49、混乱
レイアースが天竜樹のところにいるラディージャに会いに来た。
「お父様! どうなさったの!?」
「ラディージャ、……………。」
その表情は苦悶に満ち、言わなければならない言葉を何度も飲み込んでいるようだった。
「私が現場に向かえば良いのですね?」
「危険な場所にお前を連れていかねばならないのは苦渋の決断だ、ふー、怪我人の回復が間に合わないのだ、すまない」
「いいえ、お父様。お父様のお気持ちは理解しております。私にできることはお手伝いさせて頂きます。私はどのようにすれば宜しいですか?どこに向かったら宜しいですか?」
「ラディージャ」
レイアースはラディージャをしっかり抱きしめる。
「ラディージャ、なるべくお前のことは知られないようにする、危険なこともないように殿下と私で護る、だから心配するな、必ず護るから」
「私のことより殿下までお連れして宜しいのですか? 私なら大丈夫です、パスカル卿とこっそり行って参りますから、殿下までご一緒頂くのは申し訳ないです。 そうだわ! ミノタウロスはここを目指しているかも知れません」
「どう言うことだ!?」
「この国は結界の中にあります、つまり魔獣には魔素が足りないのだそうです。この王都で1番魔素が満ちている場所がここになります」
「なるほど…」
『誰から聞いたかは今は聞かないでおこう』
「分かった。殿下に相談してみる、でも勝手な行動を取ってはいけないよ。そうだ、このまま殿下のところに一緒に向おう」
ラディージャはこっそりカランを回収して向かう。
ラディージャが殿下とレイアースを心配するも、結局ラディージャの秘密を知られないように少人数で一緒に向かうことになった。と言うのも、現在攻撃無効魔法がかかっているため攻撃は効かない、護衛をたくさん連れて行っても無駄なのだ。つまりいざとなれば殿下の結界で護ることが1番効果的なのだ。
ジョシュア王太子たちは報告より無惨に破壊されている街並みに恐れ慄いた。
この国は長い間、魔獣による理不尽な暴力とは無縁に生きてきた。だから今なお魔獣との共存による恐怖に怯える他国の話は、他人事でしかなかった。
それがこうして目の当たりにすると、人間の無力さを感じるばかりだった。
文献では先人たちは今よりもっと魔法能力の高い者が多くいた。だがそれでも最後は天竜様に頼ることしか出来なかった。それが結論だったのだ。
この惨状に力なく立ち尽くす。
『酷い…、なんて事なの』
ラディージャはミノタウロスを見て困惑した。
ミノタウロスの感情が見える気がした。
ミノタウロスは悲鳴を上げて苦しんでいた。
『ここはどこだ! 苦しい! 死にたくない! 死にたくない!!』
カランが言っていたように魔素が足りないのだ。
何度か召喚されているが、実際はずっと術者の魔道具に囚われていて体から魔力が流れ出している状態で飢餓状態にあった。理性も魔力も失い、本能のままに行動していた。
目の端にディーンシュトがフラつくのを捉えた。
『ディー!』
ラディージャは遠隔からディーンシュトの回復を行った。
ディーンシュトは振り向きラディージャに気づいた。ニコッと笑うとまた作業に入る。
「ラディージャ! この距離で回復魔法が使えたのか!?」
「…はい、恐らく」
「よし、これならラディージャの存在に気づかれず魔法が使える。ラディージャ、頼めるか?」
「はい、承知致しました」
見るとクパルもカルディア夫人も疲弊して現在はポーションでしか対応出来ていなかった。
後手に回り根本的な解決には至らないが、目の前の負傷者を放っておくことも出来ず回復させていった。
「不味いな、キリがない」
そう言っていると、ミノタウロスがこちらを向いた。こちらに向かって来る。恐らく、ラディージャの魔力に気付いたのだ! 救いを求めて本能のままにこちらに向かって来る。
「撤退だ!撤退するぞ!!」
すると、ミノタウロスが突如消えた。
何が起きた!?
誰も動くことも言葉を発することも出来なかったが、息を飲んだ後、歓声が上がった!
「「「う、うぉぉぉぉぉぉぉ!!」」」
「た、助かった! 助かった!! 天竜様―!!」
涙ながらに隣にいるものを抱き寄せ、今生きている幸せを分かち合い噛み締めあった。
力なくその場にしゃがみ込んだ。
だけど喜べない者たちもいた。
「殿下…」
「ああ、まだ終わりじゃない」
「どう言うことですか!?」
「ミノタウロスは倒したのではない、以前のように消えただけだ」
その後、状況確認と現場の指揮をとるため、殿下とレイアースは残ったため、ラディージャはパスカル卿たちとこっそり怪我を負った者たちを治療して回った。
実際に歩くと凄まじい威力だったことがわかる。
まるで解体工事のクレーンで吊られた鉄球のように、上から横から叩きつけられて無残な惨状を作り出していた。命が助かったことに感謝していた住民も、形を留めていない家屋に絶望し涙する。
どこかで「救国の聖女のお陰で助かった」と聞こえたが、賛同する者はあまりいなかった。
ジョシュア王太子殿下の指示のもと、多くの兵が投入されてまず瓦礫を片付け始めた。怪我を負った者は薬局の職員がポーションを飲ませ回復させる。それでも治らない者はテントに連れていかれた。暫くすると傷が治っていく。
「これは何が起きておりますのか?」
「天竜様のご加護ですよ」
「ああ、なんとも有難い。感謝申し上げます、天竜様」
テントの中の角にラディージャは座り、それを隠すように護衛が立っている。
クパルやカルディア夫人は、治療する相手に触れないと治すことが出来ないが、ラディージャは触れずとも回復魔法をかけられたので、人目に付かないように治療した。念の為、頭巾に大きな布マスクで顔を覆い目立たないように気を配った。
だが、護衛の向こうで温かいキラキラした魔法を使っていることは、見える者には見えていた。その者たちも何も言わず、手を合わせ感謝し帰っていく。心の中では、『もしかして…天竜様の愛し子様が?』そう気付いてはいたが、マリリンと違い奥ゆかしい方なのだろう、とそっと去っていく。
大怪我を負った者は治療を済ませた、一息つくと真夜中だった。
ラディージャは護衛に護られそっと帰えろうと、テントを出ると数人がまだ並んでいた。
「まだ終わっていなかったのですね、中に入れて差し上げてください」
そう言うと、
「違うんです! 天!……あ、えっと 婆ちゃんが治療してもらって元気になったんです。曲がっていた腰まで真っ直ぐになって帰ってきました。だからお礼が言いたくて待ってたんです! 天…えっと、あなた様のお陰です有難うございました!」
後ろにいた人たちからも、口々に感謝の言葉を伝える。
ラディージャは思わず涙ぐむ。
『嬉しい』
「ああ、泣かないでください! ああーーー、ずっと治療で疲れていると思って、それに腹も減ってるかなって、それで婆ちゃんが焼いたパンを持ってってやれって。だから…良かったら食べて…ください」
差し出したものの、こんな綺麗な人がこんなポソポソのパンなんか食べるわけないか、と恥ずかしくなってきた。手を引っ込めようとした時、天竜様の愛し子様と思われる人物は、少年の前に膝をついて少年の手を包み込み嬉しそうに笑った。
「お名前は何て仰るのですか?」
「え? 俺ですか? カイ…です」
「カイさんのお婆さまがお元気になられて良かったです。大変な時にお気遣い頂き感謝申し上げます。丁度お腹が空いていたのです、食べても構いませんか?」
「はい…え? これ食べるの? お姫様とかはこんなもん食わないんじゃ…」
「ふふ、私はお姫様ではありません」
カイはむきみのパンを差し出した。
マスクを外したラディージャの美しさに当てられてしまっていた。
カイの手も綺麗とは言えない、その上 何にも包まれていなかった固そうなパンを、ラディージャは一口サイズに千切ると躊躇なく口の中に入れた。
モグモグと咀嚼している。その顔は先ほどと変わらず優しげに笑っている。
「食べた…」
渡したカイも驚いている。
ラディージャはもう一口頬張った。
パスカル卿が思わず
「ラディージャ様、お腹がお空きでしたらすぐにご用意致しますから…」
「カイさんのお婆さまのパンで十分です。カイさん美味しく頂きました。お婆さまにもご馳走様でしたと、お心遣いに深く感謝致しますとお伝えください」
「あ…はい」
「もう夜中です。1人で帰れますか?」
「ああ、大丈夫…です」
「そうですか、心配ですが気をつけて帰ってくださいね」
「はい」
「有難うございました!」
「有難うございます!」
感謝の言葉に会釈をしながらラディージャは帰って行った。
「マジ女神みてぇー」
カイは放心してラディージャの背中をいつまでも見つめていた。
「ラディージャ様、無闇に口に入れないでください。毒見もこれからはしませんと…」
「パスカル卿、本当にお腹が空いていたの、心配かけてごめんなさい」
「あの場合は、致し方ないとしても…気をつけてください、もう二度とあんな思いはごめんです。何か食事を用意させますか?」
「いいえ。ディーのところと、お父様のところへ行きたいの」
「承知致しました」
ラディージャはディーンシュトのところへ行った。
ディーンシュトは魔法省でまだ働いていた。手を繋いで無事を確認する。
「ディーお疲れ様、大丈夫?」
「うん、ラディのお陰でね。ラディも大丈夫?」
「うん」
「もう帰るの?」
「これからお父様のところへ行ってくるわ」
「会議が長引いているって聞いているよ。ウェストン魔術師長も帰ってきていない」
「ええ、分かってる。でもお伝えしたいことがあるの」
「分かった、僕もこちらが片付いたら向かうよ」
「有難うディー」
ラディージャはその後、レイアースを訪ねた。
全てが終わって家(宮殿内の別邸)に帰ったのは午前3時を回っていた。
ラディージャはディーンシュトに寄りかかって微睡始めた。ディーンシュトはラディージャを抱き上げベッドへ連れてくると体を拭いて着替えさせる。ラディージャは夢の中でディーンシュトとあの泉にいた。昔も見た楽園のような場所で遠い昔の出来事を聞いていた。
疲れた体にディーンシュトの優しさが沁み渡る。ラディージャはディーンシュトの腕の中でぐっすりと眠った。
ミノタウロスが街で暴れ回ってから2ヶ月が経ち、街は少しずつ元の姿を取り戻しつつあった。あれ以来ミノタウロスは現れていない。やっと落ち着いて暮らせるようになってきた、そんな頃だった。
マリリン・ビーバー男爵令嬢がフィットランド国へ招かれることになった。
マリリンは国賓として招かれ、内々に聖女として王族又は高位貴族との婚約も打診されているようだった。国が認めた聖女であればトルスタード魔法国の許可が必要だが、金色の聖女と呼ばれ4年が経つが未だに聖女認定もされていない。マリリンはミノタウロスを倒し救国の聖女と呼ばれているにも拘らず、国は認定も保護もしていない。そこに目をつけたフィットランド国は破格の条件をつけてマリリンを誘い込んでいるのだった。




