6、16歳 新たな門出
あれから数ヶ月経ち中等部を終了し高等部へ上がるようになる、いよいよ本格的に魔法の訓練に入る為、学部を選択しなければならなくなった。
あれからラディージャとディーンシュトは気持ちの整理もつかないまま時間だけが過ぎていった。ラディージャたちの友人はディーンシュトの魔法刻印については触れず、大好きな友人を気遣った、あの場にいた皆が心に重いものを抱えた。
セナフィラやヒルマンたちの協力を得てラディージャはディーンシュトと距離を取った。
まずは忘れるために物理的に距離を取ったのだ。
それから後期にもう一度あったダンスパーティーのテストが行われた。
いつもならラディージャのエスコートはディーンシュトだが、ディーンシュトの番はマリリンと判明してしまったのでもう一緒にいることは出来ない。だからラディージャの側にヒルマンがいてくれた。ヒルマンはまだ番が判明していないからだ。
因みにヒルマンの評価も以前は低辺だったが、ラディージャたちと共に過ごしている姿から、今は不快感を抱く者はいなくなっていた。
ディーンシュトとラディージャの2人は理想のカップルだ、ディーンシュトは伯爵家だが、裕福な家でしかも銀色の魔法刻印、生涯食うに困る事はない、それにイケメンでこれまでラディージャのエスコートは完璧、視線は蕩けるように甘く常にラディージャを優先させる優しい紳士、それが別の女性を連れている…理想の2人が破局した事に衝撃を与えていた。それはラディージャとディーンシュトが番ではなかったと証明したようなものだったからだ。
ディーンシュトは一応マリリンをエスコートしたが顔色が悪い。
その横でその日もノースリーブで金色の魔法刻印を露にし、満面の笑みで意気揚々とディーンシュトの腕を取る。だが、ディーンシュトは何とも言えない不快感で気分が悪くなる一方だった。
「ディーンシュト様、みんなが私たちをお祝いしてくれていますね、ふふ」
「……少し気分が悪いんだ。すまない、少し外の空気を吸ってくる」
「まあ、大丈夫ですか? ……折角のパーティーなのに…1人では寂しいです。もう少し我慢できませんか?」
「ああ、そうか…ならもう少し、ウップ! すまない、やはり少し休憩するよ。友人たちと楽しんでいて、ごめんね」
そう言うと足早に化粧室へ歩いて行ってしまった。
「あん、つまらない。そうだ、誰かと踊って待っていましょうっと。誰が良いかしらぁ〜?」
化粧室に着いたディーンシュトは酔ったような感じで気持ちが悪かった。
「はーはーはーはー、何なんだ、この体の不調は!?」
これまでこんな事は無かったのに、体調が良くない事が多くなった。それも決まってマリリンと一緒にいる時に気分が悪くなる。
『くそ! これは罪悪感なのだろうか? それとも恋煩いか?』
少し落ち着いた後も会場に戻ってマリリンの相手をする気にはなれなかった。
ディーンシュトは裏庭の方へ歩いて行った。
少し冷えた風を感じながら、意識を深く自分のそこへと潜らせた。
すると、ここにはいない愛しい人の意識と繋がった。
喧騒の中で恐らく笑顔を作っているのだろうが、心は悲鳴をあげている事が分かる。
側に行って抱きしめてやれない自分が恨めしかった。
そっと手袋を取り、自分の魔法刻印を見つめた。自分の魔法刻印を摩りながらあの時を思い出していた。
何色でも構わなかった、自分と同じ紋様はラディージャに刻まれるものと信じて疑わなかった日々。それがいかに幸せだったか…今となっては二度と戻らない鮮明な記憶が今なお2人を苦しめていた。
ラディージャも会場から離れて少し休憩を取っていた。
会場にはマリリンが満面の笑みで魔法刻印を見せびらかしている。見せびらかしているわけではなくても今のラディージャにはそう見えた。その刻印を見る度に恨めしく、衝動的に叫びたくなってしまうのだ。
『私からディーンシュトを奪わないで!! 何でもあげる、でもディーンシュトだけはあげられないの、お願い私に返して!!』
そう叫び出さないためにも、クールダウンする時間が必要だったのだ。
誰もいない裏庭を歩き、人目にはつかないよう奥まった所の木に寄りかかって目を閉じた。
涙がホロホロと流れ落ちる。
気を緩めるとどうしても泣いてしまうのだった。
「ふぅぅ、ディー、ディー ふぇぇん、会いたい…会いたいよ」
押し殺してあった気持ちが溢れ出してしまう。
木の後ろから誰かに手を掴まれた!
吃驚したけど、その温もりと感触には覚えがあった。世界で一番安心できて頼りになってこの世で一番自分を甘やかしてくれる大好きな人の手。
木を挟んで繋がっている手を2人とも振り払う事は出来なかった。
ディーンシュトも先程までの気持ち悪さが嘘のように解消されて、ラディージャを愛しく思う感情に上書きされていく。
いつまでもこうしていてはいけないと分かっていながら、どうしても振り解き元の場所に戻る事は出来ずに空を見つめ放心していた。
誰かが来る気配がした。
ディーンシュトは思わずラディージャの手を引いて、もっと奥へ進んで誰にも見つからない場所へ気づくと歩き出してしまった。
「ディーンシュト様ったらどこへ行ったのかしら?」
声の主はマリリンだったが、そこにはもう誰もいなかった。
真っ暗な暗闇を誰にも見つかりたくなくて奥へ奥へと来てしまった2人。
ディーンシュトは何も考えられずに腕の中にラディージャを閉じ込めた。
もうこんな事許されない…誰かに見られればラディージャが悪者にされてしまうかも知れない、そう思っても衝動を抑えきれなかった。そして、唇を重ねた。ラディージャもディーンシュトを強く抱きしめこのまま時間が止まることを祈っていた。
「ごめん、こんな事してもっとラディを苦しめるだけだって分かっているのに…」
「ううん。…私も限界だったの。もうディーはマリリンさんのモノだから、ディーの為にも思いを断ち切らなくちゃ駄目だって分かっているのに分かっているのに…どうしても心がディーを求めてしまう! ディーの幸せを願いたいって思うのに…私以外の女の人の横で笑っている姿を見るのが辛い!!ごめんね、ごめんねディー」
「ラディ愛しているよ、この世の誰よりもラディージャだけを愛している。番じゃないって分かってもラディ以外を愛せる気がしない! 僕が側に居たいのはラディージャだけなんだ。ラディージャ以外の女性となんて幸せになれるはずがないんだ!!」
2人は結論は出ているのに、お互いを諦める事ができなかった。
こんな時間も二度と持つことも出来ない。
番の魔法刻印は絶対だ、確定した未来は別々の道、分かっていても今はまだ気持ちの整理がつかず、お互いの体温を感じていたかった。
「もう、ディーンシュト様ったらどこへ行ったのよ!!」
マリリンの声が響き渡った。
「マリリンさん、ディーンシュト様はどうなさったの?」
「もう来て早々、気分が悪いって化粧室へ行ったまま帰ってこないのよ!!」
「まあ、体調がお悪いの? ならお帰りになったのかしら?」
「それならそれで何故私に一言無いのかしら? それとも、あの女といるのかしら!?」
「あの女って…ラディージャ様の事? いくらなんでもラディージャ様にそんな口を聞いてはいけないわ。彼女はカラッティ侯爵家の方なのですから…」
「だって、それしか考えられない! いつまでもあの女がディーンシュト様の側を彷徨くから、ちっとも良い雰囲気にならないのよ!!」
「それは、ちょっと…」
みんな仕方ないのでは? 気持ちはそんなに簡単に割り切れないでしょう?と思っているが、言葉を飲み込んだ。
「兎に角! この会場にあの女がいなければきっと! ディーンシュト様と逢引しているのよ! 私の男だって言ってやるんだから!」
会場中に聞こえる声で言うのモノだから何となく、関係ない人間までラディージャとディーンシュトの姿を探してしまっていた。
暫くしてヒルマンの横にラディージャの姿を見つけ周りの人間は何となくホッとした。
正直 間一髪だった。
あの後、「先に戻ってラディ」と言われて、呼吸を落ち着けてから先に戻ったのだ。
そして自分は医務室へ行き、気分が悪いので寮に戻る旨を伝え、マリリンに伝言を頼み帰って行った。
「ラディージャ大丈夫かい?」
目は赤く泣いた跡がある、ヒルマンはこころ優しい友人のラディージャを心配していた。
「えへへ、泣いちゃった。長いこと1人にしちゃってごめんね」
「そんな事気にしなくていいよ、もう大丈夫?」
「まだね、ちょっとだけ…ディーの隣に自分以外の女性がいるのを見るのは辛くて…、もうどうにもならないって分かっているんだけどね…、考えないように頑張るんだけど…」
また涙がポロポロと落ちてくる。
それをヒルマンは優しく拭う。
「それじゃあ部屋から出てこれないわけだな。一度踊ったら帰ろうか?」
ヒルマンは今までラディージャは個室にいたと、周りに聞こえるように告げた。泣き腫らしたラディージャのかおをみて、周りはそれで納得していた。ここには聞き耳を立てている者たちがたくさんいるのですぐに広まるだろう。
その頃、マリリンの元にも教師から
「ディーンシュト君は体調が優れないので先程 寮に帰ったわ」
と伝言が届いた。
「ディーンシュト様は来た当初から体調が悪かったのでしょう? それをラディージャ様のせいにするなんてお可哀想だわ。あの泣き腫らした目…お気の毒に」
「あれほど仲が良いお2人だったのだ。割り切れなくても仕方あるまい」
比較的周りの意見はラディージャとディーンシュトに同情的だった。
「ラディージャ、酷なことを言うけどマリリン嬢は番である自分を蔑ろにするディーンシュトにも、2人の関係を邪魔する君にも悪感情を持って悪評を広めつつある。今まで以上に行動に気をつけないともっと辛い目に遭うことになる」
「うん ヒルマン言いにくいだろうに有難う。私もね分かっているの…うん、分かっているわ。ディーには幸せになって欲しいもの」
この日を境にラディージャは更にディーンシュトと距離を取るようになった。
16歳、学部を決める際にラディージャは1人薬学部を選んだ。
ラディージャは魔力はあるのだが、魔法刻印が出ないということは魔法が使えない可能性があったのだ。そこで様々な思いを断ち切る為に、薬学部を選んだ。
学部ごとに校舎も寮も分かれるため、これからは魔法学部とはすれ違うこともない。
偶然に会うのは学院主催の催しだけとなった。
ただこれも大変な騒ぎだった。
ラディージャの実家はカラッティ侯爵家、カラッティ侯爵家は代々『天竜樹』の管理を任されている由緒正しき家柄なのだ。他の家より魔力、魔法を重視する家系。何よりも『天竜樹』が優先される、ある意味 魔法使いのエリート家系なのだ、それが魔力がありながら魔法刻印が出ないなど落ちこぼれどころの話ではなかった。
「未だに魔法刻印がでません。申し訳ありません、魔法学部は諦めて薬学部へ行こうと思いますお許し頂けないでしょうか」
父、母、祖母、2人の兄も固まっていた。自分の家系に魔法を使えない者が出るなど考えたこともない、事態を飲み込めずに納得することを拒否する。エリート家系に突如投下された爆弾はダメージが大きく、カラッティ侯爵家の恥となる存在を射殺しそうなほど睨んでいた。
「馬鹿なことを…そんな事ある訳がない! サール、今すぐ身体中隈なく調べなさい」
家族はラディージャに魔法刻印がない事を受け入れられなかった。
侍女の手によって髪の毛の中から足の裏まで隅々調べられた。それで納得してくれるなら構わなかった。魔法刻印があるならこっちだって欲しいと思っているのだから是非とも見つけ出してもらいたいものだ。
だが、結果はやはりどこにもない、それが答えだった。
その事実をエリート家族は受け入れらなかった。
この異端児をどうするべきか…、恥ずかしい娘ラディージャは、薬学部に進みたいという。
それすら恥ずかしいが、魔法が使えないのであれば魔法学部に在籍することは難しいと皆が分かっていた。だから薬学部へ進むことを了承した。但し、条件をつけた。
「魔法学院を卒業する時まで魔法刻印が出ないようであれば、家を出て1人で生きていく心算をしておきなさい」
「はい」
だろうな、と思っていた。つまりはカラッティ侯爵家とは縁を切って生きていけと言うことだ。カラッティ侯爵家の名に誇りを持っている人たちにしてみれば、私のような存在は恥ずかしく隠したい事実なのだ。想定内なのであまり落ち込むこともない、だからこその薬学部なのだ。薬を作って店でもやっていければいいと思って、自分の人生設計をしたのだった。ラディージャの家族はこの時、ラディージャと言う存在を捨てた。12年間共に過ごした普通の家族は魔法刻印1つで見限られたのだった。
『よし! 死ぬ気で頑張ろう! もう帰る場所もないんだから!!』