根本的な創作論~自分の描いた物語が編集者の目に留まるまで②
小説家になりたい! 小学生の頃すでにそう考えていた私は、早速親に頼んで原稿用紙を買ってもらいました。
一番最初に描いた物語は、やはりファンタジーでした。
片田舎の少年が幼馴染の少女となにやら会話しているシーンを書いたことを、今でも覚えています。
ただし、この物語が動き出すことはありませんでした。自分で描きたいという衝動はあっても、どんな物語を紡いでいくかということは考えられていず、物語の断片(ドキドキ・ワクワクするシチュエーションのようなもの)が頭にあるだけで、先に進めることができなかったからです。
この辺が私の才能のなさ、ですかね。
もちろん、小学生になったばかりの子供がめちゃくちゃおもしろい話を考えられるとは思いません。
ここでいう才能とは、お話的にはメチャクチャでも最後までかき上げようとすることや、書き続ける力のことを指しています。
たとえば優れた作品を世に出している小説家や漫画家の先生方は、描き始めた年齢に違いはあれど、長い時間をかけて自分の物語を磨き続けてきたと思うのです。
取り組み方は人それぞれかと思うのですが、ストーリーはもちろん、小説家や漫画に必要とされる力を着々と身に付け、陽の目を見る。
一方の凡人である私は、目の前の楽しみや興味に没頭し、小説家になるということも頭の片隅に追いやってばかりでした。
ただ、物語自体は大好きだったため、小説、漫画、アニメ、ドラマ、映画、(物語性を重視した)ゲームにはかなりの時間を費やしました。
面白い物語に触れるたびに「いつか自分も――」という思いだけは消えることはありませんでした。
このことこそが、私の作品を世に出るまでの力になっていたと思うのです。
執筆という具体的な行動はできていなくても、私の頭の中では明らかに「自分だけの物語※」が醸成されていったからです。
※自分が心からワクワク・ドキドキし、「絶対おもしろい!」と思う物語のこと
つまり、小学生の頃に先に進められなかった物語が、多くの物語や私自身の体験を経て、ようやく頭の中でいくつかの形になりだした、という。
おそらく、「いつか小説家になる」という潜在意識みたいなものが、物語を形作るという作業を無意識のうちに、かつ自動的に進めてくれたのだと思います。
年を重ねるにしたがって文章を書く力(言語化能力)が身についてきた、ということもあるかと思います。しかし、だからといってすぐ行動に移せたかというとそうではありません。
友人や恋人との時間、部活動、受験勉強、大学進学、キャンパスライフ、就職、仕事。その時々でやるべきことは山ほどありました。もちろん楽しいことばかりではなく、辛いことや悲しいことも。
私が執筆活動に取り組みはじめたのは、就職して間もなくのことでした。家庭や職場でのあまりにもつらく、苦しく、過酷な日々が、執筆という名の(当時の自分にとっての)現実逃避に向かわせました。
目の前の現実と向き合いたくないがために、「絶対賞をとり、売れっ子作家になって印税で暮らす」、という目標にむかって具体的に動き出した、という笑
なんともなさけない理由で申し訳ないのですが、私にとって物語を考え、小説を書くという作業は、ただ自分の考えた「絶対おもしろい!」物語を世に出したいという純粋な思いから始まったのではなく、現実逃避の結果でもあったわけです。