36、異変と混乱−2
ジョシュア王太子殿下たちは人を掻き分けやって来た。
そこで見た光景は衝撃的なものだった。
ラディージャの顔は、拳の跡がつき鼻や口から血を流している。鼻は恐らく折れている、いや口の中も歯が折れているかもしれない。ドレスの為薄い衣は靴で踏みつけられるには何の守りにもならない、布ごしにも血が滲む。腕や腰からも血が滲んでいる、足や腕も不自然な方向を向いている。
庇っていたディーンシュトも腰を蹴られていたはずが口から血を流している、内臓を傷つけられたらしい。どれほどの力が加えたれていたかが伺えた。
ジョシュア王太子たちが見ていた先程まで幸せそうに踊る2人の姿は、血塗れの無惨な姿に変わっていた。
先程までは小さな幸せを噛み締めている嬉しそうな顔を見せていた2人、ただ一緒にいられるだけで泣きそうになっていた2人、ディーンシュトが耳元で「綺麗だよ」と言った言葉に真っ赤になって顔を覆ったラディージャ、お揃いの衣装を示して微笑み合う2人、今は血塗れで意識もない。怒りが沸々と湧いてくる。目の前には拘束されても尚、口汚く罵り醜悪さを見せる男。
怒りに任せて殴ってしまいそうな衝動を必死に抑える。だが感情に任せて目の前の害虫を排除したい! 殺気が漏れ出るのを押し殺せない。
「落ち着きなさい、光の魔術師をすぐに呼びなさい」
「ラディージャ! ディーンシュト! なんてことだ!!」
レイアースは駆け寄り2人の様子を見て膝から崩れ落ちた。
「何故、こんなことを! ああ、ラディージャ、ラディージャ!!」
「ポルチーヌ侯爵、何をしたのだ!」
「私は正しいことをしたのです! この娘は悪魔だ! 金色の聖女の番を奪い、殿下たちを籠絡した悪魔なのです! 刻印なしに殿下たちが惑わされているのを私が! 聖女様を! この国をお救いしたのです!!」
「ふざけたことを言うな!! ラディージャの何が悪魔だ! 貴様の方がイカれてる!
先程も言った通り、ディーンシュトは最初からずっとビーバー嬢の番でも婚約者でもない! ビーバー嬢の虚言だ! それを鵜呑みにしてなんてことを仕出かしたのだ!!」
「王太子殿下、これ以上は黙っていてもラディージャ様をお救い出来ませんわ。皆にもお示しになるべきです」
アンティエーヌ王女殿下はラディージャに『様』と敬称をつけた。
周りで聞いていた者たちもその違和感を聞き逃さなかった。
「叔母上…、ポルチーヌ侯爵、それから皆にも伝えておこう。
ラディージャ・シュテルン伯爵令嬢は『天竜様の愛し子』であると考えている。
確証が得られず、これまで保護して観察を重ねた結果、そう結論づけている。
1つ、ラディージャを天竜樹の側に置くことにより、花をつけた。そして、ラディージャが魔力切れを起こした時、花が落ちた。
1つ、ラディージャが気づいたことだが、特級ポーションの原料は天竜樹の恩恵を受けて育つことが分かった。そしてその魔力は特別な色をしている、それがラディージャにも見られた。
1つ、天竜樹はラディージャを保護することを望んでいる。
以上のことから、ラディージャ・シュテルン伯爵令嬢はこのトルスタード国を挙げて保護対象者とし、最重要人物とするつもりだった。ただ、明らかにすることがラディージャにとって重荷になるのではと躊躇して来たが、この様な事件が起きてはこれ以上隠しては置けない。この場この時をもってラディージャ・シュテルンは『天竜様の愛し子』とし、王族と同等いや天竜樹と同等の扱いとする、良いな!」
「そ、そんな馬鹿な…嘘だ、あり得ない! でっち上げだ!!」
「マシュカル・ポルチーヌ そなたはラディージャの事を知らないにしても貴族たる素養なしと判断する、よって牢に入れておけ。処分は追って沙汰する。
だが、すぐにもその身で己の愚かさを知ることになるだろう」
バタバタバタバタ
走って来た衛兵がレイアースに耳打ちする。
「殿下、天竜樹の花が全て落ちました」
「なっ!!」
ザワザワ そこにいた者たちは言い知れぬ不安に襲われた。
「う、嘘だ…」
王宮の光魔法の筆頭魔術師 シャズナ・クパルがが到着した。あまりに酷い状態なのでここで治療してから移動することにしたのだが、クパルの回復魔法を弾かれた。
「何が起こったか分かりません」
「もう一度、もう一度かけてみてくれ!」
残念ながら結果は変わらなかった。絶望に囚われていたその時、誰もが身震いをし始めた。
気温は22℃くらい魔法で調整された部屋のはずなのに、女性たちは皆自分の腕をさすっている、確かに気温が急激に下がっている。
「クパル、ディーンシュトに回復魔法をかけてくれ」
「承知いたしました」
ディーンシュトの方には上手く魔法がかかり、白い光の中でディーンシュトが回復していくのが顔色と共に分かった。意識を取り戻したディーンシュト
「う、ううん……は! ラディ! ラディ!」
ラディージャを探すとその姿に驚愕した。
「ラディ? ラディ…なんでこんな…、無事だよね? ねえ、起きて? 僕を1人にしたりしないよね? ラディ? お願いだよ、返事をしてよ…ラディ…ラディ!!」
その反応は番を失った時の伴侶のものだった。
「ディーンシュト」
「殿下? ラディは? ラディージャが何も答えてくれない、ラディ…おぇ、ラディが! ラディ…ラディが」
「ディーンシュト、落ち着け、落ち着くんだ」
混乱するディーンシュトを抱きしめ必死で正気を保たせようとする。
「ディーンシュト、ラディージャは回復魔法を受け付けなかった」
「え? なんで…どうして?」
「分からない、とにかく今できることをしないとラディージャを永遠に失ってしまう。ディーンシュト、ラディージャにキスをして回復を試みるんだ。ディーンシュト! しっかりしろ!! ラディージャを救えるのはお前しかいないんだから!!」
ディーンシュトの瞳からボタボタと涙が落ちていく。呼吸もままならない、だけどラディージャを救いたくて必死に抱き寄せ唇を合わせた。ラディージャの唇は今まで感じたこともないほど冷たく血の味がした。抱き寄せた体は温もりがどんどん失われていく気がした。
「駄目だよ、ラディ? 僕を置いていったりしちゃ駄目だからね? ほら飲んで…。
ねえ、苦しいことばかりだったでしょ? だから消えちゃうの?でも駄目だよ、どこに行くんでも僕が一緒だって言ったでしょ? お願い、逝くなら僕も逝く…だけどお願いだよ、僕はまだラディとしたい事が沢山あるんだ。だからもう少しだけ時間を頂戴、ね? 僕を1人にしないでよ…ラディ…ラディ! ラディ…」
ピクリと反応した。
薄く目を開けた。
「ラディ! 気がついた? お願い、回復魔法を受けて、お願いだよ!!」
何かを言おうとしているけど声にはならない。悲しげの見上げているだけ。
一筋涙が落ちて目が再び閉まった。
ラディージャの手がスルリと力なく下に落ちた。
「え?」
ディーンシュトの頭の中の声が響いた。
次の瞬間、ラディージャとディーンシュトの姿はそこから消えた。
会場には2人が消えたその時のまま縫い止められたみたいに動けずにいた。
「王太子殿下、ラディージャ様とディーンシュトはどうしたのでしょうか?」
声が震える。
「ラディージャ…ディーンシュト…」
轟音が鳴り響く。
突然の雷だった。
気温は恐らく5℃を下回っているだろう。
王都は特に結界の中で温暖な気候で保たれている、それが結界内の魔力制御が効いていない。部屋だけでなく、王都全体かこの国中か、異変が起き始めた。雷など落ちるはずもない天変地異が起きていた。この先何が起きるか分からない状況で、パーティーはお開きになった。
ジョシュア王太子たちはすぐに天竜樹のところへ探しにいったが、そこには誰もいなかった。忽然と消えてしまった2人、転移で消えた2人の足取りは掴めるはずもなかった。
ラディージャの『天竜様の愛し子』と言う話もジョシュア王太子の政治的戦略ではないかと思っていた者たちも、あの日以来続く豪雨と雷に、天竜樹の花も落ちあんなに穏やかだった樹が今は恐ろしく感じる、誰もが信じる他なかった。
王宮の神殿では、これまでの貴族たちの捧げる魔力量を2倍にしても効果がなく3倍にもしてみたが効果はなかった。結果有力貴族は全員呼び出されて連日泊まり込みで魔力を搾取されていった。
牢屋の中のポルチーヌ侯爵は、密閉された空間にいるはずなのに、いつも水浸しだった。凍るような寒さの中、ビショビショで震えていた。
牢番に文句を言っても改善されない、当然だ誰かがわざとしているものでもない、いつの間にか濡れているのだから。ポルチーヌ侯爵は魔法で火を焚き暖を取り、濡れた服を乾かした。
『くだらない悪戯などしおって!』
「おい、聞いたか?」
「なんだよ?」
「ポルチーヌ侯爵領に魔獣が出たらしいぞ!」
「は? 何でだよ! この国は結界で魔獣から守られているのに何で魔獣が出るんだよ!」
「さあな、天竜様の愛し子を殺した罰だって言う話だ」
「それで被害は?」
「それが……」
「え!?」
「おい、もっと聞こえるように話さんか! 被害状況はどうなんだ!!」
牢番の声は聞こえなくなってしまった。
「クソ! 全くもって使えない!! それにしても寒いな…」
ポルチーヌ侯爵は牢の中で火を燃やして暖を取った。
数日経って、カラッティ侯爵が王太子殿下のもとを訪れていた。
「殿下、ラディージャの話は本当のことですか?」
「カラッティ侯爵、既にラディージャはそなたの娘ではない。敬称をつけよ」
「……ラディージャ様のことは事実でございますか?」
「事実だ。そしてこの天変地異も現実だ」
「殿下はいつからラディージャ様が天竜様の愛し子だとご存知だったのですか?」
「そうではないか、と思ったのは一度目の天竜樹の花芽が落ちた時だ」
「そんなに早くから…、これはまるで詐欺ですな。娘を盗まれたも同然です。お返し願います」
「馬鹿を言うな。お前は要らぬと捨てたのではないか、それを拾ったにすぎない。契約書にも今後一切の父親としての権利を放棄すると署名したのはそなただ。お前はラディージャに二度とカラッティ侯爵家を名乗るな、王宮で働く際もカラッティ侯爵家の者と知られるな、地方で人知れず生きていけ、魔法刻印が現れなければのたれ死んでも構わないと言っていたではないか! 今更虫がいい事を言うな!」
「あれは魔法刻印がなかったから仕方なく…」
「ラディージャは今なお刻印は出ていない。仕方ないだと?娘の気持ちを考えたことはあるのか? ラディージャは12歳で学院に上がり、周りが魔法刻印が続々と出る中、自分だけが出ない劣等感を抱きながら孤独だった! 唯一天竜樹の側で孤独を癒していたあの子に天竜樹の側に行くことまで禁じておいて、何がカラッティ侯爵家の者だ!これ以上ラディージャを振り回すな、いいな!」
「いいえ、これだけは譲れません。ラディージャに会わせてください、カラッティ侯爵家の役割を教えなければなりませんので」
「あの娘はカラッティ侯爵家の者ではない! シュテルン伯爵家の者だ!
お前もポルチーヌ侯爵と似た者だな、娘を家のために利用することしか考えてない!下がれ!」
「会わせないおつもりですか?」
「カラッティ侯爵、義父として言わせていただきますが、あなたみたいな父親のところへ返すつもりはありません」
「……また来ます」
「胸糞悪い!」
ジョシュア王太子は激しく憤っていた。
「落ち着けって。それより…ラディージャは無事だろうか…?」
「ああ、きっと無事だと信じている」




