただでさえ、クラスでは友達が少なく物静かな子だ。
必死に隠そうとしているが、泣き止んでからも体がずっと震えている。
とても壊れやすいガラスの状態。
「それは……どういう意味なの?」
前髪の奥から黒い瞳が俺の真意を覗こうと見上げてくる。
心の弱った状態のときに一番効くもの、それは共感だ。
どんなに悲惨な状況に陥っても身近に似た境遇の人がいるとそれだけで心が和らぐ。
だから、正直に胸の内を明かした。
「こんな状況で言いたくはなかったけれど、俺、望月のことが好きで自然と目で追ってて……だから、尾崎に告白した時は胸が張り裂けそうなほど痛かった。でも、今は少しほっとしてる。好きな子がつらい目にあってるにもかかわらず、俺は内心喜んでる。ごめん……ひどい男だよな」
同じ失恋の痛みを共有する。
尾崎にはひどく振られて自分には価値がないと自虐的になる前に、そんな彼女のことを好きな人がここにいると、同じ失恋を味わった人がここにいたと。
「そう、なんだ……」
沈黙が落ちる。
慰めようとして言った言葉だが、冷静に考えるとたった今振られた望月に告白してしまっていた。
もしかしたら、嫌われたかもしれない。
気持ち悪がられた可能性もある。
でも、少なくとも失恋の傷が多少なりとも和らいでくれたならそれでいい。
「ねぇ、私のどこが好きなの?」
消え入りそうな小さな声で訊ねてきた。
「二年生に上がったばかりの時、他クラスの友達と笑って話していた望月の笑顔を見てなぜか、すごい惹かれたんだ。それから、日がたてばたつほど好きになっていく自分がいたんだ」
クラスでは静かな女子が見せる素敵な笑顔。
俺だけが知っている彼女の魅力に勝手に優越感を感じていた。
「そう、じゃあ……私たち付き合っちゃう?」
何かを吹っ切ったような明るい声だった。
自暴自棄になったのかと思ったが、望月からは先ほどまでの弱弱しい態度は無く、まっすぐ俺の瞳を見つめていた。
「え?俺なんかでいいのか?」
「うん、神谷君がいい。体目当てじゃなくて、本当に私を好きなんだって感じたから」
風に吹かれて舞い上がる前髪を抑える彼女は額縁に入れたいほどに美しかった。
昼休みが終わり、二人並んで教室のドアを開けると、クラス中の視線が集まった。
何事かと見渡すと、真ん中の席で尾崎が椅子の背もたれに体を預けながらにやついて俺たちを見ていた。
こいつ、クラス中に告白されたこと話したな。
それで優越感にでも浸っているのだろう。
無視して教室に足を踏み入れるも望月は扉の前から動かなかった。
心配になって後ろを振り返り望月の方を見ると目が合う。
その目は教室を見渡すように左右に揺れ不安そうにしている。
当然だ。
誰だって告白して振られたなんて秘密にしたいに決まっている。
それなのに好奇な視線を浴びせられれば教室に入る足も震えて動かなくなってもおかしくない。
俺はクラス中に見られながらも望月と手を繋いだ。
「えっ、神谷君?」
「大丈夫だ。他の誰でもなく、俺だけを見て歩け」
そういって二人手を繋ぎながら教室へと足を踏み入れた。
望月は言葉通り俺の顔を凝視するから顔が熱くなるのを感じる。
これじゃ、恰好がつかないな。
「あれ?望月って尾崎に告白したんじゃないの?」
「神谷と手を繋いでいるぞ」
「告白されたって尾崎君の嘘?」
クラス中がざわめき始めた。
俺と望月は席が隣同士のため後方の窓際の席まで一緒に歩き座った。
「お、おい、何、俺の女に手を出してんだ」
尾崎が慌てたように俺の肩をつかんだ。
「何を言っているんだ。お前は望月のことを振っただろう。なら、俺が何をしようが関係ないはずだ」
「はぁ?振ってないだろ。保留してんだよ。望月もなんで好き勝手に手なんて握られてんだ。断れよ!俺のことが好きなんだろ?」
望月は物静かで大人しい子だ。
俺が知る限りクラス内で仲のいい子はいない。
そんな子がクラス中から注目を浴びてる中、好きだった陽キャの男にそんなふうに迫られては俯くことしかできない。
今ここで俺たちが付き合っていると公表してもいいが、彼女に相談もなく勝手にしていいことではない。
「そのぐらいにしとけ。自分が何をしたのか忘れたのか」
「っく。お前さえいなければ今頃……」
尾崎が無理やり望月の胸を揉んでいたことを言いふらされたくないのか、俺が睨むとおとなしく引き下がっていった。
もちろん、そんなこと言いふらすつもりは毛頭ない。
「なになに、三角関係?」
「てか、神谷君って地味な子がタイプなんだ」
「な、なんか……二人に挟まれて小さくなってる望月、か、可愛いな」
「うわぁー、なんか、きもっ……」
「てか、男子って望月みたいな子が好きなの?私も目元まで髪下した方がいいのかな」
こいつら、人の恋愛をなんだと思ってるんだ。
土足で踏み込むように好き勝手言いやがって。
せめて、本人に聞こえないように小さな声で話せよ。
俺はポケットからスマホを取りだしてイヤホンを付けると、俯いている望月の両耳にはめた。
「?」
突然の出来事に顔を上げて俺を見るので、優しく微笑む。
そして、お気に入りの音楽リストを再生した。
気に入るか不安だったが、望月は笑みを浮かべてから耳に片手を当て目を閉じた。
机の下ではお互いの手を握りながら。