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散文

核家族

作者: 永井晴

核家族とはーー夫婦のみの世帯、世帯主とその配偶者のみで構成する世帯ーー(僕はまだ子供の立場だ)


僕の口笛が部屋に響く。僕の口笛の音だけが。

家族というものは政治、経済との関係を断ち、ついには繁殖をするためだけの最小の共同体となった。とある学者が文章に書いていた。僕はいまそれを切々と感じている。子供が成長するにつれ、時間が経ってゆくにつれ、僕らの家の空気は徐々に希薄になった。

小さな子供は無条件に愛を与えてくれる。若い夫婦もお互いを愛し合っていた。しかし、それはむしろ呪いのようなものでは無かったか?僕らはいまそういった、既に見えなくなった愛の瓦礫に足を掴まれているのではないのか?抜け出そうにも抜け出せぬ分業の果て。支え合い、生きる場と言えば聞こえは良いが、それぞれが被害者であるという気味の悪い依存のようにしか見えないし、生の歓びなど誰が感じよう。

例えばあの学者の言うことを、僕らの親たちが見たらどう思うのか。恐ろしさのあまり、目を逸らすのか。それとも苦しげな反論でも喋り出すのか。結局僕には分からない。僕はまだ一応子供であるから。

少なくとも僕らのようなまだ子供である人たちの態度は、退廃的な開き直りといった感じがする。生まれて物心が着いた頃からの世界なのだから、至極当たり前のことのように思える。

「退廃的」とは、もう30年ほど前には言われていたような気分だ。いや、よく考えれば別に人類はいつでもそうやって世界を嘆いてきたはずだった。貴族社会の末期とか、多分。しかし僕らのこのぼんやりとした気分は、ひどく寒い真冬の日に、「昔の冬はこんなにも寒くはなかったのになあ」と思うのと同じだろうか。分からない。僕らの世代はまだ昔の冬というものを知らない。

少なくとも、行き詰まっている。そんな感覚はある。それは次へと行きつつあるということなのか。例えるなら膨張する宇宙の先端のような?そんなふうに楽観的に思うから、退廃的なのか。無痛主義という言葉が何となく浮かんできた。

ともかく僕らはもっと生を求めるべきだろう。空を仰ぎ、小川に寄り添い、土の匂いを嗅ぐのだ。ゆるりとした自然の中の時間が分かるから。ずっと昔から繋がる世界であると知れるから。

もしかすれば究極に個人的な問題で、僕らが単に大人になっていってるということだろうか。とにかく最近の僕らはもう、笑えなくなってきている。

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