17、天竜樹
マリリンはあの日から懸命に魔法訓練をする様になった。
指から火を出すのは場所を選ぶが、魔力を巡らせることはいつでもどこでも出来た。
マリリンの人生で生まれて初めての努力だった。
あの全身を包むゾワゾワした感覚、堪らなかった。全身を駆け抜ける快感、アレをもう一度味わいたい。アレが自分でも出来るようになる? 私にも魔法が使えるようになる!?
マリリンも少しは頑張ってきた。だけど一向にできるようにならないので飽きてしまっていた。だけどバークレー先生に実感させて貰って、自分にも出来るようになると示して貰った事により、俄然やる気が出てきた。あの時の感覚を思い出しながら何度も何度も繰り返した。
ジョジュア王太子殿下はラディージャを伴い天竜樹のところへ来ていた。
「さあラディージャ、いつも通り過ごしてみてくれ」
『何を仰るご無体な。殿上人を前に土の上に寝そべってうたた寝しろと?出来るかーい!』
突っ込みたいが突っ込めるわけもない。
「えっとここでいつもみたいに本を読んでもいいのですか?」
「ああ、構わない」
「はぁー、では失礼して…」
ヤケクソで、寝そべって本を開き始めた。
ポーションについて書かれている本を読み始めた。
「ポーションを作る手順は基本的には同じ。低級ポーションで治せるものは…擦り傷、初期の風邪、頭痛や極軽い症状のみ。中級ポーションだと治せるものが増える。そうなるとお金さえあれば中級ポーション買った方が得よね。薬草は2種類増えるだけなのにお値段は倍になる…2種類が高価なのかしら? 2種類を入れるだけで効果が倍以上になるのは何故なんだろう? 仮説を立てるとしたら、2種類は魔……いやそれだけでは倍の効果は期待できない。大体そこまで手に入り辛いものでもない、とすると………あっ! 相乗効果か!」
本気で王太子殿下の存在を忘れて自分の世界に入ってしまっていた。
ふと見上げると天竜樹の木漏れ日が目に入った。
「綺麗だなぁーーー。そうだ! もしかしてマルチュチュ山で護って下さったのですか? 有難うございます! お陰様で無事に帰ってくることが出来ました! 魔獣にもたくさん遭いました! うふふ 優しいですね、有難うございます ふふ」
何かを思いついたようにメモに書きなぐっている。
そして鼻歌を歌い絵まで描いている。
「ふむ、なるほど確かに歌というより鼻歌か…。確かに没頭していて、まるで自分の部屋かのようだ。さて、ラディージャ、ラディージャ!」
「あーここでじゃ駄目だろうし…なんか違うんだよな…。 ん?」
頭を上げると覗き込む顔の王太子殿下。
『マズい、やっちゃった!』
「すみません、寛ぎすぎました」
立ち上がると、慌てて身なりを整えて頭を下げた。
「いや、構わない。ふふ 本当に寛いでいてまるで自室にいるかのようだったな」
「申し訳ありません」
「本当に私は気にしていない。ただ、他の者に見られると叱られるだろうから気をつけなさい。どうやら夢中になると他の音を遮断してしまうようだからな」
「はい」
「ところで先程の疑問の答えだが、低級ポーションと中級ポーションの違いは、使われている薬剤は勿論だが、水も違うんだ。低級ポーションにはただの水が使われている、ただの水では魔力を流しても魔力を封じ込められるのがあまり多くない。そして中級以上になると聖水を使うのだ。さて問題だ、街の薬屋では何故 中級ポーション以上があまり出回らないか?」
「聖水を使うのであれば、光魔法を使える魔術師から聖水を貰い受ける必要があります。でも光魔法の使い手はそう多くはないし、希少な為 魔法省に所属している。そうなると聖水は教会で使われている聖水を譲って貰うしかない訳ですね」
「そうだ。魔法省の薬剤局には当然ストックされている。用途に合わせて使用されているが、一般には手に入りにくい為価格が上がってしまったという訳だ。
そこで、定期的に王宮で管理している物を売りに出すのだが、一部の金持ちに買い占められて値段が調整されてしまったりするのだ」
「買い占めをやめさせることは出来ないのですか?」
「んー、流石に薬剤局から売るときは買い占めさせないように、領主に分散させて売るのだが、使わないポーションを毎回買わされるのは、領主たちの負担にもなっているらしいのだ。それで財政難の領主から買い取っていると言う訳だ。流石にそこまでは取り締まれない」
「なるほど…、その者は誰かも分かっているけど合法で手が出せないという事ですね? その方は独占販売で儲けるつもりで買い占めしているんですよね? でも魔獣が出ない今、高額なポーションに需要はあるのでしょうか?」
「いいところに目をつけたね。確かにね魔獣討伐は殆どない、その上 重篤な状態でなくとも教会に申し込み光魔法の魔術師を派遣することも出来る」
「本当だわ…ならどうして高額なポーションを買い占めるのかしら?」
想像がつかない。
ラディージャたちは領地から12歳から学院の中で寮生活をしている為、まだ知らないことが多いのだ。
「降参かい? まあ、1つはこの国特有の問題がある。貴族の多くは番によって結ばれている、具合が悪くなっても番を他人に診せたがらない。それに今の国内の光魔法の魔術師の治せるレベルも高くはない、そこでポーションが役に立ったりする」
「なるほど…」
ラディージャはジョシュア王太子殿下の話を必死に書き留めていく。
「それから まあこちらが本命だけど、労働力確保のため。
例えば先日ラディージャが入ったマルチュチュ山、特級ポーションの原料となる薬草が自生している。これを取りにパーティを組み向かうとしよう。だが、ここ数十年もまともに成功した者はいない」
「え!?」
「生きて戻ってくる事の方が難しい。だから結界の中に入っても採取出来ずに戻るか、結界の中で死ぬか。魔獣との戦いで薬草を諦め、命からがらポーションを飲み必死で逃げ帰る。
ラディージャ 君がいかに危険だったか分かるかい?」
「はい、反省しています」
「…つまり仕事として、労働力としてポーションを必要としている人間がいる。
それから、金が好きで困っている人間に高額で売りつける人間もいる。大切な人を救うために金に糸目をつけない人間もいる。
だからある程度、ポーションの流通を一定にするために調整もしている」
「調整?」
「そう、まあ極ありふれた物になってしまうと価値が落ち大切に扱わなくなる部分もある。それと…薬学部の子供たちの未来を閉ざすことになる。薬学部の卒業生から王宮で働ける者たちは極僅か、そうなるとラディージャのように街で薬屋を営もうとする、だが薬が安価に出回れば生きる術をなくしてしまうだろう?」
「はっ! はい、魔法が使えない私たちは自分たちで生きていく他ありませんから…」
「だから、王宮からはあまり多くの薬は卸せないんだ」
「凄いですね、王太子殿下は私たちみたいな者も、ちゃんと国民の一人として考えて下さっているのですね! 有難うございます!」
「勿論、魔法が使えようが使えまいが、貴族だろうと平民だろうと、私にとっては大切な国民だよ。理解してくれて有難うラディージャ」
『ラディージャといるのは心地良いな、ふふ』
それからもラディージャの疑問に知っていることは答え、楽しい時間を過ごした。
ジョシュア王太子殿下は天竜樹を見上げた。
確かに天竜樹が喜んでいる、そう感じた。
空気が煌めき柔らかい、気持ちが軽くなり滞っている何かを浄化していくような安らぎを感じる。
ジョシュア王太子殿下は、警備兵たちの証言を検証してみるため一日中天竜樹の側で政務を行なった。レイアースには『何してるんだよ!わざわざここまで来るの手間なんだけど!』と叱られたが、誰かが寄り添うことで変化が起きるのか確認したかった。因みにジョシュア王太子も銀の刻印持ちだ。しかも王家の血筋、結果は変化なし。ついでに魔法省の最高魔術師にも一日中天竜樹の側で過ごして貰った。
結果はいずれも変化なし。
やはり天竜樹はラディージャを気に入っているのだ。
それはラディージャの魔力を気に入っているのか、長年側にいたことにより培われた絆なのか…、それは検証出来ない。そこでもう一つの検証、カラッティ侯爵家特有のものなのか…、手っ取り早くカラッティ侯爵家の者を呼び天竜樹の側で仕事を言いつけた。
いや、これはそうあってくれるなと言う主観が大半を占めていたが、結果はやはり変化なし!
今 自分がこの空間に身を置いて、分かるのはラディージャ自身の力ではないという事。
これまでにもラディージャを側に置いていて、その時は感じたことはない感覚だからだ。
間違いない、ラディージャを側に置くことにより天竜樹が喜んで起こしている感情みたいなものだ。
ラディージャと別れると執務に戻る。
「おい、忙しいのに一日中ラディージャとデートとは頂けないな」
「ああ、有意義だったよ」
「頼まれていた、ラディージャの養子先だが…」
「ああ、見せてくれて」
幾つかの候補の家を調査した書類を捲るジョシュア王太子殿下は難しい顔をすると
「どこもイマイチだな…」
「ジョシュアどうした? 前はそんな些細なこと気にも留めていなかっただろう?
魔法刻印が現れずに不遇に扱われるなど今に始まった事ではない。なのに何でここまで彼女に肩入れする? カラッティ侯爵家の者だからか?」
この質問は尤もなものだった。
王太子の立場にあり、個人に肩入れも出来ない。また、個人的に親しくしていると知られれば標的にされる。隙を見せれば利用されるか毒されてしまう、それに権力や金を嫌う人間はそうはいない。愛するものが変わってしまうのを見るのは辛い。適度な距離を取ることはお互いのためでもある、
レイアースはその点においても唯一の信用出来る悪友であった。
有象無象を寄せ付けない権力と実力を身につけ側にいてくれている。
そんな奴から見ても今回の私の行動には疑問を感じ苦言を呈さずにはいられなかったのだろう。
「まるで番に対する執着のようか?」
「………ああ。大丈夫なのか?」
「ああ、自分自身でもおかしいって分かっている。そしてこの庇護欲は天竜樹の意思によるものだと思っている」
「天竜樹? どう言うことだ?」
「警備の者たちが言っていただろう『ラディージャが来た後、天竜樹が喜んでいるかのようだった』これを検証してみた。これは事実だった。
事実というのは語弊があるか、普段にはない事象を確認した。ラディージャは天竜樹に対し特別な何かをしている訳ではない、だがラディージャが天竜樹の側にいると喜んでいるかのように空気が和らぎ穏やかな空気に包まれる」
「本気か? それが事実ならば…」
「ああ、カラッティ侯爵家が天竜樹を管理するようになった所以、先祖と同じような能力があるのかもしれない。恐らくだが、天竜樹はラディージャの魔力を吸収している、花芽をつけるほどにね」
「何だって!? では何故…はっ!」
「ああ、花芽が落ちた時 ラディージャは魔力切れを起こしていた。魔力供給が絶たれたためだろう、それ程までに深く繋がっている。
そしてお前の懸念事項である私がラディージャに干渉しすぎる件だが、ラディージャの保護を天竜樹が望み、私を動かしているのではないかと思っている」
「………そんな事が起きるのか? いや、起きているんだな。意識を乗っ取られているのか? 意に反して?それとも意志を捻じ曲げられるのか?」
「そう心配するな。私は大丈夫だ。
恐らく天竜樹が求めているのはラディージャの意思を尊重した保護だ。
例えば…例えばだが、魔法刻印が一生現れなかった場合の後ろ盾となる者、と言う意味ではこの人選は正しいかも知れない。だが私はいずれラディージャには魔法刻印が出ると思っている。それも金色や虹色若しくは…、そうなると金銭の支援だけでは足りないのだ。ラディージャを何者からも護る権力と強さが」
「……なるほど漸くお前の意図が解った。我が家ロペス公爵家…いや、私の家シュテルン伯爵家の養子にと言う事なのだな? ふー、早く言えよ、承知した」
「すまない、私の子ではもっとあの子を巻き込んでしまう」
「おい! 解ってるって言っただろ!」
「勿論、家督に関しては権利を発生させる必要はない。奥方が難色を示したら私が話をする、それでも駄目ならば別の方法を考える、だからお前を犠牲にしたいわけではない」
「だが、在学中に魔法刻印が現れればカラッティ侯爵家が手放さないだろう?」
「まあな。だが私の予想では現れないと思う。今の私が思考誘導を受けているのならば、それは必要だからだろう? 何かあるのか、取り越し苦労か分からないが必要な事なのだろう」
「ラディージャか…、我が家の長女になるのか…」
「本当はならない方が良いのかもしれないがな、その時はよろしく頼む」
「ああ、了解」