50、終焉−1
「おい、どうなっているんだ!!」
「フィットランド国だって!? なんで…馬鹿なのか!?」
「トルスタード魔法国も、マリリンがフィットランド国に長期滞在することを許可したらしい」
「何してるんだよ! ビーバー男爵は何て言ってるんだ!?」
「マリリンが向こうの人間と勝手に決めてきたって、しかも金まで受け取ってるらしい!」
「計画がパーじゃないか!!」
『アプセ』のメンバーは父親経由でマリリンをこの国に留めるよう手を尽くしたが、マリリンは国賓としてさっさと行ってしまった。
マリリンはミノタウロスが街で暴れ回るまでは『救国の聖女』と崇められていたのに、祈っても効果がなく恐怖から家に逃げ帰った。すると、マリリンに対する尊敬の念は忘れられてしまった。それまでも貢ぎ物は徐々に減り、泥棒扱いされてちっとも思い通りにならなかったので、渡に船だった。
フィットランド国は『聖女』として迎え、うまく行けば王子との結婚も夢ではないと言う。
その他にも、侍女や屋敷、ドレスに宝石など色々と好条件をつけてくれた。
一応マリリンも「私の仕事は何ですか?」とちゃーんと聞いた。
「聖女マリリン様はいてくださるだけで平和を齎してくださいます。トルスタード魔法国は天竜樹に護られ、その有り難みを蔑ろにしているのです。我が国であればあなた様を正当な評価をもってお迎えいたします」
甘美な響きだった。
正当な評価。
「マリリン様には番はいらっしゃいますか?」
「いえ、おりません」
「左様でございますか、是非とも我らに聖女様のお世話をさせてくださいまし」
「…はい、お願い致します」
マリリンは父親にも相談せずに返事をしてしまったのだ。
トルスタード魔法国から魔術師の流出は大きな問題でもあった。
他国では魔獣が闊歩し常に魔道具で結界を張り巡らし、魔術師は結界の補強を交代で行い、目を光らせる。魔術師はいくら居ても困らない。
自分の腕に自信がある者は破格の待遇と報酬で、国を捨て他国へ向かう。
だが現実は思ったようにはいかない。24時間命の危機に晒されるような生活は次第に疲弊し、郷愁に駆られる。その上、国内では名の知れた魔法使いも他国に渡ると、普通のレベルでしか無かった。エリートとして生きてきたのにその他大勢の実力と知り、大抵挫折しトルスタード魔法国に逃げ帰ってくる。
その度に、他国からは捜索の協力依頼がくる。だから基本的に強力な魔術師が国から出国する際は、国の許可を得なければ出られないようにした。それ以外は自己責任とし国は関知しない、魔法学院でもよく言って聞かせている。
故に当然マリリンの出国には国が介入すると思ったが、全く横槍は入らなかった。その代わり、国は一切の責任は負わないとの返事。どうやら、マリリン様は一部の国民から人気がないらしい。男爵家のあまり裕福ではない家柄のため、金色の聖女となってからの金遣いが荒いらしい。だが、フィットランド国にとっては瑣末なこと。魔獣を退治する能力に回復魔法が使えればそれで十分だ。
交渉役として来た、ドイル・バラク防衛大臣補佐官は交渉が上手くいったことに気を良くして、マリリンと共にフィットランド国へ帰って行った。
『アプセ』のメンバーは焦っていた。
駒であるマリリンが出国してしまったのだ。これでは計画は破綻したも同然だった。今更また一から始めると言うのも自分たちの年齢を考えると難しく感じた。マリリンだって『聖女』とするまでに10年以上かかったのだ、天竜様の愛し子がいる今、それを覆す手駒を作るのは不可能に思えた。
「どうするべきか?」
「マリリンの人形でゴリ押しするか?」
「いや、既にマリリンの人気は下火どころか皆無だ。
『フィットランド国から誘われている、向こうはこの国と違って正当に実力を評価してくれる! 待遇も良い! 報酬もくれる! ただそこにいるだけで良いと言ってくれる! 私の価値が分からないこんな国、とっとと出てってやる!』何て言って顰蹙を買っている。もう、あの娘は使えない」
「馬鹿な! 無能の分際で何故そこまで強気になれる!?」
「ビーバー男爵の反応はどうなのだ?」
「それが、逃げた」
「逃げた?」
「娘が家を出て翌日には家を引き払った。フィットランド国から貢がれたものを持ってトンズラだ。既に向こうに渡って仕舞えば援助もそうそう期待できない、そこで貰えるものを搾り取って逃げ出していた」
「くそっ! いいようにやられたわけか…。まさかビーバー男爵までフィットランド国に渡ったのでは?」
「それはないな。偽物聖女の父親面して向こうにはいられんだろうよ」
「それもそうか」
「それより今後どうするかだ」
「街では天竜様の愛し子の人気が高い。今更別の聖女では誰も飛びつかんだろう。マリリンが酷かっただけにな」
「ああ、それは間違いない」
「そうだ! またミノタウロスを暴れさせてこの国の魔法騎士、魔術師たちは役に立たないと示すか?」
「それで、何が変わると言うのだ?」
「混乱に乗じて王家の人間を殺し、魔法など役に立たないと世論を扇動するのだ。そして最終的には『メルガロ』による爵位継承は廃止とする、何事も能力のある者で決める、刻印なしを無能と定める風習を覆す!」
「…………………。」
「ああ、そうだな…それが我々が今まで生きてきた理由だ」
「おい、何故黙っている?」
「ん…、そうなった時 番との関係はどうなるのかと思って…。いや、今まで改革にためにガムシャラにやって来た、それは曲げられぬ信念だ。だが、ここまでやって来られたのは番や家族がいてこそだ。我らが失敗し、処刑されたら残された番や家族はどうなるのかと…。ポルチーヌ侯爵のように刻印が消え、番との絆が消えてしまったら? 何も果たせず、何もかもを失ったら…彼女は私を恨むのだろうな…」
「ぐっ……」
分かっている。
既に引き返すことができないところに来てしまったと、だけど今更爵位も継げないこんな男について来てくれた愛しい番に、下手すれば謀反の上、死を贈る苦しさに言葉をうまく紡げない。
番の話を出されると、皆の血気盛んな闘志が萎んでいく。
この確かな繋がりを失うかもしれないと意識してしまうと、不安に駆られる。56歳のこの歳までこの国を変えるために生きてきた、この機会を逃せばもう次はない。人生を賭けた最初で最後の機会、もう後には引けなかった。
「忘れてくれ。ふぅぅぅ、少しナーバスになっていた、次はどうする?」
番や家族に対する思いをしまい、再度計画を練ることにした。
計画の要はなんと言ってもミノタウロスの出現魔道具。
前回は速やかに回収できなかったので、大きな被害を生み、マリリンの名声を高めるつもりが、地に落ちてしまった。いや、元々地に落ちていたが、マリリンの本質を知らしめる結果となり、修正は難しくなってしまった、その上他国へ出国。マリリンは『アプセ』ではない為こちらの意図通りには動かす事は難しかった。マリリンの教育はビーバー男爵を操作する形で誘導したつもりだが、カルディア公爵夫人との出逢いで狂ってしまった。
魔道具はオヤジさんが調整するとなんとかミノタウロスを回収出来たが、その後 話を聞いても魔道具に不具合は無かったと言うのだ。若干 魔石の消耗はあったが、組み込まれた術式に問題は無かった。原因不明の不具合を解明できていないまま突き進むのは危険だと頭では分かっているが、もう止まることも出来なかった。
「家族を逃そう、その上で決行する」
「ああ、そうしよう」
「成功し落ち着いてから取り戻せば良い」
更に決行の日時など具体的な計画を練り始めた。
ラディージャはマルチュチュ山の癒しの泉の水で疲れているジョシュア王太子殿下と父レイアースにお茶を淹れてあげた。
「お口に合えば良いのですが」
毒見にはレイアース。
「有難うラディージャ」
「ラディージャ お前が多くの人を救ったと言うのに表立って公表できずにすまない」
「いいえ、構いません。それに…お礼は直接言って頂きましたから十分です」
「ああ、感謝を伝える手紙や声がこちらまで届いているよ。ラディージャの方が疲れているのではない?」
「私にはディーンシュトと天竜樹様がいるので、もう回復しました」
「そう…あれ? 凄く体が軽い! 調子が良いな、ラディージャが回復させてくれたのかな? 無理してない? 有難うラディージャ」
「本当だ、うちの娘は優しいな…凄く体が楽になったよ、有難うラディージャ」
「うふふ、良かった」
『やはり、癒しの泉の水は魔力を持っている人間には効果があるのだわ』
「さて、この間教えてくれた件だけど…確認が取れたよ、有難う」
「お力になれたのなら良かったです」
「ミノタウロスは苦しんでいたと言っていたね」
「はい。ここは魔獣が生きるには魔素が薄くて、恐らく体から血を抜かれていくように弱っていっているのだと思います」
「弱っていてアレか…。次の計画もあるようだからどうなるか…」
「ああ、前回バークレーが魔法攻撃無効の解除に成功したようだったが、上手くいくだろうか?」
「ねえラディージャ、今回またミノタウロスが召喚されたとして、今回も天竜樹を目指すだろうか?」
「はい、恐らく。それに前回より状況は悪くなっているかもしれません」
「どう言うこと?」
「恐らくでしかないのですが、あのミノタウロスは棲息地から都度呼ばれているのではなく、魔道具の中に閉じ込められているみたいなのです。だから最初の召喚から日も経ち常に飢餓状態になっていて理性が働かなくなっていると思うのです」
ラディージャには明らかにミノタウロスに同情している様子が見て取れた。
「ミノタウロスが心配なの?」
「…ごめんなさい」
「謝らなくていいよ。でも理由を聞いても良い?」
「ミノタウロスは被害者だと思うからです。人間の欲望の道具にされたに過ぎません。天竜樹様の結界は正常に機能しています、外から魔獣を呼び込み混乱を招き、多くの被害を出したのはここに住む人間です。今回の加害者はミノタウロスではなく、魔道具を作った者、魔道具を使ってミノタウロスを呼び出した者だと思うのです。ですから…、ミノタウロスが元の世界に帰れるといいなと思うのです」
「おいでラディージャ。うん、そうだね、その通りだ」
「お父様、ごめんなさい。こんなにもお疲れなのに私はその原因に肩入れしたりして…ごめんなさい」
「いや構わない、ラディージャが優しい子だって知っているから、ただ魔獣に味方している訳ではないと分かっているからね。気にしなくて良いよ、ちゅ」
頭に優しくキスを落とす。
「ラディージャのお陰で全容が掴めてきたからね、あの者たちがミノタウロスを使う前に捕まえられれば良いのだが…」
「殿下! 王宮の謁見の間にミノタウロスが出ました!」
「やはりか…。すぐに手筈通りにウェストン魔術師長とバークレーを呼べ!」
「ラディージャ、危険だから屋敷に戻っていなさい」
「いいえお父様、私も連れて行ってください」
「危ないから駄目だ、それに…」
「では男装して目立たぬようにして参ります。どうか、お願い致します」
「殿下どうしますか?」
「分かった。だがくれぐれも危険なことはしてはいけない、いいね?」
「はい、承知致しました」
ミノタウロスは謁見の間で暴れ回っていた。ミノタウロスは魔法騎士と魔術師に囲まれ相対している。
いつもと違いミノタウロスの暴虐が効果を成していない。未だに1人も怪我している者はいない。
男は王族を1人でも殺そうと周りを見渡した。
気付けば陛下はいなくなっていた。陛下どころか謁見を申し込んでいた自分以外の人間もいなくなっている。
『何故だ!? どうして? どうなっているのだ!!』
潜ませていた仲間に目をやると、仲間も焦っている。
『何が起きたのだ!?』
ミノタウロスが急に止まり、涎を垂らしながらどこかへ歩き始めた。
「こうなったら暴走させるぞ!」
魔道具に手を重ね
「「「スタン……ピ」」」
自爆覚悟のミノタウロスの暴走を試みた。
ミノタウロスは暴走するどころか、落ち着きを取り戻し喉を鳴らしている。
「ぐるるるるるる」
ドシン ドシン ドシン
兵士の方に歩いていくかのようだったが、体が揺れ始め影が揺らぎ煙のように浮き、黒い煙となり、男たちの魔道具の中に吸い込まれていった。
「おおおおい、どうなってるんだ!? 出てこい!」
「どうして呪文も言っていないのに戻ってしまったのだ!」
「おい! 化け物戻ってこい!戻れーー!!」
男たちの願い虚しく、ミノタウロスはその場から姿を消したのだった。




