⑧
私は学校を休むようになった。
いじめもそうだけど、実琴との喧嘩が私のなかでかなり堪えた。
「実琴に悪いこと言っちゃった」
姉への罪悪感と自分自身への嫌悪感を感じていたら、なんだか全てがどうでもよくなった。
学校を休んで一週間。あれから私のいない学級はどうなっているのか。
ぼんやりと考えるのは自分のことなのに何処か他人事のようで。
「……眩しい」
昼間からベッドに潜り、目を覚ますとカーテン越しに漏れる光が橙色になっていた。
ドスン、と上の方で音がした。
上のベッドからだ。実琴が帰ってきたんだろうか。
梯子の二、三段目まで足をかけ覗き込むようにそこを見る。そこにはベッドで制服を着たまま寝息をたてる姉の姿があった。
「実琴?」
制服のまま寝たら汚いよ。
言おうとするが喧嘩中だから声をかけにくい。
実琴は時々「うぅ」と唸るような苦しそうな声を漏らしている。
「実琴?」
残りの梯子を上りきり横になる姉の様子を伺う。
「……っ!」
なにこれ。
半袖の制服から出た白い腕には無数の痣があった。転んでできる傷ではない。明らかに殴られてできた打撲の痕だ。
それを見て、私は気づいた。
姉が学校でいじめられていることに。
どうして実琴が? まさか安城たちにやられたの?
でも、実琴は私と違って安城たちと関係ないはず。
「もしかして、私の代わりにターゲットにされた……」
苦しそうに眉根を寄せて眠る姉の姿を見て例えようもない気持ちに襲われる。
行かなきゃ。学校に。
私は明日の時間割り表を掴み、準備をした。
「……どうしていきなり行く気になったのさ」
靴紐を結ぶ私に実琴が怪訝そうな顔をして問いかけた。
朝七時半の玄関にて実琴と遭遇。
「……別に」
私の方が靴箱に近かったのでそのままスニーカーを履きだした。
「ずっと休んでたら学校が恋しくなったの」
ちら、と後ろで腕を組み立つ姉の腕を見る。腕には包帯が巻かれていた。
包帯はいかにも適当に巻かれていて今にも解けそうだった。
「……腕かして。いいかげんに巻きすぎ」
私は包帯を綺麗に巻き直した。
実琴は真っ直ぐに巻かれた包帯を見つめ「ありがとよ」とぶっきらぼうに言った。
その言い方に笑ってしまう。
「もっと可愛くお礼言えないの」
「私はいつだってプリティーでしょうが」
「はいはい」
「むう」
「ねぇ私が学校行ってない間に安城たちに何か言ったんでしょ」
「べっつに。よってたかって人の妹いじめて恥ずかしくないのかって言ってやっただけだよ」
「言ってるじゃん」
「だってムカつくじゃん! しかも逆恨みでしょ? やだねぇ恋愛系のこじれは面倒くさい。なんで悪くない真琴が学校行けなくなるのか意味わかんない」
いつの間にか私たちは喧嘩をしていたことを忘れ、いつも通りに話していた。
「ありがとう実琴。今日から私も戦うよ」
「無理なんかしなくていいよ。立ち向かうことが偉いなんて私は思わない」
「それ実琴にもそっくりそのまま返すよ」
「んじゃ二人で行くか」
「うん」
実琴一人で戦わせない。
私たちは二人で一人の双子だから。
***
一週間ぶりの教室に入ると、黒板近くで喋っていた安城たちのグループが一斉にこちらを見た。
無数の瞳が好奇の視線をこちらに送る。
「なに? またお姉さんが乗り込んできたかと思ったら今日は本人じゃん。懲りずに来たんだ」
「実琴は関係ないでしょう。私以外の人を勝手に巻き込まないで」
「あらやだ。私たちはあんたが休んだから代用品で我慢してあげたのに」
「代用品?」
その言葉を聞いて私の肩がピクリと動く。
駄目。耳を貸すな。
相手の挑発なんかにのっちゃ駄目だ。
私の反応を見て安城は楽しそうに笑う。グロスの塗られた苺色に輝く唇が歪んでいる。
「そう代用品。あんたたち顔だけはそっくりだからね。姉でも代わりがきくってわけ。私としてはいたぶるれるならどっちでもいいのよ」
だからずっと家で縮こまって寝ててもいいのよ。できない方の妹の真琴ちゃん。
安城が高らかに笑うとグループの女子たちも何が面白いのかお腹を抱えて笑いだす。相変わらず宗教みたいだ。
彼女たちにとって安城は教祖様なんだろう。
学校という小さな箱庭で頂点に君臨する王様。
本当に狭い世界。
そこから飛び出したら只の人でしかないのに。
「でも遊ぶオモチャが増えて嬉しいわ。これからはあんたたち双子どっちも痛めつけてやるわ」
教室に担任が入ってきた。
時計を見るとホームルームが始まる時刻だった。
異様な空気を感じたのか「どうかしたのか?」と聞いてきたが、安城は穏やかな笑みを浮かべ何事もないことを伝えた。
担任はそれ以上何も聞かなかった。
(本当は気づいてるくせに)
安城たちのいじめに薄々気づいているんでしょ?
追及しないのは面倒だから、大事になるのを恐れてるから。
あわよくば時間が解決してくれると思ってるんでしょう?
こんな人に助けを求めてもきっと何も起こらない。
私は歯を食い縛って席に着くことしかできない。
その狭い世界からも飛び出せないのは私だって同じだ。
***
私が登校を再開してから安城たちからの攻撃対象は私へ戻った。
実琴も廊下ですれ違い様に足を引っかけられるなどの嫌がらせは受けているものの、私が学校を休んでいた時程の攻撃は受けていないようで、以前できていた痣も綺麗に治っていた。
そのぶん戻ってきたターゲットの私への攻撃は安城の予告通り更に加速していく。
それは授業中から休み時間にまでおよび、ある日の昼休み、巡回中の生活指導の教師が教室に顔を覗かせて以来、危機感を感じたのか安城たちはいじめを行う上での場所選びに慎重になった。
『昼休み、屋上へ来い。来なければまた姉を代用する』
机の中に入っていた紙切れを読んで私は震えた。
人をいたぶることにここまで執着する安城を恐ろしく感じた。
紙切れを握り締め、唇を噛む。
誰が行くか。
行ったら何をされるかわからない。それを知ってて行くなんて愚か者だ。
でも私の頭の中で実琴の姿が過った。
私が行かなければ実琴がまた標的にされる。それだけは絶対嫌だ。
(もしなにかあれば叫んで逃げ出してやる)
私は屋上へ向かった。
この時の甘い判断を私はすぐ後悔することになる。
屋上にたどり着くといきなり顔に紙袋を被せられた。
「……っ!」
視界が閉ざされた私は全身を殴打され地面に転がされた。
次々と襲いかかる痛みに頭がクラクラする。逃げたくても逃げられない。
「本当に来るなんてバカな奴」
安城の声がした。他の仲間の笑う声もする。
「姉を引き合いにすれば絶対来ると思った」
「健気な妹ちゃんだねー」
「尊い尊い」
袋が外され乱暴な手つきで髪を引っ張られる。
「ひ……」
うつぶせにされた私の目の前には下界が広がっていた。
「ま、あんたが来ようが来まいが姉もいたぶるって決めてんだけどねぇ。このまま老朽化したフェンスと一緒に落ちてみる?」
「や、やめて」
私が抵抗していると、屋上のドアが勢いよく開いた。
「真琴!」
私を見つけた実琴はその場へ駆けつけ安城に掴みかかった。
「妹に何すんのよ! 真琴から離れろーッ!!」
「邪魔するなよ! あんたには関係ないでしょ!?」
「妹いじめられて黙ってる姉がいるか! いいから離せ!!」
実琴が先に掴みかかったものの、上背のある安城が実琴を引き離し、実琴はフェンス側へ勢いよく押し付けられた。
「あ」
その時。
実琴を受け止めたフェンスはあっさりと固定された地面から外れ、宙へ放たれた。
フェンスに寄りかかる実琴の足も、屋上の地面から離れていった。
「……え?」
実琴の姿が屋上から消えた時、安城たちは初めて事態を知ったのか狂ったような悲鳴をあげ屋上から這い出ていった。
下の方からも悲鳴が聞こえてきた。救急車という単語が何回も飛び交っている。
「なんで、どうして」
取り残された私は下を確認するのが怖くて、その場から動くことができなかった。
“ほらね、あんたは“できない方”なんだ”
いつか誰かが言った言葉が脳内で木霊した。
物語が動き出す。次回に続きます。