31、特訓の成果−1
サディアス公爵邸でマリリンがいなくなったのに気づいたのは昼過ぎのことだった。
侍女が様子を見にいくとベッドはもぬけの殻、慌てて屋敷内を探し回ったがどこにもいなかった。使用人総動員で探したが見つからない…大失態であった。
ロブソンはマリリンの部屋を物色した。
ドレスや宝石を持ち出した形跡がない、自分の荷物もそのまま、そうなると逃げ出したというよりは、外出したと見る方が自然。とは言え、外出する際に誰にも見られず外に出ることは本来で有れば不可能、誰にも気づかれず外に出たとなれば…家出と思われた。
「全くそう言った能力を他で示してくだされば…」
数名を屋敷の周辺を探しに行かせた。
しかし探しに行かせた者たちはマリリンを見つけられずに戻ってきた。そして夜になっても帰ってこない。
「奥様にご報告しなければ、頼まれていたというのに何たる失態!」
ロブソンはカルディア夫人に連絡を入れ、王都のマリリンの実家にも人を送った。
ところがビーバー男爵家にも帰ってきていないと言う。ロブソンはもう一度屋敷周辺を捜索隊を増やし広範囲に探させた。
3日目にはカルディア夫人が屋敷に戻ってきた。
「ロブソンどういう事なの!?」
「申し訳ございません。体調が悪いと部屋に篭り寝ていたはずなのですが、侍女が見に行ったところいなくなっておりまして…」
「どこへ行ったというの!」
「心当たりはどこにもおらず、引き続き探しております」
「全く何をやっているの!? 何をしにここへ来ていると思っていうのかしら!!」
カルディアは苛つきながら部屋を行ったり来たりしていると、騒がしくなってきた、マリリンを発見したのだ! マリリンは意識を失っており、背負われて屋敷に帰ってきた。
マリリンは領地の1km先の洞窟の中で倒れているのを兵が見つけたのだ!
カルディアはマリリンに回復魔法をかけてやると、すぐに意識を取り戻した。
「マリリン! マリリンしっかりしなさい! マリリン!」
「カルディア様? …ふぅぅぅ、カルディア様…出来が悪くてごめんなさい…恩返しをしたいのに、何も出来なくてごめんなさい…」
「マリリン…、何故 あんな所にいたの?」
「うっくうっく…ここでは皆さんが優しくて良くしてくださるのに、ちっとも上達しなくて! 頑張っても頑張っても思い通りにはいかなくて…、期待に応えたいのに…何も出来なくて…もうどうしていいか分からなくて!! 誰かに助けて欲しくて…気づいたら洞窟で、帰り道も分からなくて…、迷惑しかかけられなくてごめんなさいぃぃぃ、ああぁぁぁぁ」
「マリリンあなたをそんなにも追い詰めてしまっていたのね…わたくしこそごめんなさい。でもね、急にいなくなってとても心配したのよ? 無事だったからいいようなものの、分かっているの? 今回の行動はあまりに軽率だわ。従者も連れずに1人でどこかへ行って何かあったらどうするつもりなの! 今後この様なことをしては駄目、いいわね?」
「はい、申し訳ございませんでした…」
「マリリン、明日は1日ゆっくりして明後日、旅に出ましょう。以前話した『竜の爪』がある領地へ旅行に出ましょう、いいわね?」
「はい、承知致しました」
「今日は何か体にいいものを食べてゆっくり眠りなさい、いいわね?」
「はい、…あのカルディア様、ご迷惑ご心配をお掛けして申し訳ありませんでした」
「もう…いいのよ。ではね」
屋敷を出る前よりカルディア夫人は優しくなっていた。
ラディージャは特級ポーションの研究をしていた。
カランビラなどの薬草は魔草だったことが分かった。カランと意思疎通出来るようになったこともあり、あの地の魔草を使わずに何とか作れないか?の研究だ。
現在、特級ポーションも材料が揃わず殆ど作ることができない。ではその分、光魔法の魔術師がカバーしているのかと言えばそうでもないのだ。
光魔法の最高魔術師は現在シャズナ・クパル、その前はカルディア・サディアス公爵夫人、その2人はいずれも光魔法の筆頭魔術師だが、中級レベルまでの魔法しか使えない。
もし、上級レベルで有れば、欠損部位の再生(腕を切り落とした場合、生えてくる)や、癌なども早期に発見できれば完全治癒が可能なのだが、ここ何年も中級レベルまでの魔法しか使える存在しか出ていないので、正直特級ポーションは喉から手が出るほど欲しいアイテムなのだ。薬局員は独自にそれぞれが研究室で研究を重ねている。
ラディージャは薬局に勤めて少し気づいた事がある。
ポーション作りには魔力の注入が必要になる。
手順としては、材料を鍋に入れ煮出し出来上がったものに、自分の魔力を注入していく。ただ注入するのではなく、低級ポーション、中級ポーション それぞれのレベルに合わせた魔力を注入しなければならない、そして品質を一定にする事、これがなかなか難しく職人技と言った感じだ。少なければ怪我を治すに足りない薬剤となり、多ければ薬草の効果を殺してしまう…、だから必ず作り終えると魔道具で鑑定をする。1番緊張する瞬間。
その時にラディージャが作ったポーションは他の者が作った物より効果が高いことが分かった。魔力量が多いと言うならば薬品として成立しないのだが、正しい魔力量だが効果が高い。そこで思い至ったのが、『ラディージャの魔力は天竜樹と似ている』と言うことだ。
特級ポーションとして王家が保管している物を以前鑑定させて貰った時、特級ポーションは天竜樹と同じ煌めきや虹色が入っていることが分かった。
あのマルチュチュ山以外の植物の色は煌めきや虹色と言った色は見られない。
そこで、こちらにある物で似た色の物を見つけ調合し、ラディージャの魔力を加えたら似た効果が出ないだろうか?と言う研究を密かにしている。
薬局の職員は魔法刻印持ちとなし両方が共存している。
と言うのも、ポーションの作成には魔力が必要だからだ。魔力が弱い故に魔法刻印が出ない、僅かな魔力を作るポーションは低級を数本分が精々なのだ。だから魔法学部を卒業した家督を継がない者が多く勤めている。魔力が弱い者は折角王宮の薬局で勤められても、薬局内で下働きしか出来ないのが現状だ。
薬学部で必死に勉強して王宮の薬局で勤められるようになっても、知識はあっても結果は残すことができない。立てた仮説を実証するのは魔法刻印持ち…、つまり手柄は横取りされてしまう。だがそれでも王宮の薬局勤めは身分と給料が保証される、不遇な環境でも懸命に生きていた。魔法使いのアシスタント、それが魔法刻印なしの立ち位置。
上級ポーションを魔法刻印なしが作ったのはラディージャが初めての人間だった。魔力量がありながら魔法を使えないラディージャは異端だった。
但しラディージャの作ったポーションは薬局局長のドートリシュが鑑定している。
それは同じように作ってもラディージャの作ったものの効能が良くなってしまうことが分かったから。レイアースに相談した結果、ジョシュア王太子殿下から秘匿案件としてラディージャの作ったポーションはドートリシュ局長が鑑定し管理することになった。
魔法省の薬局以外でも魔法刻印なしが働いてはいる、だがここより待遇は悪い。まあ、高位貴族で魔法刻印が出ないことの方が稀なので、働いている者は子爵家か男爵家の優秀な者しかいないが、身分的にもこき使われるのは違和感がなかった。やはり侯爵家 カラッティ家の者が魔法刻印なしで働くことの方が異例だった。しかもレイアースの養子となり扱いに困る。
異例の17歳で最年少で入省、魔法刻印なしが初めて上級ポーションを作り、ポーションは局長管理、そして入省して間もないと言うのに局長付きの人間となり、王太子殿下の覚えめでたく、側近中の側近が後ろ盾、やっかむには十分。またその容姿が美しいことも妬む原因となる、その美貌で周りに媚を売っていると捉えられる。
ラディージャに対する嫉妬は日毎大きくなっていく。
自分たちより好遇されている魔法刻印なしからも、魔法刻印なしでありながら特別待遇されているラディージャは、魔法刻印持ちからも、魔法刻印なしを見下している者たちからも、王太子殿下に取り入りたいのに出来ない者たちからも激しい嫉妬を向けられていた。
そしてある日ラディージャを利用しようとする者たちに、王宮にいる時に連れ去られたのだ。
だが、ディーンシュトと連絡をとり事なきを得た。しかしこの1度だけではなく、幾度となく危険な目に遭う。ラディージャは魔法が使えないので魔法による攻撃には対抗する術がない。心配したディーンシュトが魔道具で結界を用意してくれたが、弱い結界なので毎回買い直す状況でキリが無い。いつか、取り返しのつかない事態になるのではと気がきではなかった。
この事を重く見たジョシュア王太子殿下は自分の近衛騎士をラディージャの護衛につけてくれた。まあ、ラディージャが住んでいるのも王宮のジョシュア王太子殿下の宮殿なので特に問題もない。因みに以前はジョシュア王太子殿下と同じ宮殿のレイアースの居室だったが、一時的ではなく期間が定まっていないとなると、様々な憶測を呼ぶことになるので、王太子宮殿のエリアにある別邸、ゲストハウスをラディージャの居住に与えてくれている。
ラディージャが宮殿を出る時から戻ってくるまで付き従ってくれる。彼の存在により、拉致監禁やあからさまな虐めはなくなった。
ラディージャに付けられた近衛魔法騎士 ラウル・パスカル卿は不本意で仕方なかった。
近衛魔法騎士は騎士の最高峰、エリート中のエリートだ。そして選ばれたエリートの中でも国王陛下と王太子殿下の護衛は更に選ばれた人間だけがなれる誇りと名誉をかけた仕事、それがまさか…魔法刻印なしの護衛だなんて、悪夢としか思えなかった。
主人であるジョシュア王太子殿下に命令されたのだから当然 職務を全うするつもりだが、エリート街道を脱落したような遣る瀬無い気持ちになっていた。
『何で私がただの薬局員を護衛しなければならないのだ…』
しかも魔法刻印もないただの薬局員、だが優秀である事は間違いないらしい。そして殿下が自分の宮殿の別邸を与えるほど寵愛しているのも事実。黙ってラディージャ嬢を護衛する。
初めて護衛につく日、殿下の指示通り少し離れて警護していた。
すると、次から次へと嫌がらせを受けていて驚いた。
いや、分かっていたはずだ、この世界では魔法刻印なしは人間としての価値を認められていない、そう言った人間がどんなに努力しようとも周りはそれを認めない。全ての努力は天竜様の加護なしと一蹴され認められることはない。
朝 出勤すると、ラディージャ嬢は1日の行動予定を決め、局長に提出する。その後、自分の研究室に篭り仕事に入る。そうするとパスカルは扉の外で立番をする。
通常入省すると、3年間の見習い期間、つまり勉強期間があり、その後試験を受けて合格した者は指導官の元でポーションを作る手伝いをしながらポーション作りの勉強をしていく。1年経った頃、ポーションを作り、一定の溶液を作れるようになって3ヶ月官に渡り、抜き打ちテストを行う。全部で5回のテストで合格を受けて、やっと一人でポーションを作ることを許されるのだ。だがこれで終わりでもない、新しいポーションを作る際には毎回テストを受け、合格したものを作る許可を得る。
低級ポーション20種類全て合格すると『ベーシック』の称号を与えられる。勿論、1つでも不合格があればその称号は与えられない。そして称号にあったカラーでランク付けされ、制服の徽章とリボンで一眼でわかるようになっている。
因みに低級ポーション 20種類合格で『ベーシック』 ブロンズの徽章に小豆色のリボン、
中級ポーション 10種類合格で『プロフェッショナル』 シルバーの徽章に銀色のリボン、
上級ポーション 6種類合格で『アドバンス』 ゴールドの徽章に金色のリボンといった感じだ。
最初の低級ポーションの合格までの4〜5年、上級ポーションの合格となると最短でも8年以上かかる。そして勿論、全員が合格出来るほど簡単でもない。
魔力量によっては低級ポーションしか作れない者もいるので、徽章をつけているのはごく一部の人間だけ。しかも徽章をつけるレベルになると、後輩への指導も仕事に含まれる。
ところが、どうやらラディージャ嬢はほとんどの工程をすっ飛ばして『アドバンス』となってしまったらしい。見習い期間もなく、テストは秘匿されドートリシュ局長と王太子殿下とレイアース執務室長のみが立ち会い、鑑定し、結果を出した。
所謂 下積みが一切なくいきなりの『アドバンス』、現在 薬局には『アドバンス』がいないにも拘らずだ。しかも後進の指導は免除されている。当然、局長以外は反発した。
「せめて彼女が作ったポーションを我々にも見せて証拠を示して頂きたい!」
当然の反応だ。だが、許可されることはなかった。それが更にラディージャ嬢は実力もないのに王太子殿下のお気に入りというだけで入省し、薬師の誰もが憧れる『アドバンス』の地位まで手にし、個室を与えられいい気になっていると、あらぬ疑いをかけられ孤立し、嫉妬は憎悪となっていた。
確かに怪しいとラウル自身も思っていた。何故、魔法刻印無しのただの少女に肩入れするのか全く分からない。だが、ずっと一緒にいるとそれは間違いだと分かった。ラディージャ嬢は放っておくと朝から晩まで食事も摂らずに研究室に篭る、なんて事もザラで、中で寝ているのでは?と覗くと一心不乱に本を読み、仮説を立てては研究ノートに書き込み、実験し、実証していく。出てこないので、ラウルもそのまま研究室の前でひたすら待ち続ける。ドートリシュ局長が声をかけても全く気づかない。何とか気づかせて、無理やり片付けさせてやっと終了。また別の日は図書館に行ったり、図書室に行ったり調べ物をしている。その間も通りかかる人間の嫌味にも気づくことはない。そしてある休みの日、沢山の本を抱えて天竜樹のところへ来ていた。本来はラウルも休みなのだが、交代できる人間がいないため、見かけてしまった以上、何となく後をついて行った。自分は天竜樹のエリアの中にまで入れないので外で待っていると、鼻歌を歌いながら本を読んでいるらしく、警備の者たちもいつもの光景に「どうせ、一日中出てきませんよ」と言う通り、暗くなるまでずっと出てこなかった。
兎に角、朝から晩までフル回転で、休む間もない。
呼び止められ、ラディージャ嬢は魔法刻印なしと罵られていた。
間に割って入ると、すぐに絡んできた輩は退散したが、ラディージャ嬢の様子を確認する為振り向くと、後ろで気を失っていた。慌てて部屋に連れ帰り医者を呼んだ。そこへ運悪くと言うかレイアース様がお見えになった。医者が回復ポーションを飲ませるが意識は回復しなかった。
「ラウル、今日はもういい 帰って休んでくれ」
「お待ち下さい! 私は何か失態を犯したのですか? 何故帰れと仰るのですか!?」
「……お前の落ち度ではない。ただ、ラディージャは今日はもう目を覚ますことはないだろうから、今のうちに休めと言う意味だ。ラディージャはいつも限界まで体を酷使して、こうして魔力切れのような感じになってしまうんだ。だから今は出来ることがないから戻っていいと言っているだけだ」
「…ああぁぁ、すみません、感情的になりました。…それでは失礼致します」
ラウルからラディージャに視線を戻すと、気遣うように眉を顰め頭を撫でている殿下がいた。それを見て、『自分は何か失態を犯したのでは?』と不安になった。
だがその顔の意味を知るのはずっと後のことだった。




