7、薬学部
高等部へ進学したラディージャは薬学部へ向かった。
そこにいたのは自分を含め3人だけだった。
まあ、当然だ。このトルスタード魔法国の貴族は基本的に魔法が使える者たち。魔力や魔法による婚姻を繰り返してきた。貴族の遺伝子は色濃く魔法使いの血が流れているのだ。魔法が使えない方が異端なのだ。元から魔法の素養がない者は魔法学院に通う必要がないため、普通の学校へ通う。
魔法学部の者たちは魔法が使えるので、覚える必要があまりない。一方薬学部の者たちは基本的に魔力量が少なく魔法刻印が出なかった者たちだ。必死にやっても質の良い薬が出来るかどうか、まあそんな感じでラディージャを含めて今年魔法刻印が出なかったのは3人だけ。勿論、途中で魔法刻印が出ればいつでも魔法学部に移ることが出来る。学院の落ちこぼれと言われるこの薬学部でラディージャの新たなる一歩は始まった。
クラスメイトと呼ぶべきか、友人と言うべきか、同じ薬学部のメンバーは他に2人。
タミール・ノルト男爵令嬢とゼノン・ブラフ男爵令息だ。
薬学部に来るのは基本的に男爵家、基本的に魔力量が高ければ魔法も使えるので、高位貴族に養子に入ることが多い為、魔法刻印が出ないくらいの魔力量となると98%が男爵家残りの2%で子爵家、ラディージャがここにいる事が異常なのだ。
高位貴族が薬学部に来ることがまずないので、非常に質素な佇まい、校舎も設備もお世辞にも良いとは言えなかった。それは寮も同じだった。
今までの寮はベッドルーム、リビング、ドレスルーム、メイクルーム、小さなキッチン、バス、トイレがついていた。それが今は1部屋と横にトイレとバスと洗面台ついている部屋が1つあるだけ。
1部屋にベッド、タンス、机、本棚があってコンパクトに纏まっていた。残念ながら侍女の部屋もなければ、テーブルやソファもない。ちょっとしたキッチンもないのでお茶も飲めない。机は勉強もメイクもここで行うらしい。以前はハウスキーパーが常在していたが、部屋の掃除も自分でするらしい。
初めての経験が多すぎてついていけない。
ところが、他の2人には慣れた環境らしく問題なく過ごしている、残念なことにここでもラディージャは劣等生となってしまった。
同性のタミールには特に色々と教えて貰っていた。
ラディージャは休みになると『天竜樹』のところに来ていた。
今までもカラッティ侯爵家の仕事として『天竜樹』の世話をしに来ていたが、1ヶ月に1度程度だった、それが今では休みの度に来て朝から暗くなるまで『天竜樹』の側で過ごした。
薬学部の勉強はまずは暗記!本で薬草の種類やポーションの種類によって使う薬草の種類を覚えること、だからどこにいても出来るのだ。それに今は部屋で1人で勉強していると時間を忘れて没頭してしまい、食事や睡眠を忘れて倒れてしまうこともしばしば。
この『天竜樹』の側であれば暗くなると本の文字が見えなくなるので都合が良かった。それにここは限られた人間しか入れないので、つい涙が溢れても愚痴を言っても人目を気にしないで済むのだ。
「下級ポーションに使う薬草は4つ、中級ポーションだと6つ、上級ポーションは8つ、薬剤のベースは下級ポーションと同じ。ポーションにも回復魔法にも種類がある。特級ポーションとなると使われる薬草も特別なもの…ブツブツ」
口に出して読んでいても誰に突っ込まれることもない。
あっという間に時間が過ぎていく。
「『天竜樹』様、今日も皆が穏やかに暮らせるのは『天竜樹』様のお陰です。有難うございます。 そうだお礼をしたいけど…『天竜樹』様は何がお好きですか? あっ、歌とかはどうですか?」
ルンルンルン
ご機嫌で歌を唄う。
ここにいると癒されて心の中のグチャグチャを一時忘れることが出来た。
『天竜樹』の側はディーンシュトの側と同じくらい居心地が良かった。ラディージャは愛するディーンシュトに話しかけるのと同じように『天竜樹』に話しかけた。そして幼馴染の友人のように接していた。決して返ってくることはないが、温度と言うか感触が喜んでいると感じるのだ。
ディーンシュトが側にいない寂しさを『天竜樹』で埋めた。
「今度この本の暗記が終わるといよいよ実技に入るのよ。
んー、ポーションのベースは基本同じなのに特級ポーションだけ違うのはどうしてかしら? 普通に考えれば特級ポーションの素材が高級か、貴重だから上に入らないとか、使用できない…そう言うことだと思うのよねぇ〜」
黙々と本を読み漁っていた。
ああ、もう文字が読めない。今日はここまでか…。
「『天竜樹』様また来ますね」
そよそよと風が応える。
ディーンシュトは痩せ細り、最近学院を休みがちだった。
決まってマリリンと会った後 体調が悪くなるのだ。
そのマリリンは学院を謳歌していたが、魔法の実技は苦手としていた。
「あーーーん、どうして上手くいかないのかしら?」
「ビーバーさんは魔法属性は調べましたか?」
「それがまだ…、タイミングが悪くってぇ〜、まだ受けられていないんですぅ〜」
「そうなのね。あなたは金色だから4種類以上の魔法を使えるはずなの。統計的に火魔法は初歩的な操作ですから、ここは辛抱強く練習するのですよ」
「先生! でもー、光魔法、闇魔法、竜魔法、空間魔法でも金色の魔法刻印出ますよね? うふふ」
「理論上はそうですね。でも実際は違います。闇魔法などは火魔法にも似通っていますから闇魔法が使える方は火魔法、水魔法、風魔法、土魔法が使えています。ですから、まずは火魔法を使えるように練習してくださいね」
「はーーーい」
そうは言っても魔法学部で初歩の魔法、体に魔力を巡らせ指先に集中すると指先からライターのような火がつく。これが出来ない人間は今年の生徒ではマリリン・ビーバーだけだった。
自分の体内に魔力を巡らせることさえ出来れば誰にでも出来る魔法で、難しい呪文も必要ない。正直言えばこれが2週間経っても出来ないなら魔法の才能が無いとしか言いようがない。
だが相手は金色の刻印持ち…、コツさえ掴めば他はすぐ出来るようになる、そう思い辛抱強く見守っている。かと言って過去にここで躓く者はいなかった。
教師たちは深いため息を吐き、どうしたものかと思いあぐねていた。
ただ、マリリンが言った通り光魔法、闇魔法、竜魔法、空間魔法の可能性もゼロではない。
そこで王宮の魔法省に早急に対策を立てるために検査と指導教官の要請を行った。
例えば、光魔法は少し発動条件が違うのかもしれない、そう考えたのだ。
これまでマリリンは3回の検査が流れている。
検査をしないことにはどうにもならない。
まずは魔法属性をハッキリさせたいと思っていた。
ヒルマンは薬学部へ来ていた。
ラディージャを探していたのだが、学舎にはいなかった。いそうな場所を聞いてそこへ向かった。ラディージャは汚い格好をしてたった1人で畑仕事をしていた。
フンフンフン るるんら♪
ぐりぐり プシュ パッパッパ パンパン
ジョーロジョロ ニョキニョキ ポン
ニョキニョキ ぐんぐん バッサバサ
キラキラ ピッカピカ
変な歌を唄って機嫌は良さそうだったけど、ヒルマンはその姿に動揺し驚愕していた。
ラディージャは侯爵家の令嬢だ。しかも以前は侍女を連れていて、こんな土いじりなんて無関係の世界に住んでいたのだ。顔に土をつけて額に汗して働く…悪夢を見ているかのようだった。
言葉をかけられず少し呆然としてただそこで佇み黙って見ていた。
「みんな元気で育ってね〜。さあお水をあげるわね、ぐびぐび飲んで太陽を受けてスクスク育ってねぇ〜。う〜ん、こっちの子は土質は水捌けのいい砂っぽいのが好みなのかな? しっとりしているのはすぐに枯れちゃうなぁ〜。うわぁー、この子はすぐに虫に食われちゃうのね そんなに美味しいのかしら? 魔法があれば上手に作れるのかなぁ〜?」
ラディージャは1人でブツブツ言いながら作業をしている。すっかり声をかけるタイミングを逃してしまった。
立ち上がったラディージャが肩を回していてこちらに気がついた。
「あれ? ヒルマン!? 何でここにいるの!?」
「やあ、冷たい僕の友人のラディージャさん、元気かい?」
嫌味を言って誤魔化した。そうでもしないと泣いてしまいそうだから。
一言もなく薬学部に行ってその後も連絡もしてくれない友人がここで1人頑張る姿がひどく切ない。元気なわけ無いって知ってたけど、1人でがむしゃらに土と向き合っている姿を見たら、空元気な姿見たら…、視界が曇った。
ラディージャはそんなヒルマンの姿を見て、やっぱり言葉もなく立ち尽くしている。
「何で何も言わないんだよ! そんなに僕信用できない? 何で1人で頑張るんだよ!」
僕だって分かってる、誰にもどうにも出来ないって全部分かってる。だけど、だけど一緒に泣くことは出来るから! 久しぶりに口調が乱暴になってしまう。
「ごめんねヒルマン…。でも、どうしようもなかったんだよ。いつまで経っても魔法刻印は出ないし、あそこに…もう私の居場所はないし…、苦しいし…、見てるの辛いし…。
だから逃げ出しちゃった! だって…、どう頑張っても目が追いかけちゃう、気配で分かっちゃう、手を繋ぎたいって思っちゃう、今日は何があったんだよって話したくなっちゃう………ずっとずっと一緒にいたから側にディーがいない事が寂しくて仕方ない。もう、未来はないって分かっているのに!でも…でも会いたくなっちゃう。だから これしかなかったんだ、これしか…ふぇぇぇぇぇん、ヒルマン、寂しいよぉぉぉぉ!」
「うんうん、ごめんな何にも出来なくてごめん。無理やり本音聞き出してごめん、我慢してたのに思い出させてごめん! でも僕たちは友達だからずっと側にいる、ずっと一緒にいられるから! うっくうっく ねえ、ラディージャ 君に魔法刻印が現れなくても友達だ、君が困った時、辛い時側にいる、だから自分から孤独にならないで、ね?」
「わぁぁぁぁぁあん!」
「うぅぅぅぅぅぅ」
思いっきり泣いて泣いて、目がカピカピで頭痛くなって鼻水も吹ききれなくてバッチい顏になって、互いの顔を見てやっと笑えた。
「まだ割り切れないって分かってる、だから僕の前では無理しなくていいよ。辛いなら辛いって顔していいからね」
「うん、有難うヒルマン…へへ」
「ところで何してたの?」
「ん? 今ね、薬草を育ててるの」
「薬草を? 薬草って個人が育てるものなの? 学院では薬草園があるでしょう? 何で1人で育ててるの!?」
「勿論 下級〜上級ポーションに使われる薬草は薬草園で育てられているわ。基本的に下級〜上級ポーションの素材のベースは同じ物が使われているんだけど、特級ポーションになると素材が違うの。でも殆ど素材となる薬草が出回らないのは何でだろうって。
だから、今、特級ポーションの種って言うのを買ってきて試行錯誤しながら栽培してみてるの」
「ん? でも物によっては在学中の3年ではポーションの素材として使えないんじゃないの?」
「まあね、でも薬屋を営むには必要になるから、栽培方法だけでも確立させておきたいの」
「卒業しても? ラディージャは由緒正しき侯爵家の令嬢でしょう? 相手は分からないけど…どなたかと結婚するんじゃないの?」
「うーーーん、私の家はね魔法が使えない者に価値がないの。家の職務的に仕方ないんだけど…この薬学部に入ることも家の恥部、魔法刻印がこのまま現れなければ家を出るように言われてるの」
「そんな!」
ディーンシュトのことも、家の事情についてもヒルマンには口出しできない事だと分かっている。僕たち子供には…結局何も出来ない。無力な自分が恨めしい、爵位を継いでいても実務は叔父が行なっている。 自分を救ってくれた友人が困っていても何もしてあげる事が出来なかった。
「そんな顔をしないで。今は何かに夢中になっている方が楽なの」
「そっか。出来ることは少ないかもしれないけど、僕がいること忘れないで」
「うん、有難う」
ヒルマンはこの日から身を入れて経営なども勉強するようになった。
今は叔父に領の経営を丸投げしていて、ぶっちゃけ叔父は僕を排除したいと思っている人間だから、僕の望む領経営はさせてはくれないだろう。実権を取り戻すため、大切なモノを守るため、自分自身を磨き武器を持つ必要性を感じた。
『あと3年で僕も魔法学院を卒業すれば、ルース伯爵家を継ぐべく領地に戻る。だがこのままでは名前ばかりの領主となり叔父の傀儡として、適当に機嫌を取られて無知なまま生きていくだけ。ラディージャだって生きるためにもがいてる。僕もボーッとは生きていられない』
ヒルマンはまたこの日ラディージャに救われたのだった。