そして始まる2人の関係
眩い夕暮れを背に水墨が告げてきた言葉。
それはどこか腑に落ちる反面、これまで築いてきた常識があり得ないと否定してやまなかった。
「心を読める……? 何言って、んな漫画みたいな……」
「そうね、普通はそう思うわよね。読心なんて奇天烈な話、普通なら世迷い言にしか感じないでしょう」
困惑する俺を、水墨は面白がるような笑みを浮かべてくる。
その堂々とした態度に、世迷い言でしかない彼女の言葉ですら信じてしまいそうになる。
けれどあり得ない、そんなことがあるはずがない。
読心能力、或いは読心術。それは講義的に見ればテレパシーとも呼ばれる超能力の一種で、現実には存在し得ない空想の産物だ。
テレビでそう自称するタレントもいたりするが、そんなのは所詮台本の上で成り立つ偽物。あくまで娯楽のために創り上げられた個性であり、舞台を降りればただの人に戻ってしまう仮初めに過ぎないはずだ。だからそんなもの、世界の端っこにだって存在するはずが──。
「──はずがない、ね。なら、貴方はその目で世界の全てを見たのかしら?」
「な、ないけど……」
「そうでしょ? 例えば未だ数千数万の未解明生物がいるように、脳という部位の根本を解明できていなかったり、この世にはまだまだ知られていない神秘が眠っているの。私のそれも同じようなものよ」
水墨は俺の疑問を塗り潰すよう、思考の上から言葉を重ねてくる。
……駄目だ、考えても仕方ない。どうせ少し試してみれば、真偽なんてすぐに分かることだ。
「それにしてもあの部長さんも凄いわよね。例として挙げただけではあるけれど、それでも核心を突いたのだから。私に言わせればあっちこそ超能力者よ」
「……ちなみにだけど、今俺が思ってるものは?」
「青林檎。そんな果物、好きでもないのによくすぐに思いついたわね」
何の関連も脈絡もない果物を想像してみれば、彼女はそれをぴたりと当ててしまう。
あまり好きじゃないことも含め、こんなの普通の人間にはどう頑張ったって見抜けるわけがない。……認めたくはないが、どうやら本当に心を読めるらしい。
「……受け入れるの早いわね。普通ならもっと疑うか取り乱すところじゃない?」
「生憎一番読まれたくないところを既に暴露されていてな。それともなにか? パニクって掴みかかる方がお好みか?」
「……いえ、その方が楽でいいわ。やはり貴方は見込んだとおりの男ね」
観念するように両手を上げ、目の前の女がただの中二病ではないことを認めると、水墨は満足気な顔を見せてくる。
見込んだとおり? 一体何が彼女の期待に応えたというのか、生憎俺にはさっぱりだしどうでもいいことだ。
……そう、そんなのはどうでもいいこと。大事なのは心を読む人間がいるなんてことではなく、人に知られたくなかったことを知られてしまったことについてだ。
「……そんなに嫌? 園田さんとの関係を知られることが」
「ああ、もちろん。だって──」
「──だって彼女のイメージを損ねることになりかねないから。ふふっ、告白な出来ない言い訳のくせに自意識過剰も大概な言い分ね」
またしても言い終える前に的中させてくる水墨。
見透かされている。彼女の鋭い目が浅ましい俺の性根を、本心を、心を正確に見抜いている。
告白する勇気がないだけの俺の建前とその奥にある本音。もし楓に知られてしまえばそれだけで死にたくなる俺の醜さを、彼女に呆気なく暴かれてしまう。
どうすれば、どうすればいい? 考えろ俺。黙ってもらうためには何をすればいいか、脳の回路を焼き切るくらい回して正解を導かなくては──。
「安心なさい、別に彼女へ告げ口する気はないわ。それでは何一つ面白くないもの」
悩みに悩む最中、水墨は俺の思考をただの一言でばっさりと切り捨ててくる。
楽しくない? 何を言ってるんだこの女? 俺の狼狽具合なぞ見世物にしても三流以下だろうに。
駄目だ、彼女の考えがまるで読めない。こいつはなにがしたいんだ。
「……何が望みだよ。有り金か? それとも惨めな俺の懇願か?」
「私を何だと思ってるのよ。ちょっと心を読んで暴いてあげただけだというのに」
どこがそれだけだというのか。多くの人はそれを悪魔の所業と呼ぶだろうに。
「あら、悪魔だなんて酷いわ。別に人を強請りたいとかクラスを都合の良い駒が欲しいなんて望みなんてないの。あくまで暇潰し、一言で表すならこれだけだもの」
暇潰し。彼女はほんの僅かですら考えることなく、あっけらかんとそう口にしてくる。
俺にとっては人生終わりそうなほど危機的状況だというのに、彼女にとってはただの些事に過ぎないらしい。
まったく、なんて性根の腐ったくそ女だ。例え嫌悪と苛立ちが彼女に伝わってしまおうと、内に抱く思い一つで機嫌を損ねてしまうと分かっていても、彼女への負の感情を抑えることが出来ない。
「いいわよ別に。むしろ言動と内心が一致している方が好ましいわ、丁度今の貴方のように」
「……あっそ。そりゃ良かったよ」
ため息交じりに筒抜けだった思考を肯定され、ついこちらも安堵の息を零してしまう。
いや良かった良かった。どうやらその辺は寛容なようだ。このままじゃ心の完全制御か思考を無にするなんて人生悟った人間を目指さなきゃいけないのかと思ったよ。
「私、凄く退屈なの。それこそ暇さに殺されてしまいそうになるくらいには」
少しばかり落ち着きを取り戻し、俺を通り過ぎて帰路を進み出した彼女に付いていきながら、彼女の話す内容に耳を傾ける。
「別に心を読めるからって楽しいわけじゃないの。むしろ人の醜い部分──嫉妬や欲望なんて下世話な下心ばかり。そんなの覗けても面白みなんて微塵も感じないの」
「……それはまあ大変そうだな」
「ええ。ほら、私って綺麗でしょう? だからみんな犯したいだの染めたいだの壊したいだの煩いのよ。実際挨拶したときも九割がそれに近い劣情を抱いていたもの」
彼女は言葉を紡いでから、ほとほと辟易したとばかりに大きなため息を吐く。
確かにそれだけ聞くとあれだが、ぶっちゃけそれは仕方ないのではないかとも思う。だって彼女自身が言った通り、転校生水墨 玲華は類を見ないほどの美少女なのだから。
ただでさえ急に湧いた転校生。そんな奴が雑誌の表紙にでもいそうな容姿をしていたら、健全な十代としては如何わしい願望の一つや二つ持ってしまうというものだ。
むしろそれを曝け出さずに接しようとするのだから褒めるべきだろう。疑わしきは罰せず、むしろ世に出さないだけ人格者ではないのだろうか。
「嫌よ。私には見えてるのだし」
……まあそれは確かに。
自分の価値観だからそう言えるだけで、彼女にとっては筒抜けの欲望でしかないのか。
「けど、あのクラスには私のことを下卑た妄想をしない奴がそこそこいたの。貴方もその一人」
「……そう? 我ながら結構綺麗だなぁとか考えてた気がするけど」
「そうね、だけどそれだけよ。むしろそれが凄いことなのだけど、分からない?」
そう言われてもピンとは来ない。
彼女の表現が過剰なだけで、俺の性根など正直別の奴と大差ないだろうから。
「今まで私に興味のない人間はいたわ、現にあのクラスでもちらほらとね。けれどそれは何かに盲目な人や私の美を芸術にしか思ってない異常者。或いは人を偽った妖怪なんかで、そもそもの価値観すら異なる者ばかりだったわ」
……妖怪の部分はあくまでお茶目な冗談と受け取って良いのだろうか?
「けれどあなたは違った。私の容姿を美しいと感じてなお、どうでもいいことだと割り切った。そんな人間は初めてだったから、だから貴方に明かしたのよ」
「……探せば結構いそうだけどな。そんな人間」
「そうね。けれど私は初めて会ったの、それが君だったのよ? 幼馴フェチのわっしーくん」
彼女は首を曲げてこちらを見つめ、先ほどまでと異なる優しい口調でそう口にする。
……どうやらそこに嘘はなさそうだ。成程、なんとなく彼女の言いたいことは理解できた。
水墨が欲しかったのはお眼鏡に叶う且つ突き抜けてはいない人間。確かにその条件であれば、平凡極まりない俺が当てはまっても可笑しくはないのかもしれないな。
「……まあ何となくわかった。けど生憎、水墨さんの暇を潰してやれるほど愉快な人間ではないぞ?」
「そうね、そう思うわ」
「だったらなんで……」
「──だから提案があるの。貴方にとっても悪くない、今を変え得る一手よ」
「ねえ鷲月君。私と契約して、彼氏になってみる気はないかしら?」
「……はっ?」
水墨 玲華の出した提案を聞いた俺は、思わず歩いていた足を止めてしまう。
彼氏? 何を言ってるんだこの女、俺の心を読んどいて何故そんなことを──。
「正確には恋人の振りね」
「振り?」
「ええ。さっきも言ったけど、私って容姿端麗でしょ? だから面倒な男に狙われることも多いと思うの。だから男避けになってほしいってわけ」
はあ。確かに同情したくなるくらい大変そうだけど、それがどうして俺の利になるでしょうかね。
「確かにこれだけ聞くと貴方の得は少ない。それこそ私という弩級の美少女が彼女になれることくらいしかないわ」
「……弩級って自分で言っちゃうの?」
「けれどいいこともあるわ。ねえ鷲月君。園田さんの気持ち、知りたくないかしら?」
唐突に出された楓の名に、心臓がどきりと唸りを上げてしまう。
何故偽装彼氏になれば楓の気持ちを知れるというのか。正直皆目見当が付かないのだが。
「鈍いのね。もし脈があるなら多少は言動に出るものでしょう? 今の貴方みたいに」
「……そういうことか」
ああ成程、要は楓の感情を引き出せるってことか。
余裕を崩すことなく俺を手玉に取る楓だが、これならあいつも驚くかもしれない。転校生の美少女と初日でカップルになるなんてこと、流石のあいつでも予想出来やしないだろうからな。
ただ、それであいつの顔色が変わるのだろうか。お気に入りのおもちゃ程度には気に入られてるとは思うが、俺に関することで心が揺れるかと言われれば微妙なんだけど。
「変化がなければ希望はなかったってことじゃない? ……そんなの絶対ないけど」
「何か言った?」
「いえ何も? で、どうするの? 私は暇を潰せるのと男避けが出来る、貴方は意中の少女の気持ちを知れるかもしれない。ほら、双方得だらけでしょ?」
俺が聞き取れなかった言葉などお構いなしに、水墨は選択を求めてくる。
確かに俺にとっても悪い話じゃないとは思う。
瞼を開けることすらなく俺を弄ぶあの幼馴染。園田 楓の気持ちを知るきっかけになるかもしれない。こんなチャンス、何もしない自分に降りかかることはもう二度とないだろう。
けれどそれと同時に湧いてしまう面倒事の数々。水墨 玲華の側にいることを選べば、俺の学校生活はきっと平和ではなくなってしまうはずだ。
進展を取るか、それとも維持を望むか。
俺にとって学生生活の岐路とはまさに今。片方を選べば、もう片方へ後悔を抱きながら一生を過ごすのだろう。
一度、目を閉じる。瞼の裏に思い描くのは、今なお続く初恋の少女の笑顔。
彼女の側にいたい。留め続けた恋の一歩を踏み出すならば、きっと今が最初で最後のチャンス。叶えたいのなら、進みたいのなら、選べる道はひとつだけだ。
「いいんだな? 利用しても」
「お互い様よ。さあ、答えを口に出しなさい」
ゆっくりと目を開き、隣の少女へ体を向ける。
水墨は足を止め、手を伸ばして答えを待つのみ。まるで校舎裏での告白みたいに。
「やろう。よろしく頼むよ、水墨」
「玲華よ、そう呼びなさい。私の相棒」
落ちかけた夕日を背に、俺と水墨は手を結ぶ。
契約は為された。俺達はそれぞれ己の目的のために、互いの手を取り合い進むのだ。
「じゃあ帰りましょう。まずはこの手のままで。当然、それくらいは出来るわよね?」
「もちろん。何なら家まで送ろうか?」
「嫌よ。そこまではお断り」
中身のない軽口を言い合いながら、手を放すことなく駅までの道を再開する。
果たして彼女の手を取って正解だったのか、それは今の俺には判断のしようがないことだ。
ただ一つ分かるのは、今日までと明日からの学校生活は違うということ。始まる前から終わっていた初恋に決着を付けるため、自分が踏み出せたという快感だけだった。