唐突な提案
美少女転校生の来襲とかいう中々に刺激的なイベントから数時間。
最初こそ浮ついたりもした我が心もとっくに落ち着きを取り戻し、気付けば放課後に突入していた。
何かあったかと言えば何もなく。他はともかく、自分周りは平穏そのもの。
当たり前だ。別に転校生が一人来ようが自分には関係のないこと。席が隣でもなければ、縁など皆無と言っていいのだから、いちいち気にする意味はない。
「ではなわっしー。伝言任せたぞ」
「おーう。また明日なー」
律儀に声を掛けてきた保科に手を振って少し後、俺も部活に行こうと席を立つ。
教科書三冊程度の重みしかない鞄を背負い、多少の億劫さを抱えながら足を動かそうとした。そのときだった。
「ねえ鷲月くん、ちょっといい?」
唐突に背後から、どこかで聞いたことのあるような声が俺を呼び止める。
誰だ、何のようだ、何かしてしまったか。
保科の去ったこの教室で俺に声が掛かるなど、それこそ不幸の前兆でしかない。瞬間過ぎった様々な懸念に多少心を揺らしながら、ゆっくりと平然を装って首を動かし、声の主が誰なのかを確認する。
「……姫塚さん。……それに園田さんも。どうしたの?」
そこにいたのは見知った幼馴染と元学級委員、そして話題の転校生の三人。
右を見ようが左を見ようが、目に入るのは三人ともタイプの違う美少女。そんな宝石箱のような集団が、何故か石ころ程度しか存在感のない俺に話しかけてきたらしい。
まるでギャルゲの主人公の一幕みたいな状況だと。
我ながら陳腐な例えに胃が痛くなりそうではあるが、それらは絶対に顔へ出すまいと心がけながら、彼女の言葉を待つ。
「鷲月くん読書部だったでしょ? 水墨さんが興味あるって言うから案内してあげて欲しいの」
上目遣いで両手を合わせ、申し訳なさそうにこちらへ頼みを告げてくる姫塚さん。
……成程、どうやらこちらの取り越し苦労。面倒ながら不幸ではない、ただの業務連絡というやつか。
「うん、わかった。俺が連れてくるよ」
「ありがとう、後よろしくね! ほら楓、行こっ?」
「うん。じゃあ鷲月くんよろしくね~」
ぺこりと一礼し去る姫塚さん。そしてその後を付いていくように、ひらひらと手を振りながら離れていく楓。
……あいつが学内で絡んでくるなんて珍しい。いかに幼馴染と言えど、学内で話すことなどほとんどなかったからな。
「…………」
「…………」
さて、去って行った彼女のことよりも、今のこの瞬間という現実に意識を戻す。
残された者同士、えもいわれぬ沈黙が続くこの場。
どこにでもいそうな風貌な男子と、周りの視線を集める黒髪の美少女の二人。知り合い未満の関係性でどう接すればいいのか、俺には測りかねるほどの危機的状況であろう。
当然この空気感を打破できるコミュ力など俺には備わっていない。あれば遠くの昔に友達百人など容易、あいつにからかわれないくらいには人との関係を結べていることだろう。
……まあとりあえず、部室に行けば部長が何とかしてくれる。とっとと導いてお役御免になりましょうかね。
「え、えーっと……じゃあ行こうか。水墨さん」
「ええ。よろしく鷲月君」
いざ振り絞った一言に対し、彼女は一切の淀みなく返してくる。
これが天性の度胸の差かと、目の前の少女に感嘆しながら、教室を抜け部室へと進んでいく。
歩幅は小さくなく大きくもなく、互いの距離は触れない程度に少し遠めに。
デートなどしたことないし、楓と出掛けているときみたいに気をつけながら、ただ無心で歩を進めるのみ。
会話なんて思いつかない。よ通り過ぎるだけで注目を集める他人と世間話できるほど、俺の肝は据わっていやしないのだ。
「…………」
「……ふふっ」
そんな中、隣から微かな音が聞こえたような気がし、ちらりと視線だけを隣の彼女に向けてしまう。
何かを堪えるように、手で口を押さえながらこちらに見つめている水墨。
まるで黒い宝石のような輝きに満ちた瞳。閉じきっている楓とは違い、睨まれていると錯覚しそうな鋭い目は、例えるなら鋭く意志の籠もった鷹の目か。
「……何か?」
「いいえ、何も? 何もないわ」
それが確実に嘘であると、不敵に笑うあいつみたいに否定をしてくる水墨。
ただの女がやっていれば苛立ちの一つも立ちそうだが、肝心のこいつはただの美少女にあらず。数ある美少女の中でも一層際立つ超級の美少女で、胡散臭さは神秘的という属性でしかなかった。
……もしどこぞの誰かに無謀な恋心を抱いてなければ、きっと俺は彼女に恋をしていたかもな。
「ふふっ」
「……やっぱ笑ってんじゃん。顔に何か付いてる?」
「いえ、そうではないの。……そういうことね」
水墨はこっちを、より正確には俺の顔をその目で捉えながら、何かを納得したように微笑みを零してくる。
……まあいい。どうせ大した理由ではないだろうし、話すのはこれっきりになろうかもしれないこいつに関心を抱いても仕方ないことだ。
心の奥底でため息を漏らしながら数分程度。階段をいくらか登いて少し廊下を歩き、人の気配の随分と薄くなった頃、ようやく部室の前へと辿り着く。
「……少し待ってて。部長に話してくるから」
「ええ。……ふふっ」
笑ってばっかだなこの女。……いや、今はどうでもいいか。
彼女の了承を確認してから、扉を三回ほど適当に叩いて中にいるであろう人の返事を待つ。
待つこと一秒、二秒、三秒。指で数えられる程度の間の後、聞き覚えのある声が「どうぞ」とこちらを入場を許可してきた。
「失礼します。部長、少しお話が……部長?」
がらがらと引き戸をずらし、空いた空間へ足を進める。
視線はいつもの場所。中央の大テーブルの奥に置かれる、無駄に仰々しい回転椅子にいるであろうあの人へ。
案の定、そこに優雅に座っている一人の女性。和泉 興香はくるりと椅子を回し、ふてぶてしくこちらを見つめながら、片手に持っていた本をぱたりと閉じて机に置いた。
「……何格好付けてんですか?」
「なに、君がノックなぞするからそれっぽく取り繕ったまでのこと。登場時の形式美というやつさ。その辺君ならわかるだろう? なあわっしー後輩?」
「いやまったく。冬が明けても相変わらずですね先輩。元気そうで何よりですよ」
休み明けで久しぶりだというのに、まるで何も変わらぬキャラの濃さを見せつけてくれる部長。
流石はこの部の頂点たるお人だこと。俺以外が癖の強い同世代よりも、遙かにめんど……愉快な性格していらっしゃる。
大体ノックをしてるのだって、以前保科の奴が部長の着替えシーンに直撃してしまったからで、その二の舞にならないための対処でしかない。いかに部長の容姿が端麗だといっても、望んで警察沙汰になりそうなことは御免だしな。
「ふむ、愉快度で言えばきみは引けを取らないと思うがね。夢追い人な幼馴フェチ君?」
「……ずけずけと人の心を。本題入りますよ」
「本題? ああ、では私が当ててみせよう。……ふむ、来客。さては入部希望の子かな?」
舐め取るような視線でこちらに数秒見た後、部長はぴたりと正解を当ててくる。
「え、こわ。なんでわかんの」
「初歩的な推理……と言いたいがね。こんな辺鄙極まりない部活に顔を出そうとする輩なんて、それこそ教師か生徒会を除けばそれしかない。単純なことだろう?」
部長は姿勢を崩しながら実につまらなそうに説明した後、早く入ってもらえと言わんばかりの手招きしてくる。
どうやら拒否はしないらしい。……ま、どうせこっからが面倒なんだけどな。
「お待たせ。どうぞ」
「ええ。失礼します」
入り口で待たせていた水墨を呼び、彼女を部室へと招き入れる。
退屈そうにだらけていた部長も、水墨の容姿を目に入れると少しだけ興味を示したように座り直す。
「失礼します。部活の見学に来ました水墨 玲華です」
「これはこれはご丁寧に。私はこの読書部の部長である和泉 興香。さ、どうぞ掛けてくれたまえ」
水墨が示された席──部長の正面の椅子に着席するのを見ながら、俺は端に置かれたパイプ椅子に腰掛ける。
「さて水墨くん。きみはここへ入部したいとのことで間違いはないかな?」
「正確には考え中ですね。この学校は部活動への参加が強制ではないと説明を受けましたので、私に合っていれば入ってみようかと」
「ふむふむ。……ああ成程、君が噂の転校生か。成程、確かに美少女だね」
二人の会話を小耳には挟みながら、鞄から取り出した本を読み始める。
どうせ聞いたって楽しくない。部員候補を前にしたとき、部長がやるのは恒例のあれだろうから。
というわけで今日読むのはこちら、最近流行り損ねたライトノベル。動機である百合アクションものの一冊に話題を持っていかれてしまった、哀れ極まりないラブコメでございます。
「さて、とはいっても我が部に見学するものはなにもなくてね。なにせここは読書部、どこまでいこうと本を読むことしかしない部活なのだから」
「……では何を」
「決まっているだろう? 古来より所属を掛けて行う催しとは一つだけさ」
実に懐かしい。去年俺も他の連中も、この部に入ろうとした奴らも同じ事を聞かれたのだから。
嗚呼、部長が次の台詞はこうだ。いくつか質問をしよう。さて始めよう──。
「さて始めよう。我が部伝統、単純明快な入部試験と洒落込もうじゃないか」
──単純明快な入部試験と洒落込もうじゃないか。……うーん、完璧だ。