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37、帰還−1

ディーンシュトとラディージャはマルチュチュ山の結界の中にいた。

あの時ディーンシュトの頭の中で響いた声は、魔草のカランだった。

『ディーンシュト、マルチュチュ山のあの泉のところに飛んで! 早く!』


善悪を判断する余裕もなかった。

兎に角ラディージャを助けたくてあの天竜樹の濃い魔力の結界の中へやって来た。

カランの声に従ってここへ転移し、泉の水をラディージャに飲ませた。少し傷が治った。少しずつ飲ませるように言われて、時間をおいて少しずつ飲ませる体の傷を治していく。

カランは魔法箱の中にいて出てこられない。カランもラディージャを助けるために必死でディーンシュトに語りかけた。


『ディーンシュト、難しいかも知れないけどここでラディージャを抱いてあげて』

見た目の傷がだいぶ癒えたとはいえ、意識のないラディージャに触れるのは恐ろしかった。

いつもの反応を示さないラディージャがこの世のものではなくなった気がして、恐怖が顔を出す。それでもそれがラディージャのためになるのなら、と奮い立ってラディージャを抱く。

抱いた後もラディージャの意識は戻らなかった。

それがラディージャを失った後を想像させて一層怖くなった。だからラディージャの胸に耳をつけて鼓動を感じる。

「大丈夫、ちゃんと生きてる」

確かめずにはいられなかった。


その後もカランの指示通り、泉の水を飲ませて体液の交換をして優しく丁寧に抱くを繰り返した。3度目の後、ラディージャが目を開けた。

「ラディ!! 気がついたの? 大丈夫!?」

薄く笑ったけど、まだ声は出せないらしい。手を動かした、だからすぐにその手を握った。

抱き起こして腕の中に閉じ込めた。

「ああ…温かい、温かいよラディ」

ディーンシュトの恐怖が今溶け始めた。

『戻ってきた、ラディが僕の腕に戻ってきた!!』

嗚咽を漏らしラディージャに縋りついた。

ラディージャのもう一方の手がディーンシュトの頭を撫でた。

ふふと笑みが溢れた。気持ちを重ねた深いキスを交わす。

『ああ、ラディだ。ちゃんと返してくれた。戻ってきてくれたんだ!』

「有難うラディ…戻ってきてくれて、愛しているよ ちゅ」

「信じてくれて有難うディー、側にいてくれて有難う」


その後、カランを魔法箱から出して泉のほとりで療養した。

徐々に元気を取り戻していった。

天竜樹はどこまでも優しく2人を見守っていた。




ジョシュア王太子殿下の元には様々な報告が入ってくる。

ロベルト侯爵の領は『竜の爪』があり、保護区域になっている。それが、消えた。

洞窟になっていたのだが、突如何も無くなってしまったというのだ。他にも天竜様に関わりある場所はあったが、それも忽然と消えたと言う。

そしてポルチーヌ侯爵の家だけが魔獣の被害に遭った。だが、死亡者は今のところ出ていない。突如現れポルチーヌ侯爵の資産を壊し消えた。それが何を示すのか…。

ただ、全土に渡る気候不順は変わらず続いていた。

続けば続くほど人々の怒りの矛先はポルチーヌ侯爵家へ向かった。


牢屋の中のポルチーヌ侯爵は知らなかった。外の世界で自分の一族がどんな目に遭っているか。

魔法刻印なしに対する迫害より、天竜様や天竜樹様を信仰する者の方がはるかに多い。多くの民は魔法を使えない、だがこの安定した箱庭の中で生きられることの意味は深く感じていた。魔道具もあるし、魔獣による恐怖もない、平民は魔法が使えずとも然程困らなかった。

それが、今のこの悪天候の原因はポルチーヌ侯爵だと知るとポルチーヌ侯爵家に対する憎悪が深まり広がっていった。

ポルチーヌ侯爵と同じように、敬愛する天竜様の害悪となるものの排除を『正義の鉄槌』の元に動き始めた。


ポルチーヌ侯爵家に連なる者は全て暴かれていった。

取り分け選民意識の強かったポルチーヌ侯爵は『天竜様の加護を受けられない虫ケラ』と称して魔法刻印無しを貶め甚振っていたため、ポルチーヌ侯爵家を狙った犯罪が横行した。

私兵だけではどうにもならず憲兵を呼ぼうとするも、屋敷から出ることすら出来ない。一家は屋敷の中で外の暴動に怯えた。



ポルチーヌ侯爵は牢屋の中でそんな事も知らずに寒さに震えていた。

乾かしても乾かしてもいつに間にか全身ずぶ濡れとなり、火魔法を使い風魔法を使い、喉が渇けば水魔法を使った。

そしていつも聞こえてくる牢番の声。


「おい聞いたか? ポルチーヌ侯爵家に魔法刻印なしが雪崩れ込んでちょっとした騒ぎがあったらしい」

「俺も聞いた。屋敷から逃げ出そうにも出られないって?」

『ああ、妻たちは大丈夫なのだろうか?』


「いや、俺は別の噂を聞いたぞ? 何でも最低限の荷物を持って使用人が夜中にこっそり抜け出したって」

「それだけじゃねー、奥方も逃げ出したって?」

「ああん? 領地だってもう屋敷は魔獣に破壊されてボッコボコらしいじゃねーか、行くところも帰るところもねーだろうに、どこ行ったんだよ?」

「何でも奥方は男と駆け落ちしたとか言ってたぞ?」

「だってアイツら番だろ? 番を捨ててくのか?」

「さあな、番を好きでも黙って殺されるのは嫌だったんだろう?」

「嘘だーっ! そんな訳あるかー! 番の契約は絶対だ! 私たちは愛し合っている、私を捨ててどこへ行くと言うのだ!!」

シーーーーーーン

「おい! 貴様ら今の話! 今の話を聞かせろ! 私のマリコロルが何だって!? 男と逃げた? 男って誰だ? 私の番を誰が連れて逃げたと言うのだー!!」

答える声はない。


ポルチーヌ侯爵は気が狂いそうになっていた。

そんな訳ない、あり得ない、そう思っていても不安が消えない。何故ならば、番の絆が日々感じられなくなっている。もう、2週間も離れている普通なら飢餓状態になるところだが、あまり苦にならない、これはどう言うことなのか? 考えるのが怖い。


「誰か…頼む 教えてくれ…」



「寒い…」

また服が濡れている。

火魔法で暖を取ろうといつもの様に魔法を使った。いつもより火のサイズが小さい。風の魔法で乾かそうにも微風しか吹かない。

自分の手を見つめて番の存在を探る……、前までハッキリと感じられていた絆をあまり感じられない。手袋を剥がし魔法刻印を見つめ驚愕した! 濃い色の銀色の魔法刻印が薄くなっていた。これまで生きてきてこんな事は初めてだった。

不安で発狂しそうになる。


「何故いつまでも私は放置されているのだ? 私は生きているのか? ここはどこだ? 夢なのか? マリコロルは何故会いにこない? 何故? どうしてこうなったのだ?私は…天竜様に捨て…捨てられるのだろうか? 私の身はどうなるのか…。

私はポルチーヌ侯爵であるぞ! 私は銀色の刻印持ちだー!」




カルディア夫人の元にも色々噂は来ている。

マリリンが目の敵にしていた刻印なしが『天竜様の愛し子』!?


サディアス公爵家に忠誠を誓っていたポルチーヌ侯爵家がとんでもないことになっていると言う。何でもポルチーヌ侯爵家の別に居を構えている子供も商売関係も全て良くない事が続き、領地へ続く道も雷が乱発して落ち、誰もがポルチーヌ侯爵家との関わりを倦厭して孤立無縁の状態になっていると言う。


『困ったわね…』


ポルチーヌ侯爵家はサディアス公爵家に多くの金を落とす、切っても切れない関係。ポルチーヌ侯爵家は光魔法つまり聖女に盲信している為、サディアス公爵家は金に困っている訳ではないが、何かと貢物をくれていた。それらは全てカルディア夫人のポケットマネーとなり、自分の権威を示すのにふんだんに使ってきた。例えば、マリリンのドレスも食事も旅行も慈善事業も全てポルチーヌ侯爵家から得た金で賄っていた。それにカルディアの個人資産も運用を任せている。世間でポルチーヌ侯爵はサディアス公爵家の金庫番などと呼ばれている。


そこへきて、ポルチーヌ侯爵夫人が家から出たと言う。

それは何を示しているのか…? 番いのいない地へ逃げる? この悪天候の中を!?

領地へ? 本当に? 今何が起きていると言うの?

まさかうちは関係ないわよね?


ポルチーヌ侯爵の屋敷の使用人たちは刻印なしはいち早く逃げ出していなくなった。

残っている魔法刻印有りの使用人たちは、最初は頑張っていた。ただ家柄的に刻印なしを人間扱いしない家に仕えていたため、その刻印なしの仕事を自分たちがやる事の不満を覚えた。そして少ない人数で完璧を求められることに不満は更に募った。

自分たちは選民意識の強い侯爵家に勤めていたのだ、自分たちも高い矜持を持って勤めていた。それが、ポルチーヌ侯爵家にいると言うだけで白い目で見られ蔑まれる。耐え難いことだった。


そんな折、奥様の叫び声が聞こえた。

少なくなった使用人たちが何事か、と集まってくる。

「嘘よ! あり得ないわ!! いやー!!」

「奥様! 奥様! 落ち着いてくださいまし! 奥様! きゃー!!」

「わたくしの刻印が! わたくしの刻印が!!何故消えたの! 何が!

あああぁぁぁぁ、魔法が使えないわ! どう言うことなの!? 何故こんな事が!!」

部屋の物を投げ飛ばし泣き叫んでいる。その言葉で何が起きたか理解してしまった。


ここ最近の異変、そこへ来て当主は投獄されて、代理となる者は絶対の価値観であった魔法刻印を消失させた。信じていたものも信用も次々失っていく。

1人2人とこっそり屋敷の金目の物を持って消えていった。


魔法刻印が消えた妻のマリコロルは暫く部屋に閉じこもっていた、今後どうすべきか? 魔法刻印は戻るのか? 夫の処分はどうなるのか? 夫が『天竜様の愛し子』に危害を加え死なせた、となれば、夫は処刑されるかも知れない。夫が処刑されたら番であるわたくしはどうなるの!? 番を失ったわたくしは生きていける?

いくら考えても答えは出なかった。


数日篭った後に気づいた事がある。

魔法刻印が消えて、番の絆を感じにくくなっていた。そして番である夫と暫く会っていないのに、体に不調をきたさない。

「ふふふふははははははは! 番の絆が消えた!?」


魔法刻印があった時は愛しくてならない番の存在が、魔法刻印が消えた今は何も感じなかった。

「あの人と会わなくなって1…2…9日? 1週間以上離れてる?」

今までなら4〜5日離れていないだけで飢餓状態に陥るのに、何ともなかった。

「なら、あの人が死んでも私は死なないで済む!? なら、ここから離れられるわ!!」


マリコロルは、身の回りのの物を持って、実家から連れてきた使用人を連れてこっそり夜中に家を出たのだった。



そしてまた牢屋の中のポルチーヌ侯爵に声が聞こえる。

「ポルチーヌ侯爵夫人も魔法刻印が消えたんだとよ」

「ああ、そうらしいな。魔法刻印なしをあれだけ馬鹿にしていたんだ、魔法刻印なしの言う事を魔法刻印有りの使用人が聞くわけねーだろ!」

「あーーーそう言えば、奥方って言えば魔法刻印が消えて番の絆が消えたらノリノリで家を出たって?」

「ああ、男と出て行ったってやつだろう?」

「ああ、使用人と駆け落ち? ただの荷物持ちだろ?って思ってたんだけど、番の絆がなくなると同時に旦那に対する愛情も綺麗さっぱり消えたってよ!」

「はー、そんなもんなのかよ!」

「なー、あれだけ番の絆は特別だなんて言っといてな。結局番の絆なんてただの呪いじゃねーか! 呪縛だな!!」

「まあ、旦那が処刑されたら自分まで死ぬってんなら、確かに断ち切りてー絆かもな!」

「ははは 違いねー!」


カタカタ歯が鳴って反論も出来ない。

信じられない話の内容もだが、ここ最近魔法が使えないのだ。

魔法刻印もずっと消えたまま…。

魔法が使えないのに、相変わらず気付けばずぶ濡れで凍えていた。もう、体を動かすことも億劫で自分の体を抱えて座っているしか出来ない。


『マリコロル…お前は私を捨てたのか? 金色の聖女様、お助けください…』




マリリンは実家に戻っていた。

いつもなら一緒に公爵家に帰るのに、「久しぶりにご両親に顔を見せて差し上げなさい」なんて言うから拒否することもできず、仕方なーく実家に帰ってきた。


はぁー思わず何をしていてもため息が漏れる、ずーーーーーっとカルディア夫人と一緒にいたので常に最高級に囲まれる日々だったのだ、実家に戻るとあまりに安っぽくて陳腐な日常でつまらなかった。

自室に戻ってもソファーセットもないのでベッドに腰掛けた。サディアス公爵家は常にピシッと皺ひとつないリネンに生花が飾られ、使用人たちも教育が行き届き、部屋の隅に控えていた。今は狭い部屋に使い古された家具に壁紙にベッドカバー、全てがお粗末に感じられた。さっき 飲んだお茶も二流どころか三流にも入らなさそうな出涸らしの様な味。一流を知ってしまうと現実を受け入れるのはかなりキツかった。


『ああ、早く帰りたい。もう、顔を見ましたって明日にでも行こうかな?』


一応手紙を出したが、返事は望む物ではない。

『暫くゆっくりしていらっしゃい。わたくしも忙しいので次に会えるまで訓練を忘れないようにね』


マリリンには独自の情報網などはない、世間が今何で騒いでいるか知らずにいたのだ。

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