転校生
桜の花が舞う春真っ盛りの朝。
教室内の喧噪から離れ、窓から見える春の雨を窓際という特等席にてため息をつく俺がいた。
「……ねむっ」
やはりこうなったかと、あくびをしながら予想通りの現実に嫌気が差してくる。
クラス替えがあったとはいえ、話す奴があらかじめ固まっている当然。故にあぶれるのは、クラス分けで少ない友人と引き離された者や最初からぼっちである者達と相場は決まっている。ちなみに俺は前者だ。
こういう場合は自ら動かなければ何も始まらないのが常、そんなことは十二分に理解している。
けれど行動に移るかと言われれば、それは断じて否である。
もとより性根はぼっちの身。例えこのクラスに幼馴染がいたとしても、彼女の形成する仲へ混れもしなければ、他のあぶれた野郎少女に声を掛けられるわけがないのだ。
「────?」
「──────っ!?」
「────」
ふと幼馴染のいる方に耳と目をちらりと傾けるが、わかるのはなにかしゃべっているってことだけ。
まあそれは当然だ。何故なら俺の席は最後尾で、彼女たちが話しているのは前方の黒板前。四人組で、それぞれ異なる美少女が会話に花を咲かせているのだから。
別に幼馴染といえど、学校で話すほど俺達は張り付いているわけではないし、部活などの関係から登下校も別々。華やかな集団にいる彼女に話しかける勇気など、俺なんぞのどこにもない。
だから今の状態は俺と彼女の本来の距離感を、届きようのない遠さをそのまま形にしたかのよう。そんな中、周りの雑音が混じるこの教室で、彼女たちの会話を聞き取れる方が気持ちが悪いと言えよう。まあそれを言ってしまえば、幼馴染の会話を盗み聞きしようとしている自分こそ最も気色の悪い存在ではあると、俺ですらそう思ってはいるのだが。
……それにしても、随分とくだらないことを考えたものだ。同じクラスにあいつがいることで、柄にもなく浮かれてしまったか。
いつもの三割増しにしょうもない思考の渦。我ながら悲観的で嫌になると、言葉にすら出さず内心で自嘲しながら、懐から携帯を取りだしてソシャゲをして時間を潰すことにした。
「ふむ、メルケーファイアとは好い趣向だよわっしー。まあこのゲームを紹介した段階で、きみならきっとそのキャラを使うと思っていたがね」
「……保科か。毎度のことだけど、もうちょい普通に声掛けれない?」
春休みに始めたソシャゲをぽちぽちと、頬杖を突きながら画面を触って少し経った頃。
突如耳元から聞こえた聞き覚えのある声に、一瞬だけびくつきながら、ゆっくりと振り向く。
そこにいたのは予想通り細長い体型の男。保科 光太が、馴染み深い太い黒縁の眼鏡に触れながらそこに立っていた。
「いや失敬、なにせ僕が勧めたゲームをやってくれていることが嬉しくてね。つい手よりも声が出てしまったのだよ」
「……まあいいけど。っていうか同じクラスだったんだな。知らなかったわ」
「……クラス表を見てないのかい? まあ確かに、きみならそんなものは些事としそうだが」
どこかから持ってきた椅子を俺の机の側に置きながら、保科はやれやれと首を振る。
言い回し的に、こいつは俺を周りに無頓着な奴だと思っているのかもしれないが、別に配布された一覧を見ていないわけでも存在を知らなかったわけでもない。
ただ単に、楓と自分が同じクラスなことだけしか確認しなかっただけだ。どうせ知り合いは少ないし、誰がいてもいなくても問題なかったしな。
「んで、なんで俺がこのキャラ推しだって思ったんだ?」
「それは勿論彼女の設定だよ。そうだろう、幼馴フェチのわっしーくん?」
保科も携帯を取り出しながら、教科書にでも書いてあるかと思うくらいすらすらと答えてくる。……そのあだ名、出来れば止めてもらいたいんだがな。
「突如として天使に選ばれた孤独な小女! 過去に失った幼馴染の恋人を取り戻すため、例え尊厳失おうとも進み続ける悲劇の女! 嗚呼、まさに君好みッ!!」
「……朝からテンション高えな。さては徹夜明けか?」
「そうかね? 実は少しばかり早く起きてしまってね。故に我が愛犬ポメタとの散歩が盛り上がってしまったからかもしれないな」
適当に会話しながら、スマホでのマルチプレイに勤しんでいく。
今やっているのは一人プレイで苦戦したそこそこ難易度の高い面だったのだが、二人でやれば朝の会話の片手間で終わる程度に成り下がってしまっている。
独り身の俺からすれば実にありがたい。こういうゲームで楽しいのは一度目のクリアのために頭を割くことで、周回なんて面倒なことは楽に越したことはないのだから。
「さて。そういえば教室に来るまでに噂話を小耳に挟んだぞ」
「……授業時間が増えるとか?」
「否。そこまでの大事ならば、流石に事前通達があるだろうよ」
まあそうだろうな。とりあえず思いついたことを言ってみただけだし。
「何でも転校生がこのクラスに来るらしいのだ。名簿にも記載がなかった故、サプライズというやつだな」
「へー」
「興味なさそうだな。ま、その方がきみらしいのだが」
間の抜けた声で返事をしてしまったからか、興味がないと受け取られてしまったらしい。
別に話としては気になるんだけど。ま、入ったからって俺には関係なさそうだけど。
「でも意外だな。そういうの、お前は俺よりもどうでも良いと思う人間だろ?」
「そんなことはない。生憎きみよりは常識に身を染めていると自負しているが」
「そうかい。そら結構で」
「そうだろう? ……まあ確かに美少女であるらしいと聞こえなければ、俺の知ったことではなかったがな」
ゲームクリアの画面を連打していると、保科は自嘲するように言葉を吐く。
転校生の美少女ねえ。まあ、確かにそんな要素もりもりならこいつでも食い付くのか。
「まあ幻想を求める幼馴フェチのきみには関係のないことか。なにせ転校生は幼馴染じゃないのだから」
「……前から思ってたんだけどさ。俺を幼馴染とそれ以外でしか見てない人間だと思ってない?」
「さすがにそんなことは。ただ同じ穴の狢だと、いつもと変わらずそう思っているだけだ」
「……さよか」
それが当たり前かのように語る保科に、俺は返す言葉は持ち合わせていない。
とは言っても、別に腹が立つとかそういうわけではない。包み隠すことがないだけで、別に俺を貶めるために発言でないのは分かりきったことだからだ。
むしろ逆に、雑ながらも素直に言葉にしてくれるこいつは付き合いやすい。人を選ぶ相応の癖はある男だが、嘘や方便で誤魔化すやつよりはずっと気楽に話せるのだから。
「はーいみんな席に浸けー。HRやるぞー」
ゲームを再開しようとして操作をしていると、教室の活気を遮る教師の声が響き、四方八方に散っている生徒達が自分の席に帰っていく。
保科も眼鏡をくいっとさせてから携帯を仕舞い、椅子と共にこの場から離れようとしたが、何かを思い出したかのようにこちらへ向き直した。
「そうだ。ところで今日、僕は部活を休む。先輩に言っといてくれ」
「……了解。ちなみに理由は?」
「詰みアニメの消化だ。妹が煩くてな、三作品ほど溜まっているのだ」
保科はほとほとうんざりしたような顔を見せてからこの場を離れていく。
相変わらず苦労しているな。確か半年前に親が再婚したとかで出来た妹だっけか。
生憎妹も犬もいないから半端にしか共感できないが、それでも大変だなと心配はしている。あれでバイトもしているんだから、そらアニメを見る時間もないだろうよ。
「えーまずは進級おめでとう。二年になったことで気の緩みもあるかと思うが、学生の本分を忘れずに青春を謳歌するように。では簡単に──」
どうせ大したことは言っていないだろうしと、頬杖を突いて教師の話を聞き流しながら、窓外で咲く桃色の花をぼんやりと眺める。
今教壇でしゃべっている男──鏑木はどうでもいい話を混ぜながら説明するタイプで、つまり半分は聞き流しても問題ない戯言でしかない。
興味のない他人の世間話ほどつまらないものはない。そんなのを耳に入れて記憶に刻むくらいなら、空を舞いながら散っていく桜に目を向けた方がまだいくらか暇を潰せるというものだ。
「────。じゃあ最後に転校生の紹介に入るぞー。入ってくれー」
転校生と、先ほど話題に上がった興味の対象が耳に届いたところで前方を向き直す。
美少女らしきその姿。どうせ話すことはないだろうが、それでも興味くらい持つのが思春期という生き物。この気を逃すとちゃんと見る機会はほとんどないので、一回くらいはちゃんと見てみたい。
がらがらと、扉は音を立てて横に開き、一人の少女が教壇まで近づいていく。
混じり気のない夜色の長髪を靡かせ歩く姿は、さながらランウェイを進むモデルのよう。
「水墨 玲華です。よろしくお願いします」
鋭い目で周囲を見据え、短く簡素に、されど聞く者見る者の心を掴む彼女の声。
優雅に堂々と、何者をも恐れず挨拶する少女は、確かに美少女と呼ぶに相応しき人。
そんな彼女と一瞬だけ。ほんの僅かであるが雑多に紛れたこの俺と、目が合ったような気がした。