11、疑問−3
急いで医務室へ連れてきたラディージャはベッドに寝かせられ、診察される。
そして当然のようにマリリンは付いてきて、ギャーギャー騒いでいる。
タッカーは、
「ビーバー嬢、出て行ってくれ 診察の邪魔だ」
一言いうと警備員に連れ出された。
ラディージャは最近は部屋から出ずに風邪気味の中、無理をして睡眠を削り勉強をしていた。しかも周りは『天竜華祭』で浮かれていて、普段から顔色の悪い、食事時間以外部屋から出てくることもなかったラディージャの異変に、友人も教師も気づかなかった。
ラディージャが必死に勉強しているのはいつもの事、タミールもマリリンがラディージャを悪者にするのが許せなくて、あの場では大袈裟に言っただけだったのだ。それがまさか本当に倒れているなんて思わず蒼白していた。
ラディージャの様子を診察すると、やはり風邪と睡眠不足と疲労が主な原因だった。
ポーションを飲ませると、症状は改善したようだった。だが顔色は悪いままだった。
その上、不調の原因が取り除かれたにも拘らず意識が戻らない。
医務室で今日は休ませることにした。
水の音が聞こえる、水音の方へ歩いて行くと滝があった。
滝の前には滝壺があり、小さな鳥や水の精霊や人魚がいたり、花が咲き乱れ花の精霊やユニコーンがいたり御伽噺の挿絵の世界に迷い込んだようだった。
暖かなそこは雲の上を歩いているような心地良さで、みんな笑顔だった。いい匂いに何とも言えない安心感。
ああ、気持ちが良い。久しぶりに味わう解放感に充足感。あれ?私は今…水に浮いてる?
ああ、何処だったかしら? 見覚えがあるわ。
「ねえディー、ここに覚えがない? うんと小さい頃に行ったことがある気がするんだけど…、ディーは分かる?」
空には虹色の雲が浮いていた。
「あれ? あんな雲見たことないわね。なんだか美味しそう」
「ラディったら食いしん坊だね」
「だってディー甘くて美味しそうでしょう?」
手を伸ばしてみたら、遥か彼方にあった彩雲に手が届いてしまった。パクッと食べると予想よりもっと美味しい味がした。
「ん〜〜〜美味しい!!」
「はい、ディーも食べてみて。あ〜ん」
「ん、モグモグ んー美味しいね」
「ディー見て! 今向こう岸で何かが光らなかった?」
「そう? ああ、本当だ! 光ったね!」
「なんだろう? なんだろうね?」
「んー、ガラスが反射したとか? ああ、あそこの妖精の羽根に反射したんじゃない?」
「確かめにいかない?」
「ええ!? まさか泳いで?」
「うん!」
「まったく 僕のお姫様はお転婆さんだね。どうせ競争って言うんだろう?」
「うふふ、大好きよディーンシュト」
そんなに大きく感じなかった滝壺は泳いでいると湖のように広かった。
私はディーンシュトの背中にへばりついて、ディーンシュトが泳ぐ背中の上で楽をして甘えていた、水の中で腕を絡ませたり足を絡ませたり抱きしめあったりキスをしたり戯れていた。岸へ着くと、光っていたのは花だった。
木に咲いた花は、ガラスのような水のような光を閉じ込めたような美しい花。
近くで見ると大きな木に無数に花がついていた。
「ディー ………綺麗だね」
「ああ、凄く綺麗だ」
ずぶ濡れのままち立ち尽くし、暫く見惚れていた。
ここにも沢山の妖精や動物たちが集まっている。
気づくと服も乾いている。
ここは楽園なのだ。生きる全ての者たちの楽園。
見えない何かに護られている、そう まるで卵の中のように安心できる場所。
小さな狐が近づいてきた、尻尾が9本ある魔獣? それとも聖獣? 金色でもふもふ、凄く可愛い。
あっちには猿がいる、こっち向いてる。あれ? あっち向いてもまた顔、わぉ、前にも後ろにも顔がある。
あらピンクの兎だわ、もふもふが過ぎるな。耳と尻尾が2本ずつある6本のもふもふ、贅沢だわね。
温かくて、平和で、幸せで、涙が出てきた。
懐かしいこの感じ、何処で…?
「ねえディー、凄く幸せだね」
「………………。」
「ディー?」
振り返ると誰もいなかった。
「ディー? ディー! 何処? 何処にいるのディーー! ディー!」
そこにいたはずのディーンシュトがいなくなってしまった。必死に探しても呼びかけても応えることはなかった。「ディー! 何処? ディー!」幸せが一転して奈落の底へ落とされた気分。どんなに呼んでも応えてくれない、その喪失感で発狂しそうだった。
「ディー! ディー! 行かないで…何処? お願い…行かないで…ディー」
ああ、愛するディーンシュトはもういないのだ。
カーテンだけで仕切られた向こうに会いたかったその女性がいる。その女性は意識を失いながらも自分の名前を呼ぶ。『行かないで』と切なく乞う声に…もう、堪えられなかった。ベッドから這い出て、彼女の側に行き夢中で彼女の手を取った。
「ラディ、ラディここにいる、僕はここにいるよラディ!」
ベッドの傍らでラディージャの手を握り、意識がないながらも自分の名を呼び泣き叫ぶ彼女に自分の存在を必死に訴えかけるが、ラディージャの意識は深く落ちていて呼びかけに応えることはなかった。
『ああ、神様ラディージャを助けてください。彼女がいなければ生きていくことは出来ません。どうか、一緒になれなくてもこの世に彼女を繋ぎ留めてください。愛する彼女を僕から奪わないでください!!』
縋るようにラディージャの手を取り口づけをする。
「ラディ、ラディージャ…僕を置いて何処にも行かないで!」
ピクリと指が動いた気がした。
手を握ったままラディージャの顔を確認した。だがやはり意識はない。
「ラディ? もう一度、もう一度反応して! ラディ…僕はここにいるんだ、気づいて! お願いだ、僕を見てくれ!!」
切なる願いは聞き届けては貰えなかった。
タッカー先生も確認したが、ラディージャは意識を失ったまま戻らなかった。
ディーンシュトは苦しくて呼吸もままならなかった。
このままラディージャを失ったらと恐怖に嗚咽を漏らしていた。その様子にタッカー先生は2人をそのままにしてラディージャの側から離れた。
『どう見てもディーンシュトの番はラディージャなんだけどなぁー。どうなってんだ?
魔法刻印はある、イレギュラーがあるのだろうか? ラディージャは魔法刻印が無いのも確かだ。こんな事今までに無いからどうして良いのかなぁー』
ベッドで横たわるラディージャの頭を優しく撫でる。
『こんな風に触れたのはいつぶりだろうか?』
15歳 後期ダンスパーティの時、マリリンの魔法刻印が明らかになってから、僕とラディージャは引き裂かれた。
あれから1年くらい経っただろうか? 長い悪夢だったらどんなに良いか…。マリリンが番である事実は変わらない。心はこんなにもラディージャを求めているのに! ラディージャもこんなにも僕を求めてくれているのに! 何故僕たちは番じゃないんだ!!
1年離れても未だにお互いの中に存在して、忘れることなんてできない。
ラディージャの首元に光るネックレスを見つけそれを引っ張り出した。
それと同じ物がディーンシュトの首にもあった。
これは11歳の時一緒に王都に来て入学準備をする際にお揃いで買った物だ。お互いの存在を常に感じられるようにと。
「まだ持ってたんだな」
ディーンシュトはラディージャの頭に手を当て、唇にキスを贈った。
『ラディージャ、僕は誰に許されずとも生涯君を愛するだろう。どうか、密かに想う事を許して欲しい。愛している…愛しているよラディージャこの世の何よりも愛している』
唇を合わせた瞬間、ディーンシュトはこれまでの不調が何処かに消えていくのを感じた。初めて唇を合わせた時と同じように、全身に血が駆け巡る感覚と共に魔力が漲る。自分の鼓動がドゥクンドゥクンと脈打ち生命力を取り戻していくのを感じる。
『ああ、僕にはラディージャしかいない。運命がマリリンを示しても、心はラディージャを求め愛している』
自分の中の変化について考えていると、ラディージャが身動ぎした。慌ててラディージャを見るとラディージャも今までの顔色の悪さが改善され血色が良くなり、静かに目を開けた。
「ディー…」
「ラディ! 気づいたの!?」
「ディー…、ディー…」
ディーンシュトの手に頬擦りし甘える。
ディーンシュトはラディージャに頬擦りされていない方の手でラディージャを撫でる。
「きっと夢ね…。ディーはもういないんだもの。ディー 大好き、大好き、愛しているわ。夢の中だから許して? 夢の中だけは私のものでいて? お願い」
涙が頬を伝う。
「スンスン うん、僕はラディのものだよ、僕も愛している この世の何よりも愛している」
ラディージャにもう一度口づけをした。
ラディージャにも身体中に不足していた何かが満たされる感覚がある。熱い血潮が迸る。
自分の手を見つめ、目をパチパチさせて驚愕している。
「力が漲る? 体の不調が嘘みたい?」
「えっ?」
手をディーンシュトに伸ばした。
ディーンシュトはそれに応えるように顔を近づけると、ラディージャはディーンシュトの顔に触れた。
「ほ、本物なの?」
「うん」
ラディージャは涙が溢れ出した。
いけないと分かっていても、ベッドから起き上がり、ディーンシュトに抱きついた。それをディーンシュトも受け止め強く抱きしめる。
互いに欠けていたものが満たされ体も心も温かくなる。
見つめ合ってどちらからともなくそうする事が当然のように口づけをした。言葉もなくただ互いを抱きしめた。
タッカー先生はカーテン越しに中の様子に気づいていたが、邪魔するをやめ落ち着くのを待った。そして落ち着いた頃にラディージャを診察した。ラディージャだけではなくディーンシュトも全快していた。
『やはり…』
2人の症状は番を失った時によく見られるものと同じだった。番を失った片割れは、ゆっくりと死に向かっていく。だからラディージャは風邪だと聞いていたが嫌な予感がして寮まで見に行ったのだ。
ディーンシュトはマリリンと会った後、最近は必ず体調を崩す、これは拒否反応だ。
番であれば側に来ただけで体調を崩すことなんてあり得ない。もしかしたら、魔法刻印が似ているだけで違う物なのかもしれない、いやきっとそうだ。
タッカーはディーンシュトとマリリンが番と言うことに疑問を明確に持った。
魔法省に早急にマリリンの確認を急ぐように連絡をした。
「このネックレスまだつけていてくれたんだね…」
「ごめんね、でもこれだけは許して? ディーが側にいてくれるようで…外せないの!バレないようにするから!」
ディーンシュトはそっと自分の胸元からも同じものを取り出した。
「あっ!」
「僕も同じだよ。ずっと側にいて欲しいのはラディだけなんだ」
「ディー!」
2人はまた口付けた後抱きしめ合った。
きっと今しか一緒に居られない、そう思うと離れ難く、ベッドに寄りかかり手を繋ぎ肩を寄せ合った。朝までずっと話もせずにそうしていた。何処かしら触れている、それだけで安心できた。同じタイミングで目が合う、何となくおかしくなって笑んでしまう、甘えたくなって首を伸ばしてしまう、何もなくてもキスをする。匂い、体温、心音 何もかもが心地良く愛しい。
朝が来ればまた離れなければならない、分かっていても今だけは互いの存在を感じていたかった。明け方、それぞれのベッドに戻り、そして自分たちの生活に戻っていった。
マリリンが魔法省に正式に魔法刻印を確認して貰えば、覆るそう信じた。